夜の住宅街に二人分の影が伸びる。足元では下駄がからころと音を立てていた。
夏の一大イベントであるお祭りと花火が終わり、町全体が急に静かになったような錯覚を抱く。神社の境内にあれほどたくさんの人がいたのに、夜道を歩くのは自分たち以外に誰もいない。
指先に触れるものを感じて隣を見た。スザクが前を向いたまま指を絡めて手を繋いできた。
「静かだな」
「そうだね」
呟いた声もやけに大きく聞こえる。
今日は町の夏祭りで、スザクの母親が作ってくれた浴衣を着て二人で出かけた。リンゴ飴を買って、子どもの頃を懐かしんで、スザクが見つけた特等席で花火を見物して、とても楽しい時間だった。でも花火は一時間前に終わり、町の人たちは皆それぞれの家に帰って行った。
自分たちも帰路へとついたものの、真っ直ぐ帰るのはなんだかもったいなく思った。だからわざと遠回りをし、川原に沿って自宅を目指した。交わす言葉は途切れ途切れだけど、気まずいとか不快とかそういう気持ちにはならない。
スザクが隣にいる。ただそれだけを感じられる時間はルルーシュにとってひどく心地良いものだった。
だけど、最後の角を曲がったところで急にがっかりする気持ちが生まれた。このまま通りを真っ直ぐ行けばあと三分で家に着いてしまう。
大学生の自分たちは夏休みが長く、今日も朝からずっとスザクと一緒にいたのに、別れてしまう瞬間はなぜかいつも寂しい。母親を恋しがる子どもじゃあるまいし、と思いながらも指先には知らず力がこもった。
「花火、綺麗だったね」
「ああ」
「今夜は月も綺麗だね」
「そうだな」
夜空には雲がなく、月がぽっかりと浮かんでいた。
「でも、一番綺麗なのはルルーシュかな」
「……馬鹿じゃないか」
何を言い出すのだと呆れてみせる。女性ならまだしも、男が花火や月に勝っても嬉しくない。
「馬鹿じゃないよ。だって事実だもん」
スザクの顔や口調にからかいの色はなく、彼が大真面目に褒めているようだ。それはどうも、とルルーシュは気のない返事をした。
付き合うようになって以来、事あるごとに綺麗とか可愛いとか言われ、そのたびに綺麗でもないし可愛くもないと否定してきた。綺麗と表現するなら自分の母だろうし、可愛いのは自分より妹のナナリーだ。しかし、いくら言ってもスザクは聞いてくれないので、最近はムキにならずはいはいと受け流している。
(男相手に容姿を褒めても何の得にもならないのにな)
おかしなやつだと思っていると、視界に自宅が映り込んだ。
すると、握る手が強くなったのに気付いた。先ほどの自分よりも強く、痛いくらいにぎゅっと握り締められる。
「――あのさ」
「ん?」
「僕、ずっと考えていたことがあるんだ」
「考えていたこと?」
「うん」
歩く速度が少しだけ緩まる。別れを惜しんでいるのはスザクも一緒なのだろうかと思えば胸の奥がじわりと温かくなった。
「僕とルルーシュは小さい頃から一緒で、ナナリーと三人兄妹のように育って本物の家族みたいだったけど、僕がルルーシュのことを好きになって、僕たちは友達なのか幼馴染なのか、兄弟なのか恋人なのか、どれが正しい関係なんだろうって少し前まで真剣に考えていた。何かひとつを選ばなければいけないとも思っていた。でも、気付いたんだ。ルルーシュと一緒にいられるなら僕たちの関係はなんでもいい。どんな形であれ、僕は僕でルルーシュはルルーシュだって。だからさ、今あるたくさんの関係の中にもうひとつ加わっても、それはそれで問題ないんだと思うようになった」
確かに、自分たちの関係はひとつでは言い表せない。
幼馴染で、誰よりも大切な親友で、家族ぐるみの付き合いをしているからまるで兄弟みたいで、誰にも打ち明けられない秘密の恋人で。
そのどれかひとつを選ぼうとは思わない。すべてひっくるめて自分とスザクの関係なのだ。
ふいに足が止まり、スザクがこちらを向く。どうしたのかと問う代わりにルルーシュは小さく首を傾げた。
「今すぐにとは言わないよ。でも、大学を出たらお互い就職して離れ離れになっちゃうだろうから、できれば卒業に合わせる形がいいかな。あっ、就職先はできればあまり遠くないところだと嬉しいんだけど」
「なんの話だ?」
「つまり、僕と結婚してくれませんかってこと」
ルルーシュはぽかんとスザクの顔を見つめた。
結婚とはあの結婚のことだろうか。自分が知っている結婚以外に何か意味があるのだろうか。それともこれは何かの冗談か。今日はエイプリルフールではなかったはずだが。
数秒の間にいろんな可能性を考えてみたものの、明確な答えは出てこない。表面上は冷静に、しかし頭の中は混乱したまままばたきをすると、スザクが可笑しそうに笑った。
「結婚は君の知っている意味の結婚だし、冗談を言っているわけでもないよ」
「あ、ああ……」
まるで心の声を読んだように説明されるけれど、だったらなぜとまた別の疑問が浮かぶ。
