野いばら

 ※ジュリアス様がスマイラス将軍の愛人で、そんなジュリアス様をセブン様が奪いに行くという捏造も甚だしい愛人ネタです。愛人と言っていますが、愛人という言葉に謝らなければいけないくらい健全です。
 きらびやかな空気に噎せ返りそうだった。
 ひっきりなしに挨拶に訪れていた人の波が一旦途切れると、スザクは目を眇めて天井を見上げた。豪奢なシャンデリアが目に眩しい。
 (こういうのは不得意分野なんだけどな)
 帝国最強の騎士の仕事がパーティー参加だなんて、最初はなんの冗談かと思った。
 ナイトオブラウンズ。ブリタニア皇帝の騎士として皇族に次ぐ地位を持つ彼らは軍人の憧れだ。
 そのラウンズに外国人として初めて任命されたのが枢木スザクだった。
 身体的能力の高さやナイトメアフレームと呼ばれる人型兵器の扱いなど、常人より優れた能力を持っているラウンズ。当然、戦場での活躍が大いに期待される立場である。
 が、ここ最近の世界情勢は至って平和で、過去は強硬路線を取っていたブリタニアですらもう何年も戦争をしていない。ナイトメアの出番があるとすれば小さな紛争やテロへの対策などで、昔に比べればその出番は大きく減っている。
 代わりに増えたのが、主要なパーティーやイベントへの参加だった。帝国最強の称号を持つ人間がいれば華があるということで、いわば人寄せパンダのようなものだ。
 もちろん、のんきにパーティーで飲み食いしているわけではない。平和になったと言っても、己の権力や財力を大きくしたいという野心がなくなったわけではなく、貴族の中には反抗的だったり不穏な動きを見せたりする連中もいた。
 そうした貴族に対する監視と牽制にラウンズの存在は一役買っていて、だからこそパーティーには積極的に出席しろというのが皇帝陛下からのお達しだった。
 (でも、これじゃあ遊んでいるようにしか見えないな)
 スザクから十メートルほど離れた場所に同僚のジノがいる。実家が貴族の彼は、日本人のスザクと違って幼い頃からパーティー慣れしていた。女性たちと楽しそうに歓談する姿はとても任務中には見えない。
 (単に今夜の相手を探しているだけなんじゃないか?)
 まあ自分も人のことは言えないけど、とひとりごちてシャンパンのグラスを受け取った。細かな気泡越しに見るシャンデリアがきらきらと輝く。
 日本という国の狭さに飽き飽きし、己の力を試すためにブリタニアへ渡って帝国の騎士の地位を得た。人が羨むようなサクセスストーリーは、実際に経験してみるとなんとも味気ない。

「枢木卿、少しお話ししてもよろしいですか?」

 どこかの貴族の令嬢だろう。着飾った女性が声をかけてきたのにスザクは笑みを浮かべた。

「ええ、もちろん」

 皇帝陛下の騎士ともなれば遊び相手には困らない。それはジノを初めとしたほかのラウンズも同じだが、特にスザクは日本出身という物珍しさから近寄ってくる女性が多かった。令嬢と言っても、本物の令嬢がこのパーティー会場の中にどれだけいるのだろう。
 ナイトオブセブンは手が早いという名誉とも不名誉とも呼べる噂が社交界では流れているが、一夜の相手を探しているのは向こうも同じだ。相手はラウンズで身元はしっかりしているし、お互いの立場上、関係を公言される恐れもないのだから、遊び相手としてこれ以上の適任はいない。
 スザクとしては街まで行って娼婦を買う必要がないし、物わかりの良い相手ばかりを選んでいるので後腐れがないというメリットがある。
 つまり、立派なギブアンドテイクなのだ。

「私、少々酔ってしまったようです。外の空気に当たりませんか?」
「いいですよ」

 今日の相手は彼女か、と思いながら連れ立って歩く。人がひしめき合っているホールを抜け出し廊下に出た。そこには今夜の駆け引きをしている男女がちらほらいて、ラウンズも貴族も同じかと笑いそうになった。
 実に平和で、喜ばしいことだ。

「あら、何かしら」

 訝る声につられて振り返れば、さざ波のようにざわめきが伝わってきた。駆け引きを中断した人々が一心に廊下の向こうを見ている。
 スザクも野次馬のひとりになっていると、しばらくしてざわめきの正体がわかった。

