※『無上の喜びを』の続きです。
十二月のルルーシュ殿下のお誕生日に向け、アリエスでは十月後半から準備が進められる。
一ヶ月以上も前から準備をするのかと騎士になったばかりの頃は驚いたものだが、ほかの皇族に比べるとこれでも遅いらしい。殿下は大人数の集まりを好まないタイプなので、招待客はほとんどが身内や知り合いの貴族だ。それでも皇族の誕生日パーティーに違いはなく、料理も飾り付けもすべてに手間と時間がかかっている。十月には妹のナナリー皇女殿下のお誕生日があるため、使用人達は並行して準備に取りかからなければならない。年末年始も控えており、この時期はどの担当も忙しそうだ。
だけど、忙しさを楽しんでいる空気もあった。敬愛するルルーシュ殿下とナナリー皇女殿下の年に一度のお祝いなのだからと、喜んで準備を行っている。そういうアリエスの空気が僕はとても好きだった。
僕自身、殿下の誕生日となると気合いの入り方が違う。国を挙げての祭事やニューイヤーのお祝いよりも大事かもしれない。ブリタニアで敬うべきは皇帝陛下だが、専任騎士にとっての唯一は主である皇族。主ひとりを大切にできるのは専任騎士の特権とも言えた。
そういうわけで、十一月は殿下のお誕生日を準備するための月であり、僕にとっては楽しい月でもあるのだが、隣の殿下は盛大な溜め息をついていた。どうやら今年の十一月は殿下にとって嬉しくない月らしい。
「今週もパーティー、来週もパーティー、再来週もパーティーだ。いい加減にしてくれ」
後部座席にもたれかかったルルーシュ殿下がげっそりとした声で零す。仕方がありませんよ、と僕は苦笑いを浮かべた。
「主催が別の方々なのですから」
「だからってなぜシュナイゼル兄上とコーネリア姉上とクロヴィス兄上の三人が順番にパーティーを開くんだ。嫌がらせか」
「偶然ですよ。時期がたまたま重なっただけです」
「いつものように理由を付けて欠席したり、早々に帰ったりするわけにはいかないのがさらに厄介だな。シュナイゼル兄上は忙しいからここしか身体が空かないという事情があるのはわかる。コーネリア姉上は戦勝記念のためのパーティーだから時期をずらせと頼むのは無茶というものだ。これもわかる。問題はクロヴィス兄上だ。毎週毎週パーティーを開いているような人だから今日もパーティーをやるのは構わない。勝手にやる分には問題ない。だが、なぜそこに俺を呼ぶ。やはり嫌がらせだ」
「今回はルルーシュ殿下をモデルにされた絵の完成披露も兼ねているのです。仕方ありませんよ」
「あまりにしつこいからとモデルになったのが運の尽きか……」
うんざりした様子の殿下がもう一度溜め息を零した。
「俺の誕生日パーティーには来てもらうわけだし、その礼だと考えれば我慢するしかないか」
「クロヴィス殿下はルルーシュ殿下を自慢したいのですよ。たまにはお兄様に甘えてもよろしいのでは?」
「そういう冗談はつまらないぞ、スザク」
ぷいっと背けられた横顔に頬を緩める。絵のモデルをしつこく頼んでくるクロヴィス殿下に対し、ルルーシュ殿下の態度は素っ気ないの一言だ。
しかし、よほど兄を嫌っているのかと思いきや、チェスの勝負にはよく付き合っている。その際も「兄上は弱いですね。弱いのによく俺と勝負しようなんて考えますね」と辛辣なのだが、クロヴィス殿下はつれない弟にめげることなく楽しそうに勝負を挑んできた。兄のそういうところが嫌いではないのだろう。クロヴィス殿下が来訪するたび、またかと面倒くさそうにしながらもルルーシュ殿下は拒まなかった。
性格やタイプがまったく異なる兄は鬱陶しい。だけど、自分とはタイプが違うからこそ面白い。殿下の心境としてはそんなところなのかもしれない。
やがて車が目的地に到着し、玄関ホールで殿下のマントを受け取る。それを会場の担当者に預け、階段を上がっていく主に付き従った。
「ルルーシュ!」
ホールの扉が開くや否や、クロヴィス殿下が飛び出してきた。普段は上品で、いかにも皇族らしい振る舞いをするクロヴィス殿下が人前で子供のようにはしゃぐ姿は珍しく、ホールにいた貴族達は目を丸くしている。
