in the forest 後編

 彼に初めて会ったのは十歳のときだった。
 枢木と言えば街でも一、二を争う名家である。枢木の名前を知らない人間はいない。しかし、『枢木スザク』を知っている人はほとんどいなかった。
 父親は一代で財を築いたことでも有名であったが、子供に財産を残すことは良しとせず、家を継ぎたければ実力で継いでみろというスパルタな教育方針のもとスザクは育てられた。家にも財産にも興味のないスザクはその方針を不満に思うこともなく、いずれ家を出て自立しようと考えていた。
 だから父親が出席するようなパーティーに同席した経験はなかったのだが、その日は気紛れで参加した。社交界というものを一度くらいは見ておこうと、本当に軽い気持ちだった。
 そして彼、ルルーシュ・ランペルージに出会った。
 ルルーシュはスザクと同じ十歳でありながらとても聡明に見えた。凛とした眼差し、母親に似た美しい面立ちは、子供と呼ぶのを躊躇わせる雰囲気があった。
 単純に言ってしまえば、一目惚れしてしまったのだ。
 最初は女の子かと勘違いし、男だと知ったときはひどく落胆したものだが、それでももやもやとするようななんとも言えない気持ちは消えなかった。
 ランペルージ家は枢木家に匹敵するほどの家だった。まるでおとぎ話に出てくるお城みたいな屋敷に住む一家は街中の憧れの的だった。ルルーシュの両親が事故で亡くなるまでは。
 彼の両親が亡くなったのは、ルルーシュがまだ十二歳のときだ。これが普通の家庭の人間ならば不幸な事故の一つとしてしか認識されなかっただろう。しかし、死んだのはあのランペルージ家の当主と奥方だ。遺産の行方や残された子供達の処遇について誰もが噂した。
 ゴシップが嫌いだったスザクも、ルルーシュのことは気になって仕方がなかった。ルルーシュと会ったのは二年も前のパーティー、あのとき一度きりだ。しかし、二年の間でスザクの恋心はどんどん募っていた。いっそランペルージ兄妹を枢木で引き取れないか父親に進言しようかと思ったほどである。
 そして、ルルーシュの両親が亡くなって二年後、兄妹はふつりと姿を消してしまった。
 誘拐、事故、神隠し、様々な憶測が流れたが、誰も彼らの行方を探し出すことは出来なかった。ただ、遺産がすべて処分されていたり、ランペルージの家を半永久的に保存するよう契約がなされていたりしたことから、ルルーシュ達は意図的に姿を消したものと思われた。
 そうしてスザクの初恋も終わった、はずだった。

「ルルーシュ、これはどこにやればいい?」
「そうだな、屋根裏部屋にでも上げておくか」
「じゃあこっちは?」
「それはキッチンに持って行ってくれ」

 森の奥の小さな家。その小ささに見合わず、家の中には様々なものが床を埋め尽くしていた。
 模様替えをするのだと言って数日前からルルーシュが片付けに精を出している。力仕事は主にスザクの仕事で、ルルーシュの指示に従ってあちこちに物を運んでいた。
 まるで新婚さんみたいだと思い、実際に新婚さんなのかとスザクは小さく笑った。

「何を笑っているんだ」

 気持ち悪いとひどいことを言うルルーシュに、スザクはますます笑みを浮かべた。

「だって、幸せだなぁって」

 へら、とした顔のままさらりと告げれば、ルルーシュの顔が一瞬で赤くなる。さんざん好きだと言ってきたし、キスもそれ以上もしている仲だというのに、この程度の科白に真っ赤になるのはいつまでも初々しくて可愛らしい。

「ばっ、馬鹿なことを言っていないでさっさと動け!このままだと今日も部屋が散らかったままだ!」
「ルルーシュが模様替えなんて言い出さなければ充分綺麗だったと思うけど。ねえ、なんで急に模様替え?」
「……別に、ただの気紛れだ」
「ふうん」
「それより早く手を動かせ!」
「はーい」

