「絶対に嫌です」
即答すれば、異母兄のシュナイゼルが苦笑いを浮かべた。半月前は可笑しそうに吹き出したが、今回は弟のわがままに手を焼く兄といった風情だ。あまりこういう表情を見せない兄なので、人間くさいところを見せるのは珍しい。しかし、今はこの珍しさを揶揄する余裕はなかった。
「どうして今さら護衛なんか。しかも護衛役がナイトオブセブンだなんて。前にも言いましたが、ラウンズの護衛はお断りします。彼らを護衛にすると目立ちすぎるから嫌なんです」
「だが、前回の潜入調査では上手くいったじゃないか」
「あれは私がターゲットと事前に接触していたから成功したんです。前準備もなしに乗り込んだら警戒されるし、成功する作戦も失敗します」
「心配いらないよ。今回は本当にただの護衛なんだ。目立つのはむしろ好都合というものではないかな?」
「だったら彼以外でもいいでしょう。ジノやアーニャだってラウンズのメンバーです」
「ジノもアーニャも君より年下だ。学年が違うから授業中は同じ教室にいられないじゃないか。その点、同い年の枢木卿ならば一緒に授業を受けていても違和感がない。ルルーシュはこれのどこが不満なのかな?」
「ですから……っ」
声を上げかけてぐっと飲み込んだ。帝国宰相を相手に感情的になったら負けだ。すでに負けている気配が濃厚ではあるものの、すんなり認めるわけにはいかない。
――なんでまたスザクを護衛にしなければいけないんだ。しかも学校で。
現在の俺は、アッシュフォード学園高等部の二年生として毎日学校に通っている。移動中はもちろん学校の中にも護衛がいて、彼らが常に目を光らせていた。だから護衛を増やす必要はないのに、突然弟を呼び出した兄は、にっこりと笑って「ルルーシュの護衛のために枢木卿には明日からアッシュフォード学園に復学してもらうよ」と宣言された。最初から俺の許可を取るつもりはなく、決定事項を告げたに過ぎない。
俺が反発することも嫌がることも当然折り込み済みだろう。そこまでして話を進めようとする兄の強引さの理由がわからない。考えられるとすれば、ラウンズを護衛にしなければいけないほど事態が切迫しているといったところか。
貴族による不正案件を二件も摘発したのだ。対象の貴族だけでなく、裏取引に関わっていた人間も含めれば相当な数の恨みを買っている。逆恨みした者が暗殺を企てていたとしてもおかしくはない。それを踏まえるとラウンズの護衛は確かに必須である。
――だからって、そのラウンズがスザクである必要性はないじゃないか。
俺と彼が同い年ということを理由にしているが、それならばジノを飛び級させて同じ学年にしてしまえばいいのだ。飛び級自体は珍しくないし、ラウンズの経歴ならば周囲も納得するだろう。手続きだって簡単だ。なのに、なぜナイトオブセブンにこだわる。
こちらの疑問を読み取ったのか、「枢木卿が適任であると私自身が判断したんだよ」と兄が口を開いた。
「ですからなぜですか。私が彼を嫌っているのは知っているでしょう。前回は調査だから仕方なく協力しただけです。あれをきっかけに彼と仲良くなったなんてことはありません」
「らしいね。君たちの交流が増えたという情報は入ってこないし」
それなのに護衛を提案するのかと胸の内で舌打ちした。彼を嫌っているという俺の言葉が嘘であることをシュナイゼルはきっと見抜いている。その上で、弟が躍起になって拒絶する姿を面白がっているのだ。
「だったらナイトオブセブンはやめてください。同じ教室にいることが護衛の条件ならば、ジノを飛び級させればいいじゃないですか。それですべて解決します」
「残念ながら、その手を使ったとしてもジノは学校に通えないよ。何せ、ちょうど遠征が決まっているからね」
「遠征? じゃあセブンとスリーの任務を交代させてください」
「ルルーシュ」
たしなめるように呼ばれた。さすがに少し反省し、申し訳ありませんと素直に謝る。
ラウンズは皇帝の騎士だ。彼らがどこでどう活動するかは皇帝の命令であり、皇族である俺たちに口出しする権利は一切ない。そもそも皇族とラウンズはほぼ同等の身分だ。ブリタニアでは皇族が絶対なので慣例として皇族を敬ってくれているが、本来ラウンズが俺たちに頭を下げる必要はない。彼らが頭を下げるのは唯一皇帝だけ。そのことを忘れ、父の命令をたかが皇子が勝手に変えようとするなど冗談でも口にして良いことではなかった。
「普段の君は物分かりがいいのに、ナイトオブセブンのこととなると頑なだね。そんなに彼が嫌いなのかい?」
「嫌いだと以前から言っているではありませんか。兄上はナイトオブセブンが適任だとおっしゃいますが、護衛対象にも護衛を選ぶ権利はあるはずです」
「ふむ、一理あるね。しかし、嫌っているからこそ距離を縮めるチャンスだとは思わないかな?」
「思いません」
「学校という学びの場で交流すれば彼に対する見方も変わってくるだろう。そういうわけで、枢木卿には明日からルルーシュと同じクラスに通ってもらうよ」
「こちらの意向は無視ですか!」
「宰相命令だよ、ルルーシュ」
次兄が笑みを見せた。どうやら反抗しても無駄なようだ。拒絶したところで勝手に彼を送り込まれるだけだろう。
俺は盛大な溜め息をつき、椅子の背もたれに寄りかかった。
「でしたら、せめて教えてください。急な護衛の理由を」
「ルルーシュが違法薬物の裏取引を潰していることが売人たちの間で噂になっているようでね。一件目は極秘扱いだったが、二件目が大捕物になったことで一件目も明るみに出てしまった。それで邪魔な君を消そうとする動きがあるらしいという情報が入った。だからこそ、愛しい弟の安全のために確実な護衛が必要と判断したのだよ」
「そこまでご配慮してくださるのでしたら、そもそも私を潜入調査に参加させなければ良かったのでは」
「あの仕事はルルーシュが適任だったし、実際、君は素晴らしい仕事をしてくれたじゃないか。それに、この程度のリスクについては君も承知の上だろう?」
「だからナイトオブセブンということですか」
