温泉旅行に行かないか。
友達のスザクに誘われたのは、大学三年生になった四月の終わり頃のことだった。
ちょっと買い物に行かないかと誘われるときと同じくらい爽やかで軽やかな誘いに、ルルーシュはまばたきをひとつした。
「温泉?」
「ゴールデンウィークは人が多いからその翌々週の土日にって思っているんだけど。何か予定ある?」
「いや、今のところ何もないが……」
「じゃあ決まりだね。ルルーシュの家まで迎えに行くから部屋で待ってて。時間はそうだな、宿でゆっくりしたいし周りも散策してみたいし、少し早くても大丈夫?」
「ちょっ、ちょっと待った! 俺は行くとはまだ一言も、」
「行かないの?」
生き生きと話していたスザクが途端に叱られた犬みたいにしょんぼりとした顔をする。しゅんと垂れた耳まで見える気がするのはどうしてだろう。
これではまるで自分のほうが悪者ではないかと心の中で呟き、ルルーシュは昼下がりのカフェテリアで溜め息を飲み込んだ。
スザクとは同じ大学に通っている同級生で、一年前、友人たちに無理やり連れられた温泉宿で偶然出会った。彼のことはもともと知っていたけれど、まともに会話をしたのはあのときが初めてだった。
諸事情で部屋に戻りたくなかった自分はつい長風呂をしてしまい、温泉を出たときにはすっかりのぼせていた。そんなときに介抱してくれたのがスザクで、気分が良くなるまで部屋で休ませてくれた。その上、朝までここにいればいいとベッドまで貸してくれたのだ。
ほとんど見ず知らずの人間だった自分にあれほど親切にしてくれたスザクはとても優しい。だから、そんな彼と友達になれたことは素直に嬉しかった。
あれから一年が経った今も良好な友人関係は続いているし、温泉に行こうと誘ってくれたのも嬉しい。しかし。
(友達だからこそ、行けない)
膝の上で両手を握り締める。
温泉に行けない理由。それは、スザクに対して恋心を抱いているからだ。
一年生のとき、たまたま講義が同じだった彼のことを好きになった。以来、自分はずっとスザクに片想いをしている。
(スザクに誘われて嬉しくないわけがない。でも、旅行ということは当然個室だし、そんな場所で二人きりなのにずっと友達の顔をしていなければいけないなんて、ある意味拷問だ)
一年前はスザクと話ができるだけで浮かれていたけれど、今の自分は彼の友達なのだ。友達が友達に邪な気持ちを抱くなんて許されない。だから二人きりで温泉なんて行けない。
そう思うのに、すっかりしょげてしまっているスザクを前にするととても断われそうになかった。
「ルルーシュはブリタニア人だから温泉には興味ないよね。ごめん、勝手に決めて勝手にはしゃいで」
「そういうわけでは、」
「うん、この話はなかったことにしよう。困らせてごめんね、ルルーシュ」
「だから違うと言っているだろう!」
人の少ない空間に叫んだ声が思いのほか大きく響く。ハッとして一旦口を噤んだルルーシュは、目線を下げたままおずおずと切り出した。
「別に温泉が嫌とか行きたくないとは言っていない。ただ、俺と二人きり、なんだよな……?」
「当たり前だよ」
「ほかに誰か誘わなくていいのか?」
「誰かって誰?僕はルルーシュ以外の人と行くつもりなんてないよ」
「本当に?いいのか?」
「嫌ならそもそも誘わないし」
きっぱりと言い切られ、ルルーシュは言葉に詰まった。こんなとき、スザクの特別になれたような錯覚に陥る。
もちろん彼はただの友人として自分を見ているし、友達の中では一番仲が良いかもしれないけれど、家族や恋人みたいな特別な存在とは自惚れていない。
ただ、スザクは誰に対しても気さくで当たり障りのない態度で接する反面、深い部分には本当に気を許した人しか立ち入らせないところがある。自分はそんな彼の内側に入れてもらえているという自負があった。
だけど、ただの友達だという自覚も当然持っている。ただの友達がそれ以上の存在になれるとは思っていない。
それなのに、まるで特別だと言うように接してくるから勘違いしてしまいそうになるのだ。
