「スザ――」
ク、と最後まで呼ぶ前に口を閉じた。
今日はスザクが久々に休みで、朝からクラブハウスを訪ねてくれていた。
黒の騎士団が大人しくしているおかげかな、と冗談っぽく言った彼に罪悪感が生まれたのはほんの一瞬だ。
朝食は一緒に食べようと言っていたから、ナナリーを交えて三人で食事にし、そのあとはルルーシュの部屋で今度の試験の勉強をすることとなった。
スザクは頭が悪いわけではないのだが、軍で授業を欠席することが多く、その分ほかの生徒よりも不利なのだ。と言ったら、「学校に行っているのになんでルルーシュは出席日数ギリギリなんだよ」と咎められてしまったので、それ以上は黙っておいた。
今は技術部で危ないことはないと聞いているけれど、いつまた前線に行かされるかわからない。ブリタニアにとってイレブンはいくら死んでも構わない駒なのだ。
早くブリタニアを倒し、ナナリーとスザクが安心して暮らせる世界を作らなければ。そんな決意を心の奥に隠し、ルルーシュはスザクとの勉強を始めた。
途中、昼食を挟んでまた自室にこもる。これが終わったらナナリーとお茶にしようと言い、先に終わらせたルルーシュは準備のために少し部屋を離れていた。
時間にすれば二十分程度だ。そうして戻ってみると、ソファの上でスザクが寝ていた。
珍しい光景だなと、足音を立てないようこっそり近付く。教科書を覗いてみると、一応本日のノルマは達成しているようだ。
待ちくたびれたのか、実は疲れが溜まっていたのか、いずれにしろ気持ち良さそうな寝息を立てている。
(こうして寝ていると子どもの頃と変わらないな)
いたずら心が湧いてきて、人差し指で頬をつついてみた。スザクは呻いただけで目を覚ます気配はなく、軍人がこれで大丈夫なのかと心配になる。
(それにしても、本当に気持ち良さそうだな)
こっちまで眠くなりそうだと思い、ルルーシュは何気なく視線を動かした。
そして、唇が目に入った。
もしここでキスをしたらどうなるだろう。
ふいに浮かんだのは馬鹿みたいなことだった。そもそも、なぜ男友達にキスをする必要があるのだ。
だけど、焦燥とも衝動ともつかないものに突き動かされ、ルルーシュはソファの前で膝を付いた。スザクの顔を覗き込み、上半身を傾ける。なおも寝息を立てている唇に近付き、それから止まった。
「――馬鹿馬鹿しい」
男同士で何をしているのだ。スザクを好きにでもなったつもりか。
立ち上がって踵を返したタイミングで唸るような声が聞こえた。まさか気付いていたわけじゃないよな、と恐る恐る振り返る。
「あれ? ごめん、寝てたみたい」
「みたいって、ソファで横になっているくせに」
「ごめんごめん、全部解き終わったら疲れちゃって、ちょっと寝転がるだけのつもりだったんだよ」
「はいはい。それよりお茶の準備ができてるぞ。行けるか?」
「うん、もちろん」
スザクに笑みを見せ、ルルーシュは背中を向けた。安堵の息を押し殺して部屋を出る。
(俺は何をしようとしたのだろう)
魔が差したとはこういうことを言うのかもしれない。馬鹿だな、と心の中で呟いた。
スザクが俺のことを好きになるわけがないのに。
***
ドアを開けた途端、熱気と共に「暑い!」という声が部屋の中に入ってきた。
「九月なのになんだこの暑さは! 夏はもう終わったんじゃなかったのか」
「今日は三十度超えだって。でも明日には涼しくなるらしいよ」
「そんなことは知っている」
文句を言いながら靴を脱ぐルルーシュが、押し付けるようにスーパーの袋を渡してきた。それを当たり前に受け取った僕は、玄関の鍵を閉めると先を歩く背中を追った。
「今日は何?」
「ハンバーグ。和風おろしポン酢」
「やったぁ、ハンバーグ!」
「お前が先週からハンバーグハンバーグとうるさかったからな」
「覚えててくれたんだ」
「あれだけうるさければ嫌でも覚える」
くるりと振り返ったルルーシュは呆れたように言うけれど、その表情は柔らかい。僕も笑みを返すと、手伝うよと申し出た。
「お前はレポートを片付けるのが先だ」
「締め切りは来週だから大丈夫だよ」
「とか言って、夏休み前のレポートで締め切りに遅れそうになったのはどこの誰だ」
「あれは電車が遅れて」
「もっと早く提出していれば問題なかったのに、ずるずると先延ばしにするからいけないんだ。レポートが終わるまで夕飯は抜きだからな」
「えーっ!」
「文句を言っている暇があればさっさとやる」
腰に手を当てて説教する姿は教育熱心な母親だ。
お前は取りかかりが遅い、早め早めにやればちゃんとできるのになんでいつもギリギリに試験勉強やレポートを始めるんだ、とガミガミ言うところなんて完全にお母さんである。
しかし、もう大学生なのだ。予習復習をしっかりやりなさいと教えられる小学生ならともかく、大学生になってまで勉強のことでとやかく言われるのは遠慮したい。
ルルーシュの中の僕はいつまで経っても小さな小学生のままなのかな、とこんなときにいつも思う。再会して半年以上経つのに、いまだに子ども扱いされるのは少々不満だ。
(僕だってもう大人の男なんだよ、って言ったらどんな反応するかな)
ルルーシュの反応を想像し、馬鹿にされるか鼻で笑われるのがせいぜいだろうとすぐに想像できた。これはダメだ、とこっそり溜め息をつく。
台所をちらりと見れば、ルルーシュは夕食の支度を始めていた。その後ろ姿を眺めながら、仕方なく僕はレポートに取りかかった。早く終わらせなければ夕飯抜きである。それだけは阻止しようと気合いを入れてキーを打った。
(こうしているとクラブハウスを思い出すな)
あれはもう三百年も前のことなのかと、懐かしいような、そんなに経ったことが信じられないような、不思議な気持ちになった。
