君に恋する夏が来る。
そんなキャッチコピーを見つけたのはたまたまだ。
剣道の道場に通い、毎日のように稽古に明け暮れているスザクは、芸能情報とかテレビでの流行とかそういうものに疎かった。
時間がないからドラマやバラエティも観られないし、興味がないから雑誌の類も買わない。休み時間に友人たちが好きな芸能人の話で盛り上がっていてもさっぱりわからず、適当に相槌を返すばかりだ。
だから、街角のポスターでその人を見つけたのは本当に偶然だった。
テレビを観ないのでCMも知らない、ポスターに映し出された人が誰なのかもわからないのに、そのポスターにだけ目が引かれたのは、写っていた人があまりに綺麗だったからだ。
見たところ日本人ではなかった。すっと通った鼻筋に、硝子細工のように透き通った紫色の瞳。唇は微笑を浮かべていて、少し開いている様がやけに色っぽく感じた。そして、白い肌を引き立たせる濡れ羽色の髪は、触れば絹糸のような手触りがするのではないかと思えるほど艶やかだ。
(綺麗だなぁ)
赤信号の最中にポスターを見つけたスザクは、青になった途端、引き寄せられるように近付いた。目的地とは違う方向だけど、今は彼をもっと近くで見ることのほうが重要だった。
さすがにスザクのようにふらふら近付く人間はいなかったけれど、ほかの通行人もポスターのモデルが気になるようで、通り過ぎるときにちらちらと窺っている。
それがまるで自分のことのようにスザクは嬉しかった。と同時に、彼に心惹かれる人間が大勢いることに嫉妬した。
(って、ポスターなんだから誰でも見るに決まっているじゃないか)
なに馬鹿なことを考えているんだと自分にツッコミを入れると、当初の目的を思い出して方向転換した。ポスターに心惹かれるものの、今日中に買っておかなければいけないものがあるから急がなければいけない。帰りは駅まで戻るのだから、ポスターを見たければ帰りにまた見ればいいのだ。
人が多い通りを避け、細い路地裏に入った。少し奥まったところから入る道は地元の人しか知らないような通りで、近道になるからよく使っている。
古い家々の間を歩いているとときどき野良猫に遭遇した。猫好きなスザクにとってはたまらない場所だが、生憎、猫のほうはスザクなど歓迎してくれないようで、手を伸ばしてもすぐに逃げられてしまう。一匹くらい近付いてきてくれてもいいのに、と思いながら今日もいつものように路地裏を歩いていた。
いつもと違うことが起こったのは、三つ目の角を曲がろうとしたときだった。
ばたばたと走る足音が聞こえるなと首を傾げていると、左手から人が飛び出してきた。
「うわ!」
身構えていたスザクと違い、相手は突然現れたスザクに驚いて声を上げた。ぶつからないよう止まろうと試みたようだが上手く行かず、そのまま後ろに倒れそうになる。
「危ない!」
咄嗟に細い手首を掴んだスザクは、ぐいっ、と自分のほうに引き寄せた。今度は自分が倒れそうになるのをなんとか踏ん張り、腕の中に痩身を収める。
「間一髪……」
思わず安堵の息を漏らした。日頃の運動神経が役に立って良かった。
「あの……」
「え?あ、ご、ごめんなさい!」
自分が相手を抱き締めたままだったことに気付き、慌てて手を離した。
「いえ、こちらこそ助かりました。ありがとうございます」
「あ」
礼を言って頭を下げた相手の顔を見て、思わず間抜けな声を出した。
白いシャツに黒のパンツというラフな恰好の人は、一見、男か女かわからないほど中性的な顔立ちをしていた。低い声を聞かなければ男だと思わなかったかもしれない。
肌は夏だというのに白く、黒髪と紫の瞳がどこか高貴さを醸し出している。その人の周りだけきらきらと光が降り注いでいるような、そんな錯覚を抱かせるほどには美しい人だ。
そして自分の見間違いでなければ、目の前にいるのは先ほどまでポスターの中にいた彼だった。
「ポスターの人!」
「ポスター?」
初対面の相手に不躾にも軽々しい口を効いてしまったことに気付き、すみませんと謝る。
テレビも雑誌も見ないスザクだけど、彼がモデルか芸能人であることぐらいはわかった。大きなポスターが街に貼られるくらいだから、もしかしたらかなりの有名人なのかもしれない。当然、一般人の反応にも慣れているだろう。
とは言え、いきなり意味のわからないことを言われたら困るに決まっている。
「俺のほうこそ、急に飛び出したりして悪かった。前方不注意だ」
「いえ、誰か来るって気付いた僕が先に避ければ良かったんです」
「さっきのを避けられるのか?」
「まあある程度なら」
「それは凄いな!」
「え、そうですか?」
「ああ!それだけの身体能力があれば何かに活かせそうなのに、何かやっていないのか?」