(スザクはずるい)
女の子にもてて、家はお金持ちで、なんでも持っている彼には失うものなんてない。友達だって自分以外にたくさんいる。
一方の自分にはスザクを想う気持ちしかない。スザクに嫌われたら最後、何もかも失ってしまう。
(――ネガティブに考えすぎだな)
スザクは友達として純粋な気持ちで温泉に誘ってくれたのに、それを否定するようなことを考えてしまうのは良くない。
胸のうちで嘆息し、ルルーシュは目線を上げた。待ての状態のまま律儀に待っている犬みたいなスザクに小さく笑う。やっぱり彼は犬っぽい。
「ルルーシュ?」
「いや、なんでもない。そうだな、温泉に行くのも久しぶりだし、たまにはいいか」
「本当?」
先ほどまで項垂れていた表情が一気に明るくなり、今度は声を出して笑ってしまった。こんなに喜んでもらえるなら温泉に付き合うのも悪くないと思えた。
それが半月前のこと。
約束通り、ルルーシュの家の前まで車で迎えに来たスザクは、行き先も宿泊する宿も伏せたまま温泉地へと向かった。
泊まるところは秘密と言われ、どこへ行くのだろうと訝しんでいたルルーシュだったが、記憶にある景色と宿の外観にもしやと思い、案内された部屋の前で予感を確信へと変えた。
「去年は夜しか一緒にいられなかっただろう?だから今度はもっとゆっくり過ごしたいと思って」
たどり着いた部屋は、一年前にスザクが泊まっていたのと同じ部屋だった。宿の最上階にある高級な部屋で、広さも眺望も調度品もすべてに金がかかっているような空間だ。
「スザク……」
仲居が出て行ったあと、大きな窓から外の景色を眺める彼を思わずねめつけた。しかしスザクはルルーシュの反応など気にした様子もなく、上機嫌に振り返った。
「ルルーシュともう一度ここに来たいと思っていたんだ。友達になった一周年記念ってとこかな。正確には知り合って十ヶ月ぐらいだけど」
「記念って、部屋代は……」
「宿の代金は気にしないで。ルルーシュを無理やり連れてきたのは僕なんだから」
「そういうわけにはいかない。友達におごらせるのは嫌だからな」
「固いこと言わないでよ。僕が勝手に決めたんだし、ルルーシュはお客さん」
「温泉に誘ったのはお前かもしれないが、それに頷いたのは俺だ。これじゃあまるで――」
まるで、デート代を出してもらう恋人みたいじゃないか。
ふとそんなフレーズが浮かび、慌てて言葉を飲み込む。同時に、そういえばスザクはここに彼女と来ていたではないかと思い出して胸が痛んだ。
「どうかした?」
「な、なんでもない。とにかく代金はあとできっちり払うからしっかり請求しろ!」
「真面目だなぁ」
「お前が適当すぎるんだ!」
怒ってみせてもやはりスザクはどこ吹く風だった。
(これだから金持ちは……)
別にこの部屋が嫌なわけではない。ただ、自分たちは学生だ。成人したと言っても親に扶養されている身分であることに変わりはないし、いくらスザクの実家が金持ちでも無駄な贅沢は駄目だろう。
そう思うのに、自分たちが出会った場所をスザクが覚えていて、こうして連れて来てくれたことに嬉しくなっている自分がいた。本当にどうしようもない。
「宿代のことはとりあえず置いといて、夕飯まで時間あるから先に温泉入ってくる?」
「お前は?」
「僕は食べたあとでいいや」
「そうか。じゃあ、せっかくだし俺は行ってこようかな。早めに戻ってくる」
荷物を置き、代わりに必要な入浴道具一式を持つとルルーシュは部屋を出た。
約一年ぶりの温泉。しかも今回は最初からスザクが一緒の旅行だ。彼の前では努めてポーカーフェイスを保っているけれど、ひとりになった途端、どきどきともそわそわとも表現できる気持ちが溢れそうだった。
今の自分はきっと浮かれている。間違いなく浮かれている。
(誘われたときは色々考えてしまったが、やっぱり来て良かった)
スザクにとっては友達との小旅行かもしれない。しかし、自分にとっては好きな人との温泉旅行なのだ。