「君たちは良いコンビだと今も思っているからね。厳重な警備を敷いているとはいえ、授業中はどうしても目が届きにくい。ならば枢木卿が護衛と学生を兼務するのがもっとも確実で手っ取り早いと思わないかい?」
「おっしゃりたいことはわかります」
「だったらいいじゃないか」
シュナイゼルが笑顔で押し切ろうとする。やはり弟の要望を聞いてくれるつもりはなさそうだ。
「――いつまでですか」
不機嫌な声で尋ねれば、兄が笑みを深めた。
「せっかくの機会だ。枢木卿には卒業まで在籍してもらうのも悪くないと考えているよ」
何がせっかくの機会だ。最初からそのつもりだったくせにとぼやく。勝手にしてくださいと投げやりに答え、俺は椅子から立ち上がった。
「ところで彼が学生をしている間、ナイトオブセブンとしての任務はどうなるのですか」
「もちろん優先されるのはラウンズの仕事だが、しばらくは君の護衛に専念してもらうことにしている。その点は父上も了承済みだよ。ルルーシュの希望があればそのまま枢木卿を自分の専任騎士にすることだって可能かもしれない」
「馬鹿なことを」
くだらない戯れ言だと鼻で笑い、宰相閣下に礼をとった。恭しく頭を下げたのは精一杯の嫌味だ。しかし、この兄に嫌味は通じないようで、今度ゆっくりお茶でもしようと誘われる。
喜んで、と社交辞令を返すと俺は背を向けた。明日からの学校が憂鬱でたまらなかった。
***
突如、復学してきたナイトオブラウンズに、初日は教室中が沸き立った。
生徒には貴族が多く、皇族にはある程度慣れているが、ラウンズの存在はまた格別らしい。特に女子は目を輝かせ、彼が廊下を歩いていると「セブン様ってカッコイイわね」とか「玉の輿狙えちゃう?」とかそういう囁きがあちこちから聞こえてくる。それが俺の神経を余計に苛立たせた。
皇族相手はさすがに気後れするが、ラウンズならば手が届くかもしれないと期待するのだろう。皇子の護衛で学校に戻ってきたことは周知されているため、堂々と声をかけてくる不届き者はいない。それでも、ナイトオブセブンの一挙手一投足が注目され、隙あらばお近付きになろうと虎視眈々と狙っている空気を嫌でも感じた。
「ご機嫌斜めですね」
俺の機嫌を低下させている原因が面白そうに指摘してきたので、じろりと睨み付けた。
「お前のせいで俺の穏やかな学園生活がかき乱されているんだ。不機嫌にもなるだろう」
「申し訳ございません」
「心にもない謝罪をするな」
「自分のせいで学園が騒々しくなっているのは事実です」
「だったら護衛を辞めればいい」
「それは出来ません」
きっぱりと断られ、舌打ちが出そうになった。俺の学園生活の邪魔になっていることは自覚しているくせに、護衛の件になると頑なだ。さり気なく彼から距離を置こうと企み、「俺は気にしないから学校の中では護衛のことを忘れて普通の学生として過ごせばいい」と提案したのに、「自分の任務はルルーシュ殿下の護衛です」と言い切って決して離れようとしない。体育や放課後の生徒会活動のために移動するときはもちろん、トイレにまでついてくる。護衛としては正しい在り方だが、少しでも彼を遠ざけたいこちらとしてはなんとも厄介だった。
「日本人は真面目だな」
「日本人だからというわけではありませんけどね」
含みのある言い方に首を傾げれば、笑顔ではぐらかされた。
「このあとは生徒会ですよね? 道が違うようですが」
「生徒会の前に図書室に行きたい。お前は先にクラブハウスへ行っていいぞ」
「いいえ、お供します」
彼ならばこう言うだろうと予想していたが、あまりに予想通りの回答だったので思わず笑ってしまった。隣で彼が不思議そうな顔をする。
「模範解答だなと思っただけだ。ところでその敬語、いい加減やめにしないか」
「しかし、自分は殿下の護衛ですので」
「ここでの俺は学生で、お前は同じクラスの同級生だ。皇宮ではないし、堅苦しくされるとほかの生徒も困る」
「そうでしょうか」
「学校の中では無礼講なんだ。ミレイを見てみろ。普段は殿下と呼ぶくせに、生徒会では会長権限で俺をこき使っているじゃないか」
「確かに。ミレイ様には初めてお目にかかりましたが、殿下への扱いがとても貴族とは思えないので驚きました」
「それはミレイにとっては褒め言葉だろうな」
生徒会長の振る舞いに困惑するラウンズという構図はなかなか見られないもので、初対面のときの様子を思い出してまた笑う。ふと視線を感じて横を向けば、優しいまなざしが俺に向けられていた。
時折、彼はこういう表情を見せる。たとえるならば、好きなものや愛しい人を見るときのまなざしだろうか。まるで好きだと言われているみたいで、勘違いしたくなる視線だ。
――そう、ただの勘違いだ。わかっているさ。
不可抗力のような状態で身体を繋げただけの相手。俺が皇族だから仕方なく抱いたに過ぎず、面倒だと思うことはあっても愛しさを抱くことはないだろう。それなのに、学校でもこうして優しい顔で接してくるから勘違いしたい気持ちになる。
――醜いな。そんなのはただの責任転嫁で、自分の意志の弱さをスザクの責任にしてなすり付けているだけだ。
小さな溜め息が零れた。どうされましたかと心配そうに問われる。
「どうすればお前が敬語をやめるか考えていたところだ」
茶化して返せば、彼が困ったように笑った。
「殿下のご要望とあらば善処します」
「言ったな。では今から実践してもらおうか。殿下と呼ぶのも禁止だからな」
「わかりました――、いえ、わかったよ、ルルーシュ」
名前を呼ばれた途端、心臓が跳ねた。こちらから命じておきながらこの程度で心拍数を上げるんじゃないと自分に突っ込む。動揺を押し殺し、それでいい、と居丈高に告げて前を歩いた。
「いつも図書室に? 本ならアリエスにもあるのに」
「アリエスのほうが蔵書は豊富だが、アッシュフォードにしか置いていない本もあるし、何より空気が好きなんだ」
「空気?」
「ここではただの学生でいられる。そういう空気だ」
ほんの少しだけ彼が痛ましそうな色を浮かべた。湿っぽい話になったかと自省し、ほら行くぞと明るい声を出す。
