溽暑

 通話の切れた携帯を胸ポケットに仕舞い、ルルーシュは息をついた。
 (さて、次は――)
 今のところ黒の騎士団のほうは順調だ。星刻と共に動き、中華連邦を押さえている。
 カレンは捕虜に取られたままだが、その無事は確認できており、幸いにも危機的状況にはない。もっとも、いずれブリタニアと衝突することを考えれば一日も早く奪還する必要があった。
 (カレンの奪還については慎重に進めないといけないな。ナナリーの救出も同様だ。人質としての利用価値を考えればそう簡単に殺すことはないだろうが、あの男のことだ、必要ないと判断すれば実の娘であろうと簡単に手をかけるだろう。それにしても、スザクがナナリーの傍にいるのは厄介――)
 そこへ靴音が聞こえ、舌打ちしたくなる気持ちを抑えた。
 振り返らずとも相手はわかる。ルルーシュは目を閉じ、もう一度小さく深呼吸をした。
 そうして、次に瞼を押し上げたときには完璧な仮面を付けていた。『ルルーシュ・ランペルージ』の仮面を。

「こんなところでサボり?」

 咎める声に、ルルーシュは口元に笑みを乗せて後ろを向いた。

「かったるいからな、体育の授業なんて」
「いつも君に逃げられるってヴィレッタ先生が嘆いていたよ」
「補習は受けているんだからいいだろう?」
「そもそもちゃんと授業を受ければ補習の必要はないと思うんだけど」
「嫌なんだよ、みんなの前で醜態を晒すのが」
「君は特別に運動音痴ってわけじゃないよね。ただ体力がないだけで」
「だからだよ。マラソンも短距離もサッカーもバスケットもどれも走らされるじゃないか。そんな中で俺ひとりがバテていたら格好が悪い」
「本当に見栄っ張りだね」
「俺のパブリックイメージを損なわないようにしているだけだ」
「ただの学生がパブリックイメージだなんて、まるで皇族のようなことを言うね、ルルーシュは」

 それは鎌をかけているつもりなのか。言葉遊びに付き合っている暇はないんだよ、とルルーシュは笑みを深くした。

「お前のような体力馬鹿と一緒にしてもらいたくないな、――スザク」

 この名前を呼ぶことにすっかり躊躇いが生まれてしまった。口にするだけでも嫌気が差す。
 だけど、久しぶりに再会した『友人』としては彼を歓迎しなければならない。
 ほんの一瞬だけ眉を寄せた彼も、こちらから名前を呼ばれることに嫌悪感を抱いているのだろう。お互い難儀なものだなと心の中で嘲笑ってから、ルルーシュはスザクに背を向けた。

「ここにいるってことはお前も体育をサボっていることになるんじゃないのか。俺にだけ説教か?」
「僕はさっき登校してきたばかりだよ」
「それならすぐに授業に出ればいい。なのに、こうして屋上まで来るということはサボっている証拠だ」
「サボり魔の君に言われたくないな」

 近付いてきたスザクは、ルルーシュから体ひとつ分だけ距離を取って並んだ。

「で? 俺にお説教しにわざわざここまで来たのか? 登校したばかりなのに俺の居場所がわかるとは驚異の嗅覚だな」
「君がここにいるって聞いただけだよ」

 それは嘘だ。教室を抜け出すときはなるべく人目に付かないように気を付けているし、行き先は誰にも教えていない。
 スザクがルルーシュの居場所を知っているのは、監視カメラによって対象の行動を逐一観察しているからだ。大方、ここへ来る前に機情に立ち寄ったのだろう。
 (もっとも、その機情がすでに無効化されているとは思いもしないだろうな。監視カメラに残している映像はお前向け、つまりただの演技だよ)
 機情の乗っ取りは完璧だ。その上、ロロとヴィレッタという駒もいる。スザクごときに見破られるようなヘマはしていない。

「ところで誰だったの?」
「誰とは?」
「電話の相手」

 さり気なく話を逸らしたつもりだが、彼自身の疑問を解消するまではとことん追及するつもりらしい。
 スザクがこんなにねちっこいとは思わなかったと、今度は胸の内で舌打ちした。

「そんなに気になるのか?」
「ああ」
「女の子だよ。まだ彼女ではないが、彼女候補といったところかな」
「彼女? 何を考えているんだ、君は」
「おいおい、俺は女の子と自由に電話で会話する権利すらないのか? それとも彼女は作るなってことか? まったく、ラウンズ様の権力は恐ろしいな」