そもそも、自分が歴史的有名人である『枢木スザク』の生まれ変わりというのも不思議でたまらない。この狭いワンルームで一緒にいるのがかつてのルルーシュ皇帝とナイトオブゼロの枢木スザクだなんて、誰に言っても信じてもらえないだろう。
三百年前の世界で共に生き、この手で殺したルルーシュが目の前にいる。
そのことを思うと、時折たまらない気分に襲われた。
過去の記憶を取り戻し、あの頃の僕は何を考えていただろうと三百年経って思い返してみた。
愛しさ。憎しみ。切なさ。悲しさ。僕の中にはたくさんの感情があって、それらはすべてルルーシュに向けられていた。
我ながら当時は色々複雑だったと思い出し、じゃあ今の僕はあの頃の感情をどう整理すべきなのかと考えた。なかったことにはできない。でも、魂が一緒というだけで、ほとんど他人の感情だ。何より、あまりにも遠い昔のことで、当時の気持ちを完全に再現することはできない。
考えて考えて、いろんな感情を濾過して最後に残ったのは、『ルルーシュにまた会えて嬉しい』というシンプルなものだった。それでいいじゃないかと思った。三百年前の僕だって、平和でのほほんと成長してきた今の僕にああだこうだと分析されたくないだろう。
事実はひとつ。三百年の時を経て、僕たちは再会したのだ。
この世界でルルーシュと出会ったのはもう十年以上前のことである。当時の彼は『幽霊』だった。正しくは幽霊ではなかったとあとになって知るのだが、出会ったときは幽霊という設定だった。
僕にしか見えない姿で、僕にだけ向けてくれる笑顔で、いつも僕を見守ってくれていた。優しい優しい幽霊だった。
その幽霊の正体が、三百年前に死んだルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだと知ったのは高校生になってからである。同時に、僕が枢木スザクの生まれ変わりであることを思い出した。
僕たちは三百年前にすでに出会っていて、三百年後に再び出会った。
幽霊として現れた理由をルルーシュは「未練」だと言っていた。もう一度、僕とナナリーと三人で普通の日常を過ごしてみたかった。
そんな些細な願いを未練だと言った彼は、僕が十八の誕生日を迎えるときに消えてしまった。今度こそ本当に永遠の別れを迎えたのだと僕は嘆き悲しんだ。
だけど、ルルーシュは再び僕の前に現れてくれた。今度は人間として。
幽霊のルルーシュは彼の未練が形になったもので、本物のルルーシュは僕と同じ世界でずっと生きていたそうだ。
そして、再度の再会を果たしたルルーシュは、今度こそ僕と一緒に生きてくれると言ってくれた。ずっと一緒にいてくれると約束してくれた。僕はたまらなく嬉しかった。
三百年前に叶わなかった望みが、三百年後にようやく叶うことになったのだ。嬉しくないわけがない。
あの春から半年。僕もルルーシュも順調に大学生活を送っている。
一人暮らしのアパートはルルーシュの家とわずか一駅しか離れていない。そのため週末はお互いの家を行き来するのが恒例なのだが、夏休みになった途端、ルルーシュのほうから毎日僕の部屋に来てくれるようになった。
大学生の夏休みは長い。最初の一週間は喜んでいたが、毎日毎日食事を作りに来るルルーシュに、これではお母さんか通いのお手伝いさんみたいなんだけど、とさすがに申し訳なくなってきた。
だから、家に来る回数を減らすか、逆に僕がルルーシュの家に行くからと申し出たのだが、当の本人は「好きでやっているんだから気にするな」と笑うばかりでちっとも聞いてくれない。定期券の範囲内だから電車賃もかかっていないし、食事は俺だって食べるんだからどこで作ろうと同じだ。そう言うばかりで、最後は僕が根負けしてしまった。
そこで、せめて掃除や洗濯は自分でやろうと積極的に取り組むようになったのだが、もしかしたらこれがルルーシュの作戦だったのではないかとふと思った。
休みだからとゴロゴロもダラダラもできなくなったのは確実にルルーシュが原因だ。ルルーシュが来るから掃除は手抜きできないし、ルルーシュが来るから何日も洗濯物を放っておけない。おかげで、一度だけ訪ねてきた母親がきちんと片付いている部屋に驚いたくらいである。
(ま、どっちでもいっか。ルルーシュがうちに来てくれることに変わりはないんだから)
でも、毎日なのはやはり心苦しい。好きでやっているからと言われても、移動の負担はあるし、買い物の荷物だって重い。夏休みが終わったら今度は僕のほうがルルーシュの家に行こうと思いながらレポートの続きを書く。
結局、三時間かかってレポートは完成した。すでに半分以上書いていたとは言え、終わったときにはぐったりしていた。
「やればできるじゃないか」
「どうも……」
僕がレポートをやっている間、ルルーシュも何やら資料を作成していて、そちらはすでに仕上がっているようだ。やっぱりルルーシュと同じ処理速度を求められるのはきつい、とぼやくように思う。
「あー、受験勉強のときより集中した」
「大袈裟だな。明日は休み明けの試験に向けての勉強だからな」
「えっ」
「なんだその顔は」
「いや、だって明日はバイト……」
「バイトに行く前と帰ったあとにできるだろ」
「せっかくの夏休みなんだからもうちょっと遊びたい……」
「遊ぶ前に全部終わらせる」
「はぁい……」
このやり取りは完全に小学生とその母親だ。
勉強が終わるまで遊びに行ってはいけません。そんなセリフをまさか十九歳になって聞くことになるとは。
(ああ、そっか、僕って十九歳なんだ)
何を今さらと自分自身に突っ込む。
今年の七月で僕は十九歳になった。誕生日まで前世と同じなのはなんの因果かわからないが、聞けばルルーシュも十二月生まれらしい。つまり、今のルルーシュは十八歳だ。
