もう二度と会うことはないだろうと思いながらも、いつかまた君に会えることを心の奥底では祈っていた。
そんな日を夢見ていた。
だから、君と再び会えたときにはまだ夢の続きを見ているんじゃないかと思った。
君に再会できて、僕がどれだけ嬉しかったかを君は知らないだろう。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
今まで生きていて良かったと、あのときだけは思えたんだ。
でも、僕たちは再会しなければ良かったのかもしれない。
君を殺して、君を永遠に失うために、僕は君との再会を祈っていたわけではないのに。
* * *
「お疲れ様でした」
「お疲れ様です、ゼロ」
にこりと笑った少女に、ゼロと呼ばれた男は仮面の中で口許を緩めた。
笑い方を忘れてもう一年が経つ。どんな表情もすべては仮面に隠されてしまうので、よほど意識しなければ顔の筋肉を動かすことすらない。
それでもかろうじて口角を上げられるのは、相手が目の前の少女だからだろう。
「明日のご予定は、」
「それならすでに確認しています。朝の八時に代表室、ですよね?」
「はい。それでは、時間になりましたらお部屋まで伺いますので」
明日もよろしくお願いしますと一礼して踵を返した。
「ゼロ!」
しかし名前を呼ばれて足を止める。伝え忘れたことがあっただろうかと振り返れば、ナナリーが車椅子を操作して傍まで寄ってきた。
「ゼロ、今日はこのあと何かありますか?」
「仕事は終わりましたが」
たった今すべての予定を終えたはずだがと首を傾げたら、そうではありませんとくすくす笑われた。
「プライベートのご予定です」
「あ……」
思わず声を漏らすと、顔を上げたナナリーに真っ直ぐ見つめられた。
「一緒に夕食はどうですか?」
誘いの言葉にすぐに返事を返すことは出来なかった。期待と不安を織り交ぜた瞳が向けられていることには気付いたが、何かを断ち切るように小さく首を振った。
「いえ、私は」
「……そうですか」
明らかに落胆した様子に心が痛む。
彼女の希望を叶えたくないわけではない。だけど、彼ととても良く似ている紫の瞳を前にすると余計なことを考えてしまいそうで怖かった。
思い出の中に浸るには今はまだ早い。
「ごめんなさい、無理なお誘いをしてしまって」
そんな心情を知ってか知らずか、次に顔を上げたときの彼女はいつもの愛らしい笑顔だった。
「では、夕食をご一緒できない代わりに、ひとつだけ私からお願いがあります」
「お願いですか?」
「はい」
ナナリーがにこにこと自分を見上げていた。こんな風にはっきりお願いと口にされるのは初めてだ。
「来週の記念式典のあと、ゼロには三日間のお休みを取っていただきます」
「え……?」
驚きに仮面の中で目を見開いた。
ちょうど一週間後、悪逆皇帝から世界が解放されて一年を記念する式典が盛大に執り行われる予定だ。その準備のために今日も遅くまで打ち合わせをしていたし、この一週間は自分もナナリーもまさに寝る間を惜しんで励まなければいけない。
もちろん式典後もやることは山ほどある。世界の情勢はまだまだ安定しておらず、式典が終わったから仕事量が減るわけではない。
そんなときに呑気に休暇などと眉をひそめれば、ナナリーが柔らかい表情を向けた。
「この一年、ずっと働き詰めだったあなたにたった三日しか休暇をあげられないのは心苦しく思います」
「いえ、私としてはむしろナナリー様に休みを取っていただきたく」
「私はちゃんとお休みをいただいています。でも、ゼロは休日返上で世界各地を飛び回って一日も休んでいないではないですか」
「自分に休暇は必要ありません」
「駄目です」
笑顔でナナリーがきっぱりと言う。
「夕食は仕方ないですが、お休みは取っていただきます。これは代表命令です」
代表命令と言っても、ゼロはブリタニアに帰属する者ではないからナナリーの命令などあってないようなものだ。しかし有無を言わせぬ雰囲気に、思わず反論の言葉を忘れる。
「いいですか、式典の次の日から三日間、ゼロにはちゃんとお休みしていただきます。もし勝手にお仕事をされていたら休暇が一週間に伸びますからね、いいですね?」
一見、突飛にも思えるが、恐らくこの場で思い付いた提案ではなく、ナナリーがきちんと周囲に根回しをして認めさせた休暇に違いない。
ならば、それに反対して好意を無碍にすることは彼女の顔に泥を塗ることになる。
散々躊躇った末に、ナナリーのためならばと仕方なく頷いた。
