あるところに一組の兄妹がいた。
兄はルルーシュ、妹はナナリーという名前だった。両親を亡くし、二人だけで街から遠く離れた森のさらに奥に、彼らはひっそりと暮らしていた。その生活は質素で、街に暮らしていた頃のように華やかなものではなかったけれど、二人はとても幸せだった。
そんなある日。二人だけの生活に、一つの変化が訪れた。
「お兄様、大変です!玄関の前で人が倒れています!」
「人?」
ナナリーにぐいぐいと引っ張られ、玄関まで出たルルーシュは目を丸めた。そこには確かに人が倒れていた。服装からして男だろう。ぱっと見た身なりは、行き倒れている割にはしっかりしている。街から来た人間が森の中で道に迷い、ようやく人間の住んでいる家を見つけたけれど、呼び鈴を鳴らす前に力尽きてしまったのだろうか。
脈を取れば、とくとくと生きている音が伝わってきた。少なくとも死んではいないらしいと安堵の息をつく。
「ナナリー、この人を中に運ぶからベッドの用意をしてくれないか」
「わかりました」
家の中に駆けていった妹を見送り、ルルーシュは改めて倒れている人間を窺った。背格好は同じようだから体重もさほど変わらないだろうと目算を立てる。が、残念ながらルルーシュはあまり力がなかった。果たして自分に運ぶことが出来るのか少し不安を抱き、そもそもどうやって運ぼうと逡巡した末、そのままずるずると家の中まで引っ張って行くことにした。本当は抱えたり担いで行ったりするべきなのだろうが、今のルルーシュにはそれが精一杯であった。途中、見かねたナナリーに手伝ってもらいながらなんとかベッドまで運んだ頃には、ルルーシュは肩で息をしていた。
「ありがとう、ナナリー。助かった」
「いいえ、私はちょっとお手伝いしただけですから。それより随分と若い方ですね。お兄様と同い年くらいでしょうか」
その言葉に小さく頷く。ベッドで眠るのは、ナナリーの言う通りルルーシュと同年代の少年だった。少し顔が幼いからもしかしたら年下かもしれない。幸い、どこか怪我をした様子や体調が悪そうな様子もないし、顔色はむしろ良いくらいだ。
こんな子供がなぜ一人で森の中に入ってきたのだろうと首を捻ったとき、少年の口から唸るような声が聞こえ、ゆっくりと瞼を開いた。
「目が覚めましたか?」
まばたきを繰り返して天井を見つめていた彼はのろのろと首を回し、ルルーシュとナナリーを少し驚いた顔で見ていた。
「あれ……ここは?僕は一体……」
「ここは俺達の家だ。お前は玄関の前で倒れていたんだよ。どこか痛むところとか苦しいところはないか?」
「うん、大丈夫。倒れていたってことは、君達が助けてくれたの?」
起き上がろうとするのを手伝いながら、ルルーシュは小さく笑った。
「ここまで運んだだけだ。特に何もしていない」
「でも人の家の前で倒れるなんて迷惑なことだよ。ごめんね、ありがとう」
「たいしたことじゃないさ」
ベッドの上に身を起こした少年の様子はやはり元気そうだった。
「それより、お前は何故こんなところにいるんだ?誰かとはぐれたのか?」
「こんなところ?」
「ここは森の奥まった場所だ。たまに狩りで街から来る人間もいるが、用もないのにわざわざ入ってくる物好きはいない」
そう指摘すると、少年が顔を俯けた。表情は何故か浮かない。まさか物取りか何かだろうかとルルーシュは疑念を抱いた。しかし、こんな小さな家に入っても盗めるものはたかがしれている。
(いや、もし本当に物取りならもっと上手く演技をするだろうし、玄関前で倒れる必要もないか)
思い直したところで、少年のぽつりとした声が聞こえた。
「……わからないんだ」
「わからない?」
「信じてもらえないかもしれないけど……名前と年齢以外、思い出せない」
「は……?」
予想外の言葉に固まる。
「まさか記憶喪失なのですか?」
「そうみたい」
「い、いや待て、記憶喪失なんてそうそうあるものでは、」
「僕もそう思うけど、本当に覚えていないんだ……」
不安からか、少し潤んだ瞳がルルーシュを見上げる。ルルーシュは一瞬言葉に詰まった。その顔は、たとえるならば『捨てられた子犬のような目』と呼べるものだったかもしれない。
ルルーシュはとても世話好きだ。そして、ふわふわとしたものが大好きである。妹のナナリーの髪はくせっ毛で、ふわふわとした触り心地がとても気持ち良いし、何よりナナリーはとても可愛らしい。
