遠い幻 第五夜

「いつまで寝ているつもりだ!いい加減に起きろ!」
「――っ!!」

 今までで一番最悪な目覚めだった。
 痛む頭を押さえながら、スザクは痛みの原因を探る。自分にかかっている影に気付き、顔をわずかに上げた。そこには腕組みをしてスザクを見下ろすルルーシュがいた。
 格好はマントや帽子を取った状態の皇帝服で、上から下まで真っ白に包まれている。足元はブーツで、まさかその靴で蹴ったんじゃないだろうかと恐ろしい可能性を考えた。いや、いくらルルーシュがガサツになったとはいえ、足で人を蹴るなんて野蛮なことはしないだろう。だとしたら、ずきずきと痛むこの頭は何が原因なのか。
 スザクは身を起こした。そして、ぱちくりと目を瞬かせる。

「……どこ?」

 呆然と呟く。
 目の前に広がるのは白い平原。黒い染みひとつなく、ルルーシュの服よりも真っ白な世界で圧倒される。こんな場所にずっといたら精神を病んでしまうかもしれない。
 白というのは純潔や純粋さを象徴する色だが、程度が過ぎれば恐怖や圧迫をもたらす。綺麗な水でないと住めない魚も、濾過され雑菌すらいないような水の中では死んでしまうのと同じだ。
 こんな場所になぜ自分はいるのだろう。
 なぜルルーシュがいるのだろう。
 (ああ、そうか。これも夢だ)
 幼いルルーシュがいた。
 七年ぶりに再会したときのルルーシュがいた。
 憎い、殺したいと思っていたころのルルーシュがいた。
 皇帝だったルルーシュがいた。
 どれもこれも夢だ。ひどく現実味を帯びた夢だったけれど、こうして思い返してみればあれは確かに夢だったのだと思う。だから今のこの状況もきっと夢に違いない。

「残念ながら、夢じゃない」

 しかし、まるでスザクの心の声を聞いたかのように否定する声が頭上から降ってきた。
 スザクは首を伸ばして立ったままのルルーシュを仰ぎ見た。腕を組んだままどこか遠くを眺めている。相変わらず美しい色をした瞳が自分を映してくれないのが寂しくて、ならば自分が視線を合わせればいいかとスザクは立ち上がった。

「どうして言い切れるの?そう言う君も夢かもしれないのに?」
「夢じゃない。まあお前にとっては現実ではないから、夢のようなものかもしれないがな」
「現実ではない?夢でもなく現実でもない、ならばここはどこ?」

 ルルーシュがおもむろに顔を向けてきた。望んでいた瞳が自分を見つめてきて、スザクの胸は高鳴った。嬉しいはずなのに、どうしてだろう、ひどく泣けて仕方がない。

「Cの世界だ」

 その答えにスザクはぽかんとした。
 Cの世界とは、あのCの世界だろうか。しかし、自分はあの遺跡になど行っていない。もちろんまだ死んでもいない、と思う。
 反応を返せないでいるスザクに、ルルーシュはわざとらしく溜め息をついた。

「まったく、お前はいつまで寝ているつもりだ」
「……いつまでと言われても。ゆっくり休めって言ったのは君だよ」
「だからといって寝すぎにも程がある」
「だったらもう少し丁寧に起こしてよ。まだ頭が痛んだけど、一体何したの?」
「ん?ああ、ちょっと殴らせてもらった」
「殴っ……!?やっぱり君、相当ガサツになったよ」

 はあぁとスザクは息を吐き出した。まだ時間があるからとスザクの目を無理やり瞑らせたのはルルーシュだ。なのに起きないからとそんな乱暴な起こし方はないだろう。教科書の角で殴ったりグーで殴ったり、十歳のルルーシュからはとても想像ができない。
 (いや、それは夢の中の話だから、ルルーシュが休めと言ったのも教科書の角で殴ってきたのも夢で……あれ?)
 スザクは混乱した。夢と現実の区別がつかない。