「あれはユーロピアのスマイラス将軍ですか?今日のパーティーにいらしていたのですね」

 悠然と歩いてくるのは恰幅の良い男性だった。
 ユーロピア共和国連合の将軍でなかなかの切れ者と評判の彼は、近頃はブリタニア貴族のパーティーに頻繁に出没している。
 そして、その隣にもうひとり。

「隣にいるのはどなたかしら?」

 彼女の質問に応えることなく、スザクは食い入るように同伴者を見つめた。
 スマイラス将軍の隣を歩くのは、青年と少年の中間にいるような男だった。歳は自分と変わらないかもしれない。
 全身が黒の装束で、重苦しい色合いは華やかなパーティーに似つかわしくないように思える。しかし、彼が着ると決して沈んだ色には見えなかった。
 その理由は彼の容貌だ。
 恐ろしく整った美しいおもてと、衣装と同じ色の艶やかな黒髪。そして、まるで美しさを隠すように左目を覆う黒い眼帯。眼帯には右の瞳と同色の紫の宝石が飾り付けられていて、歩くたびに紐の先が揺れる様が一種の芸術のようだった。
 廊下にいるすべての人が彼に魅入っている。華々しい場所に落ちた一点の漆黒。

「ああ、あれは将軍の最近のお相手ですね」

 ぼんやり二人を眺めていると、訳知り顔で令嬢に話しかけてきた男がいた。噂好きとして社交界では悪い意味で有名な男だ。

「近頃のパーティーに必ず連れてくる愛人ですよ」
「でもあの方、男性ですよね?」
「美しいものなら男も女も関係ない主義なのでしょう。あんな美少年をどうやって捕まえたのか、その秘訣を教えてもらいたいですな」
「まあ」

 くだらない会話を聞き流しながら、スザクは愛人と呼ばれた少年を見つめた。
 スマイラス将軍が何か話しかければ彼が笑みを浮かべる。それだけで周囲の息を飲む音が聞こえた。
 (愛人、か)
 彼を目にするのはこれで五度目だ。
 最初は先月のパーティーだった。しかもそのときは将軍直々に「自分の愛人だ」と紹介された。
 噂好きの男の話ではないが、どうやら最近は頻繁にブリタニアのパーティーに顔を出し、見せびらかすように必ず彼を連れているらしい。彼にも家族はいるだろうに、どの国の人間もそういうものを持ちたがるものかとせせら笑ったものだ。
 ふいに彼と目が合った。途端に険しい視線を向けられ、飼い主の後ろへ逃げる猫みたいに将軍に体を寄せる。将軍の腕が細い腰へと回るのを見たところで、スザクは興味を失くしたように踵を返した。

「枢木卿?」
「急ぎで戻らなければいけない用事を思い出しました。すみませんが、どなたか別のお相手を探してください」
「えっ」

 呆気に取られている令嬢を残してすたすたと廊下を進む。せっかく一夜の相手を見つけようと思ったのにすっかり興醒めだ。
 (だけど、彼もこちらに気付いたから満足かな)
 先月の出来事を忘れていないのは自分だけではない。今日はそれで充分だと口の端に笑みを乗せ、スザクは賑やかな会場をあとにした。

* * *

「今日はおひとりですか?」

 振り返った彼が一瞬で顔を歪めた。思った通りの反応だ。

「ナイトオブセブン……」
「スザク、と呼んでいただいて構わないと申しましたが」
「誰が呼ぶか」
「では、僕はあなたのことをなんとお呼びすればいいでしょうかね。ジュリアス様、キングスレイ卿、あるいは、将軍の愛人?」

 彼の視線に憎しみが籠もるのをスザクは満足げに見た。

「ああ、失礼。今現在は、と付けなければいけませんでしたね」
「どういう意味だ」
「知っていますよ、あなたの噂。スマイラス将軍の前はブリタニアの将校の愛人をされていたのでしょう?位の高い男ならば誰でもいいのですか?」
「位が上がれば上がるほど金払いがいいからな」

 言い放った彼は、腕を組むと手すりに寄りかかった。階下からは笑い声や話し声が聞こえてくる。
 今日も今日とて貴族主催のパーティーに出席したスザクは、またもやスマイラス将軍とその愛人の二人に出くわした。

「これはスマイラス将軍。連日お目にかかるとは、ユーロピアは余程平和なようですね」
「このような場所にナイトオブラウンズが連日出席されているブリタニアもユーロピアに負けず劣らず平和なようだ。しかも、ナイトオブセブン殿は毎回お相手する女性が違うとか。私にそれほどの甲斐性はありませんよ」
「いえ、毎回ご自慢の愛人を連れていらっしゃる将軍には敵いません。どうすれば年下の愛人を得られるのか、今後の参考までにお聞かせ願いませんか」