「ところでお前、学業のほうは問題ないのか?」
「唐突だね」
「天下のラウンズに赤点を取られると皇帝の威信にもかかわるからな。言っておくが、ラウンズ特権でも点数操作は出来ないからな。教師には俺が直々に釘を刺しておいた」
「そこは大目に見てくれるものじゃないの?」
「甘えたことを言うな。で、正直なところどうなんだ」
人には言わないでおくから吐けと迫れば、今度は苦笑いが返ってきた。
「ご心配には及びませんと言いたいところだけど、授業を受けるのが久しぶりで勘を取り戻すのに苦労してるかな」
「だが、休学前はそれほど悪い点数ではなかったよな」
「知ってるんじゃないか、僕の成績」
「当然だ。俺を誰だと思っている」
ふふんと笑えば、そこで皇族特権はずるいよと抗議された。
「お前が在籍していたのは一年生の数ヶ月か。だが、ほとんど戦地に行っていたし、出席日数はゼロも同然だな」
「一応通うつもりはあったんだけど、結局ずっと遠征遠征で戻れず、だったら退学しようかと思ったんだ。でも、理事長から休学扱いにすると言われて」
「実力で入学したのにたった数ヶ月で退学はもったいないだろう」
「そういえば理事長と面談したとき、僕の退学に反対する人がほかにもいたようなことを言われたんだけど、もしかして……」
「それより問題は今現在のお前の成績だ」
強引に話題を変える。不審感を抱かれたはずだが、彼の退学阻止に俺が一枚噛んでいたことは絶対に認めるわけにはいかない。
我ながら随分と青かった。当時は別のクラスだったし、彼はほとんど学校に来ていなかったから声をかける機会すら皆無だったのに、ミレイから退学の件を聞かされたとき、彼との唯一の接点を残しておきたいと思ってしまった。結果、裏から手を回して特例での休学を勧めたわけだが、職権乱用もはなはだしい。真相を知られたらきっと呆れるに決まっている。
――ルーベンとミレイには口止めしておかなければいけないな。
階段を下りるために足を伸ばした瞬間、違和感を覚えた。踵が滑り、自分が宙に浮かぶのを感じて反射的に目を瞑る。しかしすぐに抱き留められ、俺の身体は階段に叩き付けられることはなかった。
「怪我はない?」
「あ、ああ」
心臓がどくどく鳴っていた。情けないことに足が竦んで動けない。彼が抱き締めていなかったら無様に座り込んでいそうだ。
階段で足を滑らせたことなら何度かある。大抵は自分自身の失態だ。だけど、今のは――。
「大丈夫。僕が君を守るから心配しないで」
俺の不安を察したように、抱き締める力を強くした彼が耳元で囁く。俺は声を出す代わりに小さく頷いた。
彼はラウンズで、一時的に護衛になっているだけだ。それでも、彼が側にいてくれるだけで安心できる。これほどの安心感を抱いたのは初めてかもしれない。
――スザクだからだ。
好きだという理由以上に、彼の側は居心地がいい。
わかっていた。どんなに否定しようと、彼から距離を置こうと心がけても、結局は彼の側にいたいと願ってしまう。俺はなんて弱いのだろう。
生徒たちの笑い声が聞こえて咄嗟に胸を押し返した。両足はしっかり立っていて、大丈夫そうだねと彼が腕を緩める。無意識に縋り付いていたのか、目の前の制服には皺が付いていた。
「このままだと危ないから掃除してもらったほうが良さそうだ。すぐにジェレミア卿を呼ぶから待ってて。それと君の靴も交換してもらおう」
端末を取り出した彼がてきぱきと指示を出す。今ので瞬時に状況を把握するのはさすがラウンズだなと感心し、自分の靴裏を確かめてみた。そこには透明な液体がべっとりと付いていた。滑ったときの違和感はこれだ。
「害があるかもしれないから直接触らないほうがいい」
通話を終えた彼がラウンズの顔で俺に告げる。
「誰かが何かをうっかり零しただけという可能性もあるけど」
「ああ、単なる事故の可能性は否定しない。だが、何かを零したのならほかにも跡が残っていそうだ」
「それがないということは誰かが意図的に液体を零した可能性のほうが高い、だろう?」
「そうだな。学校の階段で足を滑らせるように仕掛けたと考えるのが自然だ。古典的ではあるが、相手を脅したり怪我をさせたりするには有効な手だな」
「君が確実に通るとは限らないのに」
「そうでもないさ。俺の日頃の行動パターンを知っていればある程度場所は限定できる」
「となると……」
「学園内に敵が紛れ込んでいるかもしれない。それにしても、ほかの生徒を巻き込んでも構わないという無差別なやり方は気に入らないな。俺だけを狙えばいいものを」
「僕としては君が狙われるのも許せないんだけど」
「俺のことはお前が守ってくれるじゃないか」
さらりと告げれば、彼が目を瞠った。鳩が豆鉄砲を食ったようとはこういうことを言うのだろう。
「何を驚いている」
「だって、君は僕のことが邪魔なんだろうと……」
俺が護衛を頑なに断っていたことは彼の耳に入っているはずだ。嫌っているという態度を取り続けてきたし、そう思われるようにわざと仕向けた。にもかかわらず、彼を傷付けていたかもしれないと考えて胸が苦しくなる。なんとも身勝手だった。
「俺は――」
「ルルーシュ殿下! ご無事ですか!」
口を開きかけたタイミングでジェレミアの声が響いた。大丈夫だと言っているのに、怪我はないかと心配される。
「我々が周囲を警戒していたにもかかわらず、このような事態が起こってしまい大変申し訳ございません!」
責任を取って自分の首を刎ねると言い出しそうなジェレミアを制した。忠義者で責任感が強いのは軍人として素晴らしいが、何かと大袈裟なところは困りものだ。
「学校の中だと思って油断していた私にも原因がある。それよりルーベンに頼んでいた関係者のリストはどうなっているかわかるか」
「ほぼ完成していると報告を受けていますので、そちらと共に監視カメラの解析を行い、ほかの場所に危険がないかについても確認を徹底いたします」
「気になる人物がいたらメールで資料を送ってくれ」
「かしこまりました」