「ルルーシュ……ここは本当にどこなんだ?君は、一体……」

 捨てられた犬のように途方に暮れた目をするスザクに、ルルーシュは笑って見せた。まるで『仕方ないな』と言うような笑みだった。

「言っただろう?ここはCの世界だと。まったく、C.C.も介さず、生身のまま精神だけCの世界にやって来るとはな。母さんもある意味精神だけでこの世界に存在していたようなものだが、死んでいたから前例にはならないだろう。こんなことは恐らく初めてだ。俺のギアスのせいかもしれないとはいえ、お前は本当にイレギュラーばかりで困るよ」
「精神、だけ?」
「ずっと夢を見ていただろう?」
「じゃああの夢はCの世界だったと……?」
「さあ、どうだろうな。お前の願望が形になったのかもしれないし、夢だったかもしれないし、現実だったかもしれないし。お前の好きなように捉えればいい」

 ルルーシュは笑みを深くした。
 この顔をスザクは知っていた。ゼロレクイエムまでの間に見せていた笑みだ。何も不安なことなんてない。自分は平気だ。つらくなんてない。だから心配するな。周囲の人々に言葉で伝える代わりに浮かべていた笑み。
 二人が皇帝と騎士だったころに戻ったような感覚がした。ゼロレクイエムからすでに三年が経過しているというのに、明日がその当日だと思ってしまうような錯覚に、スザクの中で言い知れぬ感情が高まった。
 気付いたときには、ルルーシュの腕を掴んでその体を抱いていた。ルルーシュは少しだけ息を詰めたが、何も言わなかった。
 (あたたかい)
 夢の中で何度も感じたぬくもり。
 ここがCの世界ならば、このルルーシュは生身の人間ではない。なのに温かい。まるでゼロレクイエムこそが夢だったと、ルルーシュが死んだことはひどい悪夢だったと勘違いしてしまいそうなぬくもりに、スザクの視界がぼやけた。あれ?と思っていると、頬に濡れた感触がした。思わずルルーシュを離して自分の顔に触れば、指に水滴がついていた。
 これはなんだろうと首を傾げていると、ルルーシュが手を持ち上げた。そして、スザクの頬を拭う。

「ルルー、シュ?」
「お前はいつまで経っても泣き虫だな」
「え?」
「泣き虫スザク」

 ふふっ、と母親のようにルルーシュが優しい声で言う。
 スザクはそこでようやく自分が泣いていることを知った。意識した途端、目の奥が熱くなる。喉が引き攣り、嗚咽が漏れた。

「ルルーシュ……っ、ルルーシュ!ルルーシュ!」

 目の前の体を掻き抱く。ルルーシュ、と何度も何度も呼んだ。
 呼んでいないとここからまたルルーシュがいなくなってしまうような、そんな気がした。

「ルルーシュ…!」
「ああ、俺はここにいるよ」

 ルルーシュの腕がスザクの背中を抱きしめた。スザクはしゃくり上げる。

「…っ、君に会いたかった。ずっと会いたかった。僕が君を殺して、君はいなくなって、僕はゼロとして生きて……。ちゃんとやらなければ君に顔向けができないと思ってずっとやってきた。まだ自信はないけれど、あのころより世界は良くなったよ。君が望んだとおりの世界になった。でも……君がいない、世界中のどこにも君がいないんだ。どうして僕は、僕たちは、一緒に明日を迎えられなかったんだろうって、そんなのわかっているのに、そんなことを考えてしまう自分が許せなくて、でも君に会いたくて……。ごめん、何を言っているのか、自分でもぐちゃぐちゃになってる……」

 本当にぐちゃぐちゃだ、と思った。
 何が言いたいのかまったく要領を得ないし、泣きながら話すからそもそもちゃんとした音になっているのかも怪しい。ただ、三年間ずっとルルーシュに訴えたかったことをひたすら言葉にした。
 この感情が果たして後悔なのかどうかスザクにはわからない。自分たちの足で歩み始めた世界に、ゼロレクイエムは間違っていなかったと思った。
 だけど、ルルーシュの体を貫いたあのときの感触は消えない。手の中にあったぬくもりも、見る見るうちに赤く染まっていった純白の服も、今にも絶えそうな息の中で囁かれた言葉も、まるで昨日のことのように思い出せる。
 進み続ける世界とは裏腹に、スザクの中の時間は三年前から止まったままだ。そのことにようやく気付いた。