 険悪とも取れる会話を交わしたのはほんの数時間前のことだ。
 スマイラス将軍を殊更嫌っているわけではないが、売り言葉に買い言葉で、いつも喧嘩のようなやり取りが繰り広げられていた。言葉すら交わさなかった前回のパーティーはむしろ珍しいくらいだ。
 その将軍の後ろにはやはり彼がいた。ジュリアス・キングスレイという名の男は、将軍がブリタニアのパーティーに顔を出すようになって以来、必ず傍にいる。
 彼については下世話な噂話が付き纏っているが、将軍自ら愛人と公言しているのだから隠すつもりはないのだろう。
 (連れ歩いて自慢するぐらいだからな)
 その気持ちはわからなくない、というのが大方の意見だ。
 誰もが振り返るほどの美貌はなかなかお目にかかれるものではなく、同性の愛人という物珍しささえ、彼の前ではどうでもいいことのように思えた。彼だったら自分もお相手願いたいと下品な話をしている貴族は一人や二人ではなかった。
 はべらせる相手としてはこれ以上ないほどの美しさ。しかも、ただ綺麗なだけの頭が空っぽな人形ではない。愛人らしく将軍の後ろに控えているものの、話を振られれば政治から経済までありとあらゆる分野の話題について話せる聡明さに誰もが舌を巻いていた。
 だからではないが、スザクも彼に興味を抱いた。優れた容姿と才覚を持ちながら、なぜ愛人という立場に収まっているのか。彼ほどの能力があれば自分ひとりの力でのし上がれそうなのに、なぜ人に施される身分に甘んじているのか。
 何より、目が好みだと思った。
 自分に向けられる苛烈なまでの視線は、美しい容貌にはどこか似つかわしくない。
 でも、人慣れしない猫を思わせる険しい目は嫌いではなかった。それが自分だけに向けられればなおのこと。
 手を伸ばせばぱしりと叩かれた。こういうところも猫みたいだ。

「気安く触るな」
「肩のゴミを取ろうと思っただけですよ」
「白々しいことを。だいたい、天下のナイトオブラウンズ様が敬語で話しかけてくるのは気味が悪い」
「将軍の愛人ならばそれなりの対応は必要でしょう?キングスレイ卿」
「その呼び方をするな」

 自分の名前にもかかわらず吐き捨てるように拒絶された。

「ではなんと呼べば?」
「今の以外だったら好きに呼べ」
「ならば、――ジュリアス」

 好きに呼べと言ったくせに、ファーストネームを呼ぶと彼が動揺したように瞳を揺らした。その一瞬の隙に腕を取り、壁に体を押し付ける。
 そして、視線を合わせたまま唇を塞いだ。

「ン、んっ、んん…!」

 抵抗しようと彼が身を捻るけれど、両手も体も壁に縫い付けているためままならないようだ。
 歯列を割り、濡れた舌を強引にねじ込む。すぐに彼のものを見つけ出して絡め取った。

「ふッ…、んぅ」

 漏れる吐息にスザクは薄く目を開いた。
 頬を上気させ、たどたどしくキスに応える姿は演技なのだろうか。
 愛人をしているくらいだから当然こんな行為にも慣れているだろうと思ったのに、生娘を相手にしているような感じがするのは錯覚か。
 彼に手を伸ばすのは初めてではない。初めて会ったときも、こうして人のいない場所で衝動的にキスをした。
 あのときはすぐに頬を叩かれ、それ以来、パーティーで会うたびに憎々しい目を向けられていた。しかし今日は最初の抵抗だけで、あとは従順に応えているのはどうしたことだろう。試しに手を離してみても、だらりと落ちただけで反撃はない。
 今だけは許されているのだと判断し、スザクは細い体をぐっと抱き寄せた。
 顔を交差させて彼の唇を貪る。唾液ごと啜れば、腕の中の彼が感じたように背を震わせた。