「遅いじゃないか、待ちくたびれたよ」
「時間ぴったりですが」
「今日は君が主役なんだ。主役が来ないと始まらないからそわそわしていたんだよ」
「主役は兄上でしょう。私を勝手に主役にしないでください」
「さあさあ、今夜はゆっくり語り合おう。その前に絵のお披露目をしなければいけないね。ぜひともルルーシュが紹介してくれないかな」
「遠慮します。余計な真似をしたら帰りますからね」
ルルーシュ殿下の返しは今日も淡々としている。それでも楽しそうに話しかけるクロヴィス殿下は、弟のことが可愛くてたまらないらしい。素っ気ない態度を取っているルルーシュ殿下も、その横顔は決して不機嫌ではなかった。やはり兄のことは嫌いではないのだろう。
「まあ、ルルーシュ殿下よ。パーティーにいらっしゃるのは珍しい」
「クロヴィス殿下がお呼びになったのよ。今日の絵だってルルーシュ殿下をモデルにされたんでしょう? 弟君がお気に入りなのね」
「それにしてもルルーシュ殿下のあのお美しさ。クロヴィス殿下も華のある方ですけど、ルルーシュ殿下はまた違った華があって素晴らしいわ」
ホールの真ん中を歩いていると、ひそひそ交わされる貴族達の会話が耳に入る。ルルーシュ殿下はあまりこういう場に出席しないので、その綺麗な顔立ちや兄弟の仲の良さに驚いている声も多い。中には日本人騎士に対する評価もあるけれど、それよりも殿下の美しさのほうに目を奪われている者がほとんどだった。
「諸君、本日は私とルルーシュのために集まってくれてありがとう」
前方中央に立ったクロヴィス殿下が挨拶を始める。自分の名前を出された瞬間、ルルーシュ殿下の頬がわずかに引き攣った。なんでわざわざ名前を出すのだ、と咎めるように兄のほうを見ている。ほかの出席者は殿下の視線の意味にまったく気付いていないだろう。しかし、僕から見ると明らかで、これはあとでまた文句が出てきそうだなとこっそり苦笑いした。
その後、本日のメインであるクロヴィス殿下の絵がお披露目となり、ルルーシュ殿下をモデルにした一枚のほかにも複数の作品が並んだ。絵はあまり詳しくないけれど、優しい色合いは見ていて胸が温かくなる。特にルルーシュ殿下を描いたものは、クロヴィス殿下の弟を思う気持ちが込められているようだ。
ルルーシュ殿下は腕を組み、自分がモデルとなった絵を不機嫌そうに眺めていた。その目元からは気恥ずかしさが感じられて、それだけでこの絵を気に入ったのだなと察する。
「素晴らしい絵ですね」
「モデルはともかく、兄上の絵の才能だけは認める」
「モデルが良かったおかげもあるのでは?」
「馬鹿を言うな」
ルルーシュ殿下はすぐに背を向けてしまった。それは照れ隠しにしか見えず、僕は口元を緩めてあとを追う。戻ってきた弟をクロヴィス殿下がにこにこと出迎える。
「モデルがいいと創作意欲が大いに湧くよ。どうだい、今度また」
「お断りします」
「まだ何も言っていないじゃないか」
「言われなくても兄上の考えそうなことはわかります」
「なるほど、相思相愛というやつだね」
なぜそうなるんですか、とルルーシュ殿下が眉を寄せた。
「ところで、計画を進めている美術館のことで相談があるんだが」
「予算の話なら私ではなくシュナイゼル兄上にしてください」
「お金のことじゃないんだよ。設計や展示に関することでルルーシュのアドバイスをもらいたいんだ。あちらで食事でもしながら話そう」
ぐいぐいと引っ張られ、嫌ですよと気のない返事をするルルーシュ殿下だったけれど、大人しくついて行くので話を聞くつもりはあるらしい。僕も二人を追いかけると、椅子に座らされた殿下が「スザク」と呼んだ。
「兄上の話は長引きそうだ。お前は少し外していいぞ」
「しかし」
「見てのとおり、兄上の周りは護衛だらけだ。この状況で襲おうとする者はいないだろう。今日は絵の鑑賞がメインだからダンスに誘われることはないし、余計なお喋りも断ればいい。せっかくだからお前もゆっくり食事を楽しんでくれ」
「食事には力を入れているからぜひ食べてもらいたいな。良ければあとで感想を聞かせてくれたまえ」