そして突然現れた謎の少年は、ナナリー同様にふわふわとしたくせっ毛であり、どことなく犬を思わせる様子がルルーシュの中の何かをくすぐった。
「ごめん、突然変なこと言い出して……。こんな得体の知れない人間がいたら困るよね。運んでくれてありがとう。僕はもう行くよ」
「えっ、記憶喪失でどこか行く当てはあるのですか?」
「でも君達に迷惑はかけられないから」
「ですが……お兄様」
ナナリーに腕を引かれ、ルルーシュは少年をじっと見た。彼が少し困ったように笑う。
「……名前と年齢は覚えているのだろう?」
「うん、スザクっていうよ。記憶に間違いがなければ、十七歳のはず」
「俺はルルーシュだ。それから妹のナナリー。ここには俺達二人しかいない」
名前を明かせば、スザクと名乗った少年が戸惑った様子を見せた。突然の自己紹介の意味がわからなかったのだろう。
「ルルーシュさんとナナリーちゃん」
「さん付けはいらない。俺達は同い年なんだから」
「君も十七歳?若いのに自立してるんだね、凄いな」
「別に凄くはない、ただ必要があっただけだ。それより、行く当てもないのにこれからどうするつもりなんだ」
尋ねると、スザクは小さく肩を竦めた。
「家も家族もわからないし、荷物もなければお金もないし、住み込みで働けるところを街で探すよ」
「だが、自分の身分を証明できるものが何もなくて生活できるのか?」
初対面、しかもほんの十五分ほど前に出会い、記憶喪失だという相手に普通はここまで踏み込んだことは聞かないだろう。自ら出て行くと言うのなら放っておけばいい。ここはルルーシュとナナリーが静かに暮らす家だ。そんな場所にいるわけのわからない第三者は即座に排除すべきなのだ。
頭の冷静な部分ではそう思っていた。
「身分を証明できないなら、そういう人が集まる場所で働くよ」
「だったら、思い出すまでここで暮らせばいい。思い出すだけならここも街も変わらない」
「へ……?」
「行く当てがないのならここにいたって構わないだろう?」
しかし、気付けばルルーシュの口は違うことを話していた。物取りかもしれない。実は殺人を犯した凶悪犯で、逃げるためにこんな森の奥までやって来たのかもしれない。疑惑はいくらでも湧くのに、何故かルルーシュの気持ちはすっかりスザクを信用していた。
たとえ疚しい部分があったとしても、彼ならば大丈夫だと根拠もないのに思った。誰かを信用するなんて、普段ならば絶対にあり得ないことなのに。
「そんな、さっき会ったばかりで介抱までしてもらったのに、これ以上の迷惑はかけられないよ」
「このままお前を見送って、街でちゃんと暮らしているのだろうかとずっと心配しなければいけないほうがよほど迷惑だ」
「そう言われても……」
予想もしていなかった申し出にどうするべきか迷っているのだろう。スザクが困った表情をする。
「自分の帰る場所を思い出したらそのときはいつでも出ていけばいい」
「でも、僕はお金も何も持っていないよ。返せるものが一つもないのに居候だなんて、そんなのは駄目だ」
「意外と真面目なんだな。ならば、俺はお前に住処と食事を与えるから、お前は労働力を提供するというのはどうだ?あいにく俺は力仕事が苦手だから、お前にいろいろ手伝ってもらえると助かる」
「スザクさんを運ぶときも大変でしたからね」
くすくすと笑うナナリーにばつの悪い顔をして、ルルーシュは誤魔化すようにこほんと咳払いをした。
「そういうことだ。悪い条件ではないと思うが?」
ベッドの先をじっと見つめてスザクが考え込む。
ルルーシュ達からすればスザクは見ず知らずの怪しげな人間だが、スザクからしてもルルーシュ達は充分怪しい人間のはずだ。街ではなく森の奥で二人きりで暮らしているところからしていわくのありそうな兄妹に見えるだろう。そういう意味ではお互い様だ。
「……最初に君達を見たとき、この人達なら大丈夫だって思ったんだ。僕を見つけてくれたのが君達で良かったと本当に思っている」
迷いのない瞳が向けられる。
「だから、もし、本当に君達の迷惑でないのなら、しばらくの間ここにいさせてくれないかな」
お願いしますと頭を下げられ、ルルーシュはナナリーを見た。ナナリーに相談もなしに勝手に話を進めてしまい、今さらながらに了承をもらおうとしたのだが、ルルーシュが何かを言う前に彼女はにこりと笑ってくれた。
「ぜひここにいて下さい」
「ありがとう、ルルーシュ、ナナリー」
「よろしくお願いします、スザクさん」