「ふぁ、ア……、んっ」

 切なく啼く声に、このままどこかへ連れ込んでしまおうかと不埒な考えが浮かぶ。
 しかし、愛人とは言え彼は人のものだ。しかも盗む相手はユーロピアの将軍。社交界がいくら奔放で自由な場でも、今回ばかりはちょっとした火遊びでは済まされない。
 こうして人目を忍んでキスをしているのだって発覚すれば一大事なのに、そう思えば思うほど体の熱が上がり、彼を求める気持ちが募った。
 (あんな男じゃなくて自分のものになればいいのに)
 人から彼を奪いたいだけなのか。それとも、愛人ならば少しの浮気に付き合ってくれると思ったのか。
 否。
 この感情にどんな名前を付ければいいのか、自分でもわからない。だけど、単なる火遊びで手を出したのではないということは認めよう。
 ただ、欲しかった。
 一目見たときから欲しかった。
 彼が愛人でなければもっと正攻法でいったのに、愛人だったから仕方なくこうしているのだと己の行動を無理やり正当化する。
 彼の気持ちも体も手に入らない。決して自分のものにはならない。ならば、せめてキスをするだけは許してくれないかと願うように思い、スザクはようやく唇を離した。
 二人の間を透明な糸が繋ぎ、すぐにぷつりと切れた。

「は……ッ」

 彼がずるずると壁伝いにへたり込む。膝を付いたスザクは、手袋に包まれた手で彼の顎を持ち上げた。濡れた唇を舌の先でひと舐めし、親指で唾液を拭った。
 こちらを見上げる潤んだ瞳ににこりと笑いかければ、茫然としていた彼が我に返ってスザクの胸を押した。

「離れろ!」
「自分だって気持ち良さそうにしていたくせに」

 どうせこんなことには慣れているのだろうとわざとからかう。すると、彼が傷付いたような表情を浮かべた。
 意外な反応に内心首を傾げると、パンッ、と小気味良い音がした。平手打ちされたのは二回目だ。

「私がスマイラス将軍の相手だと知っての所業か」
「もちろんよく知っているよ」
「だったら、」
「スマイラス将軍なんてやめなよ。君に愛人なんて相応しくない」
「偉そうにお説教か」

 彼が露悪的な笑みを浮かべる。

「愛人という立場に甘んじていると言うのなら僕は何も言わない。でもスマイラス将軍の相手は嫌だ」
「子どもの我儘か。だいたい、将軍の愛人は駄目だけど愛人そのものはいいなんて支離滅裂もいいところだな。じゃあ、誰の相手ならいいんだ」
「僕だよ」

 彼の右目が大きく見開かれる。嫌がる素振りも驚いた顔も本当に猫みたいだと思った。
 そういえばすっかり敬語をやめていたと今さらながらに気付く。嫌がらせのように慇懃無礼な態度で接していたけれど、自分も余裕がないらしいと可笑しくなった。

「位の高い男は金払いがいい、そう言ったのは君だよ。いくら出せば君は僕のものになる?」
「な……」
「スマイラス将軍はやめて僕の愛人にならない?」

 放心したようにしばらくスザクを見つめていた彼は、唇を噛むと一瞬目を伏せ、そしてスザクの肩を強く押した。そのまま立ち上がって背を向ける。

「随分と馬鹿にされたものだな。金さえ出せば誰にでも足を開くと思っているのか」
「そういう意味じゃない」
「愛人になれと言うのはそういうことなんじゃないのか!」

 彼が声を荒げる姿を初めて見た。ぎゅっと握り締められた両手が痛々しく、彼を傷付けてしまったのだと思い至った。

「ごめん、本当にそういう意味じゃないんだ。僕の言い方が間違っていた」

 一歩、二歩と足を進める。

「僕のものになってほしい気持ちは同じだよ。でもそれは愛人としてじゃない。恋人としてだ」

 反射的に振り返った彼は何か言おうと唇を開いて、しかし声を出す代わりに口角を上げた。

「言うに事欠いて恋人か。ナイトオブセブン様はいつもそうやって相手を引っかけているのか?」
「これまでのことをなかったことにはできないし弁解するつもりもないけど、今の言葉は本当だ。嘘じゃない」
「どうだか」

 吐き捨てた彼は踵を返した。

「嘘じゃないと言うのならそれを証明してみせろ。そしたら少しは考えてやる。どうせ無理だろうが」

 そう言い放ち、黒い衣装に包まれた背中が階段を降りて行く。
 階下でパーティー客に囲まれる彼の姿を目で追いかけた。スマイラス将軍が細い肩を抱けば、胸の奥にどす黒いものが広がった。