話をしながら新しい靴に履き替えた。その間、俺の肩を支えてくれたのはジェレミアではなくナイトオブセブンの彼で、ラウンズを支えに使うとはなんとも贅沢だなと可笑しくなる。一通りの指示を終えるとこの場はジェレミアたちに任せ、俺は予定通り図書室へ向かうことにした。
「本日はお帰りになったほうがよろしいのでは」
「いや、こういうときこそ普段と同じように過ごしたほうがいい。あとはナイトオブセブンだけで問題ないからお前たちは調べのほうを頼む」
何か言いたそうにしていたジェレミアだったけれど、相手がラウンズでは太刀打ちできないと判断したのか、ルルーシュ殿下をよろしくお願いいたしますと頭を下げた。
「僕だけでいいの?」
護衛たちの姿が見えなくなったところで彼がこっそり尋ねてきた。先ほどのことがあったからだろう。纏う空気はいつもと変わらないけれど、側にいると彼が今まで以上に周囲を警戒していることがよくわかった。
「もともと付きっきりの護衛はいなかったんだ。お前が付いただけでも安心じゃないか」
「信頼してくれるのは嬉しいけど、人は多いに越したことはないと思うよ」
不意に彼の手が伸び、何気なく髪を直された。こんな些細なことで心臓が鼓動を速め、思わず足を止める。命を狙われたばかりだというのに、俺も大概のんきだなと自分に呆れた。
「ところで、さっきはなんて言おうとしたの?」
「さっき?」
「君は僕のことが邪魔じゃないの?」
彼はまだ髪を梳いていて、振り払おうとすれば左手を掴まれた。
「監視カメラがあるぞ」
「残念。ここは死角だよ」
「なるほど、だから犯人はこの階段を狙ったわけか」
「そうかもね。学園の関係者なら校舎の隅々まで調べられるし、どこに死角があるかも正確に把握しているだろうから」
「となれば出入りの業者の線は薄いか。それより離してくれないか」
「君が僕の質問に答えたら離してあげる」
「不敬だぞ」
「学校の中では無礼講なんだろう?」
舌打ちをすれば、皇子様なのにがさつだなぁと言われた。
「いいんだよ、外では猫を被っているから」
「つまり、僕は猫を被らなくてもいい相手ってことかな」
「今さらだろう。あんなことしておいて」
「あんなこと?」
顔を寄せて睨み付けてやる。俺が何を言いたいのか理解しているくせに、とぼけるところが腹立たしい。顔が怖いよと指摘されるが、この男の前で取り繕っても今さらだ。彼には俺の全部を知られている。彼を好きだという本心以外はすべて晒してしまったのだ。
一度目は薬のせいにして何も覚えていないふりをした。
二度目はバレンタインデーの夜。思いがけず触れた体温を拒むことが出来ず、俺は俺の意思で彼を求めた。言い訳は出来ない。彼は俺を抱き、俺は彼に抱かれた。それがたったひとつの事実である。
あのあと、彼にはもう会わないと今度こそ固く誓ったのだが、兄の提案によって彼が俺の護衛となり、同じ教室で一緒に授業を受ける羽目になった。俺の誓いはことごとく破られ、こうして今日も彼の側にいる。いい加減諦めろと言われているみたいで、溜め息を隠すことなく吐き出した。
「やっぱりご機嫌斜めだね」
「誰のせいだと思っている」
「僕だよね」
「わかっているのなら黙れ」
腕を強く引けば、今度は素直に離してくれた。背を向けると一階まで階段を下り、誰もいない廊下を進む。
「ところでジェレミア卿に言っていたリストって? 理事長に何を頼んだの?」
「ここ最近の人の出入りだ。生徒や教師はもちろん、生徒の親族から備品の納品業者や工事関係者まで、前々回のパーティー以降に動きがあった人物をすべて洗い出してもらっている」
「暗殺未遂を想定していたってこと?」
「念のために調べていただけだ。本当に役に立つとは思っていなかった」
「さすがは優秀な皇子殿下。頭の回転の速さはシュナイゼル殿下に引けを取らないという噂は本当だね」
「違うな、間違っているぞ。兄上の優秀さは俺も認めているが、俺はさらに優秀なんだよ」
「自信たっぷりなところもさすがというか」
悪いかと睨む。いいえ、と冗談っぽく否定した彼が急に笑い出した。何事かと眉を寄せれば、「普通の学生みたいだなと思って」と肩を揺らす。
「みたいではなく学生そのものじゃないか」
「そうなんだけど、こうしていると君が皇子様ってことも僕がラウンズだってことも嘘みたいで、なんだか不思議な感じがする」
彼がはにかむように頬を緩めた。その顔を眩しく見つめ、俺は何も言わずに前を向いた。
俺たちがただの学生だったら、俺は彼を好きになっていただろうか。でも、生まれた国が違うから出会うことすらなかったかもしれない。彼と出会わなければ好きという感情に振り回されることも、他人の体温を知ることもなかったかもしれない。
――考えても意味のないことだな。
図書室に入るとカウンターで仕事をしていた司書たちが頭を下げた。定期的に通っているのでアッシュフォードの司書とはすっかり顔なじみだ。遅い時間だからか、ほかの生徒の姿はなかった。
奥のフロアに向かい、目的もなく本の背表紙を眺めて回る。退屈だろうに、彼は護衛として律儀について来た。座っていていいぞと言っても、君と一緒にいるほうが楽しいからと歯の浮くようなセリフを口にして離れない。
「そういうのは女性に言え」
「君に言ったらいけない決まりはないよね?」
「屁理屈を言うな。大体、お前は皇宮での噂を否定していたが、ラウンズという肩書きに惹かれない相手はいないだろう。皇族の護衛だって本当は男の俺より皇女のほうが良かったんじゃないか」
「護衛の件はシュナイゼル殿下の提案だけど、話がなかったとしても僕は君の護衛に立候補していたよ」
「ご機嫌取りのつもりか」
「本当だよ。君を狙う動きがあることは耳に入っていたし、ほかの誰かに君を守る役目を譲るのは嫌だったから」
「前回の仕事で俺と組んだから責任を感じているのかもしれないが、お前以外にもラウンズはいるだろう。ジノが遠征から戻ってきたらあいつに――」
突然肩を掴まれ、背中に壁が当たる。文句を言うために口を開きかけた俺は、目の前の顔に息を呑んだ。普段の柔和さはすっかり消え、緑の瞳は底冷えするような色をたたえている。
確かに白き死神だ。
