執着の終着

『今日の夕飯は何がいい?』

 そんなメールが届いたので、ざわめく廊下から外れて人通りのない階段の踊り場まで移動した。キーを操作して返信する。

『ルルーシュの愛情たっぷりのお鍋』

 するとすぐに返事が来た。

『買い物をして帰るから少し遅くなる』

 愛情の部分にはあえて触れないのが彼らしい。今頃、きっと携帯の前で「馬鹿」と悪態を吐いていることだろう。
 その表情を想像してスザクは頬を緩めた。

『了解。楽しみにしてる』

 それだけを返すと携帯を制服のポケットに仕舞い、教室へと戻る。
 今日の夕飯はルルーシュお手製の鍋。そう思うだけで残りの授業の憂鬱さがすべて吹っ飛んでしまったようだ。本当は買い物にもついて行きたいところだけど、そうすればルルーシュが嫌がるとわかっているので我慢した。

「あっ、スザク!先生が探してたぞ!」
「僕?」
「今日は日直だろ。プリントを運んでもらいたいんだって」
「わかった、ありがとう」

 クラスメートに礼を言い、教室ではなく職員室へと方向転換する。その途中で隣のクラスの前を通ったけれど、ドアがぴったり閉ざされていたので中の様子は窺えない。
 今日は登校してからまだ一度もルルーシュの姿を見ていなかった。こんなとき同じクラスならばどんなにいいだろう。
 (家が隣同士で毎日会っているのにクラスまで一緒だったら飽きる、ってルルーシュなら言いそうだな)
 職員室に向かいながら心の中でこっそり笑う。
 ルルーシュ・ランペルージと枢木スザク。同級生たちからも親友と認定されている二人は幼馴染である。いや、幼馴染と言うよりは兄弟に近い関係かもしれない。家が隣同士で親同士の仲も良く、生まれたときから家族ぐるみの付き合いだ。
 どちらの両親も仕事で忙しく、子どもの頃から当たり前のようにいつも二人で過ごしていた。
 小学校も中学校も高校も一緒で、登下校も毎日一緒。やがて、帰りの遅い両親の代わりにルルーシュが食事を作るようになり、それをどちらかの家で食べることが日常になっていた。そのせいかルルーシュの料理の腕はどんどん上達し、凝り性なところも加わって今では主婦顔負けだ。店を開いてやっていけると言っても過言ではない。
 両親の帰りが早いときは母親が作ってくれるけれど、ルルーシュの作ってくれる食事のほうが嬉しいとは口が裂けても明かせない本音である。
 そういう事情があるので、先ほどのようにルルーシュが夕飯の献立を聞いてくることもよくあった。教室に来て直接尋ねないのは、その会話を同級生に聞かれることが恥ずかしいからだと以前言っていた。
 (夫婦扱いされているからって気にすることはないのにな)
 仲が良すぎて夫婦みたいだというのはもちろん友達の冗談だが、お互いの癖も性格も何もかも知り尽くしているのであながち間違ってはいない。
 しかし、そんな冗談を言われていたら女子が引くだろうとルルーシュが気にしてしまい、以来、学校では過度な接触をしてこなくなった。教室を行き来するのも禁止と言われてしまい、そのため一日中顔を合わせない事態に陥っていた。
 (余計なことを言ってくれたよなぁ。でもルルーシュも気にしすぎなんだ)
 女の子に引かれたって気にしない。むしろそれで敵が減ってくれれば万々歳なのに、ルルーシュはこちらの気持ちなどまったく気付いていないのだ。
 (頭はいいのにどうして鈍感なんだろう)
 だから僕の気持ちにも気付かないんだ、と心の中で愚痴を呟く。
 (こんなに好きなのに)
 スザクはルルーシュが好きだ。もちろん幼馴染としても好きだけど、それ以上に愛していた。恋愛の意味で好きなのだ。
 この気持ちがいつから自分の中にあるのかはわからない。兄弟のように過ごしているうちにいつしか好きの意味が変わっていたとしか言いようがない。
 これは幼馴染に対して抱く気持ちではないのだろう。そもそも自分たちは男同士だ。もし好きだと告白したらルルーシュはショックで倒れてしまうかもしれない。友達としても幼馴染としても縁を切られ、二度と彼の食事を口に出来なくなるかもしれない。
 それでも自分はルルーシュを――。