 わざと揶揄すれば、スザクの纏う雰囲気に不機嫌なものが混じった。

「君は学園生活を満喫しているんだね」

 ぽつりと呟かれたのは皮肉そうな言葉で、ルルーシュは声を立てて笑った。

「学生だからな。今しかないモラトリアムを満喫するのは当然だ。お前は早々にラウンズという地位を手に入れたから庶民の気持ちはわからないだろうが」

 あくまで冗談めかして言うと、話は終わりだと宣言する代わりに踵を返した。これ以上、スザクと二人きりでいたら息が詰まる。

「――まだ何か用か?」

 しかし、ルルーシュの歩みはスザクの手によって阻まれた。右手首をがっちり掴まれ、簡単には振りほどけそうにない。

「じゃあ、僕とのことはもう忘れたのかな」
「は? 何を言って……、ッ!」

 続く言葉は唇の中に掻き消された。
 スザクにキスをされている。
 目を瞠ったルルーシュは一瞬身体を固くし、すぐに抵抗した。だけど相手はスザクだ。もがいたところで腕が緩むはずもなく、それどころかさらに力を込められた。

「んんッ、ン――っ!」

 いきなりのことで口を閉じる間もなく、熱い舌に易々と侵入された。舌先が触れ合い、互いの唾液が水音を立てる。
 一年ぶりのキス。そのことに身体の熱が上がった。
 薄く目を開けばやけに近い距離に翠色があって、スザクも目を開けたままキスをしているのだと気付いた途端、今度は頭の中がカッとなった。
 (試されている)
 記憶のないルルーシュがどんな反応を示すか。
 もしもゼロの記憶を取り戻していればこの行為に嫌悪を抱くはずだと思い、こんな罠を仕掛けてきたのだ。
 (俺がゼロかどうか確かめるために)
 はらわたが煮えくり返りそうだった。
 好きでもない相手に平気でキスをしてくるこの男のことも。たかがキスに身体を熱くしている自分自身のことも。
 反吐が出るくらい憎らしい。
 (いいだろう。付き合ってやるよ、お前の罠に)
 ルルーシュは手を伸ばし、縋るようにスザクの背中にしがみ付いた。すると、ほんの一瞬スザクがその身を強張らせた。
 自ら罠を仕掛けたくせに、思いがけない反応をされて驚くとはまだまだ甘いなと口の端で嗤う。

「ふ、っ……ン、んぅ……」

 抵抗をやめたルルーシュはスザクに身体を預けた。おずおずと舌を伸ばし、羞恥を隠しながら積極的に応えているふりをする。
 喉に流れ込む唾液をこくりと飲み込めば、抱き締める腕が強くなった。
 口の中が甘い。全身が甘ったるい。
 嫌いな相手とのキスがどうしてこんなに甘いのか。演技をしているから感覚まで騙されているのか。

「ぁ……」

 酸欠に頭の芯がくらくらした。ようやくキスが解かれてもまだ唇が触れ合っているような感じがする。
 スザクの胸を両手で押し返して一歩あとずさった。足に力が入らなかったけれど、なんとか踏ん張って距離を取った。

「どうして逃げるの?」
「どうしてって……いきなりこんな……」
「いきなりじゃないよ。再会したときからずっとこうしたかった」

 頭を上げれば、真剣な眼差しとぶつかって息を呑んだ。
 はた目には真摯で誠実そうな態度だ。こんな顔で愛を囁かれたら、大抵の女性はときめくに違いない。
 でも、ルルーシュからすれば滑稽なものでしかなかった。
 ゼロの正体である確証を得たいがために、心にもないことをぺらぺらと喋るスザクに呆れた。嘘をついたり人を騙したことを散々なじってきたくせに、当の本人が平然と嘘をついているのだから。

「何を言っているんだか。そういうセリフは俺じゃなくて好きな女性に伝えるものだろう? ああ、それとも俺は練習のつもりか? 生憎だが、お前の練習台になってやる暇は――」
「好きな相手に言っているんだよ」
「え?」
「わかってるんだろう? 僕がルルーシュを好きだって」
「っ、馬鹿を言うな! そんな冗談…!」
「好きだよ」

 さらりと愛の言葉を口にされ、ルルーシュは声を失くした。
 これも嘘だ。動揺させ、ゼロの正体を暴き、再び皇帝の前に引きずり出すためにスザクがついている嘘。
 そんなことはわかりきっているのに、どうして胸を鷲掴みにされたような苦しさを感じるのだろう。
 (落ち着け。ここで醜態を晒したらすべてが水の泡だ)
 だから落ち着け。
 ルルーシュは拳を握り締めると、口元を微かに緩めた。