(あと三ヶ月でルルーシュも十九歳)
意識した途端、急に感慨深くなった。
三百年前のルルーシュが迎えられなかった十九歳を、三百年後の彼が迎えることになる。やっとルルーシュも十九歳になるのだと思い、ふいに目頭が熱くなるような感覚がした。
何を泣いているのだと鼻を啜り、立ち上がって台所に行く。ルルーシュを手伝って皿を並べながら、これもクラブハウスのときみたいだと懐かしさを覚えた。
今の僕はただの枢木スザクで、過去の枢木スザクとは別物だ。いちいち昔を気にしていたらキリがなかった。
もちろん、あれは大昔のことだからと自分の罪をなかったことにするつもりはないが、今は今で必死になって生きていく必要がある。どう過去と折り合いをつけるかはなかなかの難問で、誰かに相談できる内容ではないだろう。
(ルルーシュはどうしているんだろう)
三百年前のことで話が盛り上がることは一度もない。そもそも、話題にすら上らない。話すのは生まれ変わったあとのことばかりだ。
口にしたくないというより、口にするのが憚られるというのが正しいだろうか。
ゼロレクイエムのあと何があったとか、何が大変だったとか、苦労話や愚痴は話そうと思えばいくらでも話せる。でも、その苦労をルルーシュに伝えたいとは思わなかった。
あれは二人で決めたことであり、すでに終わった過去なのだ。あの頃の話をするのはあの頃の僕たちで、今の僕たちがしても意味はない。
そんなことを考えていたら、前世でルルーシュともっと話したかった、というところに行き着いてしまう。それこそ今ごろ抱いても仕方のない後悔だ。
未練とも悔いとも後悔とも呼べる感情は、僕の前世が枢木スザクである限り、決して消えてなくならないのだろう。だからこそ、やはりどこかで折り合いをつけなければいけないのだ。
「どうした?」
サラダを前に考え込んでいたようで、ルルーシュがひょいと顔を覗き込んできた。うわぁ! と驚けば、失礼だなと眉を寄せられる。
「何か嫌いなものでも入っていたか? お前はなんでも食べられると思って気にしなかったが、もしかして嫌いなものが増えたのか?」
「ううん、なんでも食べるよ。ルルーシュのご飯を残すわけないじゃん。お腹空きすぎてぼーっとしてただけ」
「そんなに空腹なら早くしないとな」
茶碗によそわれたご飯を受け取り、テーブルに持って行く。ハンバーグは狙ったようなタイミングで焼き上がっているし、スープも出来上がったばかりで温かい。こちらの作業スピードから逆算して作っていたみたいで、まさかと思うけれどルルーシュならば有り得そうだ。
「じゃあ食べるか」
「うん、いただきます」
二人で一緒に食事をする時間は何よりも楽しい。
他愛ないことを話し、くだらないことで笑い、何かを気にすることなく同じ時間を過ごす。
三百年前のルルーシュとも、幽霊だったときのルルーシュとも、こんな風に過ごしたことはあるから特別なことではない。
ただ、なんの憂いも悩みもなく過ごせるのは今が初めてだ。何気ない日常を過ごせることが何よりも幸せだと、今だからこそ強く実感した。
食事が終わると二人で一緒に後片付けをし、それが終わるとまたテーブルに戻って話をする。そうこうしているうちに時計の針は夜の九時を越えていた。そろそろルルーシュが帰る時間で、僕は落ち着かなくなった。
あまり遅くなっては迷惑だからと、このくらいの時間になるとルルーシュは帰って行く。
毎日来てもらうのも悪いので僕としては泊まってほしいのだが、ルルーシュは必ず自宅に帰った。ひとりの時間がほしいだろう? と気遣い、迷惑ならば来ないからいつでも言ってくれと笑う。
僕がルルーシュを迷惑に思うはずがないだろと言っても、ルルーシュはやっぱり笑うだけだ。まるで、僕がルルーシュを必要としなくなる日を覚悟するかのように。
そういうところがじれったいと思わなくもない。僕にはルルーシュしかいないし、ルルーシュしかいらないのに、ルルーシュはいつでも僕が手を離せるようにしている。
(ずっと一緒にいてくれるって約束したのに)
あの約束をルルーシュは反故にしないだろう。今度はちゃんと約束を守ると言ってくれたのだから。
でも、微かな不安は残った。目を離したらルルーシュはふらりと消えてしまうのではないか。毎日のように家まで来てくれているのに、ある日突然、姿を消してどこかへ行ってしまうのではないか。そんな不安がいつも付き纏う。
(それともうひとつ、不安と言うか不満と言うか……)
僕、ちゃんと告白したよね? と自問自答したのは一度や二度ではない。
再会したときにルルーシュを好きだと言ったし、ルルーシュも僕を好きだと言ってくれた。しかし今のところ、二人の間で恋人らしいやり取りはない。
さり気なく手を繋いでも、べったりとくっ付いて座っても、思い切って顔を寄せてみても、ルルーシュに意識した様子はない。どうやら過度なスキンシップと判断されているようだ。そうなると僕のほうもなかなか踏み込めず、宙ぶらりんな状態が半年近く続いていた。
(僕が告白したこと自体、忘れているんじゃ)
さすがにそれはないだろうと否定しつつ、ないとは言い切れないと思ってしまうのが僕の弱いところである。
あまりに反応がないから、どうにも手を出しにくい。今となっては再会したときのキスが嘘のようだ。
(もしかして、ルルーシュの中では付き合おうって意味じゃなかったのかもしれない)
一緒にいようとは約束してくれた。でも、恋人として付き合おうとは一言も言わなかった。
あの流れならそういう意味になるのが当然だと思い込んでいたけれど、こんなことならはっきり言葉にしておけば良かったと後悔する。
しかし、改めて気持ちを確認する勇気はなかった。もし、付き合うつもりはないと言われたら僕は立ち直れないだろう。恋に破れて死んでしまう人の気持ちが今ならよくわかる。