「スザク」

 あのときとは違い、耳に直接ルルーシュの声が届いた。たったそれだけのことが嬉しくて嬉しくて、スザクの目からまた涙が落ちた。

「死んだら地獄に行くものだとばかり思っていたが、なぜかこんなところに留まっている。どうやらお前だけでなく俺までイレギュラーらしい。だが、そうだな、死んだ人間は生きている人間のように誤魔化す必要はないか。――スザク」

 優しく名前を呼んだルルーシュは、背中に回していた腕を離すとスザクの頬を愛しそうに撫でた。その手を次々に流れる涙が濡らした。

「俺も、お前に会いたかったよ」
「ルルーシュ……」
「またお前に会えて嬉しいし、いろんな時間のお前にまた会えたのも嬉しかった」

 スザクは目を瞠る。

「あれは僕だけの体験だったんじゃ……」
「Cの世界なら俺は行き来できる。現実ならば同じ記憶を持っていてもおかしくない。夢ならば……俺は幽霊みたいなものだから不可能ではないだろ」

 そう言ってルルーシュは笑った。自分で自分のことを幽霊と表現したことが可笑しかったのかもしれない。
 夢とも現実ともつかない出来事だったが、まさかルルーシュまで同じ時間を共有しているとは思わなかった。

「とはいえ、あまり長居しているのも良くない。お前、ナナリーに随行しているんだろう?寝坊して迷惑かけるなよ」
「しないよそんなこと」

 答えながら、最近やけに睡魔が襲ってくる原因はこれだったのかと思った。精神だけが抜け出している影響で体が疲れたのかもしれない。非現実的な話だが、現にこうしてCの世界にいるのだから理解するしかない。

「さて、そろそろ起きる時間だぞ。もう戻ったほうがいい」
「――え?」
「こんな場所にいつまでもいたら死んだと間違われるだろう?」

 じゃあな、とルルーシュが踵を返した。
 スザクは焦った。ようやく会えたと思ったら、こんなに簡単に別れてしまうなんて冗談じゃない。湿っぽい別れはルルーシュが嫌がるだろうが、あまりにあっさりしすぎるのも考えものだと思う。慌てたせいで涙はいつの間にか止まっていた。

「ルルーシュ!どうすればまた君に会える!?」

 少しでも引き留めたくて、そんな言葉をルルーシュの背中に向かって投げかけていた。
 馬鹿なことを訊いていると思った。どうすればなんて、答えはわかりきっているじゃないか。
 (そんなの、方法なんてたったひとつしか――)
 おもむろに足を止めたルルーシュは、振り返るとふわりと笑んだ。

「しっかり生きてこい。しっかり生きて、満足してこい。そうすればいつか迎えに行ってやる」

 スザクはその美しい顔をぼんやりと見つめた。
 (ああ、そうか。君はこんなときでも)
 鼻の奥が再びつんとして慌てて俯いた。
 もう泣き顔なんて見せてはいけない。別れるときには笑って別れなければいけない。かつてルルーシュがそうしてくれたように。
 顔を上げると、スザクは満面の笑みを浮かべた。目尻に涙は残っていたけれど、このくらいならお咎めはないだろう。

「――わかった。君のギアスが必要ないくらい、しっかり生きてくる。だから……」

 スザクはルルーシュとの距離を縮めて、もう一度その体を抱きしめた。

「だから、いつかまた会おう」

 ルルーシュの中に直接届くように耳元で告げる。そして、ルルーシュの瞳を覗き込んだ。紫の瞳には、あのころより大人になった自分の姿が映っていた。

「それまで待っていて、ルルーシュ」

 触れるだけのキスを送る。すぐに離れようとすれば、ルルーシュが追いかけてきて再び唇が塞がれた。一瞬スザクは目を瞠り、しかしすぐにそれに応えた。ここがCの世界だとか、自分もルルーシュも生身ではないとかそんなことは忘れた。
 歯列をなぞり、舌を絡め、飲み込み切れなかった唾液が口の端から落ちても気にする余裕がないほど互いに貪った。溺れそうだった。
 ようやく唇が離れたときには二人とも息を乱していて、三年ぶりのキスは極上の甘さと、どうしようもない切なさを残した。
 ルルーシュが視線を落とす。スザクは顔を近づけ、唾液に濡れたルルーシュの唇を舌で舐めた。先ほどまでのキスとは違い、欲ひとつないただ拭うだけの仕草。ルルーシュはくすぐったそうに笑みを零した。

