「僕と結婚してください!」
枢木スザク、二十二歳。
自分で言うのもなんだが、これまで平凡な人生を送ってきたと思う。小学校中学校高校と順調に進学し、それなりに勉強して希望の大学に入れた。就職活動には多少難儀したが、先日、晴れて内定ももらった。特別なところはない普通の大学生である。
ただひとつ、人と違うと胸を張って言えるのは、生涯で唯一と思える恋人がいることだ。
もちろん恋人がいる人間はたくさんいるけれど、自分の恋人ほど綺麗で可愛くて最高の相手はいない。だから自分は世界で一番の幸せ者だ。スザクは常々そう思っていた。
優秀な彼は早々に就職先を決め、四月から都内で働くことが決まっている。それを意識したわけではないが、スザクも都内に本社を置く企業に勤めるので遠距離恋愛となる心配はない。
しかし、お互いもう社会人だ。中学のときに出会い、高校のときに付き合い始め、大学では彼と自分の部屋を行き来する半同棲状態。となれば、次のステップは当然結婚だと考えた。
自分たちは男同士で、今の日本の法律では婚姻は認められないけれど、こういうのは気持ちの問題である。人が決めた法律なんて関係ない。
だからスザクは決めた。
今夜、プロポーズしようと。
ゼミが終わって帰宅し、自分の部屋で彼に出迎えられ、一緒に夕飯を食べたあと、先に風呂に入っていいぞと促されたタイミングで「話があるんだ」と切り出した。
緊張した面持ちで向かい合って座り、指輪を収めたケースをテーブルの上に置いた。どれにしますかと尋ねられ、迷った末に選んだハートのケースだ。男同士では不似合いかとも思ったけれど、意外と可愛いものが嫌いではない彼なら気に入ってくれるのではないかと決めたものである。
指輪はスザクなりに奮発した。学生なので給料三ヶ月分にはほど遠いが、バイト代をすべてつぎ込んだ。
喜んでもらえれば。何より、自分を受け入れてもらえれば。
そんな期待と不安が入り交じった渾身のプロポーズ。
「駄目だ」
しかし、スザクの想いを込めたプロポーズは至極あっさり、かつ冷たく却下された。
「え……駄目って……」
「だから駄目だ」
プロポーズを断られた。その事実がなかなか脳に届かず、スザクは惚けたようにぽかんと口を開けた。
「えっと……意味がわからないんだけど……」
「だから結婚は駄目だ。断る」
「えっ……、な、なんで……なんで!?」
ばん、とテーブルに手を置いた。リングケースがわずかに動く。
しかし彼、ルルーシュは凪いだ表情のままだった。
「俺たちはまだ学生だ」
「それはそうだけど、来年には社会人じゃないか」
「社会人と言っても一年目の新人でしかない。自分の将来すらまだ定まっていないのに、結婚なんてできるわけがない」
「でも、」
「社会に出ればもっとたくさんの人間に出会う。学生のうちに何もかも決めてしまうのは早計だ」
まるでほかに相手ができると予言しているみたいな言葉にカッとなる。
「僕がルルーシュ以外の人と付き合うかもしれないってこと?それとも、ルルーシュが僕以外の人と出会うかもしれないってこと?」
「両方だ」
「そんなことあるわけない!僕たちがどれだけ長い間、一緒にいたか、」
「ずっと一緒にいたからこそ、この先の人生まで一緒と決めるのは早計だと言っているんだ」
「早計なんかじゃない。僕はルルーシュほど頭は良くないけど、自分の未来のことは自分でちゃんと考えている。ルルーシュのいない僕の人生なんて有り得ない」
「人生に絶対はない」
「ルルーシュ!」
「頭を冷やせ。この話はひとまずなかったことにしてくれ」
お前が入らないなら俺が先に風呂に入る。
それだけを言い残してルルーシュはリビングを出て行った。残されたスザクはしばらく呆然と床に座り込んでいた。
自分はルルーシュが好きで、ルルーシュも自分のことを好きだと信じていた。彼の気持ちを疑ったことは一度もない。今もそうだ。
だからこそ、プロポーズを断られたことが信じがたかった。
どうして駄目なのか。早計だと言って撥ね付けるのか。ルルーシュの心が見えない。
「なんで……」
のろのろと視線を動かせば、テーブルに置いたままのリングケースが目に入った。
シンプルなプラチナのリング。プロポーズに贈るならもっと華やかなものが良かったのだろうが、スザクのバイト代ではこれが精一杯だった。何より、ルルーシュはむやみやたらに着飾るのを好まないから、ずっと使えるシンプルな指輪のほうがいいだろうと思った。