「――ということだ。なんなら外の空気を吸ってきてもいいし、そうだな、一時間以内に戻ってきてくれれば問題ない」
皇族二人にここまで勧められたら断ることはできない。兄弟水入らずで話したいこともあるだろう。目が届く範囲で動けば問題ないかと考え、そういうことでしたら、と僕はしばらく殿下の側を離れることにした。
ここ最近、ルルーシュ殿下を狙う暗殺未遂はほとんど起こっていない。一時期事件が頻発したことで殿下周辺の警戒が強くなり、僕という騎士まで連れてこられたため、相手も様子を窺っているのだろう。
それにルルーシュ殿下は主要な皇族と親交がある。特に帝国宰相が目をかけていることは大きい。シュナイゼル殿下が睨みを利かせているから手出しが出来ないみたいだよ、と教えてくれたのは元上司のロイドさんである。明確な派閥が存在するわけではないが、次期皇帝候補の筆頭である宰相側に属している効果は絶大だ。下手にルルーシュ殿下を狙えばどんな報復をされるかわからないと相手に思わせることは大切で、その間に殿下自身も力を付けられる。
もちろん、宰相が味方だから未来永劫ルルーシュ殿下が安泰だと気を抜くのは危険だった。殿下が政治の場で発言権を持てば当然失脚を狙ってくるだろうし、あまり考えたくない可能性だが、シュナイゼル殿下が敵に回ることだって有り得ることだろう。
不測の事態に備え、何があっても殿下の身を守る。それが僕の役目だ。不穏な事件が減った今だからこそ、僕自身ももっと努力し、誰にも負けない強さを身に付けなければならなかった。
「もしかして枢木卿ですか?」
飲み物を受け取ったところで声をかけられた。隣を見ると、貴族の令嬢と思しき女性がいた。
「ルルーシュ殿下の専任騎士の枢木卿ですよね」
「ええ」
「あなたのお噂はよく聞きますわ。以前もユーロピア戦線で活躍されたとか。私、強い方が好きなので以前から枢木卿のファンなんです」
「それはありがとうございます」
面倒だな、と答えながら思った。どこの令嬢かは知らないが、クロヴィス殿下のパーティーに招待されるということはそれなりの身分だろう。下手なことをすればルルーシュ殿下やクロヴィス殿下の顔に泥を塗る。ルルーシュ殿下のいるテーブルをちらりと窺った。兄弟の周辺には護衛達が常に目を光らせていて抜かりはなさそうだ。この場は外面を良くしておくかと腹をくくり、彼女との会話に付き合うことにした。もっとじっくり話しましょうと誘われ、壁際に連れて行かれる。
「私、この間お見合いをしたんですけど、その方、軍人ではないから私としてはちっとも魅力を感じなくて。その点、枢木卿はしっかり鍛えてらっしゃるんでしょう? 体付きも素晴らしいわ。見た目は細いのに、やっぱり筋肉の付き方がすごいんですね。普段はどうやって鍛えていらっしゃるのかしら。私にだけ教えてくださらない? できればベッドの中で」
僕の腕に抱き付き、躊躇いなく顔と胸を押し付けてくる。ここはいかがわしい社交場ではないんだけど、と溜め息をつきたくなった。
以前、ミレイ様が言っていたように、僕が女性の誘いを断らないというデマが一部で流れているらしい。それを真に受けたのか、ひとりでいるときにこうして誘いをかけてくる女性がいる。当然のことながら出会ったばかりの女性と一夜を共にしたことはなく、すべて丁重にお断りしているのだが、いい加減うんざりしてきた。第一、殿下の名代で出席したパーティーならばともかく、今日はルルーシュ殿下もこの場にいるのだ。主を差し置いて女性と楽しむなんて考えられないのに、この女性はそこに思い至らないのか。あるいは、僕が主の目を盗んで誘いに応じる女好きだと思われているのか。いずれにしろ随分と見くびられたものだ。
「今は任務中ですので」
「だったら任務が終わったあとで」
「申し訳ありませんが、自分は心に決めた方がいますので、今の誘いは聞かなかったことにいたします」
こちらは片付けておきますね、と彼女が持っていたグラスを受け取る。では失礼いたしますと立ち去れば、背後で「何よ! 馬鹿にして!」と声がしたけれど、僕は振り返らなかった。給仕にグラスを返し、もう戻ろうと踵を返す。そこで僕は目を瞠った。