ともすれば緩みそうになる口許を押さえながら大浴場の入口を開けた。早い時間が幸いしてか、客はまばらだった。
服を脱いで浴場に行くとまず体を洗い、それから熱めの温泉に入った。
まだ陽の高いうちからこうしてのんびり湯に浸かるのはとても贅沢な気分だ。一年前は宴会騒ぎになった部屋に戻りたくなくて温泉に逃げてきたのに、今年は部屋にスザクを待たせての温泉である。贅沢以外の何物でもないだろう。
(考えてみたら、二人きりになるのはあのとき以来か)
大学でもスザクとは一緒だが、自分たち以外誰もいないという状況はなかなかない。誰にも邪魔されない空間が待っていると思ったらまた気持ちが浮き立ちそうだった。
部屋でしばらくゆっくりして、夕飯を食べて、外があまり寒くなければ宿の周囲を少し歩いてみてもいい。明日の朝は遅くても大丈夫だから、心置きなく夜更かしだってできる。
ひとつひとつは些細なことだけど、好きな人と一緒にいられるだけですべてが特別なことのように思えた。
(やっぱり浮かれている)
子どもみたいで恥ずかしい。しかも相手は同じ男だ。友達以上になれるはずがないとわかっているのに、心のどこかで期待する気持ちを抱いてしまうのが愚かしい。
(でも、好きなんだ)
あと数年で自分たちは大学を卒業する。社会に出た途端、友人関係が終わるとは思わないけれど、お互い忙しくて会う暇もなくなるだろう。何より、社会人になれば誰だって結婚を意識するようになる。
スザクの家は金持ちだから見合いの話も多いかもしれない。やがて誰かと結婚して、家庭を築いて、まっとうな幸せを手に入れるのだ。そしたら大学時代の友人でしかない自分のことなんて忘れられてしまうだろう。
(そのときの俺は、まだスザクのことを好きなままでいるんだろうか。それとも……)
確定していない未来を考えていたら目の奥が熱くなった。
温泉に来てまで何を考えているのだと顔の半分を湯に浸ける。気泡がぷくぷくと浮かんでは消えていった。
(余計なことを考えるのはやめよう)
今日は楽しい旅行なのだ。つまらないことを考えてひとりで落ち込むなんて馬鹿らしい。
ふと周囲を見ればほかの客の姿はなく、広い浴場にはルルーシュだけが残されていた。長風呂をした意識はないが、考え事をしているうちに結構な時間を過ごしてしまったらしい。
なかなか戻って来ないとスザクが心配しているかもしれない。慌てて立ち上がったそのとき、覚えのある眩暈を感じた。
これはまずいと縁に手を付ける。一年前ものぼせたが、一年後も同じようにのぼせるとは学習能力がないにも程があるだろう。
(とにかく外に出て着替えなければ)
裸で倒れるなんてみっともない真似はできないと、くらくらする頭を抱えて脱衣所まで向かった。扉を開けた瞬間、扇風機の風が火照った肌を冷ましたけれど、すぐに気持ち悪さに襲われた。
体も髪も適当に拭いて慣れない浴衣をなんとか着付けたルルーシュは、とにかく部屋に戻ろうと荷物を抱えて廊下に出た。しかし頑張れたのはそこまでで、木製の引き戸に手を掛けたままその場に崩れ落ちそうになった。
意識が遠のくのを感じる。と同時に、誰かの腕が体を支えた。
「あぶな…っ」
間一髪、と耳元で声がした。
この声の持ち主はスザクだ。考えるよりも先に理解して、ルルーシュは無意識に体を凭れさせた。
「なかなか戻ってこないから心配で来てみたら……。大丈夫?」
質問に応えるのすら億劫で、ただ小さく頭を動かす。血の気が引いたような気分の悪さに立っているのもきつい。
すると、体がふわりと浮き上がった感覚がした。瞼をこじ開ければ、なぜかスザクの顔を見上げていた。どうしてそんな視界になっているのかわからず、でもはっきりしない頭は上手く思考してくれない。
「部屋に連れて行ってあげるからルルーシュは休んでいていいよ」
スザクの優しい声に、口許を和らげて目を閉じた。世界がゆらゆらと揺れているのは眩暈のせいだろうか。