「証明ね……」

 この感情にどんな名前を付ければいいのか、考えるまでもなかった。
 これは恋だ。
 嫉妬に塗れた醜い恋だ。

* * *

 その日からスザクは己の行いを改めた。
 パーティーは半ば義務みたいなものなので出席するしかないが、一夜の相手を捕まえて遊んで回るのはぱたりとやめた。
 当初はナイトオブセブンが大人しくなったと面白可笑しくからかわれたものの、決して誰も相手にしないというのがわかると、今度は本命ができたのではないかと噂されるようになった。
 同僚のジノからも「品行方正なスザクなんて嘘だろう?」と驚かれたものである。本当だよと答えたら、口をあんぐり開けていたので大笑いしてしまった。
 (何をしているんだって思わないこともないけどね)
 会場の隅でシャンパングラスを揺らしながら、賑やかな空間をぼんやり眺める。入り口にほど近い壁際がここ最近のスザクの定位置だ。
 あれから一ヶ月。前回のパーティー以来、ジュリアスにもスマイラス将軍にも会っていない。
 恋人にしたいと言うなら証明してみせろと言われ、まずは女性関係を綺麗にし、品行方正を心がけているところだ。が、よく考えてみると、今の自分の状況を彼が把握してくれる保証はない。
 証明というのは毎日愛の言葉を囁くとか毎日贈り物をするとか、そういうわかりやすい方法のことを言っていたのでは。だとしたら、スザクの今の努力は水の泡だ。
 (すごく今さらだけど、もしかして判断を誤った……?)
 そもそも何が正しいのかもわからない。
 証明とは単なる方便で、二度も勝手にキスされたことを怒った彼が仕返しをしている可能性はある。あるいは、彼自身が愛人をやめたいと望んでも叶わない可能性だってあった。
 スマイラス将軍がいくら紳士でも、あれほど周囲に自慢している愛人をあっさり手放せるだろうか。一ヶ月も姿を現さないのは二人の間で揉め事が起きているからではないのか。
 考えれば考えるほど己の迂闊さに頭を抱えたくなる。
 彼を手に入れたいと望んだけれど、彼を傷付けたいわけではない。ただ、スマイラス将軍ではなく自分を選んでほしいと思っただけなのだ。
 しかし、そのせいで彼の身に何か起こっていたら取り返しがつかない。
 (今から将軍のところに……、いや、いくらラウンズでも他国のVIPをいきなり訪問すれば外交上の問題になる。でも、こうしている間にも彼に何かあったら……)
 いい方法はないだろうかと必死に考えながらなんとなく視線を上げた。そして、ふと目に入った姿にハッとする。
 豪奢な扉の向こう側に立ち、スザクをじっと見つめていたのはジュリアスだった。
 一ヶ月前と変わらぬ出で立ちで、美しさにも変わりがない。いつもと違うのはその隣にスマイラス将軍がいないことだけ。
 つかつかとこちらに向かって歩いてきた彼は、目の前に立つとおもむろにグラスを奪った。半分残っていたシャンパンを呷り、大きく息をつくとスザクを睨んだ。

「どうしてここに?スマイラス将軍は?」

 気になっていることを尋ねれば、なぜか視線の険しさが増した。

「社交界という場にいる限り、お前の噂話ばかりが耳に入ってきて迷惑だ」
「それは僕の責任じゃないんだけど」
「若い女性のもっぱらの話題はお前の本命が誰かということだ。しかも、お前が本命を捕まえる前に告白しておこうとか、いっそ結婚相手に立候補するとか、そういうくだらないおまけ付きでな。迷惑で不愉快だ」
「だからそういうことを言われても……」
「お前は勘違いしているようだから訂正しておくが、私のやっている愛人はお前が考えている愛人とは違う」
「へ?」

 空になったグラスを給仕に返すジュリアスをぽかんと見る。
 愛人は愛人だ。それ以外に何があるのだろう。

「依頼があれば食事に付き合ったりパーティーに同伴したりする。それだけだ」
「え……、それだけって」
「依頼主の一時の話し相手になるだけで疚しいことは何もしていない。依頼主もそれを承知で私と契約している」
「なんでそんなことを……」
「勉強のためだよ。位の高い男は教養も遊びも知っているし、何より金払いがいいからな」

 ジュリアスがにやりと笑う。
 それは先日と同じ科白だ。でも、ニュアンスは先日とだいぶ違っていた。

「じゃあ、スマイラス将軍は、」
「将軍は私のために社交界のあれこれを教えてくれたに過ぎない。その契約も一ヶ月前に切れた」
「一ヶ月前?」
「お前と最後に会ったあれが将軍との契約最終日だったんだ。もともとこちらに滞在している間だけの契約だったのに、お前が変な対抗意識を燃やすから将軍も面白がってしまって……」