できることなら指にはめてもらいたいけれど、照れ屋だから恥ずかしがって嫌がるかもしれない。そのときはチェーンに通してネックレス代わりにしてくれてもいいし、財布やポケットに入れっぱなしでもいい。とにかく、ずっと持っていてほしい。そんな風にも思っていた。
「全部、僕の独りよがりだったんだな……」
断られた指輪を見ているのは嫌で、でもこのまま仕舞ってしまうのも嫌で、結局逃げるように立ち上がると部屋の鍵を掴んだ。そして、バスルームにいるルルーシュには一言も告げずに部屋を飛び出した。
家から一番近い公園まで黙々と歩く。十五分ほどの場所にあり、ルルーシュを駅に送る途中でときどき立ち寄る場所だ。
夜の遅い時間。人通りは少なく、当然公園には誰もいない。冷たいベンチに腰を下ろしたところで、そういえば上着も財布も忘れたと気付いたけれど、今さら戻る気にはなれなかった。頭を冷やせと言ったのはルルーシュだ。少し冷えたくらいがちょうどいいだろう。
「あーあ、振られちゃった」
ぽつりと呟いた声は夜の闇に消えた。
「結構上手くいっているつもりだったんだけど、ルルーシュは嫌だったのかな……」
まだ学生という言い分はわかる。内定は決まったものの、社会人としての基盤は何もない。でも、あれほどこっぴどく断らなくてもいいではないか。
それとも、ルルーシュには断らなければいけない理由があるのだろうか。ほかに好きな人ができたとか、お見合いの話が来ているとか、やっぱり男とは付き合えないとか。
「っ、ああもう!」
頭を抱え、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。
考えたってわからない。わかるのは、ルルーシュにプロポーズを断られたという事実だけだ。
(僕じゃあまだまだ駄目ってことか)
まだ社会人ではないけれど、もう子どもでもない。好きな気持ちだけで結婚できないことはよくわかっている。
だけど、未熟な二人だからこそ共に助け合い、一緒に人生を歩んでいきたいと思うのだ。それが結婚ではないのか。
(そうだよ、困難があれば一緒に乗り越えていけばいいんだ。確かに僕たちは未熟だし、難しいことだってあるかもしれない。でもこの先、ルルーシュ以外の人を好きになるとは思えない。ルルーシュが側にいないんだったら、それこそ僕の人生は終わりだ)
好きなのだ。好きという気持ちだけで結婚するのは早計だとしても、ルルーシュのことが好きだから一緒にいたいと思った。だからプロポーズをした。
結婚するのにそれ以外の理由なんてない。
「――帰ろう」
頭は充分冷えた。やっぱりルルーシュと結婚したい。結論はそれしかなかった。
来た道を今度は駆けて戻る。この気持ちを早く伝えたくて。早くルルーシュの顔を見たくて。
急く気持ちを抑えながら玄関の鍵を開けた。シャワーの音は止んでいるのでもう風呂から上がっているだろう。
足音を立てないようにそっとリビングへ向かう。部屋の中は無音だった。
「ルルーシュ?」
その姿はすぐに見つかった。ソファの上で丸まって寝ている姿はまるで猫だ。
なんだ寝ているのか、と呟いてルルーシュの顔が見える位置に座る。
髪に触れればまだ少ししっとりしていた。ちゃんと乾かしていないなんて珍しい。
「このまま寝たら風邪引くよ」
囁いても彼が起きる気配はなかった。ふと、テーブルに目を向ける。
「あれ……?」
部屋を出てきたときと同じように、そこにはリングケースがあった。しかし、中に入れていたものがない。
自分は指輪に触っていないからルルーシュが取り出したのだろうか。まさかゴミに捨てられたのでは。
思い付いた可能性に、もう一度プロポーズしようという決意がするすると萎んでいく。ルルーシュにとってはそこまで迷惑なことだったのだろうか。自分とはもういたくないのだろうか。
またネガティブな感情が浮かんだとき、ルルーシュの手が何かを掴んでいることに気付いた。起こさないようそっと指を外させ、手のひらを開く。
そして、スザクは目を瞠った。
「ルルーシュ……」
「ん……っ」
薄い瞼が震え、その下から澄んだ色が現れた。宝石のようにきらきらとした瞳がスザクを捉える。
「――スザク」