「もちろん、今の日本の法律では男同士で結婚できないって知ってるよ。きっと誰からも祝福してもらえないだろうし、大っぴらに言うつもりもない。家族に話すかどうかはこれからの問題で今すぐ結論は出せないし。でも、神様の前でお互いに誓うことはできると思うんだ。便宜上、結婚という言葉を使うけど、要は死ぬまで一緒にいようって意味だよ」
死ぬまで一緒。その言葉に、夏祭りでの会話を思い出す。
永遠とは言わない。来世も約束しない。ただ、命が尽きるそのときまで一緒にいようと、花火を待っているときに伝えられた。
それをちゃんと形にしたいから、スザクはあえて結婚という言葉を使ったのだと理解する。
「駄目かな?」
窺うような視線と共に問われ、ルルーシュは躊躇うことなく首を横に振った。
「――ダメじゃない。俺も、お前とずっと一緒にいたい。世間的には認められなくても、誰かに後ろ指を指されても、そのせいで家族と別れなければならなくなったとしても、それでも俺は、スザクと一緒がいい」
スザクが微かに目を瞠り、そして泣き笑いのような顔をした。
「ルルーシュってカッコイイね」
「今ごろ気付いたのか」
「ううん、知ってた」
手を伸ばし、スザクの頬を拭う。涙は落ちていなかったけれど、そうしてやらなければいけないような気がした。
「お前が嫌だと言うまで一緒にいるから覚悟しておけよ」
「残念。それこそ死ぬまでルルーシュのことを離すつもりはないから、ルルーシュのほうこそしっかり覚悟しておいてね」
やけに挑発的なプロポーズにお互い吹き出し、そのまま引き寄せられるように顔が近付く。が、ここは住宅街のど真ん中だということを思い出して慌ててスザクの胸を押した。
「ねえ、今日はルルーシュの家に泊まらせて?」
耳元で囁く声は欲を孕んでいて、痺れのようなものが背筋を走る。だけど、声に出して答えるのは恥ずかしいから、精一杯の気持ちを込めて小さく頷いた。
嬉しそうに笑ったスザクに手を引かれる。
自宅までの残り数メートルがやけに遠く感じたのは、このあとの時間に期待を抱いて気持ちが急いていたからかもしれない。
* * *
腰をまろく撫でる手の感触に落ちていた意識が浮かび上がる。
窓から見えるのは仄かに明るい空で、縺れるようにベッドに倒れ込んだときはまだ月が明るかったはずなのにとぼんやり思った。
「ごめん、無理しすぎた」
「……謝らなくていい」
子どもをあやすように背中をゆっくり撫でられる。
体の奥にはまだスザクが残っているような感覚があって、形を覚えてしまうほど彼のものを銜え込んでいたのかと思うと今さらながらに羞恥に襲われた。数え切れないくらい体を繋げているのに、冷静になるとどうしても居た堪れなくなる。
そんな心情に気付いているのかいないのか、額にキスを落とすとスザクが起き上がった。
「水とタオル持ってくる」
事後に気遣ってくれるのはいつものことで、ルルーシュのほうの負担が大きいから気にしないでと最初のときに言われた。その言葉に甘えてうとうとするのが常だけど、今日はスザクがベッドから抜け出る前に手首を掴んで引き留めた。
「ルルーシュ?」
「もう少しだけ……」
要望をはっきり言えず、照れくささに負けて言葉に詰まってしまう。しかしスザクにはちゃんと伝わったようで、だらしなく頬を緩めたかと思えばまたベッドに戻ってぎゅうぎゅうと抱き締められた。
「ルルーシュ可愛い」
「か、かわいくなんか、」
「可愛い。大好き」
「――知ってる」
「愛してるよ」
「俺も……」
顔を寄せられ、唇が合わさった。
ちゅ、と軽く触れるだけのキスは官能を呼び起こすほどの熱さはなく、だけどたまらない幸福感を抱かせるだけの温かさがあった。
手を取って指を絡め取られる。この手を握り返したいと思っていた。この両手で抱き締めたいと思っていた。
もう二度と離したくないと思った。
(それは誰の記憶だろう)
来世なんて信じないと言いながら、自分たちは今とは違う世界で一度出会っていたような感覚に陥る。
いつかの自分は、スザクのことを愛していたのだろうか。愛していると伝えられたのだろうか。こんな風にキスをしたのだろうか。それとも、何ひとつ言葉にできなかったのだろうか。
「スザク」
スザクと一緒にいるととても安心する。隣にいてくれるだけでひどく安堵する。
「好きだ……、スザクのことが、好きだ」
キスの合間に何度も好きを繰り返した。
どんなに心の中で想っていても、言葉にしなければわからない。声に出さなければ伝わらない。
「僕も好きだよ、ルルーシュ」
絡み合った指が解けないように強く握り締める。
薄く瞼を開けば、スザクの後ろに空が見えた。一日の始まりを迎えた空はどこまでも青く澄んでいた。
世界はこんなにも美しい。
今日も昨日も、そして明日も。
(14.10.15)