「またお別れだね」
「違う。また会うんだからこれは別れじゃない」

 思いがけず強い口調で否定され、スザクは笑った。

「そっか。うん、そうだね。また会うのならお別れとは言わないね。じゃあ約束だ」

 手を上げて小指だけを立てた。

「なんだ?」
「指きり」
「ああ、ナナリーが言っていたやつか」

 ルルーシュも手を上げると小指を絡めた。

「嘘ついたら針千本だからね」
「針でも槍でも飲んでやる」
「随分大きく出たね」
「俺はここで待つだけだからな。お前こそちゃんと来れるのか?」
「当り前だよ。もし地獄に直行させられたって意地でも戻ってくるから」
「お前なら本当にやりそうで怖いな」

 怖いと言いつつ、口調はとても面白そうだった。

「だから、待っていてね」

 絡めたままの小指に、スザクは唇を寄せた。
 この指が離れれば、ルルーシュとはまた離れ離れになる。次にいつ会えるかなんてわからない。何年後か、何十年後か。すぐに会いたいならその時間は短いほうがいいけれど、ルルーシュの願いを考えればもっとずっと先がいいに決まっている。ジレンマに陥りそうだ。
 ただひとつわかっているのは、いつか会えるということ。きっとルルーシュは約束を守ってくれるだろう。
 それは何よりの救いに感じられた。

「愛してる」

 小指がほどける。

「ずっと愛してる。愛しているよ、ルルーシュ」

 ゆっくりと離れていく。

「――ああ。俺もだ、スザク」

 ルルーシュは笑んでいた。とても綺麗な、美しい微笑みだった。
 天使や菩薩というものはこんな顔をして笑うのだと思った。彼らは人を救い、ルルーシュは自分を救ってくれる。
 スザクはそっと口の端を上げた。
 愛している。
 優しく慈しみに満ちたルルーシュの声が、いつまでも耳の奥に残っていた。

* * *

 EUからの帰り、専用機の中でスザク扮するゼロはナナリーと簡単な打ち合わせをしていた。数日間の会談の成果を戻ってから伝えなければならない。要点をまとめ、これからのスケジュールなどを確認して打ち合わせは終わった。ブリタニアに着くまでは貴重な自由時間となる。連日の会談でナナリーも疲れているだろうと思い、スザクはその場を立ち去ろうとした。それを引き留めたのはナナリーだった。

「少しお話をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ」

 スザクは立ち上がったばかりの座席に再び腰を掛けた。

「お体のほうは大丈夫ですか?」
「え?」
「最近、少しお疲れのようでしたから」

 その言葉に、気付かれていたのかと驚いた。EU訪問中、毎日やけに眠く、必要なとき以外は部屋で寝ていた。しかし、体調が悪いというわけではないから周囲に悟られるような行動は取っていなかったはずなのに、ナナリーは気付いていた。余計な心配を掛けてしまったと反省する。

「大丈夫ですよ。体調を崩したわけではありませんから」
「確かに、今日はどことなくすっきりされているようですね」
「そう見えますか?」
「ええ」

 一体どこまで気付かれているのだろうと苦笑いが浮かんだ。ナナリーに隠し事はできない。

「今日は夢見が良かったんです」
「夢ですか?どんな?」

 スザクは迷いなく答える。

「懐かしい人の夢です」

 ナナリーが微かに目を見開いた。もしかして彼女は気付いただろうか。“懐かしい人”が誰なのか。

「それはとても素敵な夢ですね」
「はい。いつかまた会うことを約束しました」

 自分の話していることは、まともに聞けば荒唐無稽なことに違いないと思った。夢で約束をしたなんて、頭がどうかしたかと疑われるかもしれない。
 しかし、ナナリーは呆れるでもなく馬鹿にするでもなく、ただふわりと微笑んだ。

「――その方に、私もまた会えるでしょうか」
「ええ、きっと」

 はっきりと答えた声に彼女は嬉しそうな顔をした。
 きっと、ルルーシュも君をずっと待っているよ。
 声に出すことなく心の中で囁いた。
 でも早く行き過ぎるともう来てしまったのかとそれはそれで嘆いてしまうだろうから、あまり遅くならず、でもゆっくりと、一緒にルルーシュに会いに行こう。
 それは決して破られない、約束。
 END
 (09.10.04)BACK<<