柔らかく名前を呼んだルルーシュが笑みを浮かべた。花が綻ぶ瞬間を見るような心地に、知らず握る手に力が籠もる。
そこでようやく状況を悟ったのか、スザクの顔と自分の手を交互に見比べたルルーシュは、次の瞬間、慌てて起き上がるとソファの上で後ずさった。やっぱり猫みたいだ。
「お、お前、出て行ったんじゃ」
「ここは僕の家だよ。それよりルルーシュ、その指輪……」
「こ、これはデザインが気になったからちょっと眺めていただけで別に他意はない!」
「大事そうに握り締めていたのに?」
「な…っ、違う!気のせいだ!」
「ねえ、ルルーシュの本当の気持ちを教えてくれないかな」
ソファに乗り上げ、距離を縮める。逃げられる前に掴んだ手をさらに強く握った。
「本当の気持ちならさっき、」
「世間体とか常識とか将来とか人生とかそんなことはどうでもいい。ルルーシュの気持ちだけを教えて。僕は君が好きだよ。だから結婚したい。ルルーシュは僕と一生一緒にいるのは嫌?」
瞳を揺らしたルルーシュは唇を引き結び、視線を落とした。
それが彼の答えなのかと、スザクの手から力が抜ける。
「僕はただ、これから先もずっとルルーシュといられたらいいなって思ったんだけど、ルルーシュには迷惑だったんだね。ごめん……」
笑った顔が見たくて指輪を選んだ。彼に愛されていると信じていた。でも、とんだ自惚れだったのだ。
「これ以上、君を困らせるつもりはないよ。僕のことが嫌いならいっそ別れて、」
「違う!」
大きな声に否定される。どこか必死な顔は悲壮感すら漂っていた。
「違う、スザクが嫌いなわけじゃない」
「じゃあどうして?」
「――俺だとお前に人並みの幸せをあげられない」
「え……?」
予期していなかった言葉に思わず聞き返せば、再び顔を俯けられた。
「だって、お前には未来があるじゃないか。社会人になって、もっとたくさんの人と出会ったら俺よりいい人を見つけるかもしれない。その人と結婚したいと思うかもしれない。でも俺が側にいたら、俺はお前の足枷になってしまう。俺はお前に幸せになってもらいたいと……、いや、そんなのは詭弁で、お前が俺から離れるかもしれないと考えたら怖いんだ。お前に人並みの幸せをあげたいと言いながら、もし本当にお前がいなくなったらって思ったら、」
今にも泣き出しそうな声で語るルルーシュが切なくて、でも愛しくて、スザクはその体を思い切り抱き締めた。
先回りしていつか来る未来を考えるのはルルーシュらしいけれど、その不安は裏返せば強い愛情だ。自分はこれほど愛されているのだと、自惚れるしかないではないか。
「考えすぎるのはルルーシュの悪い癖だね。僕は結婚してくださいってお願いしただけなのに」
「でも、」
「言っただろう、ルルーシュの気持ちだけを教えてって。僕は君と結婚したい。ルルーシュは?」
「スザク……」
「答えをくれなきゃ勝手にこの指輪をはめちゃうよ?握ったままうたた寝するくらい気に入ってくれたんだろう?」
いまだ指輪を握り締めたままのルルーシュの右手に自分の手を重ねる。
「別に気に入ったわけでは……。それに、勝手にはめたら答える意味がないじゃないか」
「うん。けど、僕はルルーシュの口から答えがほしいな」
湿り気を帯びた髪を撫でる。人慣れしない猫が逃げ出さないように、そっと。
「――後悔しないな」
「後悔するつもりでプロポーズする人はいないよ」
「俺は意外と嫉妬深いんだからな」
「それは知ってる」
「本当に俺でいいのか」
「だから、嫌ならプロポーズしないって」
笑ってみせれば、ルルーシュの口許もようやく微かに緩んだ。
「僕と結婚してくれますか?」
恭しく尋ねて右手を持ち上げると、滑らかな甲に口付けを落とした。目を上げれば、紫の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「俺で、良ければ」
おずおずとした答えにスザクは満面の笑みを浮かべ、今度は柔らかい唇にキスをした。
体をかき抱くと、ルルーシュも背中に腕を回してくれた。右の手が丸まっているのはそこに指輪があるからだ。
とても大事そうに彼が指輪を握っていたのを思い出してたまらない幸せがこみ上げた。
愛されているんだな、ともう一度思ってスザクは囁いた。
「一緒に二人の人生を始めよう、ルルーシュ」
(14.03.29)