資料や映像で彼の活躍は飽きるほどチェックしてきたけれど、戦場に立っているときの顔はまだ知らない。童顔なので一見すると年下の大人しい少年のように思えるが、彼も帝国最強の騎士のひとりなのだ。
「ごめん」
俺の怯えを感じ取ったのか、ぱっと手を離した彼が謝った。
「君がジノの名前を出すからつい……」
「ジノ? お前はジノと仲がいいのだろう?」
「ただの同僚だよ」
短く告げた横顔はどこかバツが悪そうで、ジノと仲違いでもしているのかと首を傾げる。不意にポケットの端末が鳴った。ジェレミアからのメールで、そこには疑わしき人物の情報と資料が添付されていた。
素早く目を通してから無言で彼のほうに端末を向ける。画面に映し出された顔写真を確認し、彼が目を細めた。
「さすがはジェレミアだ。仕事が早い」
「証拠は?」
「今のところは何もないな。前歴が怪しいというだけだ。だから、直接聞いてみようと思う」
「直接ってまさか本人に?」
「お前は俺の護衛だ。何があっても俺を守ってくれるんだろう?」
にやりと笑えば彼が嘆息した。皇子様のわがままに困り果てているといった様子だ。
「こういうときにそのセリフはずるいよ」
「やるのかやらないのか。お前が嫌だと言うならジェレミアに代わってもらってもいいんだぞ」
どうやら今のセリフは効果てきめんだったらしい。嫌だなんて言ってないよと、少々ムッとした様子で返してきた。
「すべてはルルーシュ殿下の仰せのままに。ただし、相手が武器を持っている可能性が高いから充分注意して」
「わかっている。ただし、俺から少し離れていろ。相手にプレッシャーを与えたくない」
「それだと護衛の意味がないよ」
「お前がいたらあちらが手を出せないじゃないか」
「手を出してきたら大問題なんだけど」
「だったらジェレミアを呼ぶぞ」
「その脅し文句はやめてくれないかな」
わかりましたと投げやり気味に彼が答える。よろしいと鷹揚に頷き、俺はジェレミアに返事を送った。
「それにしてもほかの生徒がいないのは幸いだったな。あるいは、わざと帰したか?」
「君がここに来ることを予測して?」
「さあ、どうだろう。それについても聞いてみるか」
端末を握り締めてカウンターに向かう。そこでは司書二人が閉館のための準備をしていた。先ほどまで解放されていた扉は閉められ、鍵までかけられていることが遠目にもわかった。
「資料を探したいんだが」
「かしこまりました。どのような資料ですか?」
「ブリタニアの犯罪史に関する資料だ」
「犯罪史ですか。専門的なものをお探しですか?」
「いや、気楽に読めるもので構わない。ところでもう閉館か? 時間が少し早いようだが」
「そうなんです、今日はイベントの準備のためにいつもより早めの閉館となっています。ですが、殿下はお好きなだけご利用ください」
「仕事の邪魔にならないか?」
「ご心配には及びません。では、まずは資料をお探ししますね」
ありがとうと笑顔を向ける。殿下はお得意様ですからと笑みを返した司書が、俺の背後にちらりと目をやった。そこにラウンズがいると落ち着かないのだろう。彼はといえば、俺から少し離れた場所で雑誌を読むふりをしていた。
「個別の犯罪に関する資料があればそれも一緒に探してほしい」
「人物や事件の種類で絞り込めますが、何かご希望はございますか?」
「そうだな。違法薬物の取引に関するものがいい」
端末で検索していた司書の手がほんの一瞬止まった。こんなことでぼろを出すとは、大した訓練は受けていないのかもしれないと判断する。
「麻薬やその類いの薬物だ。君は詳しいのだろう?」
「何をおっしゃっているのか」
「もともと伯爵家に仕えていたそうだな。二人ともブリタニア軍上がりで、転職して貴族の護衛か。軍は何かと決まりがあるし、規則を破れば処罰されて息苦しいだろう。再就職先としては悪くない選択だ。それで、お前たちの依頼主は伯爵本人か? 伯爵の家族か?」
司書の手がカウンターの下に伸びる。右手には銃があった。
その銃口が俺のほうを向くよりも先に、黒い塊がカウンターを飛び越えた。動きがあまりに早く、何が起こったのか瞬時に理解することができない。気付いたときには司書のひとりが床に倒れ、もうひとりは銃を構える暇もなく蹴り飛ばされていた。大きな身体が棚に直撃し、本や資料が雪崩を起こす。
ジェレミアに連絡を入れた俺は、図書室の鍵を開けると扉を開いた。待機していた護衛たちが突入し、伸びている犯人を確保する。扉の向こうでは、二人に追い出されたと思しきほかの司書たちの姿があった。無関係の者を巻き添えにしなかった点だけは褒めてやろう。
「あと少しだったのに、ラウンズさえ来なければ……っ」
かろうじて意識のあったひとりが忌々しそうに吐き捨てた。俺は腕を組み、鼻で笑ってみせた。
「ナイトオブセブンが復学する前に俺を始末できなくて残念だったな」
連れて行けと命じる。図書室の外には騒動を嗅ぎ付けた野次馬が集まり、連行される二人を物珍しそうに見物していた。教師たちが追い払おうとするけれど、好奇心旺盛な生徒がこの場を立ち去ることはなく、ちょっとしたお祭り騒ぎになっている。
「お前が派手に暴れるからだぞ。カウンターも棚も滅茶苦茶だ」
図書室をぐるりと見回す。棚や椅子は無残に壊れ、本や備品も床に散らばっていて酷い有様だ。お前が片付けろよと言えば、そんな、と抗議の声が上がった。
「手加減しろとは言わなかったじゃないか」
「手加減はしなくていいが原状回復はしろ」
「そんな無茶な」
「ラウンズなんだからそのくらい出来るだろう」
「犯人が君に銃を向けたんだから仕方ないよ。僕にとって大事なのは図書室の備品じゃなくて君なんだ」
要するに俺を守ることを最優先したわけで、任務を忠実に果たしたに過ぎないが、面と向かって「大事」だと言われるのは照れくさい。熱くなりそうな頬を誤魔化すためにそっぽを向く。
「仕方ないな。ミレイとルーベンには俺から謝っておく」
「むしろアッシュフォードのほうから謝ってくると思うけど。司書を採用したのはアッシュフォードなわけだし」
