今日という日について

 美しい顔が月明かりに照らされている。
 白い寝衣を着せられ、白いベッドに力失く横たわり、ぐったりと瞼を閉ざす姿は精巧な人形、あるいは死体と言われても信じてしまえそうだ。
 それはまるで数日後の彼を表すかのような光景。

「ルルーシュ……」

 小さく呟いた声は夜の空気の中に溶けて消えた。
 ルルーシュを見下ろしていたスザクは、しばらくしてからようやく自分も暖かいベッドに潜り込んだ。
 隣のぬくもりを抱き締める。微かな寝息ととくとく鳴る心臓の音が、彼が生きていることを知らせていた。
 首筋に顔を埋めて唇を押し当てれば血の流れを感じた。
 まだ三日もある。
 あと三日もある。
 前者はルルーシュで、後者は自分の心境だろうか。
 三日後に決行されるゼロレクイエムを前に彼を抱いた。お互い何も言わなかったけれど、これが最後だと二人ともわかっていた。
 だからスザクは殊更丁寧に、しかししつこいほど繰り返しルルーシュを求めた。ルルーシュもそれを拒まなかった。
 もともと体力のない彼は最後のほうは意識も朦朧とした状態で、何度も「嫌だ」と口にしていた。でも言葉とは裏腹に体の奥はスザクを引きずり込むような動きをし、引き抜こうとするたびに甘く締め付けられた。
 積極的だねとからかえば、自分が何をしているのかすらわかっていないような状態なのに「馬鹿」と悪態が返ってきた。どんなときもルルーシュはルルーシュで、そのことにスザクは頬を緩めた。
 (僕が殺す。殺さなければいけない。それが僕たちの約束だから)
 抱き締める腕に力を込める。ルルーシュは少し苦しそうにしただけで、目を覚ますことはなかった。
 指の先で柔らかい黒髪を梳く。さらさらとした感触はまるで絹糸のよう。何もかもが極上な体は、こんな状況でなければブリタニア全国民から羨望の眼差しで見られたことだろう。
 もし彼が悪逆皇帝を演じず、もっと普通に王位を得ていたら。考えても仕方のないもしもを考えるなんてらしくないと、余計な空想を振り払う。
 ルルーシュはすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。朝から晩まで働き詰めで、こうして無理矢理にでも体力を消耗させなければまともに寝ることもしない日々が続いていたから、疲労もピークに達していたのだろう。
 (もうすぐ死ぬ人間の体調なんかどうでもいいって、君なら言いそうだけど)
 でも、死んでしまうからどうでもいいとは言ってほしくなかった。朝になったら目を覚まし、食事をとって、夜になったら眠ってほしい。
 それが自分の我儘でしかないとしても、せめて最期に至るまでは平穏に生きてもらいたい。彼を殺す自分が平穏を願うのは滑稽だけど、まぎれもない本心だった。
 取り留めのないことをつらつらと考えている間も腕の中にはルルーシュを閉じ込めたまま。彼の寝顔を見る機会ももうなくなってしまうのだと思うと、目線も腕も外すことは出来ない。
 そうしてルルーシュの生きている鼓動を感じながら、スザクはベッドの中で息を潜めていた。
 やがてカーテンの向こうが微かに明るくなり、もう朝が来てしまったのかと落胆する。長いはずの夜はあっという間に終わってしまった。
 希望の朝なんて言葉はきっと嘘だ。もし本当にそこに希望があるのなら、明けの空に絶望を感じたりしない。
 一睡もしなかった体を起こす。ルルーシュの頬を一度だけ撫で、柔らかい感触に少しだけ口許を緩めた。しかしすぐに手を離すとベッドを抜け出した。
 皇帝の私室を出ると、しんとした冷たい空気が肌を刺した。
 フレイヤによって首都ペンドラゴンが破壊されてしまったので、今いるのは仮の宮殿だ。世界征服以降は日本とブリタニアの両方に拠点を置き、支配を強めている。
 日本を最期の地に選んだのはゼロが最初に生まれた場所だからと説明を受けたけれど、その言葉がどこまで本当なのかは知らない。
 (僕たちが出会ったのが日本だから、と思うのはうぬぼれ過ぎか)
 でも、ルルーシュの中にその意識がまったくなかったとは言い切れないだろう。自分たちが始まり、自分たちが終わるための地として、これほどふさわしい場所はないのだから。

