好きだと伝えていたら何かが変わっていたのだろうか。
ときどきそんなことを考える。考えても意味のないことだ。
僕達の進むべき道はすでに決まっているし、後戻りも出来ない。今ここでルルーシュに好きだと伝えても僕達のやるべきことは変わらない。だから、それはただの夢想だ。
目の前ではルルーシュがギアス兵にてきぱきと指示を出していた。こうして人の上に立つ彼を見ていると、黒の騎士団のトップだったゼロよりも生徒会副会長として活動していた姿のほうをなぜだか思い出す。
「ルルーシュったら最近人を使うことを覚えたんですって。一体どこで悪さをしているんだか」
生徒会長がそんなことを口にしたのは学園祭からしばらく経った日のことだ。
当時は行政特区の関係で忙しくて生徒会室に顔を出す機会も減っていたけれど、あの日は珍しく僕が参加し、逆にルルーシュは欠席していた。僕が久しぶりに来たということで仕事らしい仕事はせず、お茶をしながら雑談したと記憶している。
会長の言葉を僕は特に気にかけなかった。ルルーシュのことだからどこかの部活のアドバイザーにでもなって指導しているのだろう、ぐらいしか思わなかった。あれはゼロとして黒の騎士団を使っているという意味だったのだと理解したのは、ナイトオブセブンになったあとである。
学園祭だけではない。思い返せば小さな疑問点はいくつもあって、そのすべてがゼロという存在に繋がっていた。点と点はわかりやすいほどはっきりと繋がっていたのに、当時の僕はまったく気が付いていなかった。気付こうとしなかった。それだけ盲目になっていたということで、別の言い方をすれば、それだけルルーシュがゼロであるという現実を受け入れられなかったのだ。
ゼロのやり方が気に入らなかったのもある。結果を重視する彼に昔の自分を見るようで、同族嫌悪の要素もあったのかもしれない。
憎きゼロと、綺麗で高潔なルルーシュが同じなわけがない。だからルルーシュがゼロかもしれないと考えることすら拒絶し、ルルーシュはゼロではないことを証明しようと躍起になっていた。
結果として僕の判断は間違いだった。
僕はルルーシュという一人の人間を真正面から見ようとしなかった。怖かったのだ。何があってもナナリーを守ろうとする慈愛と自己犠牲と崇高な精神を持っていたはずのルルーシュが、ナナリーを見捨てて黒の騎士団の活動に傾倒していく現実を直視することも、僕の中の理想像が崩れてしまうことも怖くてたまらなかった。
ルルーシュがゼロになったのはナナリーのためで、ゼロの行動も目的も何もかもがナナリーのためでしかなかったとのちに知るわけだけど、そんな真相を当時の僕が知る由もなく、ルルーシュとゼロがイコールで結ばれることを無意識のうちに酷く恐れていた。
「待たせたな。それで状況はどうだ?」
ルルーシュの命令を聞き終えたギアス兵達が皇帝の執務室から出て行った。全員の姿が消えたところでルルーシュがくるりと椅子を回す。彼の背後に控えていた僕は一歩前に進んだ。
「怪しい点は一切なかったよ。清廉潔白を絵に描いたような人格者で、神聖ブリタニア帝国と皇帝陛下に身も心も捧げていると普段から公言している。ブリタニア貴族に相応しい立派な人物だ」
「なるほど。噂通りの人物ということか。で、裏は?」
そう尋ねる口元が微かに笑んだ。僕は表情を変えずに淡々と報告を続けた。
「証拠はまったく残していない。取引の使いも自分とは無関係の人間を利用しているから尻尾はそう簡単に掴めそうにないけど、武器を集めていることは確かだ。あの量は自衛の域を超えている」
「証拠を残さない男が屋敷内で武器庫の拡充を行っているのか?」
「いや、屋敷は普通だよ。ほかの貴族と変わらない。ただ、拠点をいくつも持っている。もちろん一見するとそれとはわからないようにしているし、さっきも言ったとおり雇っているのは自分とは無関係の人間だ。彼らはバイト同然で、吐けるほどの情報を持っていない。下請けの下請けのさらに下請けのような感じかな。そういうわけで、拠点を摘発したとしても本当の雇い主に辿り着くのは無理だ。だからそれを逆手にとって諜報部を潜入させた」