 笑いながら返事をし、スザクは屋根裏部屋に上がった。
 ルルーシュは決して答えないけれど、急な模様替えは絶対に自分が関係していると確信していた。
 結婚しよう、とプロポーズしたのが一週間前。そして、ルルーシュが部屋の模様替えを言い出したのが五日前。
 (ルルーシュなりに結婚を意識してくれているのかな)
 まだナナリーには話していないようだが、これまで隣同士だった兄妹の部屋を離し、代わりにスザクとルルーシュの部屋が近付いていた。「部屋でセックスしてたら隣のナナリーに聞こえちゃうよね」と臆面もなくうっかり喋ったら、それからしばらくルルーシュは口を聞いてくれなかった。あれ以来、抱き合うときは一番端のスザクの部屋となったのだ。
 (自分の部屋をナナリーの部屋から離したってことは、つまりはそういうことだろう?)
 ルルーシュがいたらまた気持ち悪いと言われそうな笑みを浮かべつつ、屋根裏部屋の片付けをする。
 屋根裏といっても薄暗さはなく、普通の部屋としても使えそうだ。物自体は少ないが、辺りには年季の入った道具や装飾品が置かれていた。普通の人間が見れば普通の骨董品にしか見えないかもしれない。でも、幼い頃から高級なものに触れる機会が多かったスザクにはそれらがとても高価なものだとわかった。
 (ルルーシュのお父さんとお母さんの遺品だろうな)
 森の奥深く、兄妹二人が住む小さな家にスザクが来て半年が過ぎていた。
 家の前で行き倒れていたところを兄妹に助けられ、記憶喪失であることを告げれば二人は親切にもスザクを住まわせてくれた。
 すべてはスザクの演技だと疑うこともなく。
 (こんなに簡単に人を信じたらダメだよ、ルルーシュ。それとも、もしかしたら君はとっくに気付いているんだろうか)
 家の前で倒れたふりをした。記憶喪失のふりをした。いつまで経っても記憶が戻らないふりをした。どれもすべて演技。嘘だ。
 だけど、人目を避けるようにして暮らす二人に受け入れてもらうためには、街の人間が普通に行っては駄目なのだ。二人のことを、ランペルージ兄妹のことを何も知らない人間でなければならなかったのだ。

「十歳のときに一目惚れして七年か。この七年は長かったよ、ルルーシュ……」

 ぽつりと呟いた声が屋根裏部屋に響いた。
 枢木の力を使い、ルルーシュ達が街から遠く離れた森の奥に暮らしていることを知った。それからのスザクの行動は早かった。もともと家を継ぐことに興味はなかったから、ルルーシュと会うためにあっさり枢木を捨てた。自ら手にした財産と必要な物は信頼できる者に管理を任せ、自分は着の身着のままで森に入ると一世一代の芝居をしたのだ。
 あのときはルルーシュに家を追い出されたとしても諦めずに通い続ける覚悟でいたのだが、スザクの予想以上に簡単に受け入れてもらった。だんだん自分に好意を見せてくれるようになった彼が嬉しく、告白したときに頷いてもらったときは天にも昇るような心地だった。
 そして一週間前、とうとうプロポーズをした。
 ルルーシュはスザクの記憶が戻れば自分から離れて行ってしまうのではないかと心配していたけれど、スザクに言わせればまったくの逆だ。ルルーシュほどの人が自分を受け入れてくれるとは思っていなかったし、いつの日か飽きられるのではないかとずっと冷や冷やしているのはスザクのほうだ。
 (それに、いつまでも記憶喪失というわけにはいかないしな……)
 頃合いを見て思い出したことにしようか、それともずっと記憶がないままのほうがいいのだろうか。
 (最初はルルーシュに近付くことが最大の目的だったからいいけど、これからはどうしようか。枢木の名前は絶対に出せないし)
 恋人になった頃、自分があのランペルージ兄妹であることは隠しながらもルルーシュは身の上を語ってくれた。両親が事故で亡くなったこと。遺産を巡って親戚中が醜い争いをしたこと。街も街の人間も嫌になって、逃げるように森の奥に引き籠もったこと。

「街の人間なんて大嫌いだ。興味があるのは俺達の財産だけ、ほかのことはどうだっていいんだ。そのことにどれだけナナリーが傷付いたか……」

 自分が傷付いたことではなく、大事な妹が傷付いたことにルルーシュはひどく怒っていた。だからスザクは自分が街の人間であることはもちろん、枢木の人間であることも絶対口にしないでいようと心に誓った。
 ルルーシュと会うために枢木の家を捨てたけれど、金持ちに対しては特に嫌悪感を持っているルルーシュはきっと信じてくれないだろう。
 ルルーシュに嫌われたら自分は生きていけない。ならば、記憶喪失のふりを一生続けたほうがマシだ。