「一年も俺のことを放っておいたくせによく言う。この一年、俺やロロがどんな気持ちでお前の連絡を待っていたと思っているんだ」
「連絡?」
「ああそうだ。ブラックリベリオンのあと、突然ナイトオブラウンズになったかと思えば、そのまま日本に帰ってくることも連絡してくることもなく、世界各地を飛び回っていたじゃないか。ラウンズが忙しいのはわかる。情勢はまだまだ不安定だし、戦場ではラウンズの力が何よりも必要なのだろう? だから、お前が皇帝陛下の騎士として活躍していることは俺達にとって自慢で、誇りだった。でも、元気にしているの一言ぐらい連絡をくれても良かったじゃないか。どこかで怪我をしていないか、ちゃんと食べているのか、ずっと心配していたんだぞ。俺だけじゃない、もちろんロロもだ」
「そっか……、心配してくれてありがとう。ロロにもお礼を言っておいてくれないかな」

 ロロという名前にスザクは動揺を見せなかった。ルルーシュの妹はナナリーだと知っているくせに、まるで本物の弟のようにロロと呼んでいる。
 (お前にとってはナナリーも俺を捕らえるための道具でしかないんだな)
 ゼロか否かを判断するためにナナリーを利用されたことは許し難いことだった。スザクをナナリーの騎士にと一度でも願った己が腹立たしい。
 しかし同時に、今の状態は『スザクをナナリーの騎士に』というかつてのルルーシュの望み通りでもあり、その皮肉さがまた悔しかった。

「別に俺はお前の心配なんかしていない」

 わざと拗ねたような口調で言ってみせる。
 一年前の、まだお互いの正体が露見する前の関係が今でも有効ならば、ここで演じるべきは『元恋人』だ。
 銃を向け合った相手と恋人ごっこなんて唾棄すべきものだが、スザクの目を欺くためだと己に言い聞かせた。

「お前は俺に一年間連絡しなかった。つまりはその程度の相手だったのだろう?」
「その程度だなんて。連絡ができなかったのは申し訳ないと思うけど、僕はいつも君とロロを気にかけていたよ」
「そういうことじゃない」
「じゃあどういうこと?」
「だから……、好きな相手から一年も放置されたら誰だってつらいと思うだろう」

 好きな相手なんてよく言えたものだと自分自身を嗤う。
 ちらりとスザクを窺ったあと、ルルーシュはその場に座り込んだ。屋上の壁に背中を預け、立ったままのスザクを見上げた。

「お前は俺と別れたつもりでいたのかもしれないが、だったらせめて一言ぐらいあってもいいだろう? お前を待てばいいのか、それとも捨てられたことを受け入れたほうがいいのか、一年ずっと悩んで俺なりに受け入れたのに、またこうしてお前が現れた。とんだ嫌がらせだよ」

 スザクは驚いたようにルルーシュを見ていた。今さら恋人だったことを持ち出すとは思っていなかったのか、あるいは、なじる気持ちをストレートにぶつけられて驚いているのか。
 (馬鹿だな、先に好きだと言い出したのはお前じゃないか)
 いずれにしろ、この程度で動揺するようではまだまだ鍛錬が足りない。

「お前のことだからどうせブリタニアで新しい恋人でも作っているんだろう? それについて責めるつもりはない。ラウンズ様は大人気だし、どんな女でもよりどりみどり――」
「いないよ」

 は? と首を傾げる。スザクは思いのほか真剣な表情をしていた。

「新しい恋人なんかいない。僕が好きなのはルルーシュだけだから」

 それはなんの冗談だと腹を抱えて笑ってやりたかった。
 お前は好きな人間をブリタニア皇帝に売り付けるのかと嘲笑ってやりたかった。
 (訂正だ。お前も随分と腹芸が得意になったな、スザク)
 日本人がラウンズとしてブリタニアで生きていこうというのだ。相当な覚悟で茨の道を選んだに違いない。憎むべき敵ではあるが、それだけの強い気持ちを持てるところはさすがはスザクだ。
 だからこそ、スザクが俺と共にブリタニアを倒す道を選んでいてくれれば。
 心に浮かんだ思いにルルーシュは首を振った。
 (ラウンズがスザクの選んだ道だとすれば、これは俺自身が選んだ道だ)
 ユーフェミアをこの手で殺したことも、スザクと銃を向け合ったことも、ナナリーをブリタニアに奪われたことも、すべては己の起こした行動の結果だ。今さら過去を悔やんで嘆いても仕方がない。
 ルルーシュがやるべきことはブリタニアを倒すことで、今この場面で重要なのはスザクの疑いを逸らすこと。
 そして、ここにいるのは一般庶民の学生とナイトオブラウンズになった元恋人の友人。それを演じきればいい。

「俺だけを好きだなんてよく言えたな。復学してから毎日のように告白されていることを俺が知らないとでも思っているのか」
「見てたの?」
「見かけたのは一度だけだ。だが、実際にこの目で見ていなくても、お前は目立つから嫌でも話が入ってくる」
「そう言うけど、ルルーシュだって相変わらず人気じゃないか」
「話を逸らすな。俺はお前みたいに誰彼構わず良い顔をすることはない」
「ふぅん」

