目が覚めた瞬間、今日は自分の誕生日だと唐突に思い出した。
誕生日なんて特段嬉しいものじゃない。顔を隠し、社会的には“死亡”している今となっては無意味なものだ。
子どもの頃だってそうだ。忙しい父親は子どもの誕生日を気にしてくれたことはなかったし、せいぜい大きなケーキを食べられることが嬉しかったくらいだ。
そう、誕生日なんて嬉しいものじゃない。誰も祝ってくれないし、歳を一つ取ったからと言って世界がどうにかなるものじゃない。
それに、自分の誕生日を祝ってくれた人はもう――。
「……馬鹿らしい」
ぽつりと呟いてスザクは身を起こした。時計を見ればいつも起きている時間の十分前だ。長い軍隊生活のおかげか、目覚ましが鳴るより前に目を覚ますことがすっかり習慣になっていた。
目覚ましいらずの体質は軍のおかげだな。
決して軍を辞めようとしなかった自分に対し、彼からそんな嫌味を言われたこともある。当時はよくわからなかったけれど、あのときの彼は本当に軍を辞めてもらいたかったのだろう。その気持ちも理由も、今ならば理解できる。
もっとも、彼なら「今さら理解しても遅い」と文句を言いそうだ。
ベッドから下りると洗面所へ向かい、顔を洗う。鏡の中で自分の顔は毎日見るが、成長したという自覚を自分ではあまり持てなかった。
リビングへ戻って冷蔵庫に入っていたものを適当に口にした。まだまだ成長期と呼んでもいい時期だからもっと食べるべきなのだろう。しかし、必要以上の食物を体内に入れるのはどこか抵抗があった。その意味を深くは追求したくないので、自分自身を誤魔化すように服を着替えた。
あの日以来、すっかり着慣れた服。なのに、いまだに微かな違和感を覚えるのは現実を認められないせいなのか。
思えば、この数年はずっと違和感と闘ってきたように思う。
あれから一年、二年と経ち、世界はもとの日常を取り戻している。でも、中には自分と同じように違和感を抱き、努めて日常を受け入れようとしている人もいた。そういう人は、大抵が彼と深く関わった人間だ。
(こうなることを君は予想していなかったんじゃないかな)
頭は回るくせに肝心なところが抜けていた彼は、自分が愛されている自覚も持っていなかったのだろう。悪逆皇帝として死ねば、世界中の人間が自分を恨んで憎んで、そして忘れると思っていたのだろう。
だとすればとんだ勘違いだ。
「僕だって、本当は――」
ハッとして口を噤む。二年以上も経って今さら何を言おうとしたのか。誕生日に感傷に耽るなんて悪趣味にも程がある。
彼が最後に触れた仮面を手に取った。人々はこれを正義の象徴と呼ぶ。それをまがいものの正義と笑うことは、彼が許さないに違いない。
想いも気持ちも、すべてはあの日に置いてきた。
残ったのは、正義の味方という役割だけだ。彼が望み、自分が望んだ役割だ。
部屋に入った通信に気付き、応答のボタンを押す。
『おはようございます、ゼロ様』
その名前こそ彼が確かに生きていたという証であり、自分が生きているという証でもある。
『本日のスケジュールのご確認をしたいのですが』
「わかった、すぐにそちらへ行く」
通信を切ると仮面を被った。正義の味方の完成だ。
部屋を出て一歩足を踏み出した瞬間から、自分がゼロであるという意識に切り替えた。それは、毎日毎日演じる中で身に付けたものだった。
だから、スザクはもう忘れていた。
今日が自分の誕生日であることを。
「は?」
自分の出した声があまりにも間抜けで、スザク――ゼロ――は咳ばらいをした。
「あの、ナナリー様……どういうことでしょうか?」
「ですから、一日お休みです」
にこりと笑ったナナリーにスザクは戸惑うばかりだった。どうしてこんなことになったのだろうと、ほんの数分前のことを思い出す。
スケジュールを確認するために向かったはずの部屋で、何故かナナリーに出迎えられた。それだけでも面食らったというのに、スザクの目の前で車椅子を止めた彼女はにっこりと笑って「今日は一日お休みです、ゼロ」と言ったのだ。
今日はエイプリルフールだったかと思ってしまうほど唐突な発言。しかし窓の外では夏の太陽がぎらぎらと地上を熱していて、少なくとも四月ではないことを理解したほどスザクは混乱していた。
「休み、と言われましても本日は……」
頭の中でスケジュールを整理する。今日は隣国の首相との会談が入っていた。中立の立場としてゼロが立ち合うことは前々から決まっていたはずだ。それを突然キャンセルすればナナリー、ひいてはブリタニアの心証が悪くならないか。