「単なるバイトならむしろ潜り込みやすいということか。武器を集めているとの情報を掴めたのなら首尾は上々か」
「でもまだそこまでだ。決定的な証拠がない」
「充分だよ。今回の目的は奴が反乱側として動くかどうかを把握するだけ。計画の詳細まで掴めれば万々歳だが、無理をする必要はない。こちらの動向を悟られて反乱計画を中止にされるとかえって困る。俺としては奴らに動いてほしいからな」
両手を組んだルルーシュがにやりと笑った。自分への反乱を期待する君主が過去の歴史にいただろうか。しかも彼の場合、自ら反乱を扇動しているのだから余計にタチが悪かった。
ルルーシュ皇帝の即位後、貴族による反乱は後を絶たない。特権階級だった彼らが身分も財産もすべて没収され、ただの一般人となってしまうのだ。当然ルルーシュを認めるわけにはいかず、抵抗も必死だった。
もちろんルルーシュは楽しんで反乱を煽っているわけではない。すべては新しい世界のためで、ルルーシュ皇帝の新政策に異を唱える反乱分子を今のうちに炙り出し、ブリタニアの膿を出し切ろうという魂胆だ。
その目的は理解していて、僕自身も同意の上で動いているわけだけど、この状況をルルーシュはどこか楽しんでいるようにも見えた。露悪的な振る舞いに感じられてしまうのは、学園にいた頃のルルーシュ・ランペルージの面影が僕の中に色濃く残っているからだろうか。
敵対していたゼロの素顔を知り、ルルーシュを捕らえ、その身と引き換えに地位を得て、彼を罰してやると自分自身に何度も誓ったはずなのに、僕はルルーシュを憎みきれなかった。ゼロは憎いのに、これはルルーシュだと思ったら殺せなかった。幼い頃に土蔵で一緒に過ごしたルルーシュも、学園で一緒に過ごしたルルーシュも、僕は何ひとつ切り離すことができなかったのだ。
「わかった。諜報部は引き続き潜入させておくけど、何か動きがあるまで報告は必要ないと伝えておくよ。無理もしなくていいと念押ししておく」
「ああ。今回の反乱を鎮圧できればあらかた片付く。頼んだぞ、ナイトオブゼロ」
「イエス、ユアマジェスティ」
仕事へ戻るために部屋を出ようとしたら呼び止められた。ほかに何かあっただろうかと振り返る。
「それが終わったあとでいいから少し休憩しないか。気晴らしに馬で散策してもいいし、馬が嫌ならお茶でもしよう。俺が淹れてやる」
「そんな時間あるの?」
「たまには頭を休ませることも大切だ。我が騎士へのいたわりだって必要だろう?」
「何がいたわりだ。暇なら僕じゃなくてほかの人と遊んでよ」
「失敬な奴だな。貴重な時間を騎士のために使ってやろうというのに」
「その上から目線のほうがよほど失礼だよ。わざとやってる?」
「なんだと」
ルルーシュが椅子から立ち上がり、僕も彼の前に進み出た。しばらく無言で睨み合う。
「――不毛だな」
先に折れたのはルルーシュだった。小さく息をつき、僕の横を通り過ぎた。
「馬の準備をしておく。ちゃんと来いよ」
「僕は行くなんて一言も」
「だったら命令だ。仕事を終わらせたらすぐに来い」
それだけを告げるとルルーシュはさっさと出て行ってしまった。こういうところで命令を持ち出すのは卑怯だ。まったく――、と僕も溜め息をひとつ落としてひとまず自分の仕事を片付けることにした。
素直に誘えばいいものを、と文句を浮かべながら長い廊下を歩く。僕も素直に応じればいいのに、とも思った。
要するにどっちもどっちなのだ。今まで遠慮していたつもりはないけれど、お互い腹の内を明かしてさらに遠慮がなくなった。だけど、ただの友達だった頃とは少し違う。遠慮がなくなったくせに、その部分には微かな遠慮が感じられる。だからわざと言葉遊びをしているのだ。
諜報部との打ち合わせを終えると、僕は馬を繋いでいる場所へ向かった。結局付き合うのならば最初から変に意地を張るな、と頭の中でもう一人の僕が言っている。