さっきまであんなに気持ちが悪かったのに、今は心臓の音も規則正しくなっていた。いつもより少し鼓動は早いけれど、それすらもなんだか心地良い。
やがて部屋に到着し、柔らかいベッドに下ろされた。
「水いる?」
一年前もこんなやり取りをしたなと思い出しながらこくりと頷く。一度寝室を出たスザクの気配はすぐに戻って来た。薄く目を開けば、ペットボトルを片手にこちらを見下ろす彼がいた。逆光になってその表情はよく窺えない。
背中を支えられてわずかに身を起こす。ペットボトルの口が唇に当たり、こくこくと一気に半分まで飲み干した。
「温泉が好きなのはいいけど、のぼせるまで入っちゃダメだよって去年も言ったのに」
苦笑い交じりの声にルルーシュは視線を上げた。
「……お前は、去年も助けてくれたな。ピンチになったら必ず現れるヒーローみたいだ」
「ルルーシュ限定のヒーローだけどね」
くすくす笑われ、相変わらずぼんやりとした思考のまま意識せずに口を開く。
「じゃあ、来年も助けてくれるか?」
「もちろん。って、来年ものぼせるつもり?」
「再来年も? その次も?」
「ルルーシュ?」
スザクが訝しそうな表情をした。
翠の瞳が自分を見ている。夢みたいだと思った。
スザクへの気持ちはずっと片想いのままで終わらせるつもりだったし、友達になるつもりもなかった。それなのに、偶然に偶然が重なってこんな僥倖に恵まれた。
これ以上、欲張ったらばちが当たる。でも、欲張らなかったらあと二年で自分たちは離れ離れになってしまう。
温泉に入りながら考えたことが蘇り、思わず白いシーツを握り締めた。
「俺は……、お前と離れたくない」
「え?」
「一緒にいたい。友達としてでいいから、お前とずっと、一緒に」
好きだ。
スザクのことがどうしようもなく好きだ。諦めたくない。諦められない。離れたくなんかない。
気持ちがぐちゃぐちゃなのは具合が悪いからだろう。そのせいで妙に心細くなってこんな馬鹿なことを口にしているのだ。
スザクを見れば目を丸めて驚いた顔をしていた。
(ああ、やっぱり迷惑だよな)
告白したわけではないけれど、同性の友達からずっと一緒にいたいなんて言われたら気持ち悪いだろう。途端に後悔が生まれた。
「すまない、今のは冗談だ。忘れてくれ」
顔を逸らすとスザクの腕から離れようとした。しかしなぜか両手を取られ、気付けばシーツに縫い止められていた。
「スザク……?」
「――ねえ、ルルーシュ。勘違いしちゃいけないのはわかってるけど、今の言葉、都合良く解釈してもいいのかな」
「勘違い?」
「答えはあとで教えて。嫌なら殴ってくれてもいい」
何を、との問いは声にならなかった。薄く開いていた唇に柔らかいものが触れる。
スザクにキスをされていると気付いたのは数秒後で、ルルーシュは大きく目を見開いた。体が強張り、頭の中が真っ白になる。
嫌なら殴ればいいと言われたけれど、スザクとキスをしているのだと思ったらとてもそんなことはできなかった。
なんの気紛れか、ただの遊びか、彼の真意はわからない。でも、ずっと好きだった相手とたとえ戯れでもキスができて抵抗する理由はない。
一生分の思い出にするつもりでルルーシュは瞼を下ろした。優しく唇が合わさり、微かな水音が静かな寝室に響く。
誘うように舌を差し出せばスザクの舌が伸びて絡め取られた。舌の裏や表面をなぞられ、ぞくぞくとした感覚が背筋を這う。
思わず身を捻れば、手首を掴む力が強くなった。まるで逃がさないと言われているみたいで、泣きたいような気持ちになった。
スザクが自分のことを好きだったらいいのに。
戯れじゃなくて、本当にキスをしたいと思ってくれていたらいいのに。
「ン、んぅ…ッ」
上顎を舐められ、咥内を犯される。飲み込んだ唾液が甘露のように甘く感じた。
ようやくキスが解かれたときにはお互い軽く息を乱していた。唇が離れても両手は捕えられたままで、涙の浮かんだ瞳をスザクに向ける。
そこには雄の顔をした彼がいて、背中がまたふるりと震えた。こんな表情のスザクを見るのは初めてだ。