「枢木君!」

 階段を下りている途中で呼び止められ、スザクの思考は中断された。一体誰が、と思って振り返れば同じクラスの女子が立っていた。少し息が切れているのは走って追いかけてきたからだろうか。

「何?もしかして君も先生から何か言われた?」
「そうじゃないんだけど……」

 もじもじと言いにくそうにしていた彼女は、スザクのいる位置まで階段を下りると恥ずかしそうに視線を俯かせた。

「お願いがあるの」
「僕に?」
「うん。今日の放課後、少しだけ時間をくれないかな?」

 可愛い女の子だ。クラスでも人気があり、彼女を狙っている男子は少なくない。でもスザクの中で特に印象は残っていなかった。それは彼女だけでなくほかの子に対しても同じだった。

「悪いけど、今日は予定があるんだ」
「え……じゃあ明日は、」
「ごめん、明日も明後日も先約があるから君との時間は取れない。ごめんね」

 彼女はまだ何か言いたそうな雰囲気だったけれど、何も気付かなかったふりをして背を向けた。
 告白か、告白に近いものを告げたかったのだろうということには気付いた。しかし自分はルルーシュが好きなのだ。ルルーシュ以外に好かれても意味はないし告白されても迷惑だ。
 こんなことを言ったら酷い男だと非難されるかもしれないけれどどうでもいい。
 自分にはルルーシュだけなのだから。
 (これで諦めてくれればラッキーなんだけどな)
 彼女もこんなに酷い相手はさっさと諦めてもっと誠実な男子を好きになればいいのに。そう伝えたら余計なお世話だと言われるだろうか。
 (でも僕はルルーシュが好きだし、ルルーシュしか欲しくない)
 だからルルーシュにも早く気付いてもらいたい。好きという言葉では言い表せないくらい愛していることを。
 階段の最後の一段を下りる。窓から陽が差し込み、普段ならあまり近付きたくない職員室前の廊下だというのに綺麗に見えた。
 まるで恋している自分を世界が祝福しているみたいだ。そんなメルヘンチックで都合の良いことを考えながら歩を進める。
 自分は強欲な人間なのだ。幼馴染の顔のまま付き合い続けるなんて不可能で、ルルーシュを困らせるとわかっていてもいつか告白してしまうに違いない。
 (覚悟しておいてよ、ルルーシュ)
 密かに宣言をし、口許に笑みを浮かべた。頭の中にはルルーシュと、そして今日の夕飯のこと。
 早く授業が終わればいいと不謹慎なことを考えながら、スザクは職員室のドアを開けた。