「ルルーシュ殿下、なぜこんな場所に。まさかおひとりですか?」
ひとりで立っている殿下に駆け寄った。すると殿下が腕を掴んできた。
「大丈夫か? 何か問題が起こったのなら私が対応する」
今のを見られていたのかと胸の中で舌打ちする。殿下は壁のほうを見ていて、僕も釣られるように振り返った。皇族に睨まれてはたまらないと思ったのか、先ほどの女性はばつが悪そうにホールを出て行った。
「ああいう手合いがいると耳にしたことはあるが、本当にいるんだな。兄上のパーティーをなんだと思っているのか」
「殿下にご心配をかけて申し訳ございません」
「別に心配はしていない。お前が戻ってこないと私がいつまで経っても帰れないからな。仕方なく声をかけに来ただけだ。邪魔をしたのなら悪かったな」
「邪魔だなんて。殿下のおかげで助かりました」
僕のほうに目を向けた殿下は、戻るぞ、と言って背を向けた。
「それから、アリエスに帰ったらその服はすぐに洗っておけ」
「洗う?」
「化粧汚れはなかなか落ちないらしい」
え? と自分の騎士服を確かめると、腕の辺りにファンデーションと口紅が残っていた。抱き付かれたときかと思い至り、まるでマーキングだなとげんなりする。
「申し訳ありません」
「迂闊だったな。だが、お前さえその気なら行っても良かったんだぞ」
「有り得ません」
「そうは言うが、お前だって――」
殿下が口を閉ざす。続きを待っていると、「ルルーシュ!」と今度はクロヴィス殿下がやって来た。
「急にいなくなるから心配したよ」
「野暮用です。ところで、もう帰ってもいいですか」
「まだ全然話せていないのに!」
「私は明日も学校なんですよ。あまり長居したくはありません」
「だったら週末! 週末なら学校は休みだろう?」
弟の予定をなんとか取り付けようとするクロヴィス殿下に、ルルーシュ殿下ははいはいと適当な返事をする。興味がない素振りを見せつつも、結局は土曜日の予定を了承したのだから素直ではない。
兄との挨拶を終えると、「では帰ろう」とルルーシュ殿下が僕に告げた。はいと答えて、僕は先に歩き出した。
車に向かう間、背後からずっと視線を感じていた。その視線は僕の腕に注がれていて、今すぐこの服を脱ぎたい衝動に駆られる。
こんなものを殿下の目に触れさせてしまったことが情けなく、自分の迂闊さが腹立たしかった。
***
スザクがもてることは知っている。パーティーでも学校でもよく声をかけられているので今さらだ。
しかし、年上の女性が言い寄るところを目撃するのは初めてだった。兄のパーティーでまさかそんな現場を見る羽目になるとは思わず、惨めな気持ちに襲われた。
相手は女性で、当然身体付きも女性特有のものだ。大人のスザクと一緒にいても違和感がない。幸い、スザクは迷惑していた様子だったけれど、もし自分好みの女性だったらどうしていただろう。任務中でなければどこかで二人きりになり、連絡先を交換して後日また会おうと約束していたかもしれない。
(みっともなく嫉妬した)
ペンを持つ手はいつの間にか止まっていた。明日までに招待客へのメッセージを書き終えなければいけないのに、先ほどから作業はちっとも進んでいない。大きな溜め息をついてペンを放り出した。こんな気持ちで書いても相手に失礼なだけだ。
席を立って呼び鈴を押すと、すぐさまスザクが現れた。何かございましたかと尋ねられる。
「お茶にしよう。お前も一緒にどうだ」
「よろしいのですか」
「ああ、もちろんだ」
ではご用意いたしますと笑顔を見せた騎士に、俺の胸は温かくなった。スザクの顔を見ただけで気持ちが晴れるのだから我ながら単純だ。準備のために彼が一旦部屋を出ると、俺はお茶の席を用意する。用意といっても部屋はもともと片付いているので、椅子の角度を直す程度だ。
浮かれている自覚はあった。スザクとは毎日一緒にいるし、お茶だっていつでも好きなときにできるのに、まるでデートをしているような感覚になれるからか。スザクは俺の言葉に従っているだけなのに、それをデートと勘違いできる俺は実におめでたい。