「だが、俺がここにいなければ起きなかった事件だ。ほかの生徒や職員を巻き込む恐れがある以上、俺の責任だ」
近くにいたジェレミアに声をかけ、明日でいいからルーベンに繋いでくれと頼む。ひとまず一件落着だが、このあと生徒会に顔を出すという状況ではないし、ミレイも事後処理の関係で忙しくなるに違いない。今日は大人しく帰るとしよう。そう決めて彼のほうを向けば、なぜか驚いたように目を丸くしていた。
「どうした?」
「あ……、いや、皇族の君が責任を感じる必要はないのにと思って」
「何を言っている。皇族だからこそ責任があるんだ」
「そっか、君はそういう考え方なんだね」
彼がふわりと笑い、頬がまた熱くなりそうな感覚がした。好きな人のこういう表情を不意打ちで目にすると心臓に悪い。こいつわざとやっているのではと疑いたくなるが、彼に他意はなさそうだ。慌てて顔を逸らし、とにかく――、と話題を変える。
「生徒会に顔を出せる状況ではないから今日はもう帰るぞ」
「じゃあ車を回してもらうよ」
彼が運転手に連絡を取っている間、ジェレミアにこのあとのことを指示する。表は騒がしいので、車は裏門のほうに回してもらった。彼の先導で図書室を抜け出し、待機していた車に乗り込んだ。
「シュナイゼル殿下へのご報告はどういたしましょう」
学校を離れた途端、彼はいつもの口調に戻っていた。二人きりなんだからいいじゃないかという不満を抑え、俺から連絡しておくと答えた。
「兄上はこの事態を想定していたのかもしれないな。知っていたくせにあえて犯人を泳がせ、俺とお前に解決させようと企んだ気がする」
「まさか。殿下の身に危険が及ぶ可能性があるのに」
「お前は兄上を知らないからそういう甘いことが言えるんだ。兄上は優しい人でも弟を無条件で可愛がるような人でもない」
「手厳しいですね」
「今まで散々無理難題を押し付けられてきたからな。今回の騒動だってそもそも兄上が余計な仕事を押し付けなければ回避できたことじゃないか」
足を組んで座席の背もたれに寄りかかる。
「逆に言えば、それだけ殿下の能力を買っていらっしゃることにはなりませんか?」
「まあ、兄上の課題程度で手こずる俺ではないけどな」
自信たっぷりなところが殿下らしいですね、と彼が肩を揺らす。
「それにしても、犯人たちの情報をよくあそこまで調べ上げていましたね。最初から目星を付けていたのですか?」
「単なる偶然だよ。もともとアッシュフォードの関係者は学生も教師も業者も全員調べてもらっていたんだ。自己申告では虚偽情報もあるから、特にその点は徹底的に調査するよう命じておいた。そしたら元軍人で現在は貴族の用心棒なのに、身分を隠して働いている人間がいるとわかった。それだけだ」
「なるほど。前歴がわかれば当時の素行なども簡単に把握できるというわけですね」
「ああ。さっきの奴らは軍人の頃から問題のあった連中で、あの伯爵はそういう人間をあえて雇っていたらしい。違法薬物を扱うなら脛に傷を持つ人間のほうが使いやすいし、軍の裏情報を得て協力者を増やそうとしたのかもしれないな。とにかくだ、この程度の情報を兄上が掴んでいなかったはずがないのに、一切教えなかったということは俺を試したとしか思えない」
ぶつぶつと文句を言っていたら、まあまあとなだめられた。兄の愚痴を零している間にアリエスが見えてきた。普段ならばここでお別れだが、今日は彼のおかげで助かったから何か礼をしなければいけないだろう。お茶でもしていかないかとさり気なく誘えば、よろしいのですかと窺うように確かめられた。バレンタインの夜のことを思い出しているのかもしれない。
「今日の礼をしたいだけだ。ほかに意味はない」
それだけを伝えると、彼の返事を待たずに車を降りた。俺のあとを付いてくる気配を感じながら自室に戻る。
ここに彼を招くのは二度目で緊張した。だったら最初から招かなければいいのにと、もうひとりの自分が頭の片隅で言っている。今日は本当にお茶をするだけだと言い訳し、彼をソファに座らせた。使用人たちが茶器やお菓子の準備を整えると、先月のように俺がお茶を淹れる。
「殿下にお茶を淹れていただくのは光栄なことですね」
「この間も淹れてやっただろう」
「そうですが、こんな機会は滅多にないので」
「だったら毎日淹れてやろうか」
冗談めかして言えば、彼が頬を緩めた。そしたら僕は毎日幸せですね、と返ってきたので馬鹿じゃないかと悪態をついた。
「皇族に気を遣っているのかもしれないが、俺に社交辞令やおべっかは不要だ」
「社交辞令ではなく本心です」
「どうだか。――それより、学生はもういいんじゃないか」
「もういいとは?」
「俺を狙っていた犯人は捕まったんだ。これ以上の護衛は必要ないだろう」
「殿下のお命を狙うのが彼らだけとは限りません。今後も危険なことがあるかもしれないですし、シュナイゼル殿下からは卒業まで殿下のお側にいるようにと伝えられています」
結局は命令だからか、と落胆する気持ちが広がった。帝国宰相の命令であることは初めからわかっていたのに、俺は何を期待していたのだろう。彼が自分の意志で護衛を務めているとでも思いたかったのか。
「――だったら護衛はジノでもいいじゃないか」
「どうしてジノにこだわるのですか」
「こだわっていない。たとえとしてほかのラウンズを挙げただけだ。ジノが駄目ならアーニャでも構わない」
「それは駄目です」
「なぜだ。兄上の命令だからか?」
「シュナイゼル殿下は関係ありません。自分が嫌だからです」
なんだその自分勝手な理由はとせせら笑う。
「俺はお前のことが嫌いなんだぞ。嫌いな相手をいつまでも側に置きたいと思うか」
「どうしてお嫌いなんですか」
「嫌いだから嫌いなんだ。馬が合わない相手というのは理屈ではない。わかるだろう?」
「ですが、殿下が本気で僕を嫌っているとは思えません」
「よく言う。その自信は一体どこから来るんだ」
カップを置いた彼が立ち上がり、俺のほうに近付くと肘掛けに両手を載せた。彼の腕に閉じ込められる。
「だって殿下は僕のことがお好きですよね。二度も抱かれるほどには」