* * * * *

 (何が愛情たっぷりのお鍋だ。人の気も知らないで)
 携帯を閉じようとしたタイミングで再び新着メールが届く。『楽しみにしている』という返信に自然と溜め息が漏れた。
 過度な接触を禁止したのは自分だ。だから学校帰りに二人で寄り道をする機会も最近は減った。すべては自業自得。
 なのに、自分も買い物に付き合うとかどこかに行かないかという申し出がないことにいちいちガッカリして腹を立てて虚しくなって、最終的には自己嫌悪に陥ってしまう。
 幼馴染のスザクとは子どもの頃からいつでもどこでも一緒で、まるで本当の兄弟みたいだと大人たちに微笑ましく見守られながら育った。だからそれが当たり前なのだと思っていた。
 自分たちが特別に距離が近いと気付いたのは、夫婦みたいだと友達に指摘されたときである。
 彼は冗談で言ったのだろうし、実際にその話題は笑って終わったから気にするような出来事ではない。
 でも、自分とスザクがそんな風に思われていたことは事実であり、中には悪意を持って見ている人間もいるかもしれない。自分は構わないけれど、スザクに害が及ぶのは避けなければならない。
 そう考えて以来、学校では無暗に接触することを禁止した。夕飯の献立を直接聞くなんてもってのほかで、だから隣のクラスにいるのにメールで会話をするという面倒くさいことをしているのだ。
 (俺がなんのために毎日食事を用意しているのか、スザクは考えたこともないんだろうな)
 自ら決めたこととは言え、学校でスザクと言葉を交わさなくなったのは寂しい。だけど、その判断は正しかったと今になって思う。
 (幼馴染で、しかも同じ男の俺に好かれていると気付かれる前で良かった)
 どうしてこんなことになったのか自分でもわからない。ただ、夫婦と言われて初めて、自分がスザクを好きなのだと知った。物心付くころから、いや、もしかしたら生まれたときから好きだったのかもしれないと思えるほどに好きなのだ。
 兄弟みたいに過ごしてきた親友が特別な気持ちを抱いていると知ったらスザクはきっと離れてしまう。好きだと伝えて今の関係を壊すわけにはいかないから、自分の気持ちを必死に押さえ付けなければならなかった。
 しかし、何も知らないスザクはぐいぐい踏み込んでくる。自分と同じ意味で好きなのではないかと勘違いしそうになり、彼の愛情はあくまで幼馴染に対するものだと思い直して傷付くという不毛なことを繰り返していた。
 (スザクはもてるからそのうち彼女も出来るだろうし、幼馴染だからって紹介してくるかもしれない。俺は平気な顔をして笑えるのだろうか……)
 来てほしくない未来を浮かべて落ち込む。馬鹿だとわかっているけれど、進むことも戻ることも出来ない感情はどうしようもない。

「ルルーシュ、ちょっと助けてくれよ」
「またか。今度はなんだリヴァル」
「次の数学でどうしても解けない問題があるんだよ」
「なんでさっき一緒に聞いてこなかったんだ」

 呆れた顔をしてみせれば、友人のリヴァルが顔の前で両手を合わせた。

「さっきはさっき!な、頼むから!学校帰りにジュースでも奢るからさ」
「今日の帰りはスーパーに寄らなければいけないから別にいい。あと三分で休み時間が終わるぞ、どの問題だ」
「ルルーシュって本当に主婦だよなー。前に食べさせてもらったときもめちゃくちゃ美味かったし、毎日食べられるスザクが羨ましいよ」

 スザクの名前にぴくりと指先が動く。しかし、「馬鹿なことを言うな」と一蹴すると誤魔化すようにテキストを覗き込んだ。
 他人の口から名前が出てくるだけでも反応してしまう自分は本当にどうしようもない。
 でも、好きなのだ。
 どうしようもないくらいスザクのことが好きなのだ。
 (スザクしか欲しくない。スザク以外の人間はいらない)
 だから早く気付いてもらいたい。自分がこんなにもスザクを愛しているということを。
 自ら告白する勇気はなく、未来の彼女に怯えるだけのくせに、スザクから気持ちを求めるなんておこがましいだろう。いつかこの気持ちが叶えばいいと少女のように心のどこかで期待する自分は、本当は狡くてとても強欲だ。
 (そうでなければ、幼馴染だとしても毎日手料理を振る舞ったりしない)
 胃袋を掴む方法が男同士でも通用するのかどうかはわからないが、少なくとも餌付けには成功していると思う。
 今以上に特別な存在になれれば、たとえ恋人が出来たとしてもスザクの中に自分の居場所は残るかもしれない。願ったのはささやかな、しかし明らかな執着。

「ん?何かいいことあったか?」
「いいや」

 ルルーシュは口許に浮かんでいた笑みを消した。
 ぎりぎりで問題を解き終えたリヴァルが礼を告げて自席に戻る。チャイムが鳴り、教師が教室に入って来ると生徒たちのざわめきも収まった。
 授業が始まり、しんとした空気の中で考えるのは夕飯の献立とスザクのこと。
 スザクに会いたい。
 自分の作ったものを食べて美味しいと言ってくれる顔が見たい。
 だから早く授業が終わればいいと思いながら、ルルーシュは手元のテキストを開いた。
 (12.1.15)