こういうのも職権乱用と言うのだろうかと考えていたら、スザクが使用人を連れて戻ってきた。テーブルの脇にはティーポットやカップが次々と並び、あっという間にお茶の席が出来上がった。
あとは自分でやるからこのままでいいと伝える。お茶を淹れている間に使用人達が出て行き、部屋にはスザクと二人きりになった。
「それは?」
テーブルの上には一口サイズのケーキがいくつも並んでいた。この短時間で作ったとは思えないので、どこかで購入したものだろう。
「マリアンヌ皇妃からのいただきものです。パーティーで口にされたケーキが驚くほど美味しくて、主催者に頼んで取り寄せてもらったそうです」
「ナナリーの分は残してあるのか」
「もちろんです。こちらはルルーシュ殿下の分ですので、ぜひ召し上がってください」
「そういうことならいただこう。お前も遠慮せずに食べろよ」
「はい」
どれにしますかと聞かれたので、任せると答えた。スザクがいくつか見繕って俺の前に皿を置く。どうぞ、と勧められてケーキを口にした。
「いかがですか?」
「確かにこれは美味しいな。店で売っているものなのか?」
「そのようです。アッシュフォードから近い場所にあるそうですよ」
「アッシュフォードの近くか」
「カフェも併設されているので、殿下さえよろしければ今度立ち寄ってみますか?」
それこそまさにデートだと思い、町中をスザクと歩く自分を想像してしまった。俺は何を考えているのだと、慌てて頭から追い払う。しかし、ケーキがこれだけ美味しいのだからカフェのほうも期待できそうだ。ナナリーにお土産を買って帰るのもいいなと予定を組み立てる。
「だったら生徒会がない日にしよう。誕生日前は俺もお前も忙しいから来週か再来週、警護の関係で都合が悪いようならもっと先にしてもいい」
「いいえ、問題ありません。では、手筈を整えてから日程をご相談いたします。どなたかご一緒にお誘いしますか?」
ここは生徒会メンバーも一緒に呼んだほうがいいのかもしれない。だけど、デートという妄想が頭から離れない。スザクは俺の騎士で、今もこうして二人きりで過ごしているのに、カフェに行けるのならばスザクと二人がいいと思ってしまった。
「――お前と二人がいい」
さり気なさを装って答えれば、スザクがふわりと笑った。その顔が嬉しそうに見えたのは、きっと自分に都合良く受け取ったせいだ。
「わかりました。楽しみにしています」
「ああ」
胸が躍るのを感じ、照れ隠しのために紅茶のカップを傾けた。熱くなった頬がスザクに見えていませんようにとこっそり思って。
***
誕生日当日は朝からアリエス中が慌ただしかった。
俺の準備は着替えだけだが、裏方となる使用人達はそうはいかない。会場の飾り付けに料理の手配、それから招待客を出迎えるための最終チェック。前々から準備は進められているものの、招待するのは皇族や貴族ばかりなので粗相がないようにという緊張感もある。
パーティーの表は華やかでも、裏はまさに戦場だ。俺がパーティーの類いを苦手とするのは、大勢の集まりが好きではないからという理由のほかに、裏方達をぞんざいに扱う主催者が腹立たしいからというのもあった。
だからというわけではないが、俺の誕生日パーティーのあとは使用人達になるべく休暇を取ってもらうようにしている。そういうことを思い付いたのは数年前で、まだ中学の年齢だった俺は思い切って母に相談してみた。
皇族は絶対的な権力者だ。その権力者が必要以上にへりくだるのは良くないと兄に諭されたことがあった。
国民と同じ目線になることは大切である。一方で、為政者には為政者の目も必要だ。口で言うのは容易いけれど、バランスを取るのは意外と難しい。だから兄の理屈も理解していたし、皇族としての矜持を常に持っておかなければいけないことも自覚していた。それでも、自分のために働いてくれた人達に感謝を伝えたかった。
俺の希望を母はあっさり認め、ルルーシュがやりたいようになさいと言ってくれた。子供の思い付きなので失敗するかもしれないのに、息子の自主性を重んじてくれたのだろう。
