ときどき夢を見る。
君の夢だ。
***
長い通路を歩いていると、背後から懐かしい声がした。
懐かしいと言っても、最後に顔を合わせたのは数ヶ月前のことである。
しかし、この数ヶ月は世界中を飛び回り、寝る間もなかったため、たった数ヶ月でもはるか昔のように感じられた。
「ちょっと! 止まりなさいよ、ゼロ!」
考え事をしていたせいか、自分では立ち止まったつもりだが、どうやらぐんぐん進み続けていたらしい。
怒ったように呼びかけられ、僕はようやく足を止めた。それからゆっくり振り返れば、赤い髪が目の前まで迫っていた。
「ずっと呼んでるのに無視するなんて何様のつもり」
「ゼロに向かってその言いぐさはないと思うんだが、カレン」
「うるさいわね。別にいいでしょ」
不機嫌そうに答えたカレンは、腰に手を当てて僕を見上げてきた。仮面越しに見る彼女は、ゼロの親衛隊長をやっていたとは思えないほど素っ気ない。
周りに人がいるときは普通なのに、二人きりになった途端、態度を百八十度変えるのはいかがなものかと胸のうちでこっそりぼやく。
「それで? 何か用事が?」
「用事がなきゃあんたなんか呼び止めないわよ。これ、ナナリーに渡してくれないかしら」
いきなり押し付けられたのは何かのファイルのようで、僕は落とさないよう慌てて受け取った。
「ナナリー代表に? そういえば、君はどうしてここにいるんだ。関係者以外、このフロアは立ち入り禁止のはずだ」
「日本にナナリーが来るって聞いたから扇さんに頼んだのよ。それに、ゼロの元親衛隊長なんだからゼロとの面会はフリーパスよ」
「その割にはやけに突っかかる物言いばかりだな」
「いいじゃない、私とあなたの仲でしょう」
手をひらひらさせるカレンに、ゼロへの敬意はまったく感じられなかった。
初めてゼロとして彼女と会ったときはもう少し殊勝だったのに、最近ではすっかり慣れたのだろう。あるいは、あえてそうしているのかもしれない。
「私に預けるのではなく、直接渡せばいいのでは?」
「そう思ったけど、ナナリーも忙しいからなかなか会えないのよね。今回のメインは扇さんとの会談で、ほかにもスケジュールが詰まってるし」
「私も忙しい」
「いいじゃない、このくらい。諦めて帰るところだったから、たまたまあなたを見つけられて良かったわ」
世界広しと言えども、ゼロに使い走りをさせるのはカレンぐらいなものだ。
神楽耶は一応猫を被っているからなと、現在ナナリーと面会している従妹の顔を思い浮かべた。
ゼロの妻を公言していた従妹は、仮面の中身が僕になってからもゼロとして接してくる。
さすがに妻と名乗ることはやめたが、すべてを悟った上で僕のゼロを認め、これまでと変わらぬ対応をするのだからさすがは日本代表だ。時折遠回しな嫌味を言ってくるものの、子供の頃のわがままっぷりを考えれば可愛いものである。
その点、カレンは遠慮がない。ゼロの信奉者だった彼女を知っている人間が見たら、一体どんな心変わりがあったのかと驚くことだろう。
「絶対ナナリーに渡しなさいよ」
「それは構わないが」
「じゃあ、よろしく頼むわ」
「君の用事はこれだけなのか?」
「そうよ。自分の手元にあるものをみんなで持ち寄ったけど、これだけしか見つからなくてごめんねって伝えておいて」
「ごめん、とは?」
「中身を見ればわかるから」
「見ていいのか?」
「ええ。渡す相手はナナリーだけど、あなたに見るなとは言わないわ」
とにかく頼んだわよ、と言い残してカレンは背を向けた。何を託されたのかは知らないが、登場も退場も唐突である。
「わかった。ナナリー代表にしっかり届けておく」
カレンは歩きながらひらりと手を振った。その姿が角を曲がって消えると、僕も足を動かした。
厄介ではないけれど、奇妙な頼み事をされたものだと思って。
「カレンさんから?」
「はい。ナナリー代表にお渡しするようにとのことでした」
差し出されたファイルをナナリーはまじまじと見つめ、それから手を伸ばした。
「ゼロは中を見たのですか?」
「いえ」
「でしたら一緒に見ましょう」
「しかし、それはナナリー代表にと預かったものですし」
