とある難題について

 初めて本気で好きになった相手がどうしようもない女好きだった場合、どんな選択をするのが最善なのか。
 考えるまでもない。選択の必要もない。ただ諦める、それだけだ。
 それだけのはずなのに、たったそれだけの決断ができない。だからこそ人は恋に溺れ、恋に翻弄されるのだろう。
 (まったく厄介なものだな)
 パーティー会場の隅で壁に背を預けたまま、ある一点を睨み付けるように眺めていたルルーシュは、ややあって小さく息を吐き出した。
 美貌の皇子の憂い顔は見る者を心配させ、庇護欲をそそらせるけれど、当の本人にその自覚はない。ただ、周囲の人々が見て見ぬふりをしてくれていることには気付いていた。ここで声をかけてくるのは余程空気を読めない人間か、皇子の不興を買ってでも己をアピールしたいと考える豪胆でふてぶてしい人間だけだ。
 こちらの不機嫌な様子に勘付いて放っておいてくれるだけの心配りが本日の出席者にはあるらしいと、パーティーを主催した兄のクロヴィスを少しだけ見直した。が、心の中でクロヴィスを褒めたのは一瞬で、すぐに意識は元に戻る。
 足の細いグラスを傾け、芳しい香りの液体を気泡ごと一気に飲み込んだ。行儀は悪いがこれでもかなり自制しているほうだと、熱くなった胸のうちで思った。
 さすがは皇族主催のパーティーだけあって、誰もが綺麗に着飾った空間はとても華やかだ。今日は新しい美術館が竣工されたお祝いらしく、ルルーシュにも来てほしいんだと誘われたのは一週間前のことである。
 どうしてそんなぎりぎりなんだと文句を言えば、ぎりぎりでなければ君のスケジュールは確実に抑えられないじゃないか、前回も前々回もさらにその前も断わられたから今度こそは来てもらうよと泣き落としで頼み込まれた。
 兄のクロヴィスは政治よりも芸術の才能に秀でているタイプで、ブリタニア国内にはクロヴィス監修による美術館や博物館が多くある。それらが完成するたびにお披露目とお祝いと労いとを兼ねたパーティーを開き、そのたびにルルーシュも招待されるのだが、皇族や貴族が大勢集まる場ははっきり言って苦手だ。そんな場所で晒し者になるくらいなら執務室に籠もって溜まった書類を片付けたほうが余程生産性がある。
 だから今回も容赦なく断わるつもりだった。「ラウンズの皆も呼んでいるんだよ」の一言を聞くまでは。
 (失態だ。俺としたことがラウンズという単語に引っ掛かるなんて。まさかクロヴィス兄上は俺の本心を知っているわけじゃないよな……?)
 ふと不安になって兄の姿を探せば、主催の席で人々に囲まれて何やら楽しそうに語っていた。兄上は本当に社交界が似合っているなと思い、ホール全体を見渡した。
 あちこちにグループができていて、誰もがお喋りに興じている。この中に美術館の竣工を純粋に祝う人間はどれだけいるのだろう。大抵は人脈作りや情報収集に精を出しており、むしろそちらのほうがメインになっているのではないか。
 (ということは、今夜の相手を探している人間がいてもおかしくはないか)
 兄の周りが賑やかなのは当然だが、それとは別にひと際華やかな集団がいた。華やかさの理由は女性の数だ。ほかのグループは男性も女性も混じっているが、その一団にいる男性はたったひとりで、彼を囲むのは若い女性たちだった。
 色鮮やかな青のマントは離れていても目を引き、そこに彼がいることを否が応でも意識させる。ナイトオブセブン、と声には出さずにルルーシュは呟いた。
 にこにことした笑みを浮かべる童顔はいかにも優男といった風情で、一見頼りない。しかし、ひとたび戦場に出ればほかの誰よりも成果を上げ、時には敵陣に単機で乗り込んで勝利することもある。そうして付けられたあざなが白き死神。
 白と青のラウンズ服を血に染めた姿は味方をも恐れさせると、多少尾ひれはついているようだが、軍人としての優秀さはブリタニア皇帝も帝国宰相も認めていた。
 そんなギャップと将来性の高さは、外国人というハンデをも上回るものらしい。就任から半年ほどで、ナイトオブセブンは女好きというのが社交界での共通認識となった。
 来る者拒まず去る者追わず、一度相手した人間とは二度と寝ないとか、ナイトオブセブンのほうから女性に連絡を取ることはないとか、パーティーの席でその日の相手を決めるとか、これまたどこまで本当なのかわからないが、そんな噂がルルーシュの耳にも届いていた。
