はい、と差し出された封筒をまじまじ見つめた。顔を上げれば、そこには愛らしい少女が満面の笑みを浮かべている。
「あの……ナナリー様、これはどういう……?」
「ですから招待状です。もうすぐハロウィンでしょう?今年はお仕事のほうも落ち着いていますから、久しぶりに皆さんで集まってパーティーをしないかとミレイさんが」
現在、メディアのあらゆるジャンルで大活躍中の先輩の顔を思い出し、ゼロ――スザク――は仮面の中で思わず苦笑いした。招待状だと封筒を渡されたときは一体何事かと思ったが、彼女が発案者ならば納得だ。
「しかし私は、」
「日にちは今度の日曜日、もちろん全員仮装での参加です。欠席は駄目ですよ、ゼロ」
有無を言わせぬ口調に言葉を飲み込む。ブリタニアの代表として表舞台へ出るようになってからというもの、ナナリーは随分とたくましくなった。柔らかい物腰や人への気遣いなど優しい部分は変わらないし、意志の強さや頑固さは元からあったのだろうが、代表に就任してからはただ可憐なだけの少女ではなく、立派な為政者として自分自身の足で立っている。
情に流されることなく政策を決定したり、だからと言って情を忘れることもなく、そのバランスを上手く使い分けているようだ。こちらが舌を巻くほどの豪胆さを間近で見て、やはり彼らは兄妹なのだと実感したのは一度や二度ではない。
(つまり、直々のお誘いを無碍に断わることは出来ないというわけか)
小さく息を吐き出し、わかりましたと答える。
「ナナリー様からの招待状とあらばお受けしないわけにはいきませんね」
了承の返事に、ナナリーの顔がぱっと明るくなった。半ば強引に話を進めながらも、断わられることをどこかで想定していたのだろう。
思い返してみると、今まで食事などに誘われてもあまり頷いたことがなかったかもしれない。それは彼女を嫌っているからではなく、そうあるべきだと言い聞かせていた部分もある。
彼女の兄を殺した自分が、彼女とともに楽しい時間を過ごしていいはずがないし、彼女もきっと嫌だろうと思っていた。
(でも年に一度の、しかも仮装で顔を隠してのパーティーなら……)
あれからもう四年が経つのだ。少しはナナリーの希望を叶えてやるべきだろう。
「ところで仮装はどうされますか?私のほうでご用意してもいいですが」
「えっ、いえ、自分で用意しますのでそれには及びません」
衣装の話に慌てて首を横に振る。
「そうですか?」
「はい!」
思わず上擦った声を出してしまったが致し方ない。今回のパーティーの主催者はミレイである。もしゼロの仮装衣装を用意しなければいけないなんて話を聞いたら、彼女がどれだけ張り切るかわからない。
「ならば衣装のほうは私が心配しなくても大丈夫ですね。では、次の日曜日に。場所と時間は招待状に書いていますから必ず参加してください。遅れてもいいですから絶対ですよ」
何度も念押しするナナリーの顔は真剣だ。今までが今までだからドタキャンするのではないかと思われているのかもしれない。
「わかりました」
「じゃあ約束です」
すっ、と右手の小指が差し出された。意図にはすぐ気付いたけれど、自分の立場を考えるとそれに応じていいものか戸惑う。するとナナリーの手が伸び、手袋に包まれた右手を取られた。
「指切りです」
そのまま小指を絡めて指切りの歌が歌われる。懐かしいメロディに、ここがブリタニアの政庁であることや自分が仮面を被ったままであることを一瞬忘れそうになった。
「絶対に来てくださいね、ゼロ」
「――ええ、必ず行きます」
ナナリーの愛らしい笑み。一時は表情が暗く固く、浮かべた笑顔も無理したものだった。そうさせたのは自分であるとわかっていたけれど、スザクにはどうすることも出来なかった。でもブリタニア代表としての立場を理解していた彼女は兄の死を乗り越え、必死になって頑張ってきた。
(君たちは強いな、本当に)
ナナリーはもう大丈夫だ。
いつだったか、彼が微笑みながら零したことを思い出す。
『ナナリーはもう自分の足で立っている。自分で考え、自分の意志で行動している。だから、俺がいなくなっても大丈夫だ』
そう語っていた彼は少し寂しそうに、でもどこか誇らしげに見えた。
(だけど君はひとつ思い違いをしていた)
ナナリーはもう子どもじゃない。ルルーシュの言っていた通り、自ら考え自ら行動できる自立した立派な大人だ。
