恋愛未満

 ルルーシュはひくりとその頬を引き攣らせた。
 リヴァルに羽交い絞めにされ、目の前にはスザクが迫っている。その手には一本のポッキーがあった。これが一年前なら同級生三人がじゃれ合っているだけの光景だっただろう。
 しかし、ゼロであることをスザクに知られ、さらには自らの出世のためにブリタニア皇帝へと売られ、再びC.C.と出会うまで餌として飼い殺されてきたルルーシュにとって、この状況は決して嬉しいものではなかった。
 しかもスザクは、ナナリーを使ってルルーシュの記憶が戻っていないか確かめようとした。ルルーシュの中ではすっかり人非人の扱いである。間違っても面と向かって顔を合わせたい相手ではない。それがどうしてこんな状況に陥っているのか、ほんの二時間ほど前のことを思い出して、盛大な溜め息を吐き出したい気分だった。

「観念しろって。たかがゲームじゃないか」

 たかがゲームなら本気で嫌がっている人間に強要するなとリヴァルに言ってやりたいが、より一層近付いたスザクの顔に思わず息を飲み込んだ。

「往生際が悪いよ、ルルーシュ。王様の命令なんだから仕方ないじゃないか」

 ほら、とポッキーを差し出されそれを睨み付ける。睨んだところで燃えてなくなるわけではないけれど、そうでもしなければ気が収まらなかった。
 現在、三人がいる場所。それはカラオケボックスの一室だった。
 三人のほかには数名の男女がいる。男子生徒達とは面識があるけれど、女子生徒は顔すら見たことのない者ばかりだ。

「合コンの人数が足りないからピンチヒッターで出てくれ頼む!一時間だけでいいから!」とリヴァルに頭を下げられ、無理やり連れて来られたのがここだった。男子はアッシュフォードの生徒だが、彼女達はスザクが連れて来た他校の生徒である。

 合コンとは男女が同じ人数でなければいけないはずなのに、スザクがいるせいで男子が一人多い。リヴァルの話では別の学校の生徒を呼んでいたらしいのに、パーティールームに現れたのは何故かスザクだった。連絡ミスがあってスザク達のグループが来てしまったということだが、そんな偶然があるものか。だけど、せっかく集まったからという意見に反対するのも怪しまれそうで、妙なメンバーになってしまった合コンに仕方なく付き合うことにした。
 事の発端はリヴァルの一言だ。

「合コンをやろう」

 今度は何を言い出すのかと呆れたルルーシュは当然誘いを断った。学生だからカラオケのパーティールームで女の子達と話すだけだと言っていたが、その会合に出席する意味も理由もわからない。ナナリーがいるのにほかの女性と親しくなんて出来ないし、ナナリーがいなかったとしても今はそれどころではない状況なのだ。
 そもそも、リヴァルには会長という片思いの相手がいるのに合コンなんてやっていいものなのか。それを指摘すると、「女性との接し方を学ぶんだよ。俺はルルーシュと違ってもてないから、男女の意味では女の子と会話したことがないからさ……」と肩を落とされた。どうやら悪いことを聞いてしまったようだ。
 ともかく合コンに興味はなく、リヴァルとクラスの数人の男子が楽しそうに予定を立てているのを遠目で眺めていた。
 それが何故、いつの間に当事者になってしまったのか。一人病欠で足りなくなってしまったから席を埋めるために代わりに出てくれ、一時間ぐらい経ったら帰ってくれていいから。確かにリヴァルはそう言っていた。
 (何が一時間だ!もうすでに二時間経過しているではないか!しかもどうしてこんな状況に…!)
 誰が言い出したのか、王様ゲームをすることになった。そして、王様を引き当てたリヴァルの命令が「一番と七番がカリカリチュッチュゲームをやる」ことであった。
 その意味不明なゲームはなんだと問い質せば、ポッキーの端と端を咥えて食べていけばいいのだと適当な説明をされた。それのどこがゲームなのか。文句を言いかけたルルーシュは、自分の番号が一番なことに気付いて青褪めた。
 いっそこの場にいる全員にギアスをかけて逃げ出すか。しかしスザクにはすでに一度かけているため効果がないし、記憶が戻っていることがバレてしまう。となれば相手である七番と結託してなんとか馬鹿げたゲームを阻止しようと考えた。

「七番って誰だ?」
「僕だよ」

 リヴァルの問いに手を挙げたのはスザク。
 緊張したルルーシュだが、逆にチャンスだと内心ほくそ笑んだ。
 下手をすれば唇と唇が重なってしまうかもしれないゲームである。そして、何も知らない親友の頃ならともかく、今のスザクは自分と言葉を交わすことはおろか、顔を近付けることも嫌だと思っているはずだ。その彼がカリカリチュッチュゲームなどに乗るわけがない。不本意ではあるがここはスザクの協力を得てゲームを回避するのが得策だ。

「スザク、ちょっと相談が、」
「ゲームのルールをよく知らないんだけど、端から同時に食べていくだけでいいんだよね?」
「そ。ぎりぎりまで食べて、先に口を離したほうが負け」
「わかった、じゃあやろう」