以来、アリエスではクリスマスやニューイヤーと合わせて長期休暇を取る者が増えた。もちろん人手は必要なので、忙しい時期に休暇を取れなかった者は時期をずらして取ってもらっている。そういう試みが果たして喜ばれているのかどうかはわからないが、皆さん休みの計画を楽しそうに話されていますよとスザクに報告され、少しは受け入れられているらしいとほっとしたものだ。
「殿下、そろそろご準備をお願いいたします」
スザクが顔を出し、俺は着替えのために部屋を移動した。誕生日のたびに正装するのは面倒だが、これも仕事のうちである。
「いつも思うんだが、お前達はなぜ楽しそうなんだ」
「何がですか?」
「着替えのときだ。正装するときはみんなやけに気合が入っているように感じる」
使用人はもちろん、俺の着替えを見守っているスザクもどこか楽しそうで、しかも並々ならぬ意欲を感じた。着せ替え人形みたいな感覚なのかと首を傾げる。
「みんな仕事を完璧にこなそうと意気込んでいるだけですよ」
「そういうものか?」
「ええ、そういうものです」
にこにこと笑っているスザクはやはり楽しそうだった。いや、この場合は嬉しそうと言ったほうが正しいか? と思っているうちに時間となった。会場に移動し、俺のための誕生日パーティーが始まる。
人に祝われるというのは面映ゆい。舞台の中央に立つことは慣れているし、これが仕事ならば堂々と振る舞えるのに、誕生日だからと注目されるのはどうにも落ち着かなかった。
親交のある貴族から口々におめでとうと言われ、それにありがとうを返すだけでも忙しい。やはり誕生日は身内だけがいいなとこっそり思いつつ、集まってくれた人々に感謝する。皇族との繋がりを得たいという下心を抱いている者も多いだろうが、俺のためにわざわざ時間を割いてくれたことに変わりはない。
パーティーが中盤となるとようやく椅子に腰を下ろすことができた。何かお飲み物をお持ちしましょうかとスザクに尋ねられ、俺は水を頼んだ。
彼の後ろ姿を目で追っていると、給仕からグラスを受け取ったタイミングで近くにいた女性客とぶつかった。足元の覚束ない女性を咄嗟に支え、密着した状態で何やら会話を交わしている。相手はどうやら気分が悪いらしい。近くにいた使用人に彼女を預けると、スザクは新しいグラスをもらい直してすぐに戻ってきた。どうぞと差し出されたグラスを受け取り、口を付ける。
大した出来事ではない。スザクは具合の悪い女性を助けただけで、あの場に俺がいたら同じことをしただろう。それなのに、俺の胸の中はもやもやとしたもので覆い尽くされた。
誕生日という一年に一度の日につまらない嫉妬をしている。
きっとこの間のパーティーのせいだ。あれ以来、スザクと女性の組み合わせに敏感になっている。馬鹿馬鹿しいと思うのに嫉妬が収まらない。お気に入りのおもちゃを取り上げられて駄々をこねる子供みたいだ。
ここは公の場だと自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えた。心はすっかり冷えていたけれど、顔にはなんとか笑顔を浮かべてみせる。パーティーの締めとして挨拶をし、家族に感謝を伝えると俺の一日は終了した。いつも以上に気を張ったせいか、解放された頃にはすっかり疲れ果てていた。一日がこんなに長かった日はないかもしれない。せっかくの誕生日なのにと思うと気分が落ち込むようだ。
母とナナリーにおやすみを告げ、スザクを伴って自分の部屋に戻る。早く寝てしまいたいと思いながら歩いていたせいだろう。不意に足がもつれた。転びそうになったところをスザクに抱き留められ、大丈夫ですかと心配された。
「平気だ。離せ」
「そういうわけにはいきません。とにかくお部屋に戻りましょう」
騎士の腕に抱きかかえられて部屋に戻る。ソファに座らされた俺は、スザクが離れてしまう前に彼の首に抱き付いた。
「お加減が悪いですか?」
違う、と首を振る。
「でもパーティーの最中からご様子がおかしかったですよね。無理をされたのではないですか」