からかわれている。そう思ってカッとなった。
「男なら気持ちがなくてもセックスぐらいできる」
「だからって嫌いな相手と寝ますか? 僕は嫌ですね」
「生憎、俺はお前と違うんだ」
「でしたら殿下はジノともセックスできるんですか?」
「やけにジノにこだわるな。お望みなら試してやろうか。ジノだろうがほかの相手だろうが――」
顎を掴まれ、無理やり視線を合わせられる。無礼な振る舞いを咎めようとしたけれど、緑の瞳にはぞっとするほど昏い色があって、俺は文句の言葉を飲み込んだ。
「ジノの名前は出さないでください」
「先に言い出したのはお前のくせに」
「ジノを護衛にと言い出したのは殿下です」
「お前こそジノにこだわっているじゃないか」
「ですからジノの名前は出さないでください」
「うるさいな。なんなんだお前は、もしかしてジノが好きなのか。俺がジノと仲良くしようとするからそれで嫉妬して」
「逆ですよ」
「逆?」
「ええ、僕が好きなのは――」
彼の顔が近くなり、次の瞬間、唇が触れていた。離れようともがくけれど、抱き竦められて身動きすらできない。その間も唇は啄むようなキスを繰り返していて、強引さが嘘のように優しかった。
「ん……、ンぅっ」
駄目だと思うのに身体から力が抜けていく。舌の先で上顎をくすぐられるともう駄目で、縋り付くように彼の制服を掴んだ。
明るい部屋でキスをするのは初めてだと、ぼんやりする頭で思った。彼とのキスやセックスはいつも暗闇の中で、目覚めたら消えてなくなる夢のようだった。暗闇の中だったから身を委ねられた。こんなに明るい場所にいたら、俺の本心も嫌なところも汚い部分もすべて暴かれてしまう。そしたら今度こそ彼は幻滅する。
夢が覚めたらきっともう二度と俺を見てくれなくなる。
――だから嫌だったんだ。
嫌っているふりをして彼を遠ざけていれば、本当の俺を知られることはない。彼もそのうち飽きて俺から興味を失う。そうなるはずだったのに、この身体は彼の体温を知ってしまった。何も知らなかった頃にはもう戻れない。
「泣かないでください」
目元を拭われ、慰めるように口付けられる。泣いてないと目の前の胸を押し返せば、膝をついた彼が俺の両手を大事そうに包み込んだ。
「好きです」
「え……?」
「愛しているという意味です」
まだからかうつもりかと怒りが込み上げる。好きだと言っておけば俺が簡単に身体を許すとでも思っているのか。
「嘘でも冗談でもありません。僕が好きなのはルルーシュ殿下だけです」
「それ以上口にしたらお前を不敬罪で訴えるぞ」
「僕の気持ちがご不快だと思うのでしたらどうぞ。でも、僕が本気であることは信じてください」
「信じられるものか。どうせゲームなんだろう? 皇族で、しかも男を相手にするのはさぞ面白いだろうな。皇女だったらさすがに火遊びでは済まないが、男ならいくら遊んでも傷は付かないし、そう簡単に口外もされないから簡単に捨てられる」
「遊びだと思ったことは一度もありません」
「だったらあのとき、なぜ俺の命令を聞いたんだ!」
理不尽だとわかっている。彼が俺を抱いたのは皇族に命じられたからで、強要したのはむしろ俺のほうだ。それなのに被害者面をして、彼を一方的になじるなんて最悪だ。あまりの情けなさに目頭が熱くなり、咄嗟に横を向いた。
「申し訳ありません」
謝罪の言葉に胸が締め付けられる。やはり彼は仕方なく抱いたのだ。そのことで責任を感じ、好きだなんて戯れ言を口にしたのだろう。そう言わせてしまったのは俺だ。
「本当はいけないことだとわかっていたのに、殿下の命令を利用して自分の想いを無理やり叶えました。殿下に罵られても仕方のないことを僕はしたのです」
しかし、その言葉に俺の思考は停止した。今のセリフは何かおかしくないか? と彼のほうに向き直る。
「どういう、意味だ?」
「ずっと殿下をお慕いしていました。あの夜はまさか殿下もパーティーに潜入しているとは知らず、あなたのことをこっそり目で追っていました。そしたらターゲットがあなたを別室に連れて行こうとしたので慌てて追いかけたのですが、犯人を取り押さえたところで殿下をアリエスに送るべきでした。それなのに、あなたが前後不覚になっているとわかっていながら僕は無理やり――」
「ま、待て、無理やりではないだろう。むしろ俺のほうが無理やり命じたわけで」
「命じられたからといって、好きな相手を強引に自分のものにするのはルール違反です。たとえ殿下が僕のことを好きでも許されることではありません」
「だから好きではない!」
「好きですよね? ほかにも人はいたのに、普段から嫌いだと公言している僕にセックスをねだったのですから」
「な……っ、は、はしたないことを言うな!」
「事実を申し上げたまでです」
「だいたいお前は無茶苦茶だ! 好きだとか無理やりは駄目だとか言うくせに、結局俺を抱いているじゃないか! しかも二度も!」
「ええ、ですから僕の勝手だとお伝えしました。僕を好きなのも僕とセックスをするのも全部僕が悪いんです。だから殿下のせいじゃない」
「なんだその理屈は」
「だって殿下が素直になるには言い訳が必要でしょう?」
にこりと笑われる。反省しているのか、俺のことを馬鹿にしているのか、やっぱりからかわれているだけなのか。この男の考えていることがちっともわからない。
「いい加減諦めて、僕を好きだと認めてください」
「ふざけるな」
「そうだ、今日がなんの日かご存知ですか?」
「お前、本当に人の話を聞かないな……」
なんでこんな奴がラウンズをやっているんだと溜め息をつきたくなった。こちらは男相手の恋愛感情に悩んで本心をひた隠しにしてきたのに、この男は簡単に諦めろと言う。俺の今までの苦労をなんだと思っているのか。
「日本にはホワイトデーというものがあるんですよ」
「ホワイトデー?」
「バレンタインのお返しをする日です。バレンタインにチョコレートをいただきましたので、そのお返しをさせてください」
「別にお返しを期待して渡したわけでは……」
「殿下の欲しいものをなんでも差し上げます」