 しかし、完璧と思われた計画に水を差したのは当のスザクだった。さすがは黒の騎士団の邪魔を散々してきたイレギュラー男である。と感心したのは一瞬で、ルルーシュは慌ててスザクの腕を引いた。

「お、お前何を言っているんだ!これからやらされることをわかっているのか?」
「わかっているよ。カリカリチュッチュゲームだろ?」
「そうじゃなくて!男同士でやることがおかしいだろう!」
「女の子相手なら良かった?」
「そうでもなくて…!」

 スザクが不思議そうな顔をしているのが信じられない。どうしてこのゲームに疑問を抱かないのだ。すっかり他人事であるほかのメンバーはともかく、当事者が何故けろりとしていられるのか。そういえば、軍でいかがわしい遊びを教えられることがあると以前聞いたけれど、スザクにとってこの程度のことはジャンケンをする程度のゲームなのだろうか。
 様々な衝撃に呆然とするルルーシュを放って事態は勝手に進んでいった。
 そして、気付けばリヴァルに羽交い締めにされ、スザクに迫られていたというわけである。スザクの目がどこか据わっているような気がするのは目の錯覚だと思いたい。

「ほら、いいから諦めろって。王様の命令なんだから大人しく聞きなさい」
「うるさい!こんな馬鹿げた命令をする王がいるものか!」
「ルルーシュ、たかがゲームじゃないか。それとも君は、こんなゲームにも付き合えないほど人間が小さいのかな?」

 にこりと笑ったスザクの顔は、だが優しいと評判の笑顔からは程遠かった。周りの人間は気付いていないかもしれないが、せせら笑いと言ったほうが正しいだろう。明らかにルルーシュを馬鹿にし、見下している。
 小さな人間、と罵られたルルーシュはかちんときた。
 (スザクのくせにこの俺をコケにしたな…!)
 普段の彼ならこんな挑発には乗らなかっただろう。しかし、相手がスザクであるというただそれだけで一歩も引くことが出来なくなってしまった。

「……誰が小さいだと?ふん、あまりにも馬鹿らしすぎて呆れていただけじゃないか。お前こそ、たかがゲームに本気になるなんて大人げないな」
「君のノリが悪いから気を遣ってあげたんじゃないか」
「それはどうも。だが必要のない気遣いだ」
「その割には駄々を捏ねていたように見えたけど?」
「ちょっとした演技だ。この程度の演技も見抜けないとは、ナイトオブラウンズとして本当にちゃんとやっているのか?まさかナナリー総督の足を引っ張っているんじゃないだろうな」
「……ああ、君は嘘をつくのだけは昔から得意だからね」
「おーい、喧嘩するなよぉ……」

 鼻先がくっ付きそうな距離で静かに火花を散らしている二人の間にリヴァルがなんとか入り込んだ。原因はわからないものの、これ以上放っておくと埒が明かないと判断したのだろう。日頃、個性的な生徒会メンバー(特に会長)を陰から支えているだけのことはある。

「喧嘩じゃない!」
「オッケーオッケー。じゃあ次の命令もあることだし、さっさとゲームやっちゃいますか」

 ぽんと互いの肩を叩かれ、ルルーシュとスザクはなんとなく顔を見合わせた。その一瞬だけは、昔のような親友の空気が流れていたかもしれない。

「…っ!」

 が、それは本当に一瞬だけで、無理やり口に突っ込まれたポッキーが情緒も何もかもを消し去った。

「よーし、二人とも咥えたな。じゃあカリカリチュッチュゲーム、スタァァァト!」

 こういうノリは絶対に会長に影響されている。とリヴァルの分析をする前に、ルルーシュの意識は眼前のスザクへ強制的に向けられた。
 ポッキー一本分の距離を挟んでスザクと顔を合わせるのはなんとも不思議な感じだった。翡翠と紫水晶が交わる。目を逸らしても構わないのに、何故だか視線を落とすことが出来なかった。
 少しずつ咀嚼されるポッキーの音だけが響いているパーティールームの様子はいささか異様だ。
 たかがゲームのはずが、たかがゲームとは思えない緊張感を生み出している。少しずつ短くなっていくポッキーに、ルルーシュとスザクの顔も少しずつ近付く。
 どちらが先に仕掛けるか。互いに計算しながら相手の出方を待つ。
 (スザクは我慢が出来なくなって先に口を離すはずだ。そのタイミングを見誤らなければ……俺の勝ちだ)
 わずかな隙も見逃すまいと、ルルーシュはスザクを至近距離からじっと見つめた。スザクの瞳もルルーシュを捉える。
 ふと、その口許の動きがブレた。
 (今だっ)
 絶妙なタイミングでポッキーを齧った。

「あ――!」

 と思ったはずだった。
 ルルーシュはまばたきをした。ギャラリーが悲鳴のような叫びを上げたけれど、自分の身に降りかかった出来事を把握するのに精一杯だったルルーシュには聞こえていなかった。代わりに、口の中に残ったポッキーの欠片をごくんと飲み込む音はやけに大きく響いた気がした。
 目の前にあるのは翡翠。それは先ほどと変わらない。今は憎き敵だが何度も見てきた瞳の色だ。よく知っている。だから翡翠が近くにあっても驚くことはない。
 では、唇に感じる妙に柔らかくて温かい感触はなんだろう。少なくともポッキーではない。
 可能性があるとすれば、それは同じようにポッキーを咥えていたスザクの――。