でも、今の僕達は友達ではない。友達ではないのに、友達付き合いの延長のようなことをするのはどこか違和感があり、なんとなく気恥ずかしさもあった。今さら照れるのもおかしな話だが、お互い憎悪を向け合っていた期間がしばらく続いたため、ただの友達のように過ごす時間が妙に照れくさく、どうすればいいのかわからなくなる。
「やっと来たか。待ちくたびれたぞ」
ルルーシュは一人で待っていた。城内とはいえ気を抜きすぎだ。
「なんで誰もいないの。皇帝が一人きりになる危険性は知ってるだろう」
「さっきまでちゃんといた。お前が来るから戻したんだ」
「僕が来なかったらどうするつもりだよ。大体、それなら僕の到着まで側に置いておくべきだ」
「だが、お前は来たじゃないか」
ふわりと笑みを返されて一瞬言葉を失った。その間にルルーシュは馬へと跨がり、先に走り出してしまう。ああもうっ、とぼやいて僕も急いであとを追った。さすがは皇族と言うべきか、ルルーシュは馬の扱いが上手い。乗りこなしも完璧で、ぼんやりしていたら僕でも置いて行かれそうになるので焦る。
幸い、遠くまで走るつもりはなかったようで、エグゼリカ庭園に辿り着くとルルーシュは馬を降りた。水辺に座り込んだ彼の斜め後ろに僕が立つ。皇宮の中とはいえ、いつ何が起こるかわからない。騎士としても共犯者としても、今ここでルルーシュを失うわけにはいかない。だからどこにいても常に気を張り、ルルーシュの身辺警護は欠かさないようにしている。
しかしそれを知ってか知らずか、ルルーシュが自分の隣をぽんぽんと叩いた。
「お前も座れ」
「僕はいいよ」
「俺が良くない。そこに立たれたら気になる」
「座っていたらすぐに動けないだろう」
ルルーシュはほんの少し不服そうだったけれど、それ以上の無理強いはしなかった。おもむろに背中を倒し、草の上に身体を横たえる。そうして雲ひとつない青い空をじっと見ていた。
鳥の囀る声と、木々のざわめく音以外は何も聞こえない。とても静かで穏やかだ。自分達が争いの渦中に身を置いていることを忘れそうになるほど。
しばらくするとルルーシュが瞼を下ろした。皇帝になって以来、彼の口癖は「時間がない」だった。言葉通りいつも時間に追われているのは、のんびりしていたらシュナイゼルに先手を取られるのが一番の理由だけど、僕の目には生き急いでいるようにも自分の死を心待ちにしているようにも見えた。まるで以前の僕みたいに。
寝転んだルルーシュはぴくりともしなかった。ずっと忙しくて寝不足だろうし、居眠りをしたくなるこの陽気だ。だったら部屋で横になればいいのにと思い、ルルーシュの顔を覗き込みたくなった瞬間、スザク――、とその唇が動いた。
「やり残したことはないか」
「え……?」
「あるのなら叶えてやる。今すぐは無理だが、そうだな、世界征服を果たしたあとならお前は表向き死んだことになるから、少しは自由な時間が増えるだろう。どうだ、何かあるか?」
「やり残したことなんて――」
ひとつだけある。
真っ先に思い浮かんだのは、先ほど執務室で考えていたことだ。やり残したというより、言い残したことと言うべきか。
君に好きだと伝えられなかった。
胸の中で答えたあと、「ないよ」と返した。ルルーシュがむくりと起き上がり、僕のほうを振り仰いだ。
「嘘だな」
「本当だって。そんなものない。今までだって特にやりたいことはなかったし、あるとすれば日本を取り戻したいってことぐらいで」
「つまらない奴だな」
「ナナリーしか頭にない君に言われたくないよ」
それもそうかとルルーシュが肩を揺らし、不意に目を伏せた。
「俺にはナナリーしかいなかったから、ほかの誰かのことを考える余裕なんてなかった。お前のことだってそうだ。お前は俺の友達で、ナナリー以外の人間に比べたらその重要度は俺の中では高かったつもりだが、それでもナナリーと同じように考えることはできなかった。いや、もしかしたら考えるのが怖かったのかもしれない」
「どういうこと?」