「僕は普通の大学生です」
「大学生か。でも普通に学生生活を送るのも大切だよな」
何やら会話の方向がずれている気がしたけれど、ころころと変わる彼の表情が可愛くてずっと見ていたいと思ってしまった。
第一印象は触れたら壊れてしまいそうな繊細なビスクドールみたいな美人だったのに、今はとても人間味がある。彼が笑うと不思議な温かさを感じた。
「あなたも学生じゃないんですか?」
「今は休学中だ。気付いていると思うが、一応モデルをやっているんで」
「そうなんだ……えっと、ごめんなさい、さっきポスターを見たんだけど、あなたの名前までは知らなくて」
しゅんとして謝れば、彼が目を丸めていた。有名人の名前を知らないなんてと気分を害してしまったのかもしれない。
「本当に知らないのか?」
「はい、テレビは全然観ないから皆が知っているような有名人の顔も名前もほとんどわからなくて……。本当にごめんなさい」
彼は何も言わず、まじまじとスザクを見つめていた。やはり怒っているのだろうか。
多分もう二度と会わない人だろうけど、嫌われて別れるのは嫌だと思った。ただの一般人がおこがましいことだが、ポスターとは違う印象を持つ彼のことが気に入ってしまったのだ。好きな人に嫌われるのは誰だって嫌なものである。
すると、小さく笑う声がして首を傾げた。
「そんなことで謝られたのは初めてだ。お前、面白いな」
「面白くしたつもりは……」
笑いを収めた彼が顔を上げた。紫の瞳とまともに目が合い、自然と緊張する。
「俺はルルーシュだ。ルルーシュ・ランペルージ」
「ルルーシュ……」
「お前の名前は?」
「僕は枢木スザクって言います」
「スザクか、いい名前だな」
さらりと褒め言葉を口にして、ルルーシュと名乗った人は微笑んだ。綺麗な人は名前まで綺麗なのかと、どこか現実逃避のように思う。
「ところであなたはどうして――」
「残念だったな。追いかけっこは終わりだ、ルルーシュ」
そこへ、自分たち以外の声がした。ハッとしてルルーシュの後方を見やれば、緑色の髪をしたきつめの美人が近付いてきた。
「もう来たのか」
「お前にしてはなかなか逃げたほうだと思うぞ」
「捕まったら意味がない」
「どうせ時間になったら戻ってくるつもりだったんだろう?逃げるだけ無意味だ」
「俺だってたまにはひとりになりたいんだ」
「そんな科白はオフになってから言うんだな。行くぞ」
残念そうに肩を竦めたルルーシュは、スザクのほうを振り返ると苦笑いを浮かべた。
「外の空気を吸いたくてこの女から逃げている途中だったんだ。短かったけど久しぶりに同年代の人間と話が出来て楽しかった。ありがとう、スザク」
にこやかな笑みにスザクは見惚れた。何も言えないまま呆然と彼の後ろ姿を見送る。路地の先には数人の男女が待っていて、ルルーシュを守るようにしながら立ち去って行った。
「ほう、お前、ルルーシュと仲良くなったのか。見たところ学生のようだが、年上の女受けしそうな可愛い顔をしているし、このまま就職させるのはもったいないな」
ルルーシュとの別れの余韻をぶち壊したのは、彼を追いかけてきた美人だった。じろじろと値踏みするような視線に居心地の悪さを感じていると、「そう言えばまだ名乗っていなかったな」と紙切れを渡された。
「ギアスプロダクション?」
名刺には『C.C.』と名前が印字されている。
「結構、大手の芸能事務所だぞ。私はルルーシュのマネージャーをやっている。どうだ、うちの事務所に入らないか?」
「へ?」
「ルルーシュと同じモデルでもいいし、うちなら歌って踊れるアイドルも目指せる」
「……ここに入ればまたルルーシュと会えるんですか?」
スザクの顔を覗き込んだC.C.がにやりと笑みを浮かべた。
「努力次第だな。あいつは国内でもトップレベルのモデルだ。ただ会うだけならいつでも会えるが、隣に並ぶにはそれ相応の覚悟が必要だぞ」
軽い口調ながらもその言葉は重い。金の瞳がスザクの内側を見透かすかのように光り、名刺を持つ手に力が籠もる。
「まあ、今すぐ答えを出せとは言わない。気が向いたらその連絡先に電話をしろ。じゃあな」
C.C.は踵を返すとひらひら手を振った。
あとに残されたのはスザクひとり。
「ルルーシュ……ランペルージ」
夢だったのかと思うほどあっという間に消えてしまった彼の姿を思い出す。ポスターで見るより実物はもっと綺麗で、息をするのも忘れそうだった。
もし彼と同じ舞台で隣に立つことが出来るなら――。
(君に恋する夏が来る、か……)
ポケットの中に名刺を入れると、スザクもようやく足を動かした。
のちに日本を席巻する活躍を見せる二人の最初の出会いだった。
(12.09.15)