こっそり溜め息をついたとき、「じゃあそろそろ帰る」とルルーシュの声がした。心臓が大きく鳴る。
「じゃあ、送るよ」
「男なんだから必要ないっていつも言ってるだろ」
「夜は男でも物騒だよ。いいから、駅まで行くって」
駅までは徒歩で五分だ。ルルーシュと一緒にいられる時間は一分でも一秒でも無駄にしたくない。
二人一緒に部屋を出て、駅に向かって歩く。今日は暑かったけれど、それでも夜になると空気はひんやりしていた。このまま本格的に秋になるのだろうと思ったら、ほんの少し寂しい気がした。
やがて駅の明かりが見えてきた。ちょうど電車が到着したのか、改札からは次々に人が吐き出されていく。
「わざわざすまないな」
「たいしたことじゃないって。それじゃあ、また明日」
僕が「明日」と口にするとき、ルルーシュはいつも嬉しそうな顔をした。ほんの一瞬、じっと観察していなければわからないような微かな表情の変化だ。
もしかしたら、ルルーシュは僕から「明日は来なくていいよ」と言われるのを覚悟しているのかもしれない。だから、また明日も来ていいんだと安堵するような表情を浮かべるのかもしれない。
(そんなこと僕が言うわけないのに)
ルルーシュの姿が改札の向こうに消えるまで僕は手を振り続けた。
電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえ、やがて発車のベルが鳴り、電車が走り出したのを確かめてからようやく駅に背を向ける。
ひとりの夜道は寂しかった。家に戻ってもルルーシュはいないのだと思ったら帰る気が失せそうだ。
(もう後悔はしないって決めたのに、どうして上手くいかないんだろう)
いろんなことがもどかしくて、じれったかった。
***
指定された店は小洒落たイタリアンの店だった。
ひとりじゃ絶対にこんなとこ来ないと思いながら、入口のある地下へと向かう。
高校時代の同窓会をしようと誘われたのは二週間前のことだ。同窓会と言ってもクラスメート全員を集めての大規模なものではなく、仲の良かった数人と久しぶりに会って近況を話すというのが趣旨で、要は単なる食事会である。
受付で友人の名を告げると個室に通された。そこにはすでに全員が集まっていて、その顔触れを見た僕は「おや?」と疑問を浮かべた。
男ばかりが集まると聞いていたのに女子がいる。三対三のテーブルは、さながら合コンのようだ。
しかも、当時仲の良かったメンバーばかりのはずなのに、女子のひとりはほとんど話したことがない。何か手違いがあったのだろうと、さほど気にすることなくテーブルに着いた。
高校時代の話で盛り上がりながら食事をし、会自体は楽しく終わりを迎えた。女子たちが揃ってお手洗いに立ったとき、友人のひとりが僕に耳打ちをした。
「スザク、お前あとでちゃんと送ってやれよ」
「誰を?」
「お前の正面にずっといた子だよ」
「は? 何それ」
すると、もうひとりの友人が慌てた。
「スザクは知らないんだって」
「まじで?」
最初の違和感を思い出し、僕は眉を寄せた。なんとなく察したけれど、友人二人にどういうことかと視線だけで促す。
「あの子さ、高校のときからお前に気があったらしくて、なんとか食事会をセットしてくれないかって頼まれたんだよ」
「だから同窓会だと騙したわけ?」
「ごめん! でも、彼女がいるわけじゃないんだから困らないだろう?」
「困るよ」
「とにかく、帰りだけ送ってくれないか」
「皆で一緒に帰ればいいだろ」
「そういう流れにしちゃったんだよ。頼む!」
二人から手を合わせられ、僕は盛大な溜め息をついた。
彼女はいないけどルルーシュがいる。勝手なことをされても困るし、相手が変な誤解をしたらどう責任を取るつもりなのだ。今後はこういう食事会に誘われても行くまいと密かに決心した。
そのうち女子たちが戻ってきて、彼らの決めた流れ通り、僕は彼女と二人きりで駅まで向かうことになった。相手は頑張って話しかけてくるけれど、すっかり興醒めした僕は適当な相槌しか返さなかった。そんな僕の態度に気付いたのか、彼女もどんどん口数が少なくなる。
無闇に人を傷付けるつもりはないし、申し訳ないという気持ちもあった。
もしルルーシュがいなくて、彼女がほしいと人並みに思っていたら、こんな機会に恵まれたことを感謝していたのだろうか。
僕より背の低い女の子の横顔をちらりと見て、それはないなとすぐさま否定した。ルルーシュに出会わなかった運命はない。だから、ほかの子にうつつを抜かすようなことも決してない。
「あ、あの! スザク君!」
駅までもう少し、というところで彼女が立ち止まった。ちょうど通りかかった公園のど真ん中で、よく見れば周囲はカップルだらけだ。
ここの駅はルルーシュの大学から近く、たまに待ち合わせで利用しているし公園にも立ち寄ったことはあるけれど、夜は恋人の聖地だと知らなかった。道を間違えたなと内心舌打ちをする。
「私ね、高校のときからずっと、スザク君のことが好きだったの。だ、だから、私と付き合ってくれませんか」
ストレートに告白されて僕は目を瞠った。また二人で会おうとか、連絡先を教えてほしいとか、そう言われるのを覚悟していたから、いきなり付き合ってほしいは凄いなと素直に驚く。
同時に、羨ましい、と思った。
まともに話したのは今日が初めてなのに、なんの衒いもなく好きだと言えて、付き合ってくれませんかと告白できる勇気が羨ましい。彼女がそういう性格だからなのか、それとも男女だとそういうものなのか。
(両方、なのかな)
ついでに言うと、前世の記憶なんてものがないから未来だけを真っ直ぐ見ていられるのだろうと思い、そんなことを考えてしまった自分に僕は心の中で嗤った。