「お前は出会った頃の枢木スザクのままで、お前が俺の側にいるのは当たり前だと信じていた。思い込んでいたとも言える。当たり前が当たり前ではなかったと気付いたら何もかもが壊れてしまうから、必要以上に踏み込むことを避けた。俺の中の枢木スザクを壊さないために、現実から目を逸らしているという事実すら認識しようとしなかった」
「昔のままの僕でいてほしかったってこと?」
「ああ、そうだ。成長したお前は子供のときとはもう違うのに、酷い話だよな」
ルルーシュが微かに嗤った。自分を嘲笑っているようで、ちらりと僕を見てから水面に視線を移した。
どうしてこんな話をするのかわからない。ただ、僕の許しは求めていないのだろう。確かに酷い話だ。そんなことを今さら伝えられても困る。だけど、伝えておきたかったという気持ちも理解できる。
僕達に残された時間は少ない。ただでさえ少ない時間を自分のためだけに使える機会はさらに少なく、このチャンスを逃せば次は二度とないかもしれないのだ。
「酷いね、君は」
僕の罵りを待ち構えるようにルルーシュの背中が強ばった。
「でも多分、僕も同じだ。君の中にあるゼロを徹底的に否定して排除しようとしたんだから。君はずっと綺麗で、ナナリーをひとりで守っていたあの頃のまま何も変わらないと信じていた。僕も現実から目を逸らしていたんだ」
躊躇いつつも僕は足を動かした。少しだけ、と自分の中で言い訳をしてルルーシュの隣に腰を下ろす。ルルーシュは膝を抱えて前を向いていた。
「僕達は似てるんだ。悪いところばっかり」
「良いところは似ていないのか」
「だって君は僕みたいに体力馬鹿じゃないし、僕は君みたいに理屈屋じゃないよ」
「理屈屋と言うな。俺はきちんと計画を立てた上で行動しているし、実現不可能な夢想を並べ立ててもいない」
「そうやってすぐ言い訳する」
「これのどこが言い訳だ。正当な主張をしているだけであって言い訳とはまったく違う」
「はいはい。休憩するんだろう」
細い腕を引くと倒れた身体を抱き込んだ。ルルーシュはうるさく喚くけれど、もちろん無視である。
「やり残したことをさせてくれるんじゃないの?」
「これがお前のやり残したことだと言うのか」
「ちょっと違うけど、これでいいよ」
「何がいいんだ。ちっとも良くない」
「もう、ルルーシュうるさい」
ぎゅうぎゅうと抱き締めて体重をかける。重いとか苦しいとか窒息するとか文句ばかりのルルーシュは、しばらくするとじだばたするのをやめた。自分の腕力では僕を押し返すのは不可能と判断したのだろう。
僕もルルーシュも口は開かなかった。お互いの吐息。心臓の音。ルルーシュの体温。ルルーシュの匂い。ルルーシュの感触。五感のすべてでルルーシュを感じる。
最後なのだ。
ルルーシュに触ることも、抱き締めることも、話をすることも、言い合うことも、笑い合うことも、何もかもが最後なのだ。
唐突に浮かんだのは絶望と真っ黒な闇。一筋の光もなく、どこまでも深い闇の中に取り残されるような感覚がして僕は腕に力を込めた。
ルルーシュは何も言わなかった。無言で僕の背に手を回し、ぎゅっと抱き締め返しただけだった。
ああ、ルルーシュだ。そんな当たり前のことを思った。そんな当たり前のことが当たり前ではなくなる日が来るのだ。それを望んだのも選んだのも僕だ。誰かに命令されたわけでも脅されたわけでもなく、僕自身がこの選択をしたのだ。
そして再び考える。
好きだと伝えていたら何かが変わっていたのだろうか、と。
***
ゼロの衣装をその場に置くと、僕は一旦部屋の外に出た。兄妹の別れは二人きりのほうがいいだろうとの配慮からで、ルルーシュの準備が整うのを待つつもりだった。だけど、出てきた彼は予想に反して手ぶらだった。文字通り身ひとつだ。
考えてみれば、今のルルーシュは何も持っていない。ペンドラゴンの消失により子供時代の思い出はすべて失われ、アッシュフォード学園はフレイヤによって消失し、わずかに残っていた学生時代の物は皇帝になったときにすべて処分した。皇帝時代はそもそも物を持たなかったし、わずかに残された物は負の遺産としてことごとく破壊された。ゼロレクイエム後、肉体が復活してからはC.C.と共に行動していたらしいけど、本来のルルーシュを失った状態では自分の持ち物を持とうという考えすら浮かばなかっただろう。