仲良く握手をしている二人を眺めながら、ルルーシュは自分で自分の感情がわからずにいた。どうしてこんな軽率な判断をしているのか。こんな人間を受け入れて馬鹿じゃないのか、断るのなら今のうちだ、と警告を発する自分もいた。だけど彼ならば、スザクならば一緒にいても構わないと思った。あとになってよくよく考えてみると、それは一目惚れと呼べるものだったのかもしれない。
「よろしくね、ルルーシュ」
差し出された手を、なんの躊躇いもなくルルーシュは取った。それが、スザクとの出会いだった。
* * *
「ルルーシュ、これもう干していい?」
「ああ。落として汚すなよ」
「そんな子供みたいなことしないよ」
洗濯物を運ぶスザクを笑顔で見送り、ルルーシュは台所に向かい直った。
今日はハロウィン。といっても、全員でいつもより少し豪華な食事をするだけだ。しかし、この日をナナリーはとても楽しみにしていたし、半年前から一緒に暮らしているスザクもご馳走が食べられると聞いて喜んでいた。たいしたものは出ないぞと言えば、「ルルーシュの作ってくれる特別な日の特別なご飯だからなんでも嬉しいんだ」と嬉しいような恥ずかしいようなことを口にしていた。
二人が楽しみにしてくれることはもちろん、ルルーシュ自身、どんな些細な行事でもひとつひとつ大切にしたいと思っていた。
スザクに洗濯を任せ、ルルーシュは料理に取りかかる。街を離れ、森の奥でナナリーとひっそり暮らすようになってすでに三年。ナナリーと二人きりでも充分楽しかったけれど、スザクが来てからはさらに楽しさが増したような気がする。
スザクの記憶は相変わらず戻らないままだった。そのことにほっとしている自分を自覚するたび、ルルーシュは自己嫌悪に陥った。他人の不幸を喜ぶなんて人間としてあってはならない。でも、今は少しでも長くスザクと一緒にいたかった。
スザクを好きになったと気付いたときは、叶うはずがないと思っていた。ひとつ屋根の下で好きな相手と暮らしながら、告白すら出来ないことに苦しさを感じるばかりかと覚悟していた。
しかし出会って三ヶ月後、ルルーシュはスザクに告白された。最初に会ったときから好きだったんだと言われたときは、自分に都合のいい夢でも見ているのかと思った。
そのあとの三ヶ月は本当にあっという間だった。手を繋ぎ、抱き締めてもらってキスをして、それから――。
(って俺は何を考えているんだ…!)
すっかり止まっていた手を慌てて動かす。まな板と睨み合う顔は赤い。
スザクはとても優しかった。記憶がなくて不安だろうに、最初に提示した居候の交換条件をしっかり守り、ルルーシュが苦手とする力仕事をすべて引き受けてくれた。同じ男だというのにこの差はなんなのだろうとこっそり落ち込んだけれど、大いに助かっていることは間違いない。
ナナリーとも仲が良く、二人の楽しそうな様子を一歩離れたところから眺めるのがルルーシュにとって至福の時である。
「…ーシュ、ルルーシュ!」
肩を揺すられていることに気付き、はっと後ろを振り返った。
「どうかした?ぼーっとしてたみたいだけど」
「なっ、なななんでもない!」
「本当?」
「ほ、本当だ。オーブンを開けるのに最適なタイミングを量っていただけだ」
「タイマーがあるのに?ルルーシュらしいなぁ」
上手く騙されてくれたスザクに安堵し、ルルーシュも笑みを漏らす。
「お前こそもう戻ってきたのか。ちゃんと洗濯物は干したのか?」
「当たり前だよ」
胸を張るスザクは子供のようだ。幼い顔立ちといいふわふわとしたくせっ毛といい、ルルーシュと同い年には見えない。
が、ふいにその表情が真剣な色を浮かべた。
常にはない顔に、ルルーシュはどきりと胸を鳴らす。
「ルルーシュ、左手出して」
「左手?」
「うん。ついでに目を瞑って」
「目?」
「理由は聞かないで、とにかく目を瞑って左手を出してほしいんだ。お願い」
わけがわからないものの、スザクのお願いとなれば聞かないわけにはいかない。
ルルーシュは言われた通りに目を瞑り、左手を差し出した。ふわりと温かいものに包まれる。スザクの両手だ。
「もういいよ」
薬指にひやりと冷たい感触がしたのとスザクの声がしたのは同時だった。
そっと瞼を上げる。何があったのだろうと自分の左手を見たルルーシュは、大きく目を見開いた。
「これ、は……?」
「結婚指輪、って言ったら怒る?」