達観者にでもなったつもりか。過去の記憶があるというだけで、今の僕はほんの十九年しか生きていない子どもだ。人の真っ直ぐさを揶揄できる大層な身分ではない。
「――ごめん」
彼女がひどく傷付いた顔をしたときはさすがに胸が痛んだ。
「好きな人がいるから君とは付き合えないんだ」
「好きってことは、その子とは付き合ってるわけじゃないんだよね?」
「うん。でも、ずっと好きなんだ。僕はその人しか好きになれないから、君の告白には応えられない。ごめん」
「その子がずっと好きなの? いつから?」
「大昔からだよ」
三百年も前から、とは胸のうちで付け足した。
そっか、と俯いた彼女はしばらく無言だった。泣いているのかもしれない。周囲の視線は気になったし、変な期待を持たせないようあえて放っているのだが、それでも悪いことをしたという気持ちにはなる。
彼女はしばらくして顔を上げた。無理やりではあったけれど、笑っていた。
「ごめんね、急に。でも、スザク君に告白できて、ちゃんと振られてすっきりした。ありがとう」
先に帰るね、と踵を返した彼女は今にも泣き出しそうだった。泣き顔を見せないのが彼女のせめてもの意地なのだろう。
僕は追いかけることなく、その背中を黙って見送った。やがて彼女の姿が駅のほうに消えると、詰めていた息を吐き出す。
告白するのも勇気がいるけれど、告白を断わるのも労力がいる。なんだか疲れた、と何気なく首を回した僕は、ちょうど真横を見てぎくりとした。相手も驚いたようで、その瞳が猫のように丸くなっているのが遠目にもわかった。
「ルルーシュ……」
僕の声が聞こえたはずはないのに、ルルーシュはくるりと背を向けた。そのまま走り去っていく後ろ姿を茫然と見送る。
なんでルルーシュがここにいるのだろうと疑問を抱いたあと、今の告白を見られていたかもしれない可能性に気付いた。慌てて駆け出すが、夜の闇と人ごみに紛れてしまって見失う。
(まさか今ので勘違い……するはずないよね?)
キスの現場を目撃されたのならともかく、女の子と向かい合って話しているだけで何を勘違いするのだと笑おうとした。が、失敗した。
嫌な予感がする。胸の中に鉛が溜まっていって、どんどん重たくなるようだった。
僕の嫌な予感は当たった。
告白を目撃された翌日からルルーシュが家に来なくなった。メールをしても返事がない。電話は留守電になるばかりで繋がらない。
それでも最初の数日は楽観的に考えようとした。ルルーシュだって忙しいのだし、友達の家に頻繁に来ていた今までがおかしいだけで、そのうち連絡が来るだろうとのん気に構えようとした。
だけど、夏休み最後の週を迎えたとき、僕の不安は誤魔化しきれないくらい大きくなっていた。
一人暮らしの家を訪ね、実家に連絡し、ルルーシュが行きそうな場所を片っ端から探した。僕たちが出会うきっかけとなった桜の木も見に行った。でも、ルルーシュはどこにもいなかった。
よくよく考えてみれば、ルルーシュが本気で身を隠そうと思えば僕なんかに探せるわけがないのだ。
その徹底ぶりは彼が皇帝になる直前の潜伏生活で知っていたじゃないかと、繋がらない携帯を見ながらぼんやり思った。
(大学に行って待ち伏せるか……。でも、ルルーシュがどの講義を受けているかわからないし、正門から来るとも限らないし。逆に、前世に関係のある場所はどうだろう。さすがにブリタニアに渡っているってことは――、いや、ルルーシュのことだから絶対にないとは言い切れないな)
ああもう、と頭を抱えてぐしゃぐしゃと髪を乱す。
結局、僕はルルーシュのことを何ひとつわかっていない。わかったつもりになっていたけれど、所詮そういうつもりになっていただけだと思い知った。
(一緒にいてくれるって約束したじゃないか)
今度はルルーシュへの恨み節が出てきて、つくづく駄目な人間だと落ち込んだ。返事はないとわかっているのに何度も携帯を見てしまう。
ルルーシュ、とぽつりと呟いてベッドに頭を凭れさせた。
(考えろ。ルルーシュが行きそうな場所。ゼロをやっていた頃ならともかく、今のルルーシュには大学生としての生活があるんだ。親や大学に無断で姿を消すとは思えないし、それならもっと近場で、ちゃんと家にも帰れる距離で――)
ふと、懐かしい景色が脳裏に浮かんだ。
どうして今まで思い付かなかったのだろうと、僕はショルダーバッグを引っ掴んで急いで家を出た。駅へ向かい、電車に乗り込む。
そこは一度も行ったことのない場所だった。
三百年が過ぎ、当時見ていた景色はどこにも残っていない。感傷を抱くような人も物もどこにもない。
枢木スザクと関わったものは時の流れと共にすべて朽ち果て、たとえ残っていたとしてもその形を大きく変えている。
だから、その場所を訪れたとしても特別な感情がわき起こることはないだろうと思っていた。
(思っていた、けど――)
電車の窓から森の一部が見えてきた。
三百年前に僕がルルーシュを殺し、今は人々の憩いの場所となっている平和の森だ。
記憶を取り戻す前にもここの前は通ったことがあった。でも、中に入って散策しようという気持ちにはならなかった。それは無意識による拒絶だったのかもしれないと今になって思う。
最寄り駅で降りると、平和の森へと真っ直ぐ続く道を進んだ。
人はいなかった。遊び目当てで行くような場所ではないし、観光地や行楽地と呼んでいい場所でもないから、夜になるとこの辺りはしんとしていると聞いたことがある。
近所の人が散歩やランニングをしたり、野外学習で子どもたちが訪れることはあるのだろうが、基本的には静かなところなのだろう。
道には街灯がぽつぽつと立っている程度で、真っ暗ではないものの、ひとりで歩くには少々物騒だ。近くにある高層ビルは夜でも眩しいくらいに明るくて、余計に森の暗さを感じてしまう。