 どことなく気のない返事をしたスザクがルルーシュの隣に腰掛けた。先ほど隣に立ったときよりも近い。
 ルルーシュは思わず腰を浮かして距離を取った。

「なんで逃げるの?」
「逃げてない」
「そう? じゃあもっとこっちに来てよ」

 隣を見れば、スザクは人畜無害そうな顔で笑っていた。
 こういう屈託のない笑顔に世の女性は心をくすぐられるらしい。騙し合いをしている身としては、腹の中で何を考えているかまったくわからない、気持ちの悪い笑顔だ。
 ルルーシュはぷいと顔を逸らして正面を向いた。

「話しならこの距離でもできるだろ。それに、さっきみたいなことをまたされたらたまらない」
「信用ないなぁ」

 苦笑いする気配がした。何も知らなかった昔に戻ったような空気だ。
 これも演技のくせに。ふとした瞬間に氷のような凍えた視線を向けてくるくせに。ときどき、ほんの一瞬だけ、自分達が敵対していることを忘れそうになる。
 胸が苦しくなってルルーシュは俯いた。

「君に一度も連絡しなかったのは本当に悪いと思っているんだ」

 スザクの話し声がぽつりぽつりと聞こえてきた。ルルーシュは顔を上げず、耳だけを傾けた。

「ラウンズになってすぐに要人の護衛が入って、報告以外では外部に連絡する暇がなかった」
「護衛?」
「うん。その人をユーロブリタニアまで連れて行って守るのが任務」
「対ユーロピアのためか? お前の名前は白ロシア戦で随分広まったからな」
「白ロシア戦より前のことだよ」

 スザクがその時期にユーロブリタニアへ赴いていたことは知らなかった。
 ラウンズの動向はだいたい把握しているし、記憶を改竄されていた間の出来事も遡って調べている。
 スザクが護衛に選ばれるほどの要人となれば皇族かそれに匹敵する身分と考えられるが、その情報が一切漏れてこなかったということは極秘任務だったのだろう。
 (一体、誰の護衛だったのか)
 こうして一般人に任務内容を話していることすら守秘義務違反だ。そのリスクを犯してまで伝えたい話なのか? と疑問を抱き、スザクのほうをそっと窺う。
 何かが痛むような、忌まわしいような、それでいてどこか懐かしむような、一言では言い表せない複雑な横顔があった。

「実はそのときにちょっとヘマをして、しばらく幽閉されていたんだ」
「幽閉? 捕まったってことか?」
「うん。味方に捕まるなんて大失態だよね」
「笑い事か。よく無事でいられたな」

 敵からも、ブリタニア皇帝からも。
 いくらラウンズとは言え、任務中に幽閉されたらお咎めなしとはいかないはずだ。

「その要人が生きてさえいれば問題なかったんだ」
「生きてさえって、どんな身分の人間かは知らないが随分な扱いだな。それではまるで人形だ。いや、人形のほうがまだマシか。ただ生かしておけばいいというのは家畜と同じだ」

 俺と一緒じゃないか。そう思ったことは胸の中で飲み込んだ。
 今でこそ記憶を取り戻せているが、少し前まではまさに家畜同然の扱いを受けていた。C.C.をおびき寄せるための餌として、ただ生かされていた。
 (お前だって加担しているくせに、何も知らない顔をしてよくそんな話ができるな。それとも、これも試しているのか?)
 意図のわからない昔話に警戒していると、スザクがルルーシュのほうを向いた。

「生きていて良かったと僕は思っているよ」
「え……?」
「その人が無事に生きていて良かったって、僕は思っている」
「それはそうだろう。万が一そいつが死ねばお前は任務失敗で処刑されたかもしれないんだから」
「違うよ。僕は純粋に彼が生きていて良かったと思った。――思ってしまった」

 彼ということは男らしいが、護衛相手を絞り込むには判断材料が乏しい。
 (まあ、誰が対象者であろうと現状にさほど影響はないか。しかし、この話になんの意味があるんだ? ナナリーの護衛に失敗するかもしれないと暗に言いたいのか? だが、スザクがそんなヘマをするとは思えないし)
 そこまで考えて、ふと可笑しくなった。
 スザクのことは憎んでいるし、彼がナナリーの傍にいることは忌々しく感じているのに、それでもスザクならば間違いなくナナリーを守ってくれると信じている。俺は馬鹿かと、何度目になるかわからない自嘲の笑みを零した。

「俺にはラウンズの仕事の大変さはよくわからないが、とにかくお前が無事で良かったよ」
「ありがとう。だからね、それを言い訳にするつもりはないんだけど、この一年、君にちゃんと連絡ができなかった。落ち着いてからゆっくりと思っていたのに、なんだかんだで戦地に駆り出されて、結局一年も経っていたんだ。ごめん」
「気にするな。文句を言ったのはただの八つ当たりだ。俺のほうこそすまない」