 要するに、スザクは女性関係にだらしないのだ。しかし決まった相手を作らないからこそ争いにならず、また、一度でもラウンズと関係を持てたことはご令嬢たちのステータスになるので誰も彼のことを悪く言わない、というのも聞き齧った情報だった。
 どうしてそんなふしだらな男が人気なのか。どうしてそんないい加減な男がいいのか。まったくわからない。
 何より一番わからないのは、女性関係に関しては軽蔑すらしている相手に恋愛感情を抱いてしまった自分だ。
 (本当に馬鹿じゃないのか)
 己を罵り、その場に蹲りたくなる衝動を堪え、ルルーシュはグラスを持つ手に力を込めた。
 ナイトオブセブン、枢木スザクとの出会いは彼の就任直後にまで遡る。外国人初のラウンズという物珍しさからお披露目の席に顔を出し、一言二言言葉を交わしたところまでは普通だったはずだ。以来、皇宮で顔を合わせるたびに嬉しそうな顔で声をかけてくれて、人懐こい犬のようだと好印象を抱いたのも特段おかしなことではない。
 出会って二ヶ月が経った頃、お忍びでの視察で街へ出かけたときに護衛を務めてくれたのがスザクと同じくラウンズのジノだった。そこで偶然、傷害事件に出くわし、あっという間に犯人を捕えたスザクを見たときに、皇宮では知らなかった軍人としての顔を意識した。きっかけがあったとすれば恐らくそれだ。
 (つまり俺もギャップにやられた一人というわけか……)
 スザクに言い寄る女性たちを馬鹿にしながら、自分もしっかりスザクにはまっている。認めたくはないが、出会いからこれまでを改めて思い返して嫌でも自覚した。もっとも、自覚したところでなんの進展も得られそうにないけれど。
 (あれだけの女好きだ。男なんて眼中にないだろう。嗜みとして男に手を出している可能性もあるが、スザクの周りにいるのは女と決まっている。男の相手なんてそれこそ遊びの範疇でしかない。皇族の頼みならばと一回ぐらいなら寝てくれるかもしれないが、そんな経験は自分が虚しくなるだけだ)
 そこで思考を止め、自分は何を考えているのだともう一度溜め息をついた。寝るとか手を出すとか、ほんの数ヶ月前までは意味すら把握していなかった内容をパーティー会場でつらつらと考えている臆面のなさに呆れてしまう。
 どれもこれもスザクを好きになったせいだ。興味本位で調べ、男同士でも体を繋げることが可能だと知ったときは言葉で言い表せないくらいの衝撃を受けた。
 他人の生々しい体験や具体的な方法など、どれもスザクを好きにならなければ一生知ることのなかった世界で、焦がれるような気持ちも胸の苦しくなる想いも、経験しなくて良かったかもしれないものばかりだ。
 すべての原因はスザクにあり、何もかもスザクのせいである。
 ひとしきり責任転嫁するとスザクのいる方向に目を向けた。彼を中心とした一団は相変わらず華やかで賑やかだった。
 皇族の名を使えばいくらでも彼と会えるけれど、自分が望んでいるのはそんなことではない。
 (たとえブリタニア皇帝になったとしてもスザクの気持ちだけは手に入れられないんだろうな)
 溜め息を飲み込み、空になったグラスを給仕に渡すとルルーシュはホールを抜け出した。幸い、追いかけてくる者はいない。
 外の風にでも当たろうかと思ったが、階段の上から見下ろせる広場にはカップルらしき男女が何組もいた。この様子では庭園も格好の逢瀬の場になっているかもしれない。
 こちらは実らない片想いに身を焦がしているというのにいい気なものだと八つ当たりのように思う。仕方なく廊下を進み、しばらく歩いた先でソファを見つけたのでそこに腰掛けた。
 疲れたように目を閉じるとパーティーの喧騒も音楽も遠くなった。ここは通路の死角になっているから滅多に人も通らないだろう。
 人目がないとわかった途端、緊張の糸が切れて睡魔に襲われた。帝国宰相を務めている兄が数日前から外遊に出ているせいで、ルルーシュのもとには山のような書類が毎日届けられる。おかげでずっと睡眠不足だ。本当は今日もパーティーなんかに顔を出している余裕はなく、ひとつでも多く仕事を片付けたいところだったのだ。
 なのに、のこのこと来てしまったのはスザクにひと目会いたかったからである。姿さえ見られればそれでいいなんてどこの深窓の令嬢だと嗤ったとき、微かな足音を耳が捉えた。
 うつらうつらとした意識のまま瞼を押し上げたルルーシュは、目の前に立つ人物の足先から頭の上までをぼんやり眺め、そして息を止めた。