途中途中で案内図を確認し、目当ての場所へ迷わず向かった。やがて水の微かな音が聞こえた。噴水だ。
そこを通り抜けてさらに進めば、ようやく目的地にたどり着いた。
背の高い石碑が中央に鎮座していて、それを囲むようにベンチが置かれている。そのひとつに人影があった。
芝生を踏み締めながら一歩ずつ近付き、石碑をじっと見ている彼の後ろに立つ。
「自分の死に場所をそうやって眺めるのは悪趣味だと思うよ」
ルルーシュは特に反応せず、僕のほうをちらりと見ただけだった。隣に腰かけても逃げたり離れたりということはない。ただ、真っ直ぐ前を見つめていた。
「これは単なる確認だ」
「確認?」
「ああ。俺が罪人だという確認だよ」
遠くから聞こえていた噴水の音が消えた。僕はルルーシュの横顔を見つめた。
「どんなに時が経っても、俺が犯した罪は消えてなくならない」
「だからこうして、君の最期の場所で確認を? まさか、記憶を取り戻してからずっとこんなことしてたの?」
「過去を思い出したということは、まだ許されていないということだろう?」
「そうかな。逆も考えられない? こうして生きているということは、僕たちの罪は償われた証拠なんじゃないかな」
「楽観的だな。俺たちがどれだけのことをしたと思っている。あれだけの罪がたったの三百年で償えるわけがない」
「ルルーシュは難しく考えすぎだよ」
そこで初めてルルーシュの顔が僕のほうを向いた。
「もちろん、生まれ変わったからといって、三百年前をなかったことにはできない。そんなこともあったねなんて軽々しく口にできないこともわかってる。でも、今ここにいる僕たちは、三百年前の僕たちじゃない」
それは同意してくれるだろう? と尋ねればルルーシュは小さく頷いてくれた。
「あのときのやり直しはできないんだ。あのときだけじゃない、今このときだって、間違えたからって時間を戻してなかったことにはできないんだよ。僕たちは今このときの人生を悔いなく生きることしかできない。それともルルーシュは、僕たちが今ここで生きていることは間違っているから、また死ぬべきだって思ってる?」
ルルーシュの返答を待ったのはほんの一秒か二秒だったはずだ。でも、僕には永遠にも近い時間のように感じられた。
もしルルーシュがイエスと答えたら。悪逆皇帝が生まれ変わって普通に生きていくのはおかしいから自分は死ななければいけない、という答えが返ってきたら。
頷くはずはないと思いつつも、僕の心臓は嫌な音を立てていた。
「いいや」
ルルーシュが首を振る。横に。
僕は詰めていた息を吐き出した。安堵で。
「世界のためという大義名分があったとは言え、あのときの俺が自分で自分の人生を終わらせたことに変わりはない」
「違うよ、君を殺したのは――」
「ああ、わかってる。でも、死を望んだのは俺自身だ。だから、今の俺が『ルルーシュ』の記憶を持ったまま生まれ変わったのは、今度こそちゃんと人生をまっとうしろというメッセージでもあるのかなと、それこそ楽観的な考え方ではあるが、そんな風にも思っている」
また噴水の音が耳に届いた。どうやら一定の時間で止まったり動いたりしているようだ。
森の中はとても静かだった。あの日、僕が聞いた人々の歓声も、ルルーシュへの罵声も、ナナリーの慟哭も、三百年経った今は何も聞こえない。
本当にすべては過去になってしまったのだと、今さらながらに実感した。
「罪は忘れず、でも、今の人生も蔑ろにするな。そんな難題を世界から突き付けられたような気分だ」
ぽつりと言って小さく笑ったルルーシュは、だから、と続けた。
「俺はお前と一緒にいる。そう約束したから、約束は破らない。でも――、お前は好きに生きていいんだぞ」
ん? と僕は首を傾げた。不穏なセリフではなかったのに、不穏に聞こえるのは気のせいか。
「どういう意味?」
「お前はもうゼロではないんだから、恋人だって結婚相手だって好きに見つけられるし、自分の望む人生を望むように生きられるんだ」
「え……、待って待って、それってこの間、僕が告白されていたことを指して言ってるの? あの子だったらちゃんと断って」
「知っている。たまたま通りかかって、たまたま見て聞いてしまったから」
「だったら」
お前は――、とルルーシュの声が遮る。
「過去の記憶に引きずられて勘違いしているのかもしれない。俺と出会ったことで間違った方向に行ってしまっただけで、本来ならばもっと別の人との未来があったのかもしれない。だからスザク、お前はちゃんと幸せな人生を生きてほしい。それが俺の――」
たまらない気持ちになってルルーシュを抱き締める。
腕の中でルルーシュが息を呑んだ。強張った体は緊張しているだけなのか、それとも僕を拒絶しているのか、どちらなのかわからない。聞かなければ本当の気持ちなんてわからない。
でも、ルルーシュは嘘つきだから、本音に思われる言葉の裏にきっと本当の思いが隠されているのだ。
「あの頃は――、三百年前の僕は、君に好きだと言えなかった。そんな気持ちを抱くのは間違っているし、許されないし、そもそも伝えられるような状況ではなかったし。でも、今は違うから、はっきり言うよ」
息を吸い込むと、酸素と一緒にルルーシュの匂いも肺に取り込まれた。
「僕はルルーシュが好きだ」
腕に力を込める。絶対に逃がさないという意思表示だ。
「ルルーシュだけが好きなんだ。だから、僕と付き合ってほしい」
「あ……」
動揺したような声が聞こえた。やっぱり付き合っている意識はなかったのかなとこっそり思う。
