虹色の雨

 目の前にルルーシュの背中があった。抜けるように白い肌は陶器のようで、思わず触りたくなってしまうほどだ。
 事実、その肌は触れればさらさらとした気持ちの良い手触りがすることをスザクは知っていた。だけど、今は少しだけ不満がある。
 (なんで背中向けてるんだろう)
 いつもならこちらを向いて猫みたいに体を寄せてくるのに、今日に限って背中を見せている。そのことがなんだか無性に腹立たしくなって薄い肩を掴もうとした。
 (……馬鹿じゃないのか)
 しかし、手を伸ばしたところで思いとどまる。
 馬鹿だと思ったのはもちろんルルーシュに対してではなく、自分に対してだ。
 一体何を怒っているのか。背中を向けているから腹を立てるだなんて自分勝手も甚だしい。力任せに肩を引き寄せなかっただけましだが、単に未遂で終わったというだけの話。褒められることではない。
 それでもルルーシュと自分の距離が離れているのはなんだか悔しくて、スザクは背後から腕を伸ばした。
 起こさないよう気を付けながらあたたかい体を抱き締める。
 細い体だった。
 同い年の同じ男とは思えないほど細い体だ。日頃は口の悪さと眼光の鋭さに圧倒されるけれど、こうして抱き締めればひどく頼りない。
 そして思う。こんなときに感じる頼りなさはルルーシュが心の奥底に隠しているもう一人のルルーシュではないかと。
 今はまだ生きている人間の温もりがした。
 だけど、いずれこの細い体を貫き、確実に殺さなければならない。ほかの誰でもないスザク自身の手によって。
 (ルルーシュ……)
 自分たちはどこで違えたのだろう。
 何度も自問し、決して答えが出なかったことをまた考えるのは、約束の日が迫っているせいかもしれない。
 明日を望んだはずなのに、明日が来なければいいと思っている。
 ひどい矛盾だ。
 (ルルーシュ)
 もう一度、胸の内で名前を呟き、目を閉じる。
 そのままスザクは再び眠りに落ちた。
 外は雨が降っていた。

「ずっと雨が降り続けばいいと思っていたんだ」

 そこは生徒会室だった。
 見慣れた場所にはルルーシュとスザクの二人きり。ほかのメンバーは遅れているようだ。

「なんの話だ」
「子どもの頃の話だよ。君たちのところへ遊びに行っているとき、たまに雨が降っただろう?そんなときはずっと雨だったらいいのにって思っていた」
「雨が降ると外では遊べないじゃないか。お前は家の中でじっとしているよりも外で駆け回っているほうが好きだったんじゃないのか?」
「それはそうなんだけど、雨が降れば傘はないし道も危なくなるから土蔵から出られなくなる、そしたら家に帰らなくていい。だからずっと雨だったらいいなって」

 ルルーシュは先ほどから書類と睨めっこしていた。スザクはアーサーとじゃれながらその横顔を眺めていた。
 そして、これは夢だと知っていた。

「馬鹿だな。お前が戻らなければいずれ家の人間が迎えに来るだけだ」
「そんなのわかってるよ。でも、ルルーシュとナナリーと三人でずっと一緒にいたかったんだ」

 不貞腐れたように言えばようやくルルーシュがこちらに顔を向けてくれて自然と胸が弾む。スザクの指を噛んでいたアーサーも気のせいか嬉しそうで、スザクから興味を失ったように離れた。そのままルルーシュが座る椅子の足下まで行き、自分の体を擦り付けている。

「願ったのはとても簡単なことだったのに、どうして叶わなかったんだろう」

 アーサーを見つめながら呟いた声はやけに大きく生徒会室に響いた。

「じゃあ今からでも逃げ出すか?逃げて、俺たちのことを誰も知らない場所まで行くか?」

 戯れの会話。
 そもそもこれは夢だし、現実のルルーシュは冗談でもこんなことを言わない。
 でも、もし本当にルルーシュの言葉を実現できたらどれほど幸せだろう。

「逃げないよ」

 夢ならばうんと頷くことだって出来たのに、結局、スザクは首を横に振った。

「僕は君と約束したんだ。だから僕は君に、君の望む明日をプレゼントする」

 スザクの言葉に、ルルーシュが満足そうに口許を緩めた。

「俺の誕生日は先週終わったばかりだぞ?随分と気の早いプレゼントだな」
「誕生日はもう祝ってあげられないから、これが最後のプレゼントだよ」

 そんな残酷なことをさらりと告げられるのもきっと夢だからだろう。現実で、本物のルルーシュに対しては絶対に口に出来ない言葉。
 だけど、ルルーシュは静かに微笑んでくれた。それでいいと、スザクを肯定してくれるような笑み。
 都合の良い反応が返ってくるのは、これが夢だからだ。

「そうか。――ありがとう、スザク」

 どういたしまして、とは言えなかった。
 そこで夢は途切れた。
 果たして自分はルルーシュを引き留めたかったのか。ルルーシュの願いを叶えたかったのか。
 答えはきっと、どちらもだ。
 目の前にスザクの腕があった。
 まるで離すまいとするようにがっちり自分の体を抱き締める腕。
 もしもスザクが「やっぱり止めよう」と言ってくれたら、自分は自ら導き出した結論を翻していただろうか。
 答えはきっと、ノーだ。スザクがなんと言おうと一人で計画を進めたに違いない。
 ならばどうしてスザクの存在を求めたのか。求めてしまったのか。
 ずっと手に入れたいと思っていた。それこそゼロになったあの日から。だけど、スザクは自分の元には来てくれなかった。
 (それがやっと叶った。今だけは俺のものだ)
 二人一緒なら出来ないことはない。もう迷わない。
 でも、この時間があと少しだけ続けばいいと思ってしまうのは、自分にまだ未練というものが残っているせいだろうか。

「――ずっと一緒にいたかったと思ったのは俺も同じだよ、スザク」

 起きているスザクには絶対に口に出来ない言葉。夢の中でしか語りかけられないなんて、自分たちは最後の最後まで交わらないんだなと小さく笑う。でもそれが自分たちらしい。
 きつく抱き締めている腕に手を重ねた。
 心地良いぬくもりに身を委ねながら、ルルーシュは再び目を閉じた。
 外は雨が降っていた。
 雨はやがて止み、まるで世界を祝福するように蒼い空に七色の虹が架かった。
 (11.09.28)