「こんなところで何をしていらっしゃるのですか」

 スザク、と茫然と呟く。それは今の今までずっと考えていた相手だった。
 幽霊に会ったような顔をしないでくださいとくすくす笑われる。その声にルルーシュは肩から力を抜いた。本物がいきなり現れたのだから幽霊みたいなものだ。

「お前こそ何をしている。ナイトオブセブン様は忙しいのではないのか」
「最近は遠征がないのでむしろ暇なほうですよ。隣、よろしいですか?」

 嫌味が通じていないのか、わかっていてわざと惚けているのか、スザクはいつもの爽やかな笑みを浮かべるばかりだ。無言のままソファを半分開けると、隣にスザクが腰を下ろした。

「お疲れですか?」
「別に」
「休まれるのは構いませんが、寝るのはアリエスに戻ってからにしてください」
「お前は口煩い母親か」
「殿下のお体が心配なだけです」
「よく言う」

 せっかくスザクと話しているのに、口から出てくるのは可愛くない言葉ばかりだった。心の中では浮かれているのだが、同じ男が馴れ馴れしくしてきても彼は嬉しくないだろうし、むしろ気持ち悪いと思うかもしれない。そんなことを考えたら、つい素っ気ない態度になってしまうのである。

「私なんかの相手をしていていいのか。どうせこのあと予定があるんだろう?」

 咎めないから行っていいぞと促せば、予定なんてありませんよと返ってきた。意外な言葉に目を丸くするが、単なる方便かとすぐに思い直す。

「女性に大人気のナイトオブセブン様にこのあとの予定がないとはな」
「本当です」
「ああ、屋敷で誰か待っているのか」
「残念ながら誰も待っていません。困ったなぁ、信じてくださいよ」

 お前がすべての女遊びをやめたらな、と胸のうちで呟く。

「さっきだって女性を大勢侍らせていたくせに」
「あれは物珍しさに集まってきただけでしょう」
「鼻の下が伸びていたぞ」
「あり得ません」

 やけにきっぱり否定され、不思議に思って首を傾げる。勘繰られたら困るようなことでもあるのか。しかし意中の相手ならまだしも、ただの皇子に向かって否定しても意味はないだろう。

「女性に人気というのだって、断われずにただお茶をしているだけがなぜかどんどん尾ひれがついてしまって本当に困っているんです」
「嘘をつけ」
「だから本当なんです。どうしたら信じていただけますか?」

 翠の瞳に見つめられて自然と胸が高鳴った。この距離は今までで一番近いかもしれない。吐息すら感じられそうで頬が熱くなる。

「だったら……、これからアリエスに来い」

 声を発した直後に後悔した。
 なんて馬鹿なことを言い出しているのか。異性が相手ならそれなりの口説き文句になりそうだが、同性ではまったく効果がないだろう。その証拠にスザクは口を開けてぽかんとしている。