「――さっき言っていたことは本当? ルルーシュは僕とずっと一緒にいたいと思ってくれてる?」
「だからあれは冗談だと、」
「僕はずっと一緒にいたい。ルルーシュのことを好きだから」
「え……」
「先に言っておくけど、友達としての好きじゃないよ。恋愛の意味で好きなんだ。だから、答えを教えて」
突然の告白に何も考えられなくなる。
スザクが自分のことを好きだったらとは願ったけれど、まさか本当に好きだと言ってもらえるなんて考えてもいなかったからすぐに信じることができない。
「なんで……、だって、今までそんなこと……」
「ルルーシュがあまりにも純粋だったからね。去年の夏だって、僕としては結構雰囲気を出していたつもりなのに反応が鈍くて、これは正攻法で行くしかないなって思ったんだ。一年間もお友達のままでいられたのは僕としては快挙だよ」
「一年前?」
「ここで君と会ったのは本当に偶然だけど、声をかけたのも君を助けたのも部屋に誘ったのも全部意図的だった。……って言ったら怒る?」
いろんな真実がいきなり頭に入り込んできて処理が追いつかない。スザクは何を言っているのだ。
(だって、あのときは廊下でスザクに会って、俺がのぼせたから介抱のために自分の部屋まで運んでくれて、休んだあとは普通に会話をしてそのまま一晩過ごして……)
すべて意図的だったと言われてもにわかには信じられない。
その後、大学で再会したときもスザクは普通に接してきた。どんどん距離を縮めてくるから自然と気を許してしまい、当たり前のように友達になっていた。
それが全部スザクの計算によるものだったなんて。しかもその理由が、自分のことを好きだからだなんて。
「どうして……」
思わず呟けば、スザクが困ったような顔をした。
「君が好きだからに決まっているだろ。大学では接点がなくてなかなか話しかけられなかったから君に近付くきっかけが欲しかった。これを逃したら二度とチャンスはないと思ったから色々ずるいこともした。こんな僕で幻滅した?」
自嘲するように訊かれてルルーシュは咄嗟に首を振った。
何がどうなっているのかまだ把握できていない。でも、ここでスザクを否定したら彼を失ってしまう予感がした。それこそこんなチャンスは二度と巡ってこないだろう。
「君は僕のことをどう思ってる? 教えて、ルルーシュ」
「俺は……」
心臓がどくどくと音を立てていた。手首を通じてこの緊張がスザクにも伝わっているかもしれない。
ルルーシュは真っ直ぐにスザクを見た。
「――俺も、スザクのことが好きだ。多分、同じ意味で」
「多分じゃない。同じ意味で好きなんだよ」
にこりと笑いかけられ、自分は告白されたのだとようやく実感する。
(スザクが、俺のことを)
意識した途端、頬が熱くなる感覚がした。もちろん温泉でのぼせたせいではない。だけど、顔を隠そうにも相変わらずスザクによって拘束されているため叶わない。
「そ、そういえば、どうしてまた温泉に行こうなんて言い出したんだ」
誤魔化すように問えば、曖昧な笑みが返ってきた。
「それはまあ、下心と言うかなんと言うか」
「下心? だからあんな簡単にキ、キス、なんて」
自分たちはキスをしたのだ。そのことを思い出してさらに居た堪れない気持ちになった。とにかく恥ずかしくてたまらない。
「それなんだけど、ひとつ白状すると、僕たちのファーストキスは今日じゃなくて去年の夏なんだ。ごめん」
「は?」
「ここで君に水を飲ませたときにこっそりキスした」
「え……、えっ!?」
「キスできてラッキーって思ったけど、ルルーシュは意識が朦朧としていて全然気付いてなかったから残念だったなぁ」
「残念ってお前……」
「色々ずるいこともしたって言っただろう。それでもルルーシュは幻滅しない?」
幻滅するわけがない。
自分が密かにスザクを好きだったように、スザクも自分のことを好きだった。勝手にキスをするくらい想われていた。それを知ったのに、怒ったり幻滅したりするわけがない。
(むしろ嬉しい)