 なんとも滑稽な会話だった。お互い悪かったなんてちっとも思っていないのに、友人として、恋人として、相手を思いやるふりをしている。
 (お前だって、本当は心の中で大笑いしているんだろう?)
 騙し騙され、その腹の内を探ろうとしている。
 (たった一年で俺達はこんなにも変わってしまった)
 スザクが傍にいてくれることをずっと望んでいた。ナナリーの次に心安らげる人間だった。
 だけど、自分達は最初からボタンを掛け違えていたのだ。再会したタイミングや離れていた時間が原因ではない。初めて出会ったあのときから、スザクとはすれ違う運命にあったのだろう。
 不意に制服の擦れる音がして、ルルーシュは反射的に頭を上げた。いつの間に近付いたのか、目の前にスザクがいて身体が逃げを打つ。
 しかし、素早く腕を取られて逃げるタイミングを失った。

「なんで逃げるの」
「逃げてない」
「だったら、もっとこっちに来なよ」

 同じ会話の繰り返しだ。
 先ほどと違うのは、スザクの瞳に仄暗いものを感じてぞくりとしたことである。
 ルルーシュはこの感覚を知っていた。
 (スザクが、俺を――)
 からかっているだけかもしれないと解釈しようとした。が、床に置いた手を上から握られ、己の直感が間違っていないことを知る。
 殺したいほど憎んでいる相手でも抱けるのかと笑い出したい気分だった。
 騙すためなら殺したいほど憎い相手に抱かれてもいいのかと自分自身を嗤った。
 スザクの顔が近付き、世界が彼だけになる。

「逃げないの?」
「どの口が言っているんだ。次の授業は確実に欠席だが、それについて説教するつもりはないだろう?」
「まあね」

 顔を寄せられ、ほんの少し躊躇ったあとに唇が触れ合う。
 啄むようなキスを繰り返していると、スザクの手が下肢に伸ばされた。

「んッ……」

 協力して自らベルトを外し、制服のズボンをくつろげた。すると下着の中に手が潜り込んできて、思わず声を上げそうになった。
 屋上にみっともない声を響かせるわけにはいかないと、咄嗟に両手で口を塞ぐ。

「僕の上に乗れる? そのまま膝立ちで僕の肩に掴まって」

 言われたとおりにスザクに跨ると、ズボンと下着を途中まで下ろされた。緩く勃ち上がったものを擦られ、唇を噛み締める。
 どこまでも青く澄んだ空の下で俺達は何をしているのだろうと思った。そもそも、なぜスザクはこんなときに、こんな場所で抱こうと思ったのか。これもゼロの正体を暴くためか。
 (いずれにしろご苦労なことだな)
 彼を愛している演技をする俺も大概だと、肩にしがみ付く手に力を込めた。
 濡れた音がやけに大きく聞こえる。屈辱的な行為なのに、相手はスザクなのに、先走りを溢れさせて反応しているこの身体が浅ましい。

「ふっ……ン、ッ」

 左手で必死に口元を覆うけれど、指の隙間から抑えきれない声が漏れていた。腰を動かしてしまいそうになり、スザクの制服を汚してしまうからとなんとか思いとどまる。
 (こいつの制服がどうなろうと俺には関係ないのに)
 気を遣ってしまう自分が忌々しい。心の中で悪態をついていると、濡れた指が後孔の周りをくすぐり、身体がびくりと震えた。

「力抜いて」
「ン……」

 愛撫もそこそこに必要な場所だけを晒し、繋がるために必要な準備だけをする。一年ぶりの行為に怖気付く気持ちとは裏腹に、身体は昔の感覚を思い出して期待していた。
 本当に浅ましいなと思いながら、ルルーシュは言われたとおりに力を抜いた。
 浅い場所をいじり、何度も先走りを塗り込んでいた指先が少しずつ奥へと入ってきた。馴染ませるようにぐるりと掻き回し、ゆっくり出し入れされる。

「ンぅ、ん……」

 数え切れないほど抱き合ったのに、スザクの指が入っているのだと思ったらたまらない心地になった。
 しかも、中を犯す指が以前よりも太くなっているような気がする。その理由はスザクがランスロットの操縦桿を握り続けてきたせいだと気付いて頬が上気した。
 恥ずかしいのか、嬉しいのか、屈辱なのか、嫌悪なのか、切ないのか。
 どれも正解で、きっとどれも違う。

「んんっ、ン…!」

 目を閉じていると指の形をはっきり感じ、中でどんな風に動いているのかまでわかってしまう。指を増やして抽送を繰り返され、苦しいはずなのにまた腰が勝手に揺れそうになった。