「スザク、ちょっといいか?」

 階下から呼ばれ、リビングまで下りるとエプロンを付けたルルーシュに出迎えられた。

「すまないが、片付けが終わったら裏から薪を運んできてくれないか」
「わかった。こっちはもう終わったからすぐに行ってくるよ」
「悪いな」

 人をこき使っているように見えて、内心では申し訳ないと思っているところがルルーシュらしい。そういう優しさもスザクは好きだった。

「じゃあご褒美ちょうだい」
「褒美?何か欲しいものでもあるのか?」
「うん」

 首を傾げるルルーシュににこりと笑みを向け、細い手首を掴むとぐいっと引いた。
 バランスを失って倒れた身体を腕の中に閉じ込める。そのままそっと唇を合わせた。ルルーシュがぱちりとまばたきをしたのがわかり、キスをしながら口許を弓の形にした。

「な、なななにを突然…っ」

 身体を押され、二人の顔が離れる。残念、と肩を竦めた。

「だからご褒美」
「馬鹿じゃないのか!さっさと働け!」

 今日は馬鹿ばかりだなと笑いながら家の裏に行った。照れ隠しに怒るルルーシュも可愛いが、あまりからかいすぎると本気で拗ねてしまうので加減が大事なのである。
 外に出ると少しひんやりとした。ここに来たときはまだ春の香りが残っていたのに、森の空気はもう冬支度を始めている。街に比べて気温も下がるだろう。ナナリーは意外と丈夫だけれど、体力のないルルーシュが風邪を引かずに冬を越せるか少し心配だ。
 もっと寒くなったら暖炉に薪をくべて三人で暖まろう。そう思ったとき、

「元気そうだな、スザク」

 背後から声をかけられスザクは振り返った。いつからいたのか、金髪の少年が木の幹に寄りかかっていた。

「――ジノ、僕のところには来るなと言っただろう。こんなところで何をしている」
「おいおい、お前の財産を管理している人間にそういう酷いことを言うか?」

 わざとらしくおどけたジノを見るスザクの目は決して好意的とは言えない。確かにジノには財産を預けた。軽いように見えて実はとても優秀な彼に一目置いているのも事実だ。
 しかし、だからといってルルーシュと過ごす家の近くまで来ていいとは言っていない。

「何か用ならさっさと済ませてくれ」
「本当に酷いよなぁ。一緒に遊んだ仲だというのに」
「昔の話だ」

 ジノの母親とスザクの母親の仲が良く、小さい頃は一緒に遊ぶ機会が多かった。しかし、所詮は昔の話である。スザクが目線を険しくしたままでいると、とうとうジノが溜め息を吐き出した。

「戻って来てくれとおばさんからの伝言だ」
「母さんが?まさかここにいることを話していないだろうな」
「まさか。ただ、もし伝えられる機会があれば伝えてくれといろんな人に言っている」

 今度はスザクが溜め息をついた。

「僕は家を捨てたんだ。戻るつもりなんてない。それに父さんにはちゃんと納得してもらった」
「でもおばさんはお前の帰りを待っている」
「なら、母さんに伝えてくれ。僕は枢木の家には帰らないと」

 そのとき、何かの落ちる音が聞こえ、スザクは勢いよく振り返った。

「ルっ…!」

 ルルーシュが呆然と突っ立ってこちらを見ていた。足下には先ほどの音の原因と思われる段ボール箱が転がっていた。

「枢木……まさか、あの枢木か?それにお前、記憶……」

 しまったという顔をしているジノに舌打ちをし、スザクは素早く身を翻すとルルーシュの肩を掴んだ。

「違う、違うんだルルーシュ」
「目的はなんだ?記憶喪失のふりなんかして何がしたかったんだ。残念ながらここにランペルージ家の財産はない。金が目的なら……」
「そんなものは目的じゃない!僕はルルーシュに会いたくて……、ルルーシュが好きだったから家も何もかも捨ててここに来たんだ!」

 スザクの叫びを、しかしルルーシュは首を振って拒否した。

「半年も俺達のことを騙していたくせに……、これだって意味なんかなかったんだろう?簡単に信じた俺を内心嘲笑っていたんじゃないか?」

 自嘲気味に笑いながら突き出したのは、左の薬指に填まった指輪だった。それを引き抜こうとするルルーシュを手首を掴むことで止める。

「離、せ…!」
「離さない、絶対に離さない」
「俺のことなんか本当はどうでもいいくせに、勘違いするようなことをするな!」
「どうでもいいわけがない!」
「嘘だ!」

 あくまでスザクを否定しようとするルルーシュに歯痒くなった。悪いのはすべて自分だけれど、これまでの半年すらも信じてもらえないのはとてもつらい。
 スザクは無理やりルルーシュを抱き締めた。じたばたと暴れる身体を押さえつける。