「ほわああぁぁぁっ!」

 目を見開いたルルーシュは、いつの間にか密着していた身体を押し退けた。なんとか体勢を整えると唇をごしごし拭う。その仕草を見たスザクの眉間にわずかに皺が寄ったけれど、残念ながら今のルルーシュに気付くだけの余裕はない。
 擦れば擦るほど生々しい感触がしてしまい、パニックになりそうだった。一気に顔が熱くなった感じがするのはきっと、いや絶対に気のせいだ。

「ねえ、これってどっちが勝ち?」
「へ……?あ、ああ、これは引き分けだな」

 普段から突発的な出来事には慣れているからか、すぐ我に返ったリヴァルが勝敗を告げる。「そっか、勝ちたかったのになぁ。残念」とスザクがにこやかに笑った。どうして笑っていられるのかルルーシュにはちっとも理解できなかった。

「ルルーシュ、どうかした?」
「な……どう、って……」

 キスだ。キスをされたのだ。それも家族にするような頬へのキスではない、唇へのキスだ。
 なのに、何故スザクは平然としていられるのだろう。
 だってルルーシュにとってはこれが――。

「あれ、もしかしてショック?実はファーストキスだった?」

 顔を覗き込まれ、息を飲み込んだ。気にするものかと思うのに、目線は自然とスザクの唇へ向いてしまう。

「――なんて、まさかね。ルルーシュはもてるから、これがファーストキスなんて有り得ないだろう?」

 小さく笑ったその顔が醜悪に見えて、ルルーシュはカッとなった。
 一年前まで普通の親友として接していたスザクは、ルルーシュに女性経験がないことを気付いているはずだ。そして、彼らに監視されていた一年の間も彼女がいなかったことは承知しているだろう。それなのに経験のなさを突いてくるような物言いをするのが、たとえ敵であろうと味方であろうと許せない。
 ぱん、と乾いた音が部屋に響く。
 自分の力ではたいした痛みも与えられないとわかっていても手を上げずにはいられなかった。案の定、痛そうな素振りも見せず、スザクは叩かれた頬を指先で触っていた。

「……事実がどうであれ、そういうことを平気で口に出来るなんてデリカシーのないやつだな」
「ちょっとした冗談じゃないか。ルルーシュこそ冗談に本気になって恰好悪いよ」
「笑えない冗談は冗談じゃない。リヴァル」
「俺ぇ!?」

 突然話を振られ、リヴァルの肩がびくりとなる。

「悪いが帰らせてもらう。そろそろロロの夕飯を作る時間だ。最初は一時間という約束だったから文句はないだろう?」
「それはそうだけどさ……」

 リヴァルの目がちらりとスザクを伺った。スザクはと言えば、先ほどから無表情で何を考えているのかちっともわからない。
 ルルーシュはスザクを一瞥すると、鞄を手に取り部屋を後にした。こんな帰り方をしてほかのメンバーに悪いと思ったけれど、自分はもとから数に入っていなかったし状況が状況だ。多少の無礼は許してほしい。
 (スザクのやつめ、馬鹿じゃないのか!本当に馬鹿じゃないのか!)
 一歩一歩足を進めるたびに怒りが湧いてくるようだ。
 これも自分を貶める一環なのかと思えば腸が煮えくり返る。
 (同性で友達とのキスに動揺するような経験しかないことがそんなに悪いか?悪いのか?お前と違って遊び歩けるような状況ではなかったんだ!どうせ俺は――)
 ルルーシュはぴたりと足を止めた。
 ふと、自分は何に対してそこまで起こっているのだろうと疑問に思った。
 スザクとキスをしたことか。初めてのキスだったことを馬鹿にされたことか。経験がないのを冗談にされたことか。
 どれも正解で、どれも不正解な気がする。
 (――くそ、どうして俺がスザクのことを考えなければならない!あいつは敵だ!考えただけでも反吐が出る!)
 頭の中からスザクの顔を追い出して建物の外へと出る。夕方の遅い時間だからか、通りには通勤や通学帰りの人々が溢れていた。一見、当たり前の光景である。しかし、そこにはルルーシュを監視するための人間が至るところにいた。
 (もっとも、すべては俺が無効にさせたが)
 彼らは忠実に任務をこなしているように見えて、実際は何もしていない。当然だ。自分を監視するはずの機情は、ギアスによって役立たずの連中となったのだから。
 (俺を手の平で飼っているとせいぜい優越感に浸っていればいい、スザク)
 クラブハウスでは『弟』のロロが待っている。早く帰らなければ心配するだろう。ルルーシュは口許に小さく笑みを浮かべると、雑踏の中に紛れ込んだ。
 自分の抱く気持ちをなんと呼ぶのか、その名前はまだ知らずに。
 (10.08.13)