「あ、」

 長い廊下を歩いていると見慣れた人影を見つけた。思わず声を漏らしてしまったのは、いつも部屋でだらだらしていた彼女がこんな早朝に起きているのがとても珍しかったからだ。

「C.C.じゃないか」
「スザクか。早いな」
「君のほうこそ」
「昼間から堂々と城を抜け出すわけにはいかないだろう?」

 その言葉にスザクは息を飲んだ。

「出て行くのか……?」
「もともとそういう予定だったからな」

 計画を実行するにあたり、自分たち以外の人間は極力関わらせないようにしていた。
 ロイドたちは裏切ったふりをさせてすでに投獄しているから、悪逆皇帝ルルーシュの協力者としての非難は最小限に抑えられるだろう。
 ルルーシュとしてはジェレミアも遠ざけたかったようだが、彼の場合は主君に忠誠を捧げ、最後まで仕えることを誓ったので諦めたらしい。あれほどの忠誠を否定するのはむしろ彼への冒涜だと言っていた。
 そして残ったのが、自分たちの共犯者であるC.C.を含めた四人。しかし、彼女もここを離れるときが来たのかと思うとなんとも言えない気持ちになった。

「寂しそうな顔をするな」
「そんな顔はしてない」
「素直になれ。我慢はよくないぞ」

 にやりと笑ったC.C.は、ルルーシュに対する気持ちを知らないはずだ。でも、まるでそのことを指摘されたようで思わず言葉に詰まった。

「ルルーシュに挨拶しないの」

 誤魔化すように話題を変える。すると、彼女は器用に肩を竦めた。

「誰かさんが一晩中独占していたからな」

 その科白には押し黙った。事実なので何も言えない。

「ふふっ、冗談だ。挨拶なら昨日のうちに済ませている。もう言葉は必要ないし、お前が心配するようなこともない」

 言葉が必要ないというのは本当だろう。
 彼女はルルーシュをよく知っている。ルルーシュも彼女を信頼している。二人の間には言葉で言い表せない絆があるし、言葉がなくても伝わるのだ。自分と違って。

「ここも寂しくなるな」

 急遽あつらえた宮殿を見渡して、どこかしみじみした調子でC.C.が呟いた。

「もともと人は多くないからね。でもあと三日もすれば大勢の人が押し掛けるよ」
「――そうだな」

 視線を落とした彼女が小さく笑う。

「じゃあな。あまり陽が高くなると動きにくくなる」
「あっ…、C.C.!」

 立ち去ろうとするC.C.を思わず呼び止めたけれど、あとに続く言葉が見つからなかった。振り返った彼女は、静かな色の瞳で自分を見据えていた。

「無理やり忘れる必要はない」

 声をかけたのはC.C.のほうだった。

「どんな記憶も時が経てばやがて忘れる。それが人というものだ。だから無理に忘れようとしなくても嫌でも忘れる。でも、もし今際の際まで残る記憶があるのだとすれば、それもまた悪

 くはないだろう」
 彼女が何を伝えたいのか、正確な意味は理解できていないのかもしれない。ただ、自分を励ましてくれていることだけはわかったから、スザクは口許を少しだけ柔らかくした。

「ありがとう……」
「礼ならすべて上手くいったあとに言うことだ。元気でな、スザク」

 ひらりと手を振り、今度こそ背を向ける。その後ろ姿が廊下の角に消えるまでスザクは見送ってた。
 彼女と再び会えるのかどうかはわからない。
 ただ、数年後、もしくは数十年後に再会することが出来るならば、そのときは堂々と胸を張って会える自分でいたいと思った。
 どんな日も朝は必ずやって来る。望もうが、望むまいが。
 そして、今日という日は世界にとって後世まで伝わるほど幸いに満ちた日になるだろう。
 (でも、僕にとっては――)
 眩い陽の光に目を眇めていると聞き慣れた靴音を耳が捉えた。空から廊下の先へと視線を戻せば、いつもの皇帝服を着たルルーシュがいた。