「桜の木で再会したときも好きって言ったよね。でも、付き合ってとは言わなかった。僕としてはあれが告白だったんだけど、もしかしたらルルーシュは付き合うって意味で捉えてなかったかもと今になって気付いたからちゃんと伝えるよ。僕と付き合って、お願い、ルルーシュ。そして、今度こそ二人で死ぬまで一緒にいよう?」
「だ、だが、俺たちは男同士で」
「今さらその心配? まあ、この時代はだいぶ寛容になってるけどマイノリティであることに変わりはないし、色々と生きにくいこともあるんだろうって覚悟もしてる。でも、僕はルルーシュが好きなんだ」
後ろ髪に手を差し入れ、頭を引き寄せる。僕の片手に収まりそうな小さな頭の中には優秀な頭脳があって、難しいことをたくさん考えている。
ルルーシュが凡庸で、毒にも薬にもならないような人間だったらもっと生きやすかったのだろうか。こんなに苦労することも、苦しむこともなかったのだろうか。
でも、そういうルルーシュならば僕は好きにならなかったに違いない。
頭が良くて自信家で、頑固で、なんだかんだで他人に優しくて、身内に甘くて、ときどきどんくさくて、かっこ良くて、可愛くて、どうしてこんなに面倒な人を好きになってしまったのだろうと思わなくもない。
でも、僕はルルーシュを好きになった。好きになってしまった。
「三百年前のやり直しをしたいわけじゃないよ。今の僕と今の君とで新しい未来を築きたい」
「スザク――」
「悪いけど、ノーは聞いてあげないよ」
息を潜めるようにじっとしていたルルーシュが肩から力を抜き、僕に凭れかかった。
「俺に選択の余地はないのか」
「だってルルーシュ、僕のこと好きだろう?」
「なんだその自信は」
「事実だからね」
呆れたような溜め息が聞こえ、それから笑う気配がした。
もう大丈夫だ。根拠もないのにそう思った。
「俺は過去を言い訳にしていたんだな。今度こそスザクには普通の人生をってそればかりで、お前の気持ちなんか考えていなかった。お前の人生はお前のもので、俺が干渉できるものではないのにな」
この間の告白――、とどこか言いにくそうにルルーシュが呟いた。
「相手の女の子、可愛かったじゃないか」
「え、そう?」
「そうだろう?」
「だってルルーシュに比べたら全然だよ。可愛さと綺麗さでルルーシュに敵う子ってそうそういないよ」
一瞬、間が空いた。絶句したような雰囲気が伝わってくるのは気のせいだろうか。
「それは……俺は喜んでいいのか」
「褒め言葉だよ?」
「いや、褒めてくれているのはわかるんだが、相手の女の子に失礼で素直に喜べないと言うか、男としては複雑と言うか……。まあいい、それは置いといて、ああいう可愛い女の子ならお前とお似合いだし、お前も好みだろうと思って」
「だから、僕とあの子が付き合えばいいと考えた?」
躊躇うような頷きが返ってくる。
「あのさぁ、ルルーシュ」
「お前の言いたいことはわかってる。でも仕方ないだろ、昔からお前は俺のものにならないってのが定番すぎて、今さら好きだと言われても素直に受け取れるわけがないんだ!」
「なんの話?」
「お前は俺の誘いを断り続けたし、ナナリーの騎士にと思っていたらユフィの騎士になるし、何度も何度もそういうことを繰り返していたら、お前は俺のものにならないという状況のほうが普通になってしまって、だから、今みたいなことは逆におかしいくらいで」
なんだか話が変な方向に行っている。
ゼロの誘いを断ったのは当時の僕なら当然のことで、そもそもゼロの正体がルルーシュだと知らなかったわけだし、ナナリーの騎士の件だってだいぶあとになってルルーシュから打ち明けられたのだから、まるで僕がルルーシュを振り続けたみたいな言い方は心外である。
(それに、僕はルルーシュに相応しくないって思い続けていたから)
素直に好きだと伝えられていたら。ルルーシュも素直に僕のことを求めてくれていたら。あのときの未来は少しは変わっていたのかもしれない。意味のない『もしも』を考え、心の中ですぐに打ち消した。
ああすれば良かった、こうすれば良かったという後悔は無意味だ。過去を踏まえた上で現実にどう向き合うか、そうやって前に進むことしか僕たちにはできないのだ。
(ああ、だからルルーシュは――)
毎日、家に来ておきながら、いつでもその習慣をやめる準備をしていた。
もう来なくていいよと僕に拒絶されたとしても、僕に恋人ができたとしても、やっぱりなと諦めて納得できるようにあらかじめ予防線を張っていたのだ。それは、過去を踏まえた上での対処法だった。
もう二度と、ルルーシュ自身が傷付かないように。
(僕は君のことがこんなに好きなのに)
綺麗な顔に手を伸ばし、頬に触れる。ルルーシュは不思議そうな表情を浮かべていた。
「ルルーシュ、僕は君を追い返したりしないよ」
「何を――」
「家にもう来なくていいなんて、僕はそんなこと言わない」
ルルーシュの頬が微かに強張った。正解か、と胸のうちで呟く。当たってもあまり嬉しくないクイズだ。
「いつ僕に彼女ができてもいいように、いつでも身を引けるようにしていたんだろ?」
「そ、そんなことは」
「一緒にいてくれるって約束したじゃないか」
何かを言いかけたルルーシュは、一旦唇を結んでから「そうだな」と小さな声を出した。
「一応、言っておくと、お前から離れるつもりはまったくなかった。お前が望むならずっと傍にいるつもりだった。これは本当だ。ただ、お前が俺を必要としなくなれば身を引こうって、そう決めていた」
「お願いだからそういうことはひとりで勝手に決めないで。ルルーシュがいなくなったら本気で泣くから」
「泣かれるのは困るな」
「反省してる?」
「ああ、してる」
頬に触れたままの手にルルーシュの手が重なり、ぎゅっと握られた。
「――好きだよ。俺も、スザクが好きだ」
半年前にも聞かせてくれた言葉を改めて伝えられ、嬉しさに泣き出したいような気持ちが込み上げる。