「ッ、んぅ、ふ、ぅ…っ」

 根本まで埋められた指が内壁を引っ掻き、膝がガクガクと震える。スザクの首に腕を回すと、自分のものを彼に押し付ける形となって悶えた。
 制服を汚すからと我慢していたのに、布地に擦られる感覚に恐る恐る腰を動かしてみたらもう止められなかった。少しだけ、と思ったのが二度三度と続き、その気持ち良さに夢中になる。
 かろうじて残った理性が駄目だと訴えるけれど、下半身は勝手に快楽を追っていた。

「気持ち良さそうだね、ルルーシュ」

 腰が揺れてるよと揶揄され、羞恥に全身が熱い。違うと言い訳したところで、この状態では通じないだろう。

「こっちももういいかな」
「ひ…っ」

 ずるりと指が引き抜かれ、ルルーシュは膝から落ちた。スザクに跨ったままぺたりと座り込んでいると、彼も制服の前をくつろげて自身を取り出した。
 軽く扱いて準備を整えたものを茫然と眺めていたら、ルルーシュ、と甘く呼ばれた。
 これも演技だとわかっているのに、彼に愛されているような、何も知らなかった頃に戻れたような錯覚を抱いてしまう。
 いっそ何も思い出さなければ幸せだったのか。
 籠の中に囚われたまま、何も知らずにただの学生として過ごしていれば、それはそれで幸せだったと言えるのだろうか。
 (でも、そんなのは俺じゃない)
 おいで、と誘われるまま足に力を込めると、後ろ手でスザクの欲望を確かめた。

「ゆっくり腰を落として。自分でできるよね?」

 翠の双眸に見つめられながら、熱い屹立を少しずつ飲み込んでいく。

「ッ、ぅアっ、ア……」

 解されたとは言えそこはまだ狭く、一年ぶりの行為に悲鳴を上げていた。痛くて苦しくて、引き裂かれそうな怖さにいつしか熱は引いていた。

「う…っ、く、ッ」
「大丈夫?」

 スザクの問いかけに答えることもできず、代わりにきつく閉じた目からぼろりと涙が零れた。
 不意に、無防備だった欲望を握られる。あっ、と思ったときには強く擦られ、その刺激に奥が緩んだ。

「ふぁ、あ……それ、やめ」
「なんで?」
「だって、おかしく、なる」

 ルルーシュの言葉に、スザクが口の端を上げた。

「――おかしくなってよ、ルルーシュ」
「アっ! アアアア!」

 スザクが下から突き上げてきて、一気に貫かれた衝撃に身体は大きく震えた。
 放心したように空を眺めていると、根本まで深々と飲み込んだものがどくどくと脈打っているのを感じた。
 スザクが俺の中にいる。
 その実感に泣き出したいような気持ちが込み上げた。

「ごめん」

 それは何に対する謝罪だと聞きたかったけれど、身体を押し倒され、そのまま腰を動かされたため問いかける機会を失った。

「ひぁ、ア、アっ、あ…ッ」

 無理やり捩じ込まれ、馴染む間もなく抽送され、痛みばかりを感じて快楽からは程遠い。
 今までのスザクなら一方的に犯してくることはなかったのに、相手はゼロだからと遠慮をなくしたのだろう。
 これではまるで玩具のようだと、惨めな気持ちが広がる。頭をぶつけないよう後頭部に手を回して支えているのは、彼の唯一の良心か。

「ア、ッ、や、ああっ!」

 それでも、感じる場所を突かれたら身体は素直に反応した。何度も突き上げられて痛みと快楽が綯い交ぜになる。

「ふぁ、ア、あ、ん……っ」

 声を抑えなければいけないことも忘れ、薄く開いた口からは喘ぎ声が漏れた。固い床に背中を擦られて痛いはずなのに、やめてほしくないと思っている。

「ア、んぅッ、すざく、すざ、ぁっ……、あァ!」
「ルルーシュ…っ」

 喰らうようにキスをされ、目の前の首にしがみ付いた。

「ふ……っン、んん、ぅ」

 舌が絡み、息継ぎも忘れて夢中になって吸い付いていると、どちらのものかわからない唾液が溢れた。その間も抜き差しを繰り返され、ぐちゅ、ぬぷ、と卑猥な音が耳を犯した。

「ぁう、っ、ん、ん」
「ルルーシュ……ッ」

 スザクと繋がっているのに。
 手を伸ばしたらこうして抱き締められるほど近くにスザクがいるのに。
 (お前のことが、好きだったのに)
 どれだけ繋がっても、心と心は遠く離れてしまった。もう二度と、この想いが繋がることはないのだ。
 胸を抉られるような感情に、眦から涙が零れ落ちる。

「ごめん、痛い、よね」

 行為がつらくて泣いているのだと勘違いしたのか、スザクが優しく頬を撫でてきた。
 労るように雫を舐め取られるけれど、その間もゆるゆると揺さぶられていて、所詮は形だけの気遣いかとこっそり嗤った。
 ルルーシュは抱き付く腕に力を込めて、違う、と吐息と共に吐き出した。