「私がもらったということは、これをどうしようと私の勝手ということでしょう? それとも、カレンさんはゼロに中身を見てはいけないとおっしゃったのですか?」
「そんなことはありませんが」
「では、一緒に見ましょう」
にっこり笑ったナナリーは、以前に比べると多少強引になった。
世界の首脳達を相手にしているのだから当然とも言えるし、彼女の兄にますますそっくりになってきたとも言える。
ファイルを開いた彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「写真……。生徒会のときのですね」
その言葉に僕もファイルを覗き込んだ。今より少し子供っぽい顔立ちのみんながいた。
ただのファイルと思っていたものは、どうやらアルバムだったらしい。
「こっちは猫の日で、こっちは小学生の日」
懐かしい、と呟いたナナリーの顔には笑みが広がっていた。
あの頃は目が見えなかった彼女にとって、生徒会の様子は懐かしいものであり、初めて見る新鮮な光景でもあるのだろう。
一枚一枚ゆっくりと写真を眺めていた彼女の手が、不意に止まった。
どうしたのかと問うまでもない。
僕もナナリーと同じように固まっていた。
「──綺麗」
ナナリーが触れたのは、男女逆転祭でドレス姿になった彼の写真だった。
「皆さんが褒めていた気持ちがわかりました。本当に綺麗ですね」
「ええ」
「こんな顔を、されていたのですね」
震える指先が何度も何度も兄の輪郭を辿る。
カレンは「自分の手元にあるものをみんなで持ち寄った」と言っていた。きっと、ナナリーのためにそれぞれが写真を探してくれたのだろう。
かつてのトウキョウ租界はフレイヤによりほとんどが消滅し、大勢の命が失われた。生き残った人々も家や財産を失った。
当然、写真なんて残るはずがない。着の身着のまま避難したため、たとえ写真があったとしてもわざわざ持ち出す余裕はなかっただろう。
それに、彼は自分に関連するもの、特に学生時代のものをことごとく処分してしまった。自分の痕跡がこの世界に残らないよう、私物とされるものはすべて消し去った。だから、ここに写真があること自体が奇跡とも言える。
目元を拭ったナナリーは、涙をこらえるように息を吸い込むと次のページをめくった。
それ以降、彼の写真はなかった。
悪逆皇帝に関連するものは持っているだけでも危険だ。彼と仲良く写っている写真が見つかれば、それだけであらぬ疑いをかけられる恐れがある。女装写真はひと目で本人とわからないから、唯一アルバムに入っていたのだろう。
写真はそれほど多くなく、ページの半分ほどしか埋まっていなかった。
「これだけしか見つからなくてごめん、というのがカレンからの伝言です」
「これだけあれば充分です。カレンさんはまだこちらに?」
「恐らくは。扇首相に頼みましょうか?」
「いえ、私のほうから連絡を入れてみます。ありがとう、ゼロ」
ナナリーは名残惜しそうに残りのページをめくった。
何も挟まっていない空白のページ。そこに彼女自身の思い出を映し出しているのかもしれない。
そうして最後のページを開いたとき、ナナリーが「あっ」と声を上げた。
目を見開き、口元を両手で覆う。
「……っ」
指の隙間から漏れたのは嗚咽だった。膝をついた僕は、彼女が何を見たのか確かめようとした。
お兄様──、とナナリーが絞り出すような声を漏らす。
アルバムをそっと受け取った僕は、彼女が突然泣き崩れた理由を悟った。
「 」
唇だけで名前を呼ぶ。
(だから僕が見てもいいと言ったのか、カレン)
人が悪い。ここにはいない彼女に文句を言った。こんなものを不意打ちで見せられたら困る。
(ルルーシュ)
今度は心の中で呼んだ。
その名前はタブーだ。
誰もが彼の話をしながら、誰もが彼の名前を出そうとはしない。誰が決めたわけでもなく、みんなが自然とそうしていた。
ナナリーも人前では決して兄とは呼ばない。呼ぶことがあるとすれば、それは「悪逆皇帝」という名前である。
部屋には彼女の泣き声が響いていた。あの日のような慟哭ではないけれど、静かに泣き続けていた。
泣いて泣いて、ようやく泣き止んだナナリーは、すみませんと言って顔を上げた。