「スザクか。早いな」
「君のほうこそ。……って、なんだかデジャビュみたいだな」
「ん?なんだ?」
「いや、なんでもない」

 三日前のC.C.とのやり取りを思い出した、とは彼には言わないほうが良さそうだ。

「お前ちゃんと寝たのか?」
「寝たよ。ルルーシュじゃないんだから」
「どういう意味だ」
「僕は早寝早起きを心がけているって意味」
「夜更かしをしたって昼間に寝れば問題ない」
「問題大ありだろう。授業は寝るものじゃないよ」

 自慢げに胸を張られ、スザクは呆れた表情をした。今となっては昼寝すらしていないことはあえて指摘しなかった。

「軍で毎日休むよりはいい」
「僕はいいんだよ」
「ならば俺だっていいはずだ」
「あのねぇ」

 思わず説教を始めてしまいそうになり、ふとルルーシュと目が合った。その途端、二人とも吹き出してしまった。
 最後の日に何をやっているのだろう。だけど、こんなやり取りを嫌だとは思わなかった。当たり前に笑っていられる馬鹿みたいなやり取りが今はとても愛しい。

「ところで朝食は何がいい?」

 しかしその質問にはすぐに答えられなかった。

「パレードは午後からだろう?一応、昼前には俺も最終チェックを行うが、事前準備や囚人の移動はジェレミアに全部任せている。だから朝食をゆっくり食べるぐらいの時間はあるんだ」

 するとこちらの戸惑いを察したのか、ルルーシュ自らが理由付けをしてくれた。
 ゆっくり朝ご飯を食べてもいい理由を。
 二人きりの時間を作ってもいい理由を。
 最後の食事に付き合える理由を。

「朝は一日の基本だ。食べなければ頭も働かない」
「……相変わらずお母さんみたいだね」

 ようやく茶化すような言葉を紡ぎ出すと、優しい笑みがこちらに向けられた。

「で、何がいい?」

 スザクは息を吸い、紫の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「じゃあ……、味噌汁と白いご飯がいいかな」

 ルルーシュが笑みを深くする。眩しくて、見ているだけで涙が浮かびそうなくらい綺麗な笑顔だった。

「それなら今日は特別に鮭も付けてやろう。本格的な日本の朝ご飯だ」
「うん、楽しみにしている」

 では少し待っていろ、と言い残してルルーシュは立ち去った。その後ろ姿をじっと見送る。廊下の角を曲がって、靴音も完全に聞こえなくなったところで詰めていた息を吐き出した。
 まるでC.C.との別れの再現みたいだ。ひとつだけ違うのは、ルルーシュとはこのあとすぐにまた会えることか。
 (そして、次の別れのときには――)
 もう一度空を見上げた。早朝の空はまだ少し薄暗く、しかし遠くからだんだんと明るくなっているのが見えた。
 今日はきっと快晴だ。
 (いい日だね、ルルーシュ。とても、いい日だ)
 僕たちの計画は上手くいく。
 約束は必ず守るから。君の願いは僕が叶えよう。
 僕が。

* * *

 遠ざかって行く足音を廊下の陰に隠れて聞いていた。
 やがて音が消え、ルルーシュはそっと顔を覗かせてみた。廊下には誰の姿もなく、安堵のような息を漏らす。
 (別に隠れようと思ったわけではないが、あいつがなかなか向こうに行かないから仕方なく……、そう、仕方なくだ)
 誰に対するものかわからない言い訳を心の中でして、スザクの消えた廊下の先を見つめた。
 本当はひとつだけ言っておきたいことがあったのだ。

「お前は俺に縛られなくていいんだぞ、と言おうと思ったのにな……」

 口に出来なかったのは自分の最後の我儘だ
 好きだと言えなかった代わりに、彼に自分のことをいつまでも覚えていてもらいたいという我儘。

「お前の幸せを祈っていると思いながら、結局、最後の最後まで俺は自分本位だ」

 だけど、ほんの少しの我儘を許してくれないだろうか。最初で最後の、小さな我儘を。
 廊下の窓から見える空に目を向けた。今はまだ東の空がほんのり明るくなった程度だけど、もうすぐ朝日が完全に上り、今日一日の始まりを告げるだろう。

「今日はよく晴れそうだな」

 雲ひとつない空を眺めながらルルーシュは微笑んだ。
 今日はきっといい日になる。とても、いい日に。
 そうだろう?スザク。
 (12.09.28)