「馬鹿だな、冗談だ」

 ふいと視線を逸らして早口に言う。

「お前が暇と聞いて、だったらお茶の相手でもしてもらおうかと思っただけだ。でももう遅い時間だし、お前のプライベートの邪魔をするつもりはない。私はそろそろ帰るから、」
「ルルーシュ殿下」

 ご無礼をお許しください、と膝の上に置いていた左手にスザクの右手が重ねられる。ただそれだけで鼓動が早くなった。

「今日とは言いませんが、本当にアリエスを訪ねてもよろしいですか?」
「お…、お前が来たいのならいつでも来ればいいだろ」
「本当に?」
「ああ」
「でしたら、殿下がお忙しくないときに伺いますね」
「あ、ああ」

 どくどくとうるさい心臓の音がスザクの耳に届いていないだろうか。緊張のあまり口の中がからからに渇いていることが悟られていないだろうか。表情はなんとか取り繕えているけれど、決して視線を合わせようとしないのを不審に思われていないだろうか。
 何を考えればいいのかわからなくて、ああ、としか相槌が打てない。もっとほかに言うことはないのかと、不測の事態に対応できない己を叱咤した。

「では、約束の印をいただいてもよろしいですか?」
「印?」
「ええ」

 ルルーシュの顔に影が差す。何をするのかとスザクを見ていたら、にこりと笑みを向けられ、二人の距離がさらに近付いた。
 そして、唇に何かが柔らかく触れた。

「約束ですよ」

 頭の中が真っ白だ。にこにことした表情をただ茫然と眺める。今のはキスだと気付いた瞬間、ルルーシュの顔は茹蛸のように真っ赤になった。
 無礼者とか馬鹿者とか様々な悪態が浮かぶけれど、驚きが大きすぎて声に出すことができない。金魚のように口をぱくぱくさせるだけだ。
 咄嗟に手を上げかけ、しかし拳を握るとそのまま下ろした。きっとスザクにとってはなんでもないことなのだ。キスなんてそれこそ飽きるくらいしているだろう。約束代わりのキスだって自分以外の人間ともしているはずだ。だから、こんなキスは意味がない。
 そう思ったら悔しいのか悲しいのかわからない感情が込み上げ、鼻の奥がつんとした。

「殿下?」
「帰る」
「それならお見送りを、」
「ひとりで帰る! ついて来るな! それと、アリエスに来たければこんな約束しなくてもいつでも好きなときに来ればいいだろ、勝手にしろ!」

 一気に叫ぶと逃げるようにその場を離れた。残されたスザクがどんな顔をしていたかはわからないが、突然不機嫌になった皇子に困惑しているに違いない。
 馬鹿の二文字を何度も繰り返す。
 スザクが悪い。全部悪い。何もかも悪い。人をこんな気持ちにさせるスザクなんて大嫌いだ。女遊びばかりしていて、同性とは言え簡単にキスをして、あんなやつ大嫌いだ。
 (でも、好きなんだ)
 零れ落ちた本音を胸の奥に押し込み、クロヴィスへの挨拶もそこそこにルルーシュは屋敷を出た。
 やっぱりパーティーなんて出るものではないと思いながら。

「参ったなぁ……」

 天井を見上げてぼやく。

「ちょっとからかうだけのつもりだったのに、これじゃあ諦めるどころかますます本気になっちゃいますよ」

 見つけたときのルルーシュと同じように瞼を下ろした。
 何をどう誤解されているのか、皇宮内で不名誉な噂がまことしやかに流れているけれど、どうせ本当に好きな人は手に入らないのだからと放置していた。そのことを今は少し後悔している。
 でも、彼が自分を意識してくれていると思うのは決して自惚れではないだろう。勝算は大いにある。
 (いつでも好きなときに来ればいいと言ったのはあなたですからね。せっかくのチャンス、しっかり利用させていただきますよ? ルルーシュ殿下)
 (15.04.04)