泣き腫らした目が痛々しく、でも僕は何も声をかけなかった。彼女を泣かせている原因が慰めたところでなんの意味もないだろう。
再び写真に目を落とし、ナナリーは愛しそうに口元を緩めた。
「きっと、優しい顔をしていたんでしょうね」
「笑っていました」
「え?」
「優しい顔をして、笑っていました」
また涙を溢れさせたナナリーは、そうですかと答えたあと、「良かった」と呟いて目を閉じた。
斜め後ろから撮られた彼は表情が窺えない。でも、確かに優しい顔をしていたことを僕は知っている。
あの日の彼が、彼女の瞼の裏に映ればいいのにと願うように思った。
***
写真の彼には見覚えがあった。
あれはイベント前の生徒会室だ。
各自が持ち場で作業をしている中、僕と彼は生徒会室で書類の整理に追われていた。提出しなければいけないものがあるのに、その期限をすっかり忘れてイベントのほうに取りかかっていた会長から押し付けられたものだ。
初めは彼ひとりに命じられたのだが、一週間かかるものを一時間でやれと無茶な指示を出されたのだから加勢が必要だと訴え、僕も一緒になって書類を片付けることになった。
肉体労働をする人間がいなくなると会長からは反対されたものの、無理なお願いをしている自覚があったからか、僕の加勢はすんなり認められた。
悪態をつきながらもルルーシュの作業は素早く、書類の山はあっという間に処理されていく。僕も一応手伝ったものの、戦力として役立ったとはあまり言えない。
「これならルルーシュだけで充分だったんじゃない? 会場のほうは飾り付けとか設営とかでまだ大変みたいだから、僕はあっちに行ったほうが良かったと思うんだけど」
「いいんだよ、会長への嫌がらせなんだから。たまには俺とお前のありがたみを感じればいいんだ」
「そんなこと言って、最後にはちゃんと手伝うくせに」
くすくす笑えば、彼は隣でムッとした顔をしてみせた。
「──それに、久しぶりだったからな」
「何が?」
「お前が学校に来たことが」
書類の角を揃えながら、何気ない調子で彼が言う。
つまり僕に会いたかったってことか、と思うとたまらなく嬉しい気持ちになった。
「なあ、これが終わったら夕飯に来ないか」
目線を逸らしたままのお誘いはぶっきらぼうだった。彼の照れ隠しが可愛くて、行くと答えたい気持ちを必死にこらえ、僕は「ごめん」と答えた。
「夕方から軍の仕事があるんだ」
「また?」
「本当にごめんね」
「しばらく軍で顔を出さないかと思えば、今日もまた軍か。出席日数が足りなくなっても知らないぞ」
「君だってよくサボっているくせに」
「俺はちゃんと計算しているからいいんだよ。しかし、お前は本当に仕事が大好きなんだな」
僕だって叶うことなら毎日一緒に過ごしたい。でも軍人である以上、上司の命令は絶対だ。
「明日は夕方までなんだ」
「それがどうした」
「だから、夜は空いてるよ」
耳元で囁けば、僕のほうを見た彼がまばたきをした。ぱちぱちと音がしそうだ。
「俺を騙したのか」
「騙しただなんて人聞きが悪いな」
「もういい。お前なんか知るか」
書類を運ぼうとした彼の手を上から握り締める。ぴくりと反応したのを確かめ、指を絡めた。
「明日は君のところに行くから。待ってて」
「──ああ」
顔を近付ければ、不機嫌そうにしていた表情が緩んだ。彼が目を閉じて、僕は唇を押し当てた。
最後にキスをしたのは先週。彼の部屋だった。
名残惜しくていつまでも離さないでいたら、しつこいと文句を言われた。でも、彼が僕を引き剥がすことはなく、頬を赤く染めて僕に応えてくれた。
すごく可愛かったよなと思い出しながら、ゆっくり唇を離す。
「ここは生徒会室だぞ」
「わかってるよ」
これ運んでくるね、と彼の手から書類を奪った。
「書類なら俺が」
「だって、真っ赤な顔のまま外に出たらまずいだろ?」
「は?」
きょとんとした彼は、意味を悟ったのかうろたえた様子で「スザク!」と叫んだ。
それに笑ってから生徒会室を出る。指定の場所まで書類を運び終えると、次はイベントの手伝いだ。
来た道を戻っていたら、首にカメラを下げたリヴァルと出くわした。