聞き慣れない単語に勢いよく顔を上げる。スザクがひどく優しい顔で笑っていた。
「僕と結婚してほしい」
「何を……だって俺達は男同士で……」
「そんなことは告白したときから知っているよ」
「だけど……」
「駄目かな?僕は君とずっと一緒にいたい。だから結婚してほしいんだ」
真摯な告白に、ルルーシュはただ指輪を見つめることしか出来なかった。
スザクのことは好きだ。付き合えたら幸せだろうと想像していたし、実際に今はとても幸せだ。だけど結婚したいと思っていたわけではない。そんなことは不可能だし、いずれスザクが記憶を取り戻せばここから離れていくことを覚悟していた。これは夢みたいな時間なのだと、そう思おうとしていた。
なのに、スザクは何を言っているのだろう。
「僕に記憶がないからイヤ?」
ふるふると首を横に振った。
「それこそ、出会ったときから知っている。でも、記憶喪失なんて一過性のものだろうし、お前にはどこかで待っている人間がいるかもしれない。もしかしたら、同じように結婚を誓った相手がいるかもしれない。それなのに俺なんかに……」
「僕はルルーシュがいいんだ。それに、こんな風に結婚を誓ったことなんて一度もないよ」
やけに自信満々に言われ、ルルーシュは微かに眉を寄せた。
「覚えていないくせによく言えるな」
「だって、ルルーシュと出会ったときに運命だと思ったんだもの。こんな運命、そうそうあるわけがないよ」
「……馬鹿だろ」
さらりと恥ずかしいことを言ってくれる。まともに見ていられなくて視線を逸らせば頬に触れられた。
「僕が信じられない?」
「そうじゃない。ただ……俺に自信がないだけだ。いつかお前がいなくなったらと思ったら、胸が潰れそうになる。本当は記憶なんて戻らず、ずっとここにいてくれればいいと自分勝手なことを願っている。こんな俺と一緒にいて、お前はいずれ重いと思うようになるかもしれない。そう考えたら…っ」
「ルルーシュ」
言い訳なのか懺悔なのか。これまで隠していた本心を紡ぐ口を、スザクの唇が塞いだ。ただ触れるだけの優しいキス。
「自分勝手なのは僕も一緒だ。君は優しいから、僕の頼みを断らないだろうと思って告白した。それからもずっと君の優しさにつけ込んでいた」
「そんなこと、」
「だから、君が何かを負い目に感じる必要はないんだ。僕だけを好きでいて。それだけでいいから。ほかのことは考えなくていい」
唇と唇が触れ合う距離で囁かれ、ルルーシュはまばたきすることを忘れた。
「僕と結婚して。もちろん法律は許してくれないけれど、これは二人だけの約束だよ。返事は?ルルーシュ」
優しく促され、ルルーシュはこくりと頷いた。
ここまで言われて拒否できるほど自分は強くない。
もし両親がいれば、結婚相手にスザクを選んだことを怒っただろうか。もしくは、息子の幸せを喜んでくれただろうか。
「ありがとう、ルルーシュ。……ごめんね」
「何を謝る必要がある。選んだのは俺だ」
「そうじゃなくて……、ううん、やっぱりありがとう」
「変なやつだな」
先ほどまでの強気はどこへ行ったのか、いきなり弱気になったスザクに笑う。するとスザクも可笑しそうに笑った。
「ナナリーにもちゃんと報告しないとね」
「え!?そ、それはちょっと……」
「だって僕の義妹になるんだから、よろしくお願いしますって挨拶しないと」
「だが、」
「ナナリー!今、大丈夫?」
「どうかされましたか?スザクさん」
「おい、スザク!」
リビングに向かって大声でナナリーを呼ぶスザクを慌てて止めた。が、もともと力の差があるのだ。腕を掴んだくらいで止められるわけがなかった。
「そうだ」
くるりと振り返ったスザクが楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
「これからずっとよろしく、ルルーシュ」
差し出された手をしばらくじっと見て、ルルーシュも同じように右手を出した。握り締めたぬくもりが現実を思わせ、本当にプロポーズされたのだとようやく実感した。
見ず知らずの相手。記憶もなく、自分が誰なのか本人ですらわかっていない相手。もしかしたらこれは壮大な嘘かもしれない。
でも構わないと思った。
だって好きなのだから。馬鹿みたいに、好きなのだから。
「よろしく、スザク」
ルルーシュは確かに幸せを感じていた。
とても優しい顔で笑ってくれるスザクがいるから、それでいいのだと思った。
(10.10.10)