「お前が、俺の中にいると思ったら、嬉しくて」
「ルルーシュ……」
「だから、もっとしてくれ、スザク」

 微かに呻いたスザクがいきなりルルーシュを抱き上げ、身体が浮いた。
 彼のものが半分ほど出て行ったと思った次の瞬間、一気に突き上げられた。衝撃に意識が飛びそうになるが、容赦なく貫かれて快楽の波に引きずり込まれる。

「ひぁッ、あ、ん、んぅッ」
「く…っ」

 互いに必死になって抱き合う。栗色の癖毛をくしゃりと掴めば、どちらからともなく口付けて甘ったるく舌を絡めた。

「ふ、ン、ン……ッん」

 中の悦いところをしつこく突かれて身体が跳ねる。足にも腰にも力が入らず、自分のものではないようだった。
 がくがくと揺さぶられ、スザクの好きなように突き上げられ、隘路を何度も擦られ、身体中がどろどろに溶けていく。何も考えられなくて、ただスザクだけを感じていた。
 やがて絶頂が近付き、もう無理、と訴えてルルーシュは己の精を解放させた。

「僕のも、ルルーシュの中に、出していい?」
「ん……」

 返事を考えるのも億劫で、脱力した身体を揺さぶられるまま頷いた。深い場所に火傷しそうな熱を感じ、スザクもイッたのかとぼんやり思う。
 スザクの肩に頬を押し当てると目を閉じた。後ろ髪を撫でられながら荒い呼吸を整える。
 永遠に二人でいられるのではないかと錯覚できるほど静かなひととき。誰にも見つからないように、誰かが自分達を見つけないように、ルルーシュもスザクも息を潜めていた。
 だけど、突然鳴った電子音によってその時間は唐突に終わりを迎えた。
 ポケットから携帯を取り出したスザクが、電話の向こうの報告に表情を強張らせる。