「なんだ、変な顔をして」
じっと見過ぎたせいか、ルルーシュが怪訝な表情をした。
「何もなくていいの?」
「何もとは?」
「旅支度のこと」
「ああ、いいんだ。持って行こうにも俺の持ち物はもともと何もないからな」
想像通りの回答でなんとも言えない気持ちになった。するとルルーシュが朗らかに笑った。
「そんな顔をするな。これから大変なのはお前のほうなんだ。人のことなんか気にしている場合ではないだろう?」
ルルーシュは僕の肩をぽんと叩き、じゃあなと別れを告げた。ナナリーのことを頼む、と付け加えて歩き出そうとする。その途端、僕の中で焦燥感が生まれた。
また僕の前からいなくなってしまう。
また僕を残して行ってしまう。
そんな思いに駆られ、無意識のうちにルルーシュの腕を引いていた。物陰に隠れるだけの判断力はあったようで、死角になっている場所まで連れて行くと衝動的に掻き抱いた。
「スザク?」
わけがわからないと言いたげな声に、何か言わなければと焦りが募った。息を大きく吸い込み、口を開く。
「行くななんて言わない。君が決めたことだ。本当はナナリーと一緒にいたいくせに自分が側にいたら邪魔になるって思うのは君らしいし、その考えは僕にも理解できる。死んだはずの悪逆皇帝が生きていて、しかもナナリーの側にいると知られたら大変なことになるし、ナナリーだって危険な目に遭うかもしれない。だから君が僕達から離れることについて何か言うつもりはない。ただ――」
ただ。
そのあとに僕はなんと伝えるつもりなのだろう。自分のことなのに自分のことがわからなくて混乱しそうだ。でも、何か言わなければルルーシュは行ってしまう。何も伝えられないまま僕はまたルルーシュと別れてしまう。それだけは絶対に嫌だ、と思ったときには身体が動いていた。
腕を緩め、ルルーシュの頬を両手で大事に包み込み、おもむろに顔を近付け、ゆっくりと唇を触れ合わせた。
ルルーシュは目を瞠って固まっていた。触れるだけのキスを解いても僕の顔を呆然と見るだけで、魂が抜けてしまったみたいだ。
「好きだよ、ルルーシュが」
ずっと隠し通してきた感情が自然と声になっていた。自分でも驚いたけど、その一方でようやく声に出せたとどこか安堵するような気持ちもあった。
言うつもりはなかった。言えるわけがないと思っていた。でも、今だからこそ伝えられたのかもしれない。ゼロレクイエムを前にした僕だったら決して口に出来なかった言葉だ。
「成すべきことを終えたあとでいい。息抜きをするついででもいい。だから、いつかまた会いたい」
零れんばかりに目を見開いていたルルーシュが何度かまばたきをして、それから顔を真っ赤にさせた。
「な……っ、馬鹿じゃないか!」
「人の告白を馬鹿って酷いな」
「馬鹿だから馬鹿と言っただけだ! なんで今さら……っ」
「今だから伝えられたんだよ。僕の中では今さらじゃない」
「お前の事情なんて知るか馬鹿」
「あれ? ちょっと待って、今さらってどういう意味? この場合、君は僕の告白に対して驚くべきで今さらって文句は違うよね。今さらという言葉は僕の告白を待っていなきゃ出てこないよね? まさかルルーシュも――」
いきなり両手で口を塞がれた。ルルーシュの頬は相変わらず赤く、この反応は恥ずかしがっているとしか思えない。
「もう何も言うな。とにかく俺は行く」
「待ってよ、ちゃんと返事を聞かせて。告白されっぱなしはズルいよ」
「お前が勝手に告白しただけだろう! 返事を強要するな!」
「あんまり大声を出すとナナリーに聞かれるよ」
ルルーシュがぐっと押し黙った。じとりと見られるけれど、こういうのも久しぶりだなと思うと嬉しさしかなかった。