「それでは、今日はお疲れ様でした。また明日もよろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げて御付きの者とともに去って行くナナリーの後ろ姿を見送り、ようやく自分も踵を返した。
かつかつと靴音を鳴らしながら政庁の奥まで行けば、ゼロ専用のエレベーターがひっそりと存在していた。暗証番号と指紋で認識させて扉を閉めると、重力に逆らって箱が上昇し始めた。一分もかからずに最上階まで辿り着く。少し進んだ先に大きなドアがあった。
政庁の最上階。そこがゼロの居住スペースである。
世界の英雄ゼロの住居は最重要機密事項で、政庁の中でも知っている人間はナナリーとシュナイゼル、あとは片手で数える程度だ。もっとも、それはゼロの身の安全を考えてと言うより、ゼロの仮面の中身が知られることを防ぐ目的のほうが大きい。
エレベーターと同じようにセキュリティを解除して中に入ると自動で明かりが灯った。
がらんとしたリビングを抜け、ベッドルームまで行ってようやく仮面を外す。口許を覆っていた布を下げて、十数時間ぶりに外の空気を直接肺に取り込んだ。
「休暇、か……」
突如舞い込んだ三日という時間に今は戸惑いしか浮かばない。ゆっくり休みを取るという経験が皆無だから何をすればいいのか見当もつかない。
軍に所属していた頃は、いつ呼び出しがあるかわからなかったから休み中もどこか気が張っていた。それはナイトオブラウンズになったときもナイトオブゼロになったときも同じだ。
だから、何もしなくていいし絶対に何もするなと言われても逆に困ってしまうのである。
(こんなとき普通の学生なら……いや、今さら普通を考えても意味はないな)
普通とか日常というものはとうの昔に手放した。それが自分の選択であり、今も自分を生かしている約束なのだ。
(でも時間を持て余すのは無意味だし、今後のことを考えたら趣味のひとつくらいは持っていたほうがいいのかな)
小さく笑い、一日中身に付けていた衣装を脱ぐ。着替えが終わると、夕食を摂るためにダイニングへ向かった。
空腹感はあまりないけれど、生きるためには食べなければいけない。食事とは味わい楽しむためのものではなく、自分の体を生かすための義務だった。
それから一週間後、記念式典は盛大に行われた。
壇上でナナリーは世界の解放と平和を祝し、そして最後の皇帝であり兄でもあるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアについても言及した。
二度と彼のような人物が生まれないよう、話し合いにより世界はよりよくあるべきだと語った彼女はもう少女ではなく、ひとりの立派な為政者だった。
各国の代表が挨拶をし、いくつかの取り決めと宣言を行って式典は無事に終了した。
会場に入りきれなかった人々は至るところで解放の日を喜び、世界中がお祭り騒ぎと言っても過言ではなかった。
すべてが大成功だった。
まるで一年前のように。
* * *
(――終わった)
仮面もマントも脱ぎ捨て、ゼロの衣装のままベッドに寝転がって天井をぼんやり見つめた。
たしか一年前もこうして天井を眺めていたような気がする。あのときはどんな気分だっただろうか。
「ルルーシュ……」
その名前も一年ぶりに口にした。
ゼロの演説で悪逆皇帝ルルーシュと呼ぶことはあるけれど、悪逆皇帝とは彼の演じた役目のひとつであり、本物の彼ではない。
そんなことを言ったら、ゼロも悪逆皇帝も自分を構成しているものだと反論されるかもしれないけれど、スザクにとってルルーシュという名前はやはりルルーシュただひとりのためだけのものだ。
(一年か……。余計なことは何も考えず、ルルーシュの立てた計画を実行して齟齬が出ないようひたすら動いてきたから、一年も経ったという実感が湧かないな)
なるべく意識しないようにしてきたけれど、こうしてぼんやり思考の海に漂っているとあの日がまるで昨日のことのように思い出せる。それがいいことなのか悪いことなのかはわからない。
人を殺した。
それはルルーシュが初めてではなかった。ひとりどころか、何百人、何千人、何万人と殺した。
(その中に友達がいたというだけのことだ)
天井から目を逸らし、ごろりと俯せになる。冷えたシーツが心地よい。
(あの日のこともあのときの感触も思い出せる。だけど、ルルーシュの声や匂いは少しずつ遠くなっていく。肌の滑らかさも体の熱も、いずれは忘れてしまうのだろう)
取り留めもなく思いながらシーツの表面をそっと撫で、スザクは瞼を下ろした。