「あのさ、ルルーシュ」
「ん?」
「キスしてもいい?」
ルルーシュがぱちくりと瞬きをした。それから、綺麗に笑ってくれた。
視線を合わせたまま唇を重ねる。ただ触れるだけのキスだ。でも、嬉しくてたまらない。
「ついでにもうひとつ、お願いいいかな?」
「なんだ」
「いつかルルーシュのこと抱いていい?」
「だ……っ、ば、馬鹿か! 外でそういうことを言うな!」
外でキスをしたことはいいのだろうか。今になって真っ赤になっているルルーシュは、先ほどまでの深刻な話が嘘のように可愛かった。
キスのときは照れるのを我慢していたのか、それともルルーシュもキスしたがっていたのか。後者だったらいいなと笑えば、締まりのない顔をするなと叱られた。
「ちゃんと言葉にしておかないとルルーシュは勝手に思い込んで勝手に変なこと決めちゃうだろ? だから、大切なことはひとつひとつ聞いていくから。そういうわけで、いつかエッチしようね」
「エッ……っ」
薄暗い中でもルルーシュが耳まで真っ赤になっているのがわかる。愛しさで胸がいっぱいになりそうだ。
「今日明日の話じゃないから安心して」
「当たり前だ!」
すっかりいつもの調子を取り戻したルルーシュに、僕はもう一度軽くキスをした。途端に静かになるのは面白く、本当に可愛いなぁと思いながらルルーシュの前に立った。
「帰ろう?」
「――ああ」
その両手を引っ張れば、ルルーシュは素直に立ってくれた。
夜の道を二人で一緒に歩く。誰も見ていないとわかっているからか、繋いだ手を振り払われることはなかった。
「やはり夜になると少し冷えるな」
「昼間はあんなに暑かったのにね」
「今年の夏も終わるんだな」
夏の終わりは寂しくてどこか切ない。それは、僕たちの最初の別れが夏だったせいだろうか。
あの夏も、今年の夏も、もう二度と戻ってこない。永遠に同じ時はやってこない。
(だから前に進むんだ。ルルーシュと一緒に)
その夜はルルーシュを僕の部屋に泊まらせ、同じベッドで抱き締めながら眠った。
彼がここに泊まるのは初めてのことで、「俺は床でいい」とか「暑いし狭いし息苦しいからとにかく離れろ!」とかぎゃあぎゃあ言っていたのだが、なだめすかしてなんとか大人しくなってくれた。
ルルーシュが過剰なくらい嫌がっていたのは、エッチしようという一言が頭の片隅に残っていたからかもしれない。
だから、何もしないよというポーズのため、僕は先に眠ったふりをした。しばらく固まっていたルルーシュは、僕が寝入っていると判断したのか、ようやく力を抜くと少しだけ僕のほうに体を寄せてくれた。
もっと強く抱き締めたい衝動をこらえ、今はルルーシュが傍にいるだけで充分だと言い聞かせているうちに本当に眠ってしまったようで、次に気付いたときには朝だった。
隣ですでに目を覚ましていたルルーシュは、僕の顔をどこか嬉しそうに見ていた。
「何かいいことあった?」
「いや、なぜだ?」
「顔が嬉しそうだから」
「顔? ああ、それなら――、そうだな、きっといい夢を見たんだ」
「どんな?」
「もう忘れた。でも、いい夢だった」
ふぅんと相槌を返してルルーシュの頬に指の背で触れる。
「今日も泊まって行く?」
「帰る」
「えーっ」
「荷物を何も持って来ていないんだ。このままじゃ大学にも行けない」
それはそうなんだけど、とガッカリしているとルルーシュがくすくす笑った。
「また週末に来るから。それとも、お前がうちに来るか?」
「――行く! 僕がルルーシュのところに行く!」
「じゃあ、今週は俺の家だな」
朝食にしよう、とルルーシュがベッドを下りた。その姿を目で追いかけて僕は頬を緩めた。
ルルーシュがここにいる。
それは何よりの幸せで、僕がずっと望んでいたものだった。
カーテンの隙間からは高く澄んだ朝の青空が覗いていて、この世界は綺麗だと素直に思えた。
***
ドアを開けて部屋の中に入り、そこでルルーシュは立ち止まった。
珍しいものがあるな、と腕を組む。
ソファの上でスザクがうたた寝をしていた。こうして見るとナイトオブゼロの格好もなかなか様になってきたなと満足げに頷き、そっと近付いた。
(起きない。本当に珍しい)
遠征から帰って来たばかりだからなのか、スザクはぴくりともしなかった。ただ穏やかな寝息を立てているだけだ。
こんな光景に覚えがあると記憶の糸を辿り、クラブハウスだと思い出した。
あれはまだ二人がお互いに嘘をついていた時期だ。嘘ばかりだったけれど、その一方で幸せでもあった時期だ。
(随分遠いところに来てしまったな、俺もお前も)
二人の関係性も距離も、何もかもがあの頃と変わってしまった。
でも、胸の中にずっと秘めている想いだけは変わらないのかもしれない。
馬鹿だな、と呟く。真っ先に捨ててしまうべき想いなのに、後生大事にしまって死ぬまで離さないつもりだろうか、俺は。
スザクの髪にそっと触れた。ふわふわの癖っ毛はルルーシュのお気に入りで、ナナリーとスザクの二人が揃っている姿を見るだけで幸せだった。
身をかがめ、寝息を繰り返す唇に顔を近付ける。そのまま触れようとして、やめた。
最後だから一度だけ、というのは柄ではない。
「いつか――、もし本当にお前に会えることがあれば、そのときはまたお前を好きになってもいいか?」
こんなことを言うのも柄ではないな、と思ってルルーシュは口元を緩めた。指の背でスザクの頬に触れれば、さすがに気配に気付いたのか眉間に皺が寄った。
そろそろ起きるかと、何事もなかったかのように執務用の机に向かう。
さて、主の部屋で堂々と居眠りをしていたことについて、我が騎士はどんな言い訳をしてくれるかな。
今度は悪戯っぽく笑い、ルルーシュはスザクの目覚めを待ち侘びた。
(16.09.28)