「会談でしたら私が代わりに引き受けます」
「しかし」
「それとも、私ひとりでは頼りないですか?」
「いえ、そういうつもりでは……」
「ではゼロが安心できることを教えてあげます。会談は首相の急な体調不良で延期になりました」
「え……?」
スザクは仮面の中で目を瞠った。会談を延期するほどの体調不良となればニュースにもなるほどの情報だ。なのに、自分はまったく知らなかった。報告すらされていないとは一体どういうことか。
「ごめんなさい、ゼロ」
その理由はナナリーによって打ち明けられた。
「実は延期のお話は数日前に決まっていたのですが、ゼロにはお伝えしないよう私が皆さんに頼んだのです」
予想していなかった事実に、スザクはすぐに返事を返すことが出来なかった。職権乱用とも呼べる行為はナナリーらしからぬものだ。
「どういうことですか?」
「無茶なことをしてしまったことは申し訳ないと思っています。本当にごめんなさい。でも、私はあなたにお休みしていただきたかったのです」
真摯な瞳に、何故そこまで休んでもらいたかったのだろうと首を捻る。最近はゼロとして世界を飛び回ることもだいぶ減ったし、定期的な休みも取っていた。ゼロになった当初に比べれば決して働き過ぎということはない。むしろ規則正しい健康的な生活を送っているくらいだ。
「気付いていないのですか?」
「何がですか?」
問われて、ますます頭に疑問符を浮かべる。自分が休まなければいけない理由などないはずだ。
すると、ナナリーが小さく笑った。聞き分けのない子どもに苦笑いするような、何かを寂しがるような笑み。この数年ですっかり大人びた彼女の顔からは少女らしさが少しずつ消え、代わりに深みのある表情をするようになった。
「こちらをどうぞ」
すぐにいつもの柔らかい表情を浮かべたナナリーは、膝の上に置いていた箱を差し出した。
「これは……?」
「プレゼントです」
「プレゼント?」
「だって今日はあなたのお誕生日ではないですか」
ナナリーの言葉に、スザクは心臓が止まりそうな衝撃を受けた。
ナナリーはゼロの正体を知っている。仮面の中の顔をその目で実際に見たことはないけれど、誰が最愛の兄を殺し、兄の代わりにゼロを演じているのか知っている。
だがブリタニアの代表となってからは、ゼロが枢木スザクだと気付いている素振りすら見せてこなかった。幼馴染の友人であることも、兄を殺した憎い仇であることも知らないふりをして、いついかなるときも世界の救世主ゼロとして接してきた。
その彼女が、「誕生日」と口にした。
「お誕生日おめでとうございます」
「何をおっしゃっているのか私には、」
「あなたを困らせることはわかっていました。でも、もうすぐ三年が経つのです。せめておめでとうを伝えるくらいは許されてもいいのではないでしょうか」
差し出されたままの箱を呆然と見つめた。
あれから三年。言葉にすれば随分と昔のように感じる。
せめてと言ったナナリーは、これまで我慢していたのかもしれない。兄と幼馴染の意を汲んで、二人のためにずっと我慢してくれていたのかもしれない。枢木スザクを匂わすものはたった一言でも口にしない、ゼロの秘密は守ると、誰に頼まれたわけでもないのに固く決めていたのかもしれない。
それが、なぜ今になって――。
「約束をしていたのです、お兄様と」
久しぶりに聞くその呼び方に、自然と涙がこみ上げそうになった。涙など当の昔に枯れ果てたと思っていたのに、まだ大声で泣き喚きたい気持ちが残っていたなんて。
「次の誕生日にはこれを贈ろうと一緒に相談していたのです。そしたら、お兄様ったら随分と早くに完成させてしまって。でもあれからずっと渡しそびれて、結局三年も経ってしまいました」
どうか受け取ってください。
願うような声に、スザクはおそるおそる手を伸ばした。両手で大事に包み込むと、ナナリーが嬉しそうに笑った。
「ですから今日は特別に誕生日休暇です。思いきり羽を伸ばしてください。ただし、明日からはまた山のように仕事が待っていますから覚悟しておいてくださいよ」
悪戯っぽく言われ、仮面の中で泣き笑いの表情をする。自分を許してくれるナナリーの優しさは、きっと兄譲りなのだろう。
「ありがとう、ございます」
変声器越しの声はとても味気ない。しかし、わずかな変化でも人の感情を悟る彼女には今の気持ちが伝わったようで――。
「どういたしまして、ゼロ」