「何してるの?」
「記録係。準備のほうはだいたい片付いたから、ここからは楽しい学校生活を思い出に残そうと思って」
「会場の手伝いに行こうと思ったんだけど、それなら行かなくてもいいかな?」
「とりあえず会長に相談して、ほかにやることがあったらお前達にも来てもらうよ。ルルーシュはまだ生徒会室か?」
「うん」
窓の外から生徒達の声が聞こえてくる。楽しそうで、どこかそわそわとした空気が学校全体を包み込んでいた。
この空気いいなと思っていたら、「こういうのってなんかいいよな」とリヴァルが言った。彼も同じことを感じたのかもしれない。
「学校の空気ってさ、学生の間しか経験できないじゃん」
「そうだね」
「青春って感じだよな」
十代の特権。人生の中の貴重なひととき。それが青春なのだろう。
もちろん楽しいばかりではないけれど、青春という言葉はきらきらとしたきらめきと憧れのようなものを孕んでいて、十代を終えれば二度と経験できない儚さもあった。
(そんなものを僕が経験できるなんて思ったこともなかった)
青春もきらめきも僕には似合わない単語だ。でも、ここにいる間だけは純粋に学園生活を楽しみたいという気持ちもあった。
彼がいたから生徒会に入れた。彼がいたから仲間に出会えた。
彼がいたから、学生の僕がここにいられるのだ。
生徒会室の前まで来ると、リヴァルが「しぃ」と口の前で人差し指を立てた。
「ルルーシュが油断しているところを撮ってみないか?」
「気付かれるんじゃない?」
「だから静かに」
中に入ると彼の姿を探した。
ドアが開く音でバレるだろうと思ったけれど、彼は窓辺に佇んだままだった。何かを眺めているようで、その表情は僕達からは見えない。
カメラを構えたリヴァルがシャッターを押す。
彼が空を見上げる。
その横顔は微笑み、射し込む陽に辺りの空気はきらきらと光っていた。まるで絵画のような美しい光景に僕は目を奪われた。
リヴァルがもう一度シャッターを押した。彼の美しさをこの世界から切り取るように。
「ルルーシュ」
このままどこかに消えて行ってしまう。そんな焦燥にも似た気持ちに駆られ、僕は彼の名前を呼んだ。
ようやく彼がこちらを振り返り、僕は知らず息をついていた。
「何をしているんだ」
「記録だよ、記録」
「俺なんかを撮って何が楽しいんだか」
「あとでナナリーと一緒の写真も撮ってやるからさ」
「まったく。で、そっちは終わったのか?」
「俺のほうは片付いたけど、まだ仕事が残ってるかもしれないから会長のところに行こうと思って」
「仕事熱心なことだな」
「ルルーシュもだよ。スザク、ちゃんと捕まえておけよ」
「任せて」
「お前達、俺をなんだと思っているんだ。逃げるわけないだろう」
ぶつぶつ言っているルルーシュの手首を掴み、「絶対逃げちゃ駄目だからね」と念押しした。
「お前は誰の味方だ」
「ここでは会長さんが一番偉いから仕方ないよ」
「権力に負けるつもりか」
「いいから行くよ」
彼が逃げ出さないように強く掴む。わかったわかったと言いながら彼がついて来るのを確かめ、僕は前を向いた。
学校はとても楽しかった。
彼がそこにいてくれることがとても嬉しかった。
あの頃の僕達は嘘にまみれていたけれど、あたたかくて心地いい日々は確かに本物で、僕は毎日がとても幸せだった。
それは嘘ではなく、本当だったんだ。
***
ときどき夢を見る。
君の夢だ。
あの写真を撮ったときのように、君の表情は僕からは見えない。
「ルルーシュ」
でも、僕が名前を呼べば君は振り返り、ふわりと笑ってくれる。
「スザク」
優しく、柔らかく、僕の名前を呼んで笑う。
これは僕の願望が反映された夢なのだと、夢の中の僕は気付いていた。
夢だとわかっているから、この夢が永遠に覚めなければいいのにと思っていた。
夢だとわかっているから、この夢が覚める瞬間を怯えながら待っていた。
やがて君の輪郭はぼやけ、光の中に溶けていくように淡くなり、そして消える。
あの優しい表情のまま、君はいなくなってしまう。
そんな夢を、ときどき見るんだ。
(ああ、君に会いたいな)
(18.05.30)