7月10日。
何気なくカレンダーを捲っていて、その日付だけが目に入った。一体どうしてと思ったけれど、その原因はすぐに気付いた。
「誕生日、か……」
そっと数字の上を指でなぞった。忘れられない、忘れるはずのない日付。
もし自分たちが普通の友人ならば、もっと素直に、もっと簡単に祝ってやろうという気持ちになれただろうか。子どものときのように無邪気に。
「……馬鹿な考えだな」
過去は過去でしかない。昔がどうであれ、今の自分たちは最悪の敵同士だ。スザクは俺を許さないだろうし、俺もスザクを許さない。それが唯一の真実だ。
7月を隠すようにカレンダーを仕舞う。
去年の誕生日は祝ってやれなかった。アッシュフォード学園に転入してきたスザクと再び再会したときには、すでに彼の誕生日が終わっていたからだ。
それより以前は、スザクが生きているのか死んでいるのかさえわからない状況で、会うことも叶わず、ただ彼のことを思い出すだけだった。直接おめでとうを言えたのは枢木神社で過ごしたあの夏の日、たった一度きり。
幸いにも、今年は誕生日前にスザクがアッシュフォードに復学してきた。ようやくスザクの誕生日を祝ってやれる絶好の機会。そのはずなのに――。
「俺なんかに祝われたって、あいつも嬉しくないだろうな……」
ぽつりと漏れた声はひどく頼りなく、自身自身にぎょっとする。
何をそんなに落胆しているのだ。敵であるスザクの誕生日など放っておけばいい。祝ってやる必要なんてない。
だけど。
「……俺が何もしなければ、記憶が戻っていることを疑われるかもしれないし」
そう。記憶を消されてまっさらな“ルルーシュ”ならば、スザクの誕生日を大いに喜び、大切な友人として祝おうとするはずだ。
これは演技の一環だ。ゼロとして復活したことを疑われないよう、記憶のないルルーシュを演じるだけだ。含みなど何もない。
(そうだ、これはスザクを油断させるための行動なんだ)
両手にぐっと力を込めると椅子から立ち上がった。部屋を横切り廊下に出る。
目指すのはいつも使っているキッチンだった。
「え?夕飯?」
「来週の金曜日なんだが、予定空いてないか?」
「随分と先のことを聞くんだね」
一日の授業が終わり、生徒たちが帰宅する時間帯。放課後は生徒会の仕事が入っているから当然スザクもそのまま向かうだろうと思っていたら、仕事があるから先に帰ると言ってさっさと教室を出て行かれてしまった。
今日でなくても構わないのに、今日確認すると決めていたことが確認できないのはどうにも落ち着かず、ルルーシュは仕方なくスザクを追いかけ階段の踊り場で捕まえた。
そうして告げたのが「夕飯を一緒に食べないか?」ということだった。
ルルーシュからの申し出にスザクがぎょっとするような顔をしたのはきっと気のせいではないだろう。まさかルルーシュのほうから誘いをかけてくるなんて思ってもいなかったはずだ。
ふ、と笑うとルルーシュは腕を組んで壁に寄りかかった。
「ラウンズ様はいつも忙しいからな。早めにスケジュールを押さえておかなければすぐに予定が埋まってしまうだろ?」
「そんなことないよ」
「どうだか。せっかく復学したのに、最近はまた休んでばかりじゃないか」
まるで仕事と自分のどちらが大切なのだと言わんばかりの口調に、ルルーシュは内心嗤ってしまう。これではスザクのことが好きでたまらないみたいだ。
そんな風に考えていると、目の前で困惑していたスザクが、何を思ったのか距離を詰めてきた。至近距離で見る顔に一瞬だけルルーシュの胸が高鳴り、しかしすぐに否定した。こんな人非人になぜどぎまぎしなければならない。所詮こいつは敵だ。
怯むことなく見返せば、肩に手を置かれる。どういうつもりだ?と疑問に思っているうちにスザクの顔が近付き、耳元に唇が寄せられた。
「――それって、寂しいって意味?」
「そっ…、そんなことあるわけがない!」
ルルーシュは思わず左耳を塞ぐと、距離の近い身体を押し退けた。
「くだらないことを言うな!」
「くだらないかな?」
「当たり前だ」
「ふぅん。それは残念」
何が残念なのだと思ったけれど、尋ねるのは藪蛇になりそうだった。ルルーシュは疑問を飲み込み、気を取り直すように制服を正した。
「とにかく、金曜の予定はどうなんだ」
「ごめん。その日は会議が入っているから学校にも来られそうにないんだ。だから君のところにも行けないと思う」
「あ、あぁ…そうか、仕事か。仕事なら仕方がないな」