にこやかで明るい返事は、幼馴染として過ごしていた日々を思い出させる声音だった。
丁寧に巻かれたリボンを解く。
中から現れたものにスザクの頬は緩んだ。
「アーサーだ……」
それは自分が可愛がっていた猫の形をしたぬいぐるみだった。
あの日以来、アーサーはセシルたちの元にいた。たまにロイドを訪ねるときに会うのだが、お前なんか知らないという顔をされてしまい、今ではすっかり疎遠だ。やっぱり猫は冷たい。
あるいは、実はゼロの正体がスザクであることに気付いていて、アーサーなりに秘密を隠す手助けをしてくれているのかもしれない。そう考えるのは都合が良すぎるだろうか。
テーブルの上にちょこんと猫を乗せてみた。
「これって手作り、だよね」
既製品のように精巧な作り。ナナリーの話が本当ならば、これを作った人物は間違いない。
(――ルルーシュだ)
ぬいぐるみの頭を撫でる。気持ちのいい手触りは本物みたいだ。
しかし、二人は何故これを贈ろうと思ったのか。まだ三人で学園生活を送っていた頃のことを思い出してみる。アーサーに噛み付かれても引っ掻かれてもめげないスザクに、ルルーシュはよく呆れた顔をしていた。どうしてスザクだけ嫌われるのかとナナリーも困った顔をしていた。
記憶を手繰り寄せていたスザクは、椅子に座ってぬいぐるみを持ち上げた。本物もこうして触らせてくれたらいいのに。そして、ふいに会話が蘇る。
『そんなにアーサーに触りたいのなら、俺が代わりの人形を作ってやる。それで我慢しておけ』
ただし渡すのは来年の誕生日だ。
意地悪く笑った彼の顔を昨日のことのように思い出した。
『お兄様ったら随分と早くに完成させてしまって』
来年渡すと言いながら、ルルーシュはすぐにぬいぐるみ作製に取り掛かってくれたに違いない。だけど来年と言った手前もあるし、男が男にぬいぐるみを渡すのはさすがに恥ずかしすぎると思ったのか、ナナリーにだけ打ち明けて隠しておいたのだろう。
クラブハウスの部屋は消えてなくなり、彼が持っていたものもすべて失われたはず。どうしてこのぬいぐるみだけが無傷で残っているのか不思議だ。誰かに預けておいたら奇跡的に無事だった、という可能性はある。ミレイか咲世子あたりなら大事に保管してくれそうだ。
いずれにしろ、三年も経ってこうして自分の手元にあるのはそれだけで奇跡だった。
「ありがとうナナリー……ルルーシュ」
ぬいぐるみの頭に顔を寄せる。そこにまだルルーシュの匂いが残っている気がした。
「ありがとう」
枢木スザクに誕生日プレゼントを贈られることはもうないと思っていた。枢木スザクが消えて行くのは当たり前であり、そうならなければいけないのだから。
でも、嬉しいと思った。
ルルーシュが遺し、ナナリーが繋いでくれた贈り物を、とても嬉しいと思ってしまった。
「ありがとう……」
21歳の大人がぬいぐるみを抱き締めて泣くなんて情けない。
でも、今日ぐらいは許してほしい。
自分が生まれてきたことを、感謝させてほしい。
* * *
「お兄様?何をされているのですか?」
「裁縫だよ。こっちに針があるから気を付けるんだよ」
「ボタンでも取れましたか?」
「そうじゃないんだが、ちょっとな……」
「あっ、もしかしてアーサーのぬいぐるみですか?スザクさんのために」
「ち、違うぞナナリー!あいつの誕生日はまだ一年も先であって、今から作るなんてそんなこと、」
「お兄様が慌てているということは図星ですね。大丈夫ですよ、スザクさんには内緒にしておきますから」
「ナナリー……」
「きっと喜んでもらえますよ。でも完成させたらどうするのですか?」
「来年の誕生日まで隠しておこうと思う。そうだ、出来上がったらしばらく預かっていてくれないか」
「私がですか?」
「ああ。男の部屋にぬいぐるみがあったら不審だろう?あいつが俺の部屋に来たときにもし見つかったら色々と説明が面倒だ」
「そういう理由でしたら、私が責任を持ってお預かりします」
「それから、あいつの誕生日が来たら渡してほしいんだ」
「お兄様が作ったのですから、お兄様が渡すべきなのでは?」
「さすがに俺からぬいぐるみというのは……」
「ふふっ、わかりました。では、お預かりして渡すところまでが私の仕事ですね。任せてください」
「ありがとう、ナナリー」
「喜んでもらえるといいですね、アーサーのぬいぐるみ」
「そうだな。喜んでもらえたら俺も嬉しいよ」
だから、忘れずに渡してもらえるかな。
(11.07.10)