 ジュリアスの声をぼんやり聞く。
 つまり、この一ヶ月彼らがパーティーに姿を現さなかったのは、二人の間でトラブルが起こっていたわけではなく単に契約が切れただけなのか。
 (ということは……)
 スザクはがしりとジュリアスの手を掴んだ。びくりと震えた彼は、しかし逃げることなくこちらを真っ直ぐ見てくれていた。

「枢木スザク」

 彼の唇が名前を紡ぐ。

「お前はまだ、金で私のことを買いたいと思っているか」
「それで君が手に入るならいくらでも出すよ。でも僕は君と契約で付き合いたいんじゃない。君の気持ちが欲しいんだ。契約とかお金とかそういうものではなく、君の言葉で僕に応えてほしい」
「――お前は勝手だな。勝手で我儘で、本当に酷い男だ」
「そんな僕が君は好きなんだろう?」

 顔を覗き込んで尋ねれば、彼の頬が微かに染まった。

「ち、違う!」
「だって、そうじゃなかったら愛人のことを訂正するためにわざわざここまで来ないだろう?君に恋人になってもらいたい気持ちは変わらないよ。だからこの一ヶ月、僕なりに誠実に過ごしてきたんだけど、合格点はもらえないかな?」
「一ヶ月だけじゃわからない。お前は女好きだから、私が合格点を出したらまたパーティーで遊び相手を探すんだろう」
「信用ないなぁ。まあ自業自得と言われればそれまでだけど。わかった、それなら君が僕の傍で監視していてよ」

 提案すれば、彼が眉を寄せた。

「そんなことをしたら今度はお前が色々言われるぞ」
「ここでこんなことを言っている時点ですでに色々言われていると思うけど。それに僕はラウンズだから、陛下と皇族以外からなんと言われようと関係ないよ。もしそれが原因でラウンズを辞めることになったとしても後悔はしない」
「お前は良くても私が嫌だ。職なしの男と付き合うつもりはないからな」

 厳しい言葉にスザクは声を上げて笑った。
 契約で要人の愛人をやっていたのだ。このくらい厳しくなければ彼らしくない。

「了解。じゃあ、無職にならないよう頑張るから僕の恋人になってくれる?」
「言い方が軽い」

 文句を言いながらもいまだ掴んだままの手は振り払われない。それに気を良くして、スザクはジュリアスの耳元に唇を寄せた。

「まずは親交を深めるために、ここを抜け出して僕の屋敷に来ない?」

 囁いた内容にジュリアスが唇を尖らせた。これだから軽い男はとぼやいている。

「会っていきなりキスするなんて手が早すぎるだろ。私はあれが――」

 そこでふいに言葉が途切れた。どうしたのかと見れば、白い頬がまた赤くなっている。

「あれが?」
「うるさい!なんでもない!」
「そういえば、愛人というのは単に食事やお喋りに付き合うだけなんだよね?ってことは、体の関係はもちろんキスもなしで」
「公共の場ではしたないことを言うな!」

 怒鳴るジュリアスの顔はさらに赤い。
 この反応はつまり、彼はキスすら誰ともやっていないということだろうか。

「もしかして、僕が君のファーストキスの相手?」

 尋ねてみても悔しそうに潤んだ瞳で睨まれただけだ。でも、それが答えのすべてだった。

「ごめん、無理やりあんなことをして。君はスマイラス将軍のものだと思ったら焦ってしまって……」
「――別にいい。気にしていないし、嫌だったわけではないから……」

 もごもごと告げられた科白は、しかしスザクの耳にしっかり入っていた。
 ああ、自分は最初から許されていたのか。
 そう思うと、彼への愛しさと愛されていることの喜びで胸がいっぱいになる。

「ジュリアス」

 その名前を口にできることがとても幸せだと思う。

「改めて誘うけど、僕の屋敷に来てくれないかな。君のことをもっと知りたいんだ。だからいっぱい話をしよう。もちろん変なことはしないから安心して」

 最後は茶化して言えば、ジュリアスが小さく笑った。

「そうだな、ではまずは美味しい紅茶でも出してもらおうか」
「イエス、マイロード」

 手の甲に恭しくキスを落とす。
 近くにいた女性が小さく悲鳴を上げたのに気付き、しい、と唇の前に人差し指を当てればこくこく頷かれた。ジュリアスと顔を見合わせ、二人でこっそり笑い合う。
 これは恋だ。
 嫉妬しながらもただひとりを追い求める、生涯でただ一度の恋だ。
 (14.02.28)