しかし、どんな立派な大人でも愛する家族を失えば悲しい。兄がいなくなって平気なわけがない。吹っ切れたように見えても、心の奥底では今も悲しみを抱えている。
それは彼女にしかわからない悲しみであり、誰にも癒すことの出来ないものなのだろう。
「日曜日楽しみにしていますね」
「はい、私も楽しみにしています」
にこにこと笑うナナリーに、スザクは仮面の中で笑みを返した。
* * *
「えっ」
自分の姿を見た途端、談笑していたカレンがあからさまに顔を顰めた。
「ちょっとちょっと、ハロウィンの趣旨わかってる?今日は全員仮装で参加よ?」
「だからちゃんと仮装してきたじゃないか」
「ゼロの衣装は立派な衣装なの!仮装扱いしないでちょうだい!」
グラスを持ったまま怒るカレンに、隣のリヴァルがまあまあと宥める。
ミレイの知り合いが所有する別荘を借りてのパーティーには、元生徒会メンバーのほかにジノやアーニャといった同世代の面々が参加していた。思い思いの仮装をしてリビングに集えばまさにお祭り騒ぎだ。
「街にはゼロの恰好をした人がたくさんいたから、ここにいるのがまさか本物だなんて誰も気付かない」
「そういう問題じゃなくて!ったく、そのまんまの恰好で来るなんてホント野暮ったいやつ」
「まあいいじゃないか。ゼロの衣装で来るなってお達しはなかったんだし」
「だからそういう問題じゃないって言っているでしょう」
まだ文句を言うカレンは猫、リヴァルはドラキュラ伯爵の恰好だ。アッシュフォードにいたときはこんなことが日常茶飯事だったなと思い出す。
「いつもと口調が随分違うな。もう酔っているのか?」
「ふん、今日は無礼講よ」
ゼロを敬愛していたカレンはその正体がルルーシュだと知っても変わらぬ忠誠を誓っていたが、ゼロレクイエム以降、周りに親しい人だけのときはこういう態度を取るようになった。まるで『枢木スザク』と接していたときのように。
「そこの二人!痴話喧嘩はそこまで!」
「痴話喧嘩じゃありません!」
「さーて、これで全員揃ったわね。お腹も空いたことだし、じゃあまずは腹ごしらえといきますか」
「いきなり腹ごしらえですか?」
「あら、腹が減っては戦ができぬって日本では言うのよ」
「ハロウィンパーティーで一体何をするつもりなんですか……」
わいわいと中央のテーブルに集まる皆を眺めていると、ナナリーが車椅子を操作してこちらにやって来た。黒い衣装にとんがり帽子を被った姿は可愛らしく、シスコンの彼が見ていたら間違いなく目尻を下げていたことだろう。
「来てくださったのですね、ゼロ」
「貴女との約束でしたからね」
「ありがとうございます。街にもゼロの衣装を着た人がたくさんいらしたのですが、本当に人気者ですね」
「私はお化けではないんですが」
肩を竦めてみせればナナリーが可笑しそうに笑った。
「ジノとアーニャも誘っていたんですね」
「お二人とも元生徒会メンバーですから」
「ナナリー!ゼロ!早く来ないと料理が全部なくなっちゃうわよ」
大きな声で自分たちを呼ぶ元生徒会長は相変わらずパワフルなようだ。彼女の活躍はテレビで毎日のように観ているけれど、久しぶりに顔を合わせると一気に懐かしさに襲われた。ここにいる皆とこうして楽しく集まっていたのはまだほんの数年前のことなのに、随分と昔の出来事みたいな感覚だ。
「元生徒会長の命令を無視するとあとが怖いですから行きましょうか」
「ええ」
仮装衣装に身を包み、皆の会話に加わるナナリーはとても楽しそうだった。それを隣で見ていると、料理をてんこ盛りにした皿をミレイから押し付けられた。しかし仮面を被った状態ではどうすることも出来ず、そっと輪の中から抜けて壁際のソファに腰を下ろした。
(こんなに料理を盛られても食べられないんだけどな)
サイドテーブルに皿とグラスを乗せる。食べ物も飲み物もどれも美味しそうで口に出来ないのがもったいない。
仮面を被ったまま会食が出来るようにと改良はされているけれど、口元だけ開いて食事をする姿はなかなかシュールである。それに正体を勘付かれているとは言え、今の自分はあくまでゼロだ。そのゼロが彼らに加わって学生時代の思い出話に花を咲かせるのはまずいだろう。
「正義の英雄がこんな端っこで椅子を温めていていいんですか」
ふっ、と息をついたタイミングで声を掛けられびくりとする。隣を見れば、顔や首にぐるぐると包帯を巻いてミイラの仮装をしている人物がいた。いつからそこに座っていたのかまったく気付かなかった。