牢獄で目覚めた直後は混乱していたし、気持ちの整理も付かない状態で再会したこともあって一方的な感情をぶつけてしまったけれど、こうして改めてルルーシュと向かい合うと良くわかる。僕は嬉しかった。たとえルルーシュが人ではない存在になったとしても、次の瞬間には消えるかもしれない脆さを抱えて生きなければいけないとしても、それでもここにルルーシュがいてくれることが嬉しかった。
結局、僕は何ひとつ覚悟できていなかったのかもしれない。生き返った彼の事情を一切聞かずにいきなり殴り付けるくらいには、ルルーシュのいない世界に絶望していたのだ。
「ゼロの役目は投げ出さないよ。それが僕達の約束だから」
「当たり前だ」
「でも、こうして君が生き返ったんだから、もうひとつ新しい約束をしてくれないかな」
「内容による」
「僕は僕のやるべきことを、君は君のやるべきことをやる。その上でまた僕に会ってほしい」
ルルーシュが僕をわずかに見上げた。ああ、僕の身長が高くなったのかと今になって気付いた。
僕は成長し、ルルーシュは二度と成長しない。そのことに胸の奥が痛んだけれど、ルルーシュはとっくの昔に気付いていただろう。僕もナナリーもいつかルルーシュを置いていく。ルルーシュがここで姿を消そうとした理由のひとつはそれなのかもしれない。
「叶えてくれるんだろう? 僕のやり残したこと」
いつか庭園の水辺でルルーシュが唐突に言い出したことだと本人も思い至ったのだろう。動揺が微かに浮かび、それから睨まれた。
「お前、今になってそれを持ち出すのか」
「僕はいつまでも待つよ」
「いつまでって、いつまでのつもりだ」
「ずっとだよ。おじさんになってもおじいちゃんになっても、君が会いに来るまで待っているから」
「その頃には俺のことなんか忘れているんじゃないか」
「じゃあ僕が忘れる前に来てよ」
「いつまでも待つと言うくせに注文が多いな」
「ルルーシュの帰ってくる場所はちゃんと用意して待ってる。だからお願い」
赤い頬をそっと撫でる。掌に生きているぬくもりを感じ、今さらながらに泣き出したい気持ちになった。
「約束があれば君はちゃんと守ってくれるだろう?」
「約束ではなく強要じゃないか」
「残念ながら僕にはギアスがないからね。君の自由意志で決めてくれればいい。早く返事をくれないとC.C.を見失っちゃうよ」
この卑怯者、とルルーシュが吐き捨てた。この感じも懐かしいと思えばやはり嬉しさしかなく、顔には笑みが浮かんでしまう。
「わかった。わかったからその手を離せ」
「何がわかったの?」
「っ、だから約束してやると言っているんだ! ただし、いつになるとは明言しないからな。お前に会いに行く時期は俺の裁量で決めさせてもらう」
「もちろんだよ」
にこにこしながら頷いたことが不服なのか、ルルーシュが顔をムッとさせた。何度も頬を撫でていると、もういいからやめろと照れくさそうに言われる。
「さよならは言わない。これが最後のつもりじゃないから」
「――ああ」
「だから僕のところに帰ってきて」
僕の言葉に顔を上げたルルーシュは、ああ、ともう一度答えた。
「今度はちゃんと約束を守る」
「じゃあ告白の返事はそのときに聞くね」
一瞬きょとんとしたあと、ルルーシュが眉根を寄せた。
「はぐらかされなかったか……」
「当たり前だよ。ほら、もう行ったほうがいいよ」
自分から引き止めたくせに、今度は僕がルルーシュの背中を押している。勝手な奴だなと苦情を伝えられても僕の顔は笑っていた。
「いってらっしゃい。気を付けて」
さよならではない。永遠の別れでもない。いつか来る再会のために僕はルルーシュを見送るのだ。
「行ってくる。お前も気を付けろよ」
笑顔の僕にルルーシュも笑顔を返し、今度こそ背を向けた。珍しく走って行く後ろ姿が見えなくなるまで僕は立っていた。
やり残したことはないか。
あの日のルルーシュの声が耳の奥に聞こえた。
ないよ、と僕は答える。やり残したことも心残りももうない。
あるのは新しい約束だけで、僕はどこまでも高い青空を見上げた。
(21.09.28)