スザクは気付いていたのか、とぼんやり思う。
いつも俺の側にいて、いつも俺のことを見ていて、俺のことはなんでもわかっているのに、どうして俺の気持ちには気付いてくれないのだろう。
「――どうして俺じゃないんだ」
「え?」
「どうしてほかの人間なんだ。どうして俺では駄目なんだ。俺にはスザクだけなのに」
しがみ付く腕に力を込める。何をしたいのか自分でもわからなかった。こんなことを言ったらスザクを困らせる。スザクに嫌われる。だから一生隠しておかなければと思っていたのに、俺の中の感情が表に出たがっている。
好きなんだ、スザクのことが。
これはいけないことだ。許されないことだ。だけど、俺の口は勝手に声を発していた。
「お前は俺の騎士で、騎士だから仕方なく俺の側にいてくれるだけだと知っているのに、それでもお前が好きなんだ。こんなこと言ったらお前を困らせるとわかっている。俺のこと、気持ち悪いと思うよな。もう側にいたくないよな。嫌なら離れてくれていい。俺の騎士なんか辞めてくれていい。安心しろ、辞めたあとは兄上か姉上のところで働けるようにする、だから」
本当に何を言っているのだろう。ずっと側にいてもらいたかったのに、俺とスザクの関係を俺自身が壊した。スザクはもう二度と俺に笑いかけてくれない。その目は俺を汚らわしいもののように見るだろう。彼に冷たく見下ろされるところを想像してぞっとする。
泣いてしまいそうだった。自業自得なのに勝手に傷付いて勝手に泣いて、俺はなんて馬鹿なのだろう。こんなことでスザクを失ってしまうなんて。
もう一度だけ両手に力を込めてぬくもりを確かめる。それから彼の肩を押し返し、目を伏せた。
スザクの顔は見られなかった。見たくなかった。
「変なことを言って悪かった。もう部屋に戻っていい。この先のことはまた明日相談を――」
続く言葉を飲み込む。
気が付いたらスザクの腕の中にいた。苦しいくらいに掻き抱かれ、息が止まりそうだ。
「申し訳ございません。殿下に言わせてしまって」
「え……?」
「伝えてはいけないと決めたのは自分なのに、そのせいであなたを苦しめてしまった。僕が至らなくて本当に申し訳ありません」
スザクが何を言っているのか、何に対して謝っているのか理解できない。ぽかんとしていると、腕を緩めたスザクが俺の顔を覗き込んだ。目元を優しく拭ってくれる彼は優しく笑っていた。
「騎士を辞めるつもりはありません。僕は生涯あなただけの騎士です」
「っ、今の話を聞いていなかったのか」
何もなかったことにするつもりだろうか。俺の気持ちがスザクにあると知りながら、それを無視して騎士を続けるつもりだろうか。俺はそんなことを望んでいるわけではない。
「ちゃんと聞いていましたよ。だからこそ僕はここに、殿下のお側にいようと改めて決心したのです」
「どういう意味だ」
「僕も殿下をお慕いしているという意味です」
「同情のつもりなら……っ」
「同情なんかで自分の人生を捧げようとは思いませんよ」
「だが、俺は男で……」
「僕だって男です。それでも殿下は僕のことを好きになってくださったのでしょう? 同じことです」
「でも――」
同じ気持ちだと言われてすんなり信じることができない。皇族相手だからと嘘をつき、嫌々従っている可能性がどうしても拭えない。スザクの気持ちは信じたい。騙されているとは思いたくない。だけど、あまりに突然すぎて思考がまとまらなかった。
「ずっと悩んでいたんです。年下の、しかもまだ成人もしていない殿下に想いを寄せることは許されないと。だからこの気持ちは一生隠しておくつもりでした。いつかあなたがほかの誰かを選んだとしても、僕は騎士として祝福するつもりでした。ですが、気持ちを伝えても伝えなくても殿下を傷付けてしまうのならば、僕は騎士を続けられるほうを選びます」
「勝手な言い分だな」
「ええ、僕は勝手なんです。それに、殿下のこととなると余裕がちっともなくなる」
お許しください、と断ってから頬を触られた。ほんの一分前まで絶望の淵にいたので、いきなり世界が変わったような展開に容量オーバーしそうだ。驚けばいいのか、素直に喜べばいいのか、自分の感情をどこに持っていくのが正解なのかわからなかった。