「嘘じゃない、僕は君のことが好きなんだ。ほかの何を信じられなくても、それだけは信じてくれ」

 そして、気持ちを絞り出すようにして訴えた。
 暴れ続けるのに疲れたのか、やがて腕の中のルルーシュが大人しくなった。

「……ずっと俺達を騙していたのか」
「結果としてはそうなるよね。嘘をついていたことは素直に謝る、本当にごめん。でも、普通に訪ねても君は家のドアを開けてくれなかっただろう?」
「だからって記憶喪失はやりすぎだ」
「どうしても君に会いたかったから手段なんて選んでいられなかったんだ」

 ルルーシュがのろのろと顔を上げる。興奮したせいか、その頬はうっすら赤くなっていた。

「なぜ、そこまでして俺に会いたかったんだ」
「十歳のときに君に一目惚れしたから」

 告げれば、不思議そうな顔をされた。
 紫の瞳に自分の姿が映る。それは奇跡のように思えた。

「初めて行ったパーティーで君に出会って、恋に落ちた。それから七年、ずっと君のことが好きだった」
「じゃあ、俺のことも知っていたんだな……。そうか、枢木の家の人間なら当然か。でも俺はお前のことを知らなかったのに」
「社交界には出なかったからね」

 少しおどけて言えば、ルルーシュの顔が曇った。激高が収まりようやく落ち着いた頭は、今度は違うことを考え始めたようだ。

「……家に戻らなくていいのか。お前はこんなところにいる人間じゃない」
「それはルルーシュとナナリーも同じだよ」
「俺達はあの街が嫌になって逃げ出したんだ。だけどスザク、お前には未来がある。こんな森の奥で一生を台無しにする必要はない」
「隣にルルーシュがいなければ、それだけで一生が台無しだ」

 気持ちを伝えるように頬を撫でた。ルルーシュがむっとした顔をする。

「お前は馬鹿だ」
「うん」
「どうしようもない大馬鹿だ」
「うん。でも、そのどうしようもない大馬鹿者が好きなルルーシュはもっとどうしようもないと思わない?」

 小首を傾げて笑うと、ルルーシュがもう一度「馬鹿」と言った。その頬はまだ赤い。

「あのー、そろそろいいかなお二人さん」

 第三者の声にルルーシュが猫のように身体を竦ませた。逃がすまいとすかさずスザクは抱き締める腕に力を込める。

「なんだ、まだいたのか」
「残念ながら。あ、俺はジノ・ヴァインベルグって言います。スザクの昔からの知り合いです」
「ヴァインベルグ……聞いたことがあるな」
「それは光栄です。どうか以後お見知り置きを」

 ルルーシュの言葉に、ジノが恭しく礼を取った。背が高いのでわざとらしさがまったくない。感心したようなルルーシュに気付き、スザクは眉根を寄せた。

「ジノ、用が終わったなら帰れ。それから僕は戻らないと伝えてくれ」
「はいはい、スザク坊ちゃんは元気で幸せに暮らしているので邪魔しないで下さいっておばさんに言っておくよ。でも私はときどき遊びに来るからな」
「ジノ!」

 ひらひらと手を振り、ジノは森の中へと消えていった。本気で連れ戻すつもりがあったのか、単にからかいに来たのかわからないが、遊びに来るという科白だけは本当のように思えてスザクの眉間にますます皺が寄る。

「不機嫌そうな顔だな」
「当たり前だよ。僕達の邪魔をして」
「だが、おかげで本当のお前を知れた」
「……ごめん」

 殊勝な態度で謝れば、ぷっと吹き出された。

「ショックを受けていたはずなのに、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。仕方ないから、言い訳なら家の中でいくらでも聞いてやろう」

 スザクの腕からするりと逃れ、ルルーシュが悪戯っぽく笑う。

「それに、俺もお前にちゃんと話さなきゃいけないことが山ほどあるし」
「ルルーシュ……」
「俺のことが好きなのは本当なのだろう?」
「本当だよ」

 真摯な瞳を向ければ、くすぐったそうに頬が緩められた。その表情にスザクもようやく肩の力を抜く。

「とりあえず食事にしよう。ナナリーが待っている」
「――うん」

 ルルーシュに駆け寄るとその手を握った。ルルーシュはちらりと顔を見てきたけれど、何も言わずにそのままでいてくれた。笑いかけると、同じように笑みを向けられた。

「僕の記憶喪失が偽物だって本当は気付いていただろう?」
「さあ、どうかな。あとで教えてやるよ」

 リビングまではほんの数十秒。だけどその間、二人の手はしっかりと結ばれていた。
 家の中には暖かく、優しい空気が満ちていた。
 それからも三人がずっと森の奥で暮らし続けたのか、再び街へと戻ったのか、それはまた別のお話である。
 (10.10.11)