答える声はどこか消沈していたが、ルルーシュ自身は気付かなかった。血の気がなくなるときのような感覚に気を取られていたから、スザクが眉を寄せてルルーシュを見ていたことにも当然気付かない。
「お前が来てくれたらロロが喜ぶと思ったんだが、お前はナイトオブラウンズなんだから、俺たちより仕事を優先しなければいけないよな」
とにかく見た目を取り繕うとして、乾いた笑みを浮かべる。
スザクの眉がさらに寄せられた。
「ロロ、ね……。ロロとは上手くやってるの?」
「当たり前だ、たったひとりの弟なんだから。何を言っているんだ」
「……うん、そうだね」
「夕飯の件はすまない、気にしないでくれ。今から仕事なんだろう?呼び止めて悪かったな。じゃあまた明日」
「え、ちょっとルルーシュ!」
ルルーシュは言いたいことだけを言うと、後ろを振り返ることなく階段を駆け上った。すぐに息は切れたけれど、今スザクに捕まるわけにはいかないとの思いだけで足を動かした。屋上へと続く階段を目の前にしたところでようやく立ち止まると、膝に両手をついて乱れた息を整える。
なんだ、一気に階段を上ろうと思えば上れるんじゃないか。
そんなことを思い、苦しい息の中で嗤う。壁に背中を預けるとそのままずるずる座り込んだ。まだ呼吸は荒かった。
「何をしているんだろうな、俺は……」
スザクはルルーシュの敵であり、この学園の中では監視者だ。そんなやつを夕食に誘うなんてどうかしている。スザクだって敵と仲良く食卓を囲む趣味は持っていないだろう。
だから断られて良かったし、断ってくるのが正解だ。
(なのに、どうして)
どうして、こんなに胸が押し潰されそうになっているのだろう。
階段を駆け上ったことだけが原因ではない息苦しさの理由がわからず混乱する。
立ち上がる術を忘れたかのように、ルルーシュはその場にただ座り込んでいた。生徒会に顔を出さなければいけない時間はとっくに過ぎていることも忘れて。
「ただいま」
「おかえり、兄さん」
日もとっぷり暮れたころ、ようやく帰ってきた兄をロロは嬉しさを隠すことなく出迎えた。
「随分と遅かったね」
「ん?あぁ、生徒会の仕事が終わらなくてな。まったく、会長も困った人だよ」
苦笑いしながら頭を撫でられる。その手の感触がとても優しいから、ずっと撫でていてほしいと思ってしまう。
手が離れる瞬間に感じた一抹の寂しさを押し殺すように、ロロは無邪気な笑みを浮かべた。
「それで、枢木卿との食事会はどうなったの?」
何気なく訊いたつもりだった。本当は兄の敵である枢木スザクと食事なんてしたくなかったけれど、兄が誘うと言うのならば大人しく従うしかない。それに、スザクの誕生日を祝いたいと告げてきた兄はとても楽しそうな顔をしていたから水を差したくなかった。
「……あれはなくなったよ」
しかし返ってきたのはどこか沈んだ答えで、おや?とロロは内心首を傾げた。
「どうして?」
「ラウンズ様は仕事で忙しいらしい。仕方ないよな」
「でも、兄さんがせっかく準備しようとしていたのに」
「構わないさ。料理なら俺とお前で食べればいいんだから」
「それはそうかもしれないけど……。来てもらえなくて残念だね」
「残念?残念なわけないだろう?むしろせいせいしているよ。あんなやつを俺とお前の食卓に招かなくて済むと思えばな」
刺々しささえ感じる口調でルルーシュが言い切る。
じゃあどうして兄さんはそんなにがっかりした顔をしているの?と思ったけれど、ロロはあえて何も口にしなかった。
スザクが来ないというのは自分にとっても良いニュースだし、敵のくせに兄の心をかき乱す存在ははっきり言って疎ましい。いっそ殺してしまおうかと思ったこともあるけれど、それは兄から止められているので今は我慢している。
「そんなことより夕食にしよう。すぐに作るから」
「僕も手伝うよ、兄さん」
「宿題はもう終わったのか?こっちのことは気にしなくていいんだぞ」
「僕が手伝いたいの。宿題ももう終わったから大丈夫だよ」
「そうか。それなら一緒に作ってもらうかな。ありがとう、ロロ」
ふわりと笑みを向けられ、ロロは自分の頬が少しだけ熱くなったのがわかった。ありがとうの一言で全身が喜びに満たされるようだった。
まるで本物の兄弟のようなやり取りがくすぐったい。枢木スザクが割って入ってこなくて本当に良かったと、ロロは心の底から思ったのだった。
(当日に続く)→そして当日