神根島周辺はブリタニア軍や黒の騎士団による捜索網が敷かれていた。
Cの世界から出た僕たちは、その目をなんとか掻い潜って、ひとまず日本から離れた国のさらに人目につかない場所で落ち着くことにした。しばらく滞在しても問題のなさそうな空き家を見つけられたのは幸いだった。
戦闘や捕まるかもしれないという緊張感から解放され、久方ぶりに肩の力を抜けたような気がする。
だけど、あまりのんびりもしていられない。
僕もルルーシュも顔を知られているから、ブリタニアに関係するこの国では見つかってしまう可能性が高い。もしかしたら、すでに周辺国へ向けて捜索隊を派遣しているかもしれない。日本を離れたとはいえ、安全とはいえなかった。
そんな僕の懸念に気付いたのか、ルルーシュはこう告げた。
「ここには長居できない。しかし逃亡にもいろいろ準備がいるからな。必要なものを最低限準備しておこうと思う。出発は明日の夜だ」
今は朝の7時だから、滞在時間はせいぜい40時間程度だろうか。
「僕は何をすればいい?」
「食料の調達でも頼む」
「…それだけ?」
思わず漏れた言葉に不満の色を感じ取ったのだろう、ルルーシュがぷっと吹き出した。
「笑いごとじゃないよ」
「なんだ、食料の調達係りは不満か?」
「だって子どもの仕事みたいじゃないか」
「食料を運ぶのも力がいる。体力バカのお前にはぴったりだろう」
「運ぶくらいは誰にでもできるよ。まぁルルーシュは体力がないからね」
「だからお前に頼むんだろう。俺は頭を使う仕事が専門だ」
「僕に頭がないみたいに聞こえるんだけど」
「気のせいだから気にするな」
ははっと笑ったところで、僕のほうを見たルルーシュがふいに真顔になった。
そんなルルーシュの様子に、つられて僕も口をつぐむ。
ようやく軽口を叩けるまで関係が改善したかと思ったが、どうして僕たちはこんな風に笑い合っているのだろうと、ふとした瞬間に我に返ってしまう自分もいた。きっとルルーシュもそうなのだろう。
これまでのこと――ゼロになってからこれまでのこと、ユフィのこと、シャーリーのこと、そして僕にかけられたギアスのこと――は、Cの世界にいる間とここに来るまでの間にすべて話し尽くした。そのときにルルーシュが何を考えていたのか、僕が何を考えていたのか、すべて話した。
互いに秘密を抱え、嘘を重ねてきたとは思えないほど饒舌だったと思う。今さら隠し事をしたところで意味はないし、吐き出さなければ前に進めないと思ったのだ。
嘘をついて何かを隠すことに疲れていたのかもしれない。お互いに。
しかし、これまで敵として憎み続けてきた相手でもある。
何もかも忘れて元通り、とは簡単にはいかない。正直、まだ戸惑う部分はあった。
「腹が減ったぞ。ピザを用意しろ、ピザを」
そんな僕たちの重苦しい空気を吹き飛ばすように、不遜な声が飛んできた。台風並みの威力だ。
「C.C.…」
「こんな辺鄙な場所、ピザなんて売ってないよ」
「スザク…」
「ぼーっと立ってないで、早く用意しろ」
そのままソファにどかりと座るC.C.に、僕とルルーシュは思わず顔を見合わせた。
彼女との付き合いが長いルルーシュは何か思うところがあったようだが、逃亡生活で彼も少し疲れていたのだろう、珍しく溜め息を一つ吐いただけだった。
「とりあえず朝食にするか」
「僕も手伝うよ」
「ピザだからな」
「ここにその材料はない。諦めろ」
ルルーシュの言葉に、C.C.の反論はなかった。
キッチンへと向かう彼の背中を追いながら、もしかしたら今のはC.C.なりの配慮だったのかもしれないと思った。少なくとも、僕らの間にあった戸惑いはすっかり消えていたのだから。
「まったく、あいつは口を開けばピザしか言わない」
手際良く準備をしながら、ルルーシュの口はぶちぶちと文句を言い続けていた。先ほどはC.C.に反論しなかったが、やはり溜め込むことは出来なかったらしい。
「あまり材料がないから、たいしたものは作れないな」
腕まくりをしたルルーシュは、ここへ来る前に調達していた材料を見て申し訳なさそうに言った。
「大丈夫だよ。ルルーシュが作るんだから」
「俺が作ることと大丈夫との間にどう関係性が…」
「信頼してるってこと」
僕の言葉に、ルルーシュがぴたりと動きを止めた。
そんなルルーシュを見て、僕も自分が言ったことに自分で動揺してしまった。
「料理の腕を、ってことだよ」
慌ててフォローした言葉は、果たしてフォローになっていたのかどうか。しかし、僕の一言に肩の力を抜いたルルーシュは、
「それは光栄だな。じゃあ期待に応えられるような朝食を用意するか」
小さく笑って野菜を洗い始めた。その様子に、僕は内心ほっと息をつく。
「信頼」だなんて、まさか自分の口からこんな簡単に出てくるとは思わなかった。
腹を割って話し、互いにすべてを曝け出したとはいえ、ついこの間まで憎しみ合っていた僕たちだ。もう以前のような友達同士には戻れないと思っていた。戻ってはいけないとも思っていた。