実は夢なのではないかとふと思い、触られていないほうの頬を抓ってみた。痛いと零せば、スザクが吹き出した。
「笑うな」
スザクが肩を揺らしながら「すみません」と言った。今の謝罪はちっとも気持ちがこもっていない。
「僕の気持ちが信じられないようでしたらミレイ様に確かめてください。嘘ではないと証言してくださるはずです」
「ミレイ? なぜだ」
「お恥ずかしいことに、ミレイ様には僕の気持ちがバレバレだったようで」
「なんだと」
「ちなみに、殿下のお気持ちは僕もミレイ様もわかっていました」
「えっ」
まさか全部顔に出ていたのか? と青くなる。ミレイにバレていたことは知っているが、スザクまで把握していたなんて聞いていない。隠していたつもりがすべて筒抜けだったとは、恥ずかしくてたまらないなんてものではなかった。思い切りうろたえていると、スザクの手が俺の手に重なった。
「あなたは僕への感情を勘違いされているのだと思って知らないふりをし続けました。要するに、僕は殿下のお気持ちから逃げたんです。そのくせ、あなたの告白を利用して自分の気持ちを伝えた。僕は卑怯なんですよ」
そんなことはない、と否定する。気持ちに優劣はない。伝えたのは俺が先だっただけで、タイミングが違っていればスザクのほうから伝えられていたかもしれないし、お互い一生隠したままだったかもしれない。
(俺が嫉妬を拗らせて自棄になったのも、ある意味ひとつのタイミングだったわけだ)
スザクの手を握り返すと両手で大事に包まれた。俺の指先を持ち上げ、スザクが唇を押し当てる。愛してますと囁かれた瞬間、全身が甘く満たされた。俺達の気持ちは同じなのだと、ようやく実感できた気がする。
「指以外にはしないのか」
拗ねたような口調になったことが照れくさい。しかし、散々恥ずかしいことを口にしたあとなのだから今さらだと開き直る。
「よろしいのですか?」
「いいに決まっている」
スザクが微笑み、今度は両手で頬を包み込まれた。二人の距離が近くなる。
「愛しています、ルルーシュ殿下」
口元を綻ばせるとスザクの唇が触れた。優しく重ね合わせたキスは甘ったるくて、今にも溶けてしまいそうだった。
「お誕生日おめでとうございます」
「今日一番のプレゼントをもらった気分だな」
「それは光栄です」
再びキスが降ってきて俺は瞼を下ろした。お互いのぬくもりを確かめ合う行為が気持ち良くて夢中になる。ずっとこうしていたいと思ったとき、スザクがおもむろに顔を離した。
不満げな顔になっていたのだろう。濡れた唇を拭われ、もう一度だけ軽く口付けられた。
「これ以上は我慢ができなくなってしまうので」
「これ以上?」
「続きは殿下が大人になられてからにしましょう」
子供扱いされているようでムッとした。怒っても可愛いだけですよと言い、スザクがにこりとする。
皇族とその騎士が恋仲で、しかも男同士だと知られたら大いに騒がれるだろう。だから、これは俺とスザクだけの秘密だ。ミレイにも隠し通さなければと思うけれど、彼女のことだからいつかバレてしまいそうだ。これから先のためにも色々と対策を考えなければならない。
「でもデートはしましょう。来週のカフェは初めてのデートになりますね」
スザクの声が弾んでいるようで、俺も頬を緩めた。妄想のはずだったデートが現実になるなんて、あのときの自分に教えてもきっと信じないだろう。
考えることは山ほどある。だけど今だけは、誕生日という特別な日が終わるまではこの幸せに浸ることを許してほしい。
「――本当はデートのつもりで誘ったんだ」
秘密を打ち明けると、スザクが耳元に顔を寄せた。
「奇遇ですね。実は僕もデートのつもりでお誘いを受けました」
二人で顔を見合わせて笑う。あのときから俺達の気持ちは一緒だったのか。そう考えたら不思議な感じがした。
スザクの手をそっと掴んで握り締める。絡んだ指も掌も温かく、この手がいつまでも離れないでいてくれることを俺は願った。
END
(21.12.05)