でも、本当だろうかと心のどこかでまだ疑っている自分もいた。突然望んだ結果を得られて混乱しているし、このまま彼の気持ちを受け取っていいものか迷う。
想いが叶ったのに怖いと思うのは自信がないからだ。大学では常に浮き名を流していたスザクが男の自分を好きだなんて、本当に有り得るのだろうか。
「お前は女の子のほうが好きなんじゃないのか?俺は男だぞ。お前のほうが俺に幻滅しないか?」
「幻滅?まさか。こんなこと言ったら怒られると思うけど、女の子と付き合っていたのは単なるカモフラージュ。どうせ君と付き合えるわけがないって諦めていたから半分は自棄みたいなものかな。遊んでいたことは謝るけど、君と知り合えてからは全部清算したよ」
確かにこの一年、スザクが誰かと付き合うことはなかった。あれは彼なりにけじめをつけていたのかとぼんやり理解する。
「じゃあ、本当に俺のことを好きなのか……?」
「本当だよ。どうしたらルルーシュは信じてくれる?」
どうしたら信じられるのだろう。
ふと、自分たちの体が離れているのを寒々しく感じた。きっと寒いから心も不安になっているのだ。
「――何もしなくていい。ただ、抱き締めてほしい」
要望はすぐに叶えられた。ずっと手首を拘束していた手が離れ、横になったスザクに抱き寄せられる。
腰のあたりに腕を回されて体が密着した。スザクの体温と鼓動の音がひどく安心した。瞼を閉じると彼の肩口に頬を寄せる。
「そういえば、温泉でのぼせたばっかりだよね。まだ気分が悪いだろうからしばらく寝ていていいよ。起きたらまたちゃんと話そう?」
耳に聞こえた提案に頷く。具合の悪さはもうないけれど、まだどこかふわふわと浮いたような感覚があるのはのぼせたせいなのか、それとも告白のせいなのか。
寝ていいと言われたことを免罪符に、少しだけ体を丸めてスザクの服に頬をすり寄せた。腕の力が強くなった気がして、自然と口許が和らぐ。
(スザクも俺のことを好きだった)
その事実だけでとても幸せな気持ちになれた。
考えなければいけないことはたくさんあるのに頭が上手く回らない。ただ、今はこの幸せな気持ちと温かいぬくもりに浸っていたかった。
(好きだよ、スザク)
目が覚めたらちゃんと言おう。
そんなことを思いながら、ルルーシュは幸せな気分のまま意識を手放した。
* * *
「これって結構拷問なんだけど……」
ぽつりと呟いたものの、あどけない寝顔と穏やかな寝息に自然と笑みが零れる。
温泉に誘っておきながら下心がなかったとは言わない。程よく酔わせてあわよくば、と最低なことを考えなかったと言えば嘘になる。だけど、真っ当な告白をするほどの勇気もなかった。
それが思いがけず気持ちを伝えられたのは、ルルーシュの言葉の中に友達以上のニュアンスを感じ取ったからだ。
「一年前も今日も、温泉でのぼせてくれた君に感謝だね」
ルルーシュがのぼせなかったら友達にすらなれなかった。素直な気持ちを聞くこともできなかった。
だからと言って毎回毎回具合を悪くされるのは心臓に悪いからやめてほしいけど、と小さく笑う。
髪に触れればまだしっとりと濡れていた。乾かすのもそこそこに出てきたようだからこのままでは風邪を引いてしまう。せめてタオルで拭かなければと、腕の中の体を一度ぎゅっと抱き締めたあと静かに身を起こした。
柔らかい頬にキスをひとつ落とす。意識のないルルーシュにキスをしても自分が虚しくなるだけだ。だから、甘い唇に口付けるのは少しの我慢。
「初めての場所がここならムードがあっていいかなと思っていたんだけど、今夜は無理そうかな。その代わり、帰ったら覚悟しといてね」
恋人に昇格したばかりの男が物騒な発言をしているとも知らず、ルルーシュは相変わらず気持ち良さそうに眠っていた。
「好きだよ、ルルーシュ」
目を覚ましたらちゃんと言おう。ずっと好きだったと、信じてもらえるまで囁き続けよう。
そんなことを思いながら、スザクはルルーシュの柔らかい頬を優しくひと撫でした。
(14.06.14)