「今日は街中に仮面が溢れているからね。ひとりぐらいサボっていても問題ないよ」
内心の動揺を隠したまま応えれば、確かにとミイラ男が笑った。
「皆がこぞって仮装をしたがるなんて正義の英雄は人気者ですね」
「さっきも同じことを言われたけど、ゼロはお化けじゃないんだけどな」
「ハロウィンにかこつけてゼロの恰好をしたいんですよ。人気者の証拠です」
饒舌に語る彼をよくよく観察してみると、ソファに腰掛ける姿勢は正しく、身に付けているスーツや帽子は上等だ。顔を包帯で覆っている以外は至って普通の恰好である。どことなく上品な空気を醸し出しているから、ミレイかナナリー、あるいはジノあたりの知り合いかもしれない。
「君こそあっちに行かなくていいのかい?」
「俺はいいんです。こうして皆の様子が見られれば。あなたこそお喋りに加わらないんですか?」
「僕もいいんだ。あ、料理が必要ならここにあるから好きに食べて」
「……誰ですか、そんな馬鹿みたいな盛り付けをしたのは」
「それはもちろん元生徒会長様だよ」
「会長は相変わらずだな」
最後の科白はどこか懐かしそうな響きがあった。やはりミレイの知り合いのようだ。
「君と僕ってどこかで会ったことあるかな」
「残念ながら、俺は英雄と知り合いになれるような人間じゃないですよ」
「あ……、そうだよね」
仮面を被ったままの状態で会ったことがあるかなんて訊かれても困るだろう。なのに思わず尋ねてしまったのは、彼の持つ雰囲気がひどく居心地が良くて落ち着くからだ。
肌も髪の色もすっかり隠され、わかるのは瞳の色だけなのにどうしてこんな気持ちを抱くのだろう。
(そうか……)
彼の瞳がこちらを向いた瞬間、居心地の良さの正体に気付いた。
(似ているんだ、ルルーシュに)
白い包帯の隙間から覗くのは菫色。ブリタニア皇族特有のその色はルルーシュそっくりだった。
本物の瞳を最後に見たのはもう四年も前のことだ。
(馬鹿だな。確かに紫の瞳は元皇族の色だけど、皇族以外にも似たような色の瞳の人はたくさんいるのに)
そう言えば、彼の少し低い声もどことなくルルーシュに似ていないだろうか。それとも、自分の願望が都合の良い錯覚を抱かせているだけだろうか。
「――君は学生?」
「ええ。あなたは?」
「僕は……元学生かな」
「じゃあ働いているんですか?」
「まあそんなところかな」
「凄いですね。俺と変わらない歳なのにもう働いているなんて」
「凄くなんかないよ。自分の選択がそうだったってだけで」
「でもやっぱり凄いと思います。選ぶというのは大変なことですから」
誰かに褒められるためにゼロをやっているわけではない。認められたいわけでもない。むしろ正体を知られれば今までのことがすべて水の泡となってしまうから、誰にも真実を悟られてはいけない。
だけど、凄いというたった一言が嬉しかった。
若くして働いていることを純粋に凄いと口にしただけなのだろう。それでも彼の一言がひどく嬉しく、自分のやってきたことを認めてもらえたような気さえした。
「飲み物がなかったね。取ってくるよ」
飲み物を理由に席を立ったのは照れ隠しだったのかもしれない。メインテーブルを真っ直ぐ目指す。
「やっとこっちに来たわね。相変わらず付き合い悪いんだから」
ほんのり頬を染めたミレイはすでに少し酔っている。ペースが早くないですかと言えば、今日はハロウィンだからいいのよと答えになっていない答えが返ってきた。
「ところで彼は誰です?」
「彼?」
「ミイラの恰好をしている……あれ?」
振り返ってソファを指せばそこは無人だった。サイドテーブルに乗せた料理の皿だけがぽつんと残っている。
「ミイラなんて今日いた?」
「そんな恰好をした人はいないですよ」
ミレイもリヴァルも首を傾げている。まさか、とスザクは目を見開いた。
「ちょっとゼロ!どこ行くのよ!」
自分を呼ぶ声を聞き流して別荘の外に出た。夕暮れ時の空は陽を落とし、少しずつ世界が闇に覆われようとしていた。
(間違いない、彼はきっと――)
首を回せばスーツの裾がひらりと揺れたのが視界に入った。
確証はない。だけど確信はある。
仮面を取って口許を覆う布も下ろすと、スザクは大きく息を吸い込んだ。
「ルルーシュ!」
後ろ姿がぴたりと止まった。彼との距離を縮めるために動かす足はまるで雲の上を歩いているようで現実感がなかった。