ルルーシュを最後に抱いたのは一年と三日前だ。
いっそこのまま抱き潰して三日後の当日を迎えられないようにしようかと不穏なことを思ったのは一瞬で、最後は残された時間を惜しむように丁寧に抱いた。
ルルーシュの意識がなくなったあとも、眠らずにずっと抱き締めていた。忘れないように、自らに刻み付けるように、彼の心臓の鼓動を確かめながら朝を迎えた。
(寝顔を見ながら一夜を明かすなんて、好きだと言っているのと同じじゃないか)
C.C.と三人で潜伏生活を送っていた頃、初めてルルーシュを抱いた。
なんと理由を付けて納得させたかは忘れてしまったけれど、女も男も初めてだった彼は拒むことなく受け入れてくれた。以来、その優しさに付け込んで、気が向いたときにだけ抱いている振りをしてルルーシュに手を伸ばした。
だけど、ルルーシュに好きだと告げたことはない。
自分が抱かれるのは女の代わりで、手っとり早く処理できるのが自分だけだから仕方なくスザクは手を伸ばしているのだ、と彼は思っていたかもしれない。直接言われたことはないけれど、彼の目や態度がそう教えていた。
それを訂正しなかったのは、自分たちがそうあるべきだと信じていたからだ。
一度は本気で憎み、関係の修復は不可能と思われたのに期せずして手を組むことになった。しかしそれは友情を取り戻したのではなく、優しい世界の実現のために利害が一致しただけのこと。
ゼロレクイエムという唯一の目的のためにお互いの手を取っただけで、そこに愛や恋の言葉を挟む余地なんてなかった。
(そもそも、自分が殺すことになる相手に好きだなんて言えるはずがない。言ったところで何も変わらないのに、愛を囁いて恋人の真似事が出来るわけないじゃないか)
でも、諦めきれなくて体だけは抱いた。まるで安っぽい恋愛映画のような展開だったと小さく嗤う。
あの数ヶ月間の枢木スザクをルルーシュはどう思っていただろう。
(ルルーシュはずっと笑っていた。苦しそうな顔はせず、泣き喚くこともせず、ただ最期の日を迎えるのを待っていた。あの強さが僕には羨ましくあり、悔しくもあった)
苦悩したのはナナリーが敵だと知ったときぐらいで、あのときもすぐに立ち直って前を見据えていた。弱いくせに、どこまでも強いのがルルーシュだった。
彼が泣いているのを見たのは一度きりだ。泣いていると言っても、夢を見ながらの涙だったから本人には自覚がなかっただろう。
その日、執務室の外から呼びかけても返事がなかったから不安になって中に入れば、ルルーシュはソファで穏やかに眠っていた。
枢木スザクが世間的に死亡して以降、表に立って動くのはすべてルルーシュの仕事だった。その上、世界の先を見据えて様々な画策をしている最中だったから疲労も相当溜まっていたと思う。でも、休めと言ったところで素直に休むようなタイプではなく、歯痒く感じながらルルーシュを見守るしかなかった。
そんなときに居眠りする姿を見つけたから、しばらく寝かせておこうと去りかけたときに涙に気付いた。思わず目元を拭ってしまったのは、目を閉じたまま涙を流す姿がどこか痛々しかったからだ。
(そう言えば、あのときのルルーシュは少しおかしなことを言っていたな。生まれ変わりを信じるかとか、また僕と出会えたら一緒に普通の高校生をやりたいとか。そんな夢を見ていたのかな)
夢の話を現実で語るなんてルルーシュらしくない気もするけれど、生まれ変わってもまた出会いたいと思う程度には自分は彼の中に入り込めていたのだろうか。
ナナリーに勝とうとは思わない。もしかしたら、自分はC.C.にすら負けているのかもしれない。だけど、もう一度友達をやってもいいと思ってもらえたのならそれで充分だ。
(駄目だな、こんなことを考えているようならゼロ失格だ。くだらないことに現を抜かさずちゃんとやれって怒られる)
声を忘れそうだと思ったばかりなのに、ルルーシュの口調を思い出すことは出来た。自分はまだ大丈夫だと笑い、スザクは本格的にベッドに身を委ねた。
ゼロの衣装を脱がなければと意識が命令するものの、体は言うことを聞いてくれない。
これまで休みなくずっと働き詰めで、久しぶりの休暇に喜ぶどころかむしろ戸惑いさえ覚えていたにもかかわらず、緊張が解けた途端、一気に疲労に襲われてしまった。
(すぐに起きるから、少しだけ……)
誰に対するものかわからない言い訳をしながら、意識は急速に落ちていく。
やがて静かな寝息を立てて、スザクはすっかり夢の中へと彷徨い込んでいた。
(12.09.17)