それなのに、この体たらく。
結局、彼を憎い憎いと言い続けたところで、本気で憎み切ることは出来なかったのだ。憎しみだけに支配されていたときですら、ゼロであった彼を無意識のうちに助けようとしたのだから。
(つまりは、すべてが無駄だった…ということか)
「スザク、そこにある皿を取ってくれないか」
「え。あ、あぁ」
考え事をしている僕に気付いているのかいないのか、ルルーシュはぼうっと立ったままの僕に指示を出す。その間も手は動いたままだ。
僕たちが今いる空き家は放置されてしばらく経っているようだったが中はそれほど荒れておらず、家具や食器、洋服の類までもがそのまま捨て置かれていた。前の住人がどうしてこの家を離れたのか、その理由はいろいろと思い浮かばれたが、何も持たずに逃亡生活を始めた僕たちにとっては願ってもない場所だった。
とはいえ、放置されていたことに変わりはなく、あちこちに蜘蛛の糸が張られ、埃も溜まっていた。それを到着してたった数時間で、必要最小限の部屋だけだったが、綺麗に片付けてしまったのはルルーシュだ。曰く、「こんな状態の家で生活なんて出来るものか!」らしい。
そのときにキッチンも一緒に掃除したのだろう。僕が手に取った皿は綺麗に磨かれていた。
ルルーシュの手元を見れば、フライパンの中から美味しそうな匂いが漂ってくる。
「調味料なんていつの間に手に入れたの?まさかそんなものまで残されていたわけじゃ」
「馬鹿が。残っていても怖くて使えるか。食材と一緒にちょっと近所で調達してきただけだ」
「ふぅん。どうやって?」
「それは……ノーコメントだ」
そういえば昨日の夕方ごろにふらりといなくなっていたが、食料の調達をしていたのか。方法については、僕もあまり聞きたくないような気がしたから追求するのはやめた。
「ルルーシュのご飯、久しぶりだな」
「お前はよく食べに来ていたからな」
「もう二度と食べられないと思ってた」
「……そうだな」
しまった。まただ。
昔のように話しながら、ところどころに過去と現実の傷を散りばめてしまう。決してルルーシュを傷つけようとか、嫌がらせをしようと思っているわけではないのに。
「ごめん……。わざとじゃないんだ」
「知ってるよ。わかっている。だが、俺もお前もなかったことには出来ない。それだけのことだ、仕方ないさ」
ルルーシュは僕が差し出したままの皿を手に取ると、フライパンの中身を綺麗に盛り付けた。
「材料が足りなくて一品だけだが、パンとフルーツもあるからひもじいことにはならないだろう」
「パンまであったんだ。それも近所で調達を?」
「当然だ」
今度は威張ったように言ってみせるルルーシュに、僕は吹き出すように笑った。
どこかで安心している自分がいて、今なら思ったままを口にしても許されるような気がして、気付けば無意識に言葉が紡がれていた。
「嬉しいな」
「え?」
「こうしてまた君の作ったご飯を食べられること。僕は本当に嬉しいんだ」
呆けたようにぽかんとしていたルルーシュは、我に返るとぱっと顔をそらした。心なしか、その耳が微かに赤い。
「おだてたって何も出ないぞ」
「素直に言ったまでなんだけど」
「だったら尚更タチが悪い」
「はいはい。これは持って行くね。早くしないとC.C.が待ちくたびれちゃうよ」
料理が盛られた皿を手に取ると、リビングへ向かうべく歩を進めた。
「スザク」
耳を澄ましていなければ聞き取れないような声だった。もしかしたら、彼自身は呼び止めるつもりもなかったのかもしれない。
でも僕は気付いた。だから振り返った。
そこには、正面を向いて真っ直ぐに僕を見るルルーシュがいた。
「―――ありがとう」
少し目線を下げた彼は、そうしてふわりと笑った。
計算も打算もない、純粋に嬉しさを滲ませている微笑み。
その言葉と表情に、僕は口を開くことも足を動かすことも出来なかった。そうして、じわりじわりと何かが自分の中を満たしていく感覚を味わった。それは不快なものではなかった。
(そうか)
ルルーシュだ。
ルルーシュがそこにいた。
わかったつもりになっていただけで、僕はまだルルーシュのすべてを受け入れられていなかったのかもしれない。
それが今になってようやく、すとんと僕の中で落ち着いたのだ。
僕の理由なんて、彼の笑顔ひとつで十分だったのに。
どうしてもっと早く気付けなかったのだろう。
「どういたしまして」
僕からの返答に顔を上げたルルーシュは、安堵したようにもう一度笑ってみせた。その笑顔が嬉しくて、僕も自然に笑みを返す。
だけど、今さら気付いたって遅すぎるのに。
どうせならずっと気付かないままでいれば良かったのに。
そう思う心は、笑顔の下に押し隠した。
(だって、あんな風に笑うルルーシュを前にしたら、何もかもが無意味だろう?)
(09.02.14)