「――なんでも?」
「ええ、なんでも。お好きなものをおっしゃってください」
彼の両手に力がこもる。俺をじっと見上げる瞳は期待と不安がない交ぜになっているように見えた。自信たっぷりなくせに、心の中では実は緊張しているのだろうか。勝手なことばかりの彼でも緊張するらしいとわかったらなんだか急に可愛く感じられ、意地を張っているのが馬鹿馬鹿しくなった。
きっと俺も彼も臆病なのだ。臆病だから色々な理由を付けて相手を手に入れようとした。好きだと伝える勇気がないから、先に身体を求めてしまった。
二人の性格は水と油だけれど、案外、似た者同士なのかもしれない。
「今の言葉に嘘はないな」
「はい」
伝えていいのだろうか。俺と彼は男同士で、皇子と皇帝の騎士という立場がある。許されない関係が公になれば二人とも表舞台にはいられなくなるかもしれない。俺のせいで彼のキャリアを終わらせてしまうかもしれない。それがわかっていながら、俺の個人的な望みを叶えていいのだろうか。
「君の欲しいものを教えてくれないかな、ルルーシュ」
甘い声で名前を呼ばれ、息を飲み込む。
ずるい。彼はいつもずるい。
この卑怯者と恨めしく呟けば、小さく笑った彼が俺の顔を覗き込んできた。吐息がかかりそうなほどの距離に鼓動が速くなる。
「僕がずるいことは最初から知ってただろう? だから全部僕のせいにすればいいよ」
彼はずるい。でも、本当にずるいのは彼の強引さを理由にしている俺だ。
軍人らしい手を握る。優しく握り返してくれた彼に勇気をもらい、俺は息を吸い込んだ。
「お前をくれないか」
「それだけでいいの?」
「俺の側にいてほしい。俺だけを見てほしい。それ以外はいらない。俺もお前が――、スザクが、好きなんだ」
最後の声は今にも消えてしまいそうだった。好きだと伝えるのは怖い。やはりこれは夢で、伝えた途端に現実へと戻ってしまうのではないかと考えて怖くなる。だけど、目の前の彼は消えなかったし、手の中のぬくもりもそのままだ。
スザクが柔らかい表情を浮かべ、右手の指先に恭しく口付けた。
「僕のすべてはあなたのものです」
再び抱き締められた。彼の背中に両手を回して互いの体温を確かめ合う。愛してると囁かれ、くすぐったさに口元が自然と微笑んでいた。
夢じゃない。これは現実だ。そう実感し、俺はスザクの腕の中で目を閉じた。
***
「兄上からの呼び出しだ」
溜め息交じりに零した途端、スザクが吹き出した。何が可笑しいと睨み付け、彼の隣に腰を下ろす。
「だって本当に嫌そうな顔をしているから。シュナイゼル殿下をそこまで嫌わなくてもいいのに」
「お前はシュナイゼルという人間を知らないからのんきなことが言えるんだ。兄上ほど厄介で面倒な相手はいないのに」
「それで? 宰相閣下はなんて?」
「明日お前と一緒に来いと。どうせまた面倒な仕事を押し付けるつもりだろう」
「仕事ならやるけど、君が囮になるような作戦は反対するよ」
「俺が囮になるとはまだ決まっていない。というか、お前はいちいちうるさいんだ。大丈夫だと言っているのに」
「その無自覚さが全然大丈夫じゃないんだって。下心しか持っていない相手と平気で二人きりになろうとするし」
「二人きりにならなければ相手が油断しないんだから仕方ないと言っているじゃないか。お前は過保護すぎる」
「君が不用心だから心配なの」
「そんなに心配ならいつでも側にいればいいだろ」
ぶっきらぼうに言い返せば、スザクがぱちぱちとまばたきをした。
「それって僕を君の騎士にしてくれるってこと?」
「さあな。お前は皇帝の騎士だから無理なんじゃないか」
「シュナイゼル殿下に頼んでみようよ」
「馬鹿か、こんなところで兄上に借りを作ったら後々どんな面倒事を押し付けられるかわからないぞ」
「じゃあ君からお願いしてくれない?」
「いくら俺でもそう簡単に頼めるか。せめて何か実績を上げないと」
「わかった、実績だね」
「相手はブリタニア皇帝だぞ。そこらのおねだりと同じようにはいかないんだからな」
「大丈夫。なんとかなるよ」
どうなんとかするんだと胡乱な目を向ける。この男、実力でラウンズにまで上り詰めただけあって身体能力は高いし、軍人としては非情に優秀なのだが、どうやら天然らしいことを付き合い始めてから知った。俺を振り回していた男と本当に同一人物なのかと疑いたくなるくらいだ。
――いや、思い返してみれば天然っぽいところは結構あったな。俺がそれを見過ごしていただけで、要するに恋は盲目というやつか。
別に幻滅したわけではない。天然な部分も含めてスザクだし、スザクの犬っぽいところが可愛いとさえ思うことがある。そもそも彼の強引さを本気で嫌がっていなかった時点で文句は言えないだろう。
「とにかく、明日は学校が終わったら兄上のところに行くからそのつもりでいろよ」
「了解」
お茶が冷めてしまったので淹れ直す。こうして彼にお茶を淹れるのもすっかり日常になっていて、俺の部屋に馴染んでいるスザクを見るたびに面映ゆい。
ホワイトデーでの願い通り、スザクはいつも側にいてくれる。本来ならばラウンズの彼とは頻繁に会えないのに、護衛という立場を多いに利用していた。少なくとも俺の高校卒業まではこの状況が続くわけで、兄上に感謝しなければいけないのが少し悔しかった。
「たまにはお茶に付き合うとするか……」
「何か言った?」
いいや、と答えて新しいお茶を彼の前に置く。
「だって悪そうな顔してるから」
「悪そうとは失礼な奴だな。次の作戦を考えているだけだ」
「また危ないことじゃないよね」
「危なくない。むしろ俺の安全に関わることだな」
「まさかほかに騎士を持つつもり? そんなの駄目だよ、僕は認めないからね」
慌てている彼に笑うと、淹れたばかりの紅茶に口をつけた。俺の安全といえばスザクしかいないけれど、それを教えてやるのはもう少し先だ。
――さて、どう段取りを付けるか。
せっかくだから騎士章を誕生日プレゼントにしてもいいな。
隣で騒いでいるスザクの声を聞きながら、俺は頭の中で二人の未来を描いていた。
(22.03.14)