「ゼロが……?」

 その声にルルーシュは瞼を上げ、のろのろと身体を起こした。

「わかった、すぐに行く。学校まで車を寄越してくれ」

 通話を切ったスザクは携帯を仕舞うと、疑うような目付きでルルーシュを見てきた。

「仕事か?」
「うん……。戻らないといけなくなった」
「登校したばかりなのに忙しいな。じゃあ、ここでこんなことをしている場合ではないか」

 スザクの肩に手を乗せて腰を上げる。力を失ったものがずるりと出て行くと、中に留まっていた精液が下りてくるのを感じて眉をひそめた。

「ごめん」
「謝るな。俺だって、その……、お前としたかったし」
「ルルーシュ……」

 照れ屋な恋人らしく、ふいと視線を逸らして乱れた着衣を整える。

「制服を汚してしまったな。上着は俺がクリーニングに出しておくからとりあえず脱げ。あと、シャワーも浴びて行けばいい」

 黒地の制服に飛び散った白濁はさすがに目立つ。いくらラウンズが偉くても、情事後特有の匂いを纏わせて仕事に戻るわけにはいかないだろう。

「クリーニングだったら自分でやるよ」
「馬鹿、そういうことじゃなくて」

 白のシャツだけになったスザクが首を傾げる。だから、とルルーシュは口ごもった。

「制服を人質に取っておけばお前が俺とロロに会いに来る理由ができるじゃないか」

 早口で言うと、スザクの手から制服を奪った。早く行けと追い払う仕草をすれば、苦笑いしたスザクが立ち上がる。

「それじゃあ、お言葉に甘えてシャワーを借りるね。時間ができたらまた連絡するよ」
「ああ。お前が来てくれたらロロも喜ぶ」

 一瞬、傷付いたような目をしたスザクは、にこりと笑うと背を向けた。行為の名残は一切見せずに屋上から姿を消す。
 あとに残されたルルーシュはすぐには動く気になれなくて、疲れた息を吐き出すと仰向けに倒れた。
 太陽に熱せられた床の上で熱を交わしたのが嘘のようだ。
 身体の奥にまだスザクがいるような感覚を抱きながら、のんびり空を泳ぐ白い雲を眺めた。
 (ゼロに関する報告が入ったのは偶然だが、良い偶然だったな。あのタイミングで指示を出しておいて良かった)
 現在、ゼロは日本を離れていることになっている。それでも活動の証拠を残しておく必要があるし、日本にいるルルーシュと海の向こうにいるゼロは別人だとアピールするため、リアルタイムでブリタニア向けの電波ジャックを行っていた。もちろん、仮面の中身はまったくの別人だった。
 手間をかけてまでルルーシュとゼロを同時に出現させるのは、スザクの目を欺くのに何よりも効果的な方法だからだ。
 彼はしつこく疑っているようだが、状況証拠が二人を別人だと示す限り、ルルーシュはシロである。
 スザクをここに留めておいたのは良い時間稼ぎだったなと喉の奥で笑った。可笑しくて可笑しくて、寝転んだまま腹を抱えて笑う。
 だけど、何気なく横を見た拍子にスザクの制服が目に入って笑うのをやめた。
 自分の身体を抱き締めるようにして丸くなる。体内に残った熱の残滓を意識したくないのに、奥から溢れてきそうな感覚がしてぎゅっと目を瞑った。
 スザクの手を振り払うこともできたのに、それをしなかったのは記憶が戻っていないことを訴えるためだ。ほかに理由はない。
 こういうのも身体を使うと言うのだろうなと、今度は口元だけで笑う。
 (そういえば監視カメラ……)
 学園内はルルーシュが掌握したものの、カメラは完全に切ったわけではない。普段はもちろん、特にスザクが一緒にいるときは映像が残っていなければ問題になる。
 だから先ほどの行為もすべて監視カメラに撮られているはずだが、情事を他人に見られて喜ぶ趣味はなかった。
 (まあ、今のはスザクがなんとかするだろう。自分のみっともない姿は残せないし、ましてや報告なんてできないからな)
 体育の時間はとっくに終わっていた。このあとの授業に出る気力はない。だけど、今日一日はサボっても文句は言われないだろう。
 久しぶりで身体の節々はすっかり悲鳴を上げている。部屋に戻って休もう。そう決めたルルーシュはスザクの制服を掴み、気怠い身体をなんとか起こしてよろよろと立ち上がった。
 ふと、嗅ぎ慣れた匂いを感じて記憶を辿る。すぐに匂いの正体を突き止め、思い切り眉を寄せた。

「あいつの匂いが残っているなんて最悪だ」

 短く吐き捨てると、覚束無い足取りで歩き始める。熱の名残も何もかもを置き去りにして。
 ただ、腕の中には彼の抜け殻だけがあった。

***

 足を動かすたびに洗い立ての髪が揺れる。
 ドライヤーを借りて乾かしている間も急き立てるようなコールがあり、中途半端な状態のまま出てきてしまった。今日も朝から暑く、ちょっと歩いただけで濡れた髪が乾きそうなのは助かった。
 授業中の構内は静かだ。誰もいない道を急ぎながら、スザクはおもむろに足を止めた。
 後ろを振り返るけれど、ここから屋上は見えない。それでも視線の先にルルーシュがいるような気がして、しばらくじっと見つめたあと、背を向けて再び歩き出した。
 (これはルルーシュの記憶が戻っているかどうか確かめるためだ)
 だから手を伸ばした。
 目的はルルーシュがゼロか否かを見極めるため。
 久しぶりに再会した『恋人』に、ルルーシュがどんな反応を示すかを確かめるため。
 殺したいほど憎んでいるであろう相手に従順に身体を開くかどうかを試すため。
 (ルルーシュはゼロのはずなんだ)
 ナナリーへの接触が考えられることから、ゼロに関する内容はすべてスザクの耳に入るようになっていた。蘇ったゼロがルルーシュだという確証を得るための作業でもあるが、今のところ成果は芳しくない。
 今もリアルタイムでゼロが電波ジャックを行っているとの報告が入った。ルルーシュを抱いている最中のことで、彼とゼロが別人だとスザク自身が証明する羽目になってしまった。
 しかし、スザクの直感がルルーシュはゼロであると言っている。状況証拠はルルーシュの潔白さを証明しているのに、どうしても納得ができなかった。
 (早くボロを出せばいい)
 いくらルルーシュでもどこかで気を緩めることがあるだろう。材料をかき集め、彼がゼロだという証拠を突き付け、絶対に捕まえてやる。
 そして――。
 学園の前には黒塗りの車が止まっていた。後部座席のドアが開けられ、スザクはするりと身体を滑らせた。
 不意に、ひどく懐かしいような匂いを感じた。それは先ほどまで腕の中で嗅いでいた匂いだと気付き、無表情だった顔を顰める。

「君の匂いが残っているなんて最悪だ」

 シャワーを浴びたのにどうして落ちないのだろう。
 ぼそりと吐き出したのと同時に車が動き出した。鳥籠の学園がどんどん離れて行く。
 だけど、ルルーシュを抱いたときの熱も、夏の暑さも、どこまでもこの身に付き纏ってきた。
 自分が抱いたのは果たして本当にルルーシュだったのか。
 どれが本物のルルーシュなのか。
 ひとつだけ確かなのは、あの制服が彼の手元に残っている限り、またルルーシュに会いに行けるということだった。
 【溽暑(じょくしょ)】蒸し暑いこと。
 (17.09.09)