「ルルーシュ、だろう?」
「――俺はそんな名前ではない」
「違うと言うのならそれでもいい。でも、せめて顔を見せてくれないかな」
「顔を見せたら正体がばれてしまうだろう」
小さく笑う声がした。
「お前は本当にイレギュラーなやつだな。ナナリーにもばれていなかったのに、お前に気付かれたら意味がないじゃないか」
「やっぱり、ルルーシュなのか……?」
「会長がハロウィンのパーティーなんて思い付くから悪いんだぞ。こんな日にパーティーをしたらどこの死者が紛れ込んでくるかわからないというのに」
「君なら大歓迎だと思うよ」
「馬鹿なことを言うな。それに正体を知られてしまったからもう時間切れだ」
「待って!」
そのまま逃げようとするルルーシュを咄嗟に引き留めた。だけど何を言えばいいのかわからなくて、二人の間に沈黙が落ちる。
掴んだ腕は温かかった。幽霊の体が冷たいというのは嘘だなとどうでもいいことをぼんやり思った。
「離してくれないか」
「離したら帰るんだろう?」
「当たり前だ」
「ナナリーや皆と話していけばいいじゃないか」
「簡単に言うな。そもそも、こうしてお前と話をしていることのほうがおかしいんだ」
「死人のルールを押し付けられても困るよ」
「ルールって……」
呆れた声音でルルーシュががくりと肩を落とす。そしてくるりと振り返った。その顔からはいつの間にか包帯が消えていた。
「つくづく自分勝手だな」
「君に言われたくないな」
「でもまあ、よくやっていると思う。お前も、ナナリーも」
微笑んだ顔は自分のよく知っているルルーシュだった。
最期の別れのときに見たのも確かこんな顔だったと思い出し、言葉に出来ない気持ちが胸の中にいっぱいになる。
「ルルーシュ…っ」
掴んだままの腕を引いて衝動的に抱き締めた。その体はやはり温かかった。
死んでいるのに温かいなんてずるい。体が冷たければ身を持って現実を知ったのに、これでは抱き締める腕を緩められないではないか。
「少しだけ……、少しだけこのままでいさせて」
本当はもっと伝えたいことがあったはずなのに、震える唇は何も言葉を紡げない。これが現実なのか夢なのかすらわからないままだ。
だってハロウィンに死者がやってくるなんてあまりに出来すぎたシナリオだ。
「また、会えるかな」
「会えるさ。生きていれば」
「死んだあとは?」
「死んだあとのことを考えるのはまだ早い」
冷たく突き放され、やっぱりルルーシュだと笑う。鼻の奥がつんとして、細い肩に顔を埋めた。
「お前はお前のやるべきことを全うしてこい。そしたらいつか迎えに行ってやる」
「本当に?」
「ああ、俺はもう嘘をつかないからな」
腕の中のルルーシュを見れば懐かしい不敵な顔があった。彼の細い指が頬を辿り、スザクはそっと瞼を下ろした。
「やっと……」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
たとえ死者の指先だとしても、その感触を仮面越しではなく肌で感じることが出来た。もう二度と流れないだろうと思っていた涙が零れそうだ。
「俺はいつまでも待っているから。だからお前はゆっくり来い」
柔らかい温もりが唇に落ちる。そして再び優しく頬を撫でられた。
やがて指先が離れ、ゆっくり目を開けた。そこにはもう誰もいなかった。
スザクはしばらくその場にぼんやり佇んでいた。しかし冷たい風に前髪が揺れ、自分が素顔を晒していることに気付いた。
仮面を被って踵を返す。ルルーシュを追いかけたときは現実感がなかったのに、今はしっかり地面を踏み締めている感覚があった。
(死者がこの世に来る日、か)
来年もハロウィンのパーティーをすればルルーシュはまたやって来るだろうか。またパーティーを開催してくれとミレイに頼んだら無駄に呼び出すなと怒られるだろうか。それともナナリーを口実にすればあっさり来てくれるだろうか。
どれも容易に想像することが出来て、スザクは仮面の中で頬を緩めた。なんだか今日はよく笑っている気がする。
「約束だよ、ルルーシュ」
また会えることを。
いつか迎えに来てくれることを。
死ぬまで覚えているから、絶対に守ってもらうのだ。
そんなことを思いながら暖かい光と笑い声に溢れた別荘の中へと戻る。
それは、ハロウィンの奇跡ではなく必然だった。
(12.10.31)