「お疲れさま」
誰もいないと思っていた廊下に人影を見つけ、ルルーシュはびくりとした。しかし、それが友達のスザクであることを認めるとすぐに表情を柔らかくした。
「ナナリーは眠った?」
「ああ、はしゃぎっぱなしだったから疲れたんだろう。ベッドに入ってすぐにぐっすりだ」
「それは良かった」
「あちらはどうしている?」
何気なく尋ねれば、スザクが肩を竦めて廊下の先を指した。
耳を澄ませると、大勢の笑う声が微かに聞こえる。なるほど、と思わずスザクを見てお互い苦笑いを浮かべた。
自分たちの居住スペースから生徒会室はさほど離れていないとは言え、ここまで声が聞こえてくることは珍しい。一体どれだけ騒いでいるのだろうと、部屋の惨状を想像したら頭が痛くなりそうだ。
「イベントが終わったあとにこれとは、本当に元気だな」
「元気と言うより、イベント終わりだからこそのテンションなんじゃないかな。準備が大変だった分、羽目を外したくなるってものだよ」
「真面目なお前が珍しいことを言うんだな」
「だって今日だけは無礼講でしょ」
今度はルルーシュが肩を竦めてみせたが、その顔は満更でもない。
枢木スザクの日。
ブリタニア人と日本人がよりわかり合うことを目的としたイベントは、趣旨自体に問題はないけれど、なぜそれが枢木スザクの日という突拍子もない企画に結び付いたのかはわからない。
だが、アッシュフォード学園の名物と言っても過言ではない生徒会長の発案により、生徒会メンバーは大いに巻き込まれ、ここ数日は準備のために徹夜まですることとなった。
その上、なんの偶然か、カレンが黒の騎士団を学園に連れて来た。
彼らと一緒に作業したり、ブリタニア遊撃隊を騙る日本人たちとのいざこざに巻き込まれたり、リヴァルを人質に取られたり、最終的にはルルーシュ自らが囮となってギアスを使うことで事件を片付けたりと大変な一晩だった。そのまま朝を迎え、枢木スザクの日の舞台を無事に終わらせたときには疲労困憊だ。
とにかくいろんなことがあった。ありすぎた。
そうした諸々が終了したあとでの打ち上げである。盛り上がらないはずがない。
途中までは流れで黒の騎士団メンバーも参加していたが、さすがにこれ以上身分を明かしたままブリタニアの学園にいるのはまずいだろうという扇の判断により、彼らは数時間前に帰って行った。
日本人嫌いのニーナですら別れのときは名残惜しそうにしていたから、彼らの人柄が窺えると言うものだ。扇をはじめとしたメンバーに対する認識を少々改めたルルーシュである。
しかし。
「無礼講なのは構わないが、どうせあの人たちは酔い潰れて寝てしまうんだろう?その後片付けをするのは誰だ?」
「明日、皆でやればいいじゃないか」
「明日?そんな悠長なことを言っていたら生徒会室はいつまで経っても片付かないぞ。皿やグラスもあるから汚れたまま放置しておくのも、」
「あー、じゃあ僕も手伝うから、洗い物だけでも起きているメンバーで済ませちゃおう。でもそれ以外は皆で一斉にやったほうが早いし、会長さんだってちゃんと手伝ってくれるよ」
ね?と子犬のように無邪気な笑顔付きで首を傾げられ、ルルーシュは言葉に詰まった。こんな風にお願いされたらどれもこれも許さないわけにはいかなくなってしまう。
ウィークポイントを知っていてスザクはやっているのだろうかと以前は訝しく思ったものだが、どうやらすべて天然らしいと気付いてからは無駄な抵抗をしないようにしている。
つまり、早々に諦めた。
「……わかった。では、洗い物だけは手伝ってもらうぞ」
溜め息をつきながら告げると、スザクが笑顔のまま頷く。それに小さく笑みを返し、ルルーシュは生徒会室に戻ろうと思った。
ナナリーを寝かせるために一旦打ち上げを抜けたが、長時間戻らなければ会長からうるさく言われるに決まっている。しかし、戻ろうとしたルルーシュの体は、横から伸びてきた手によって引き留められてしまった。
「スザク?」
右手首を掴んだスザクがにこりと笑う。先ほどとは少し違う笑顔。
スザクの腕が素早くルルーシュの腰と背中を抱き、抵抗する間もなく顔を寄せられた。
キスされる。
そう察したルルーシュは咄嗟に目を瞑った。
「……ッ」
何度も、それこそ数え切れないほどキスしてきたにもかかわらず、唇が触れ合う瞬間はいつもどきどきしてたまらない。
ファーストキスに緊張する少女ではあるまいしと思うのに、反射的に目を閉じてしまう自分の反応は初心な少女と変わらなかった。
「ん、……ふッ、んぁ」
くちゅっ、と濡れた音が深夜の廊下に響く。遠くからまた楽しそうな笑い声が聞こえた。
目の前の部屋ではナナリーが寝ているし、いつ生徒会の皆が見に来るかもわからない。
そんな危うい状態で、今すぐスザクから逃れなければと思うのに、彼の首の後ろに手を回して熱を求めるように体を密着させる自分は矛盾していた。
「んッ、ん……っ」
スザクの手が腰を引き寄せる。もう一方の手は後頭部に当てられ、息継ぎすら許さないほど咥内を犯された。
口の端から唾液が零れた感触に、ルルーシュは微かに残っていた理性をかき集めた。肩を強く押して、キスからようやく解放される。
「は……ッ、おまえ、こんな、ところでっ」
ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら文句を言えば、息ひとつ乱していないスザクが「キスしたかったから」としれっと答えた。
「はあ?」
「だってここ数日ずっと準備準備だったし、ルルーシュは衣装の製作で部屋に閉じ籠もっていたし、全然二人きりになれなかったじゃないか」
「だからって、ナナリーの部屋の前だぞ!」
声を潜めて非難するが、キスを拒まなかった自分の言葉に説得力はない。
「じゃあルルーシュの部屋ならいい?」
「なんで俺の」
「君を抱きたいから」
直球の誘いにルルーシュは頬を赤くさせ、口をぱくぱくと動かした。
「ダメ?」
まただ。今度は叱られた子犬のような顔で首を傾げられた。
絶対にわかってやっている。
「だって、もうずっと君に触ってないんだよ?」
顔を覗き込まれながらのおねだりに、とうとうルルーシュは視線を外した。
スザクはずるい。
枢木スザクの日の舞台練習で、ゼロに扮した自分はオレンジ事件のときと同じ科白でスザクをこちら側に誘ったのに、この男は覚えていなかったばかりかまたも断ったのだ。ブリタニアを価値のある国として中から変えるなど、くだらない戯言をまだ言っていた。
なのに、それと同じ口で自分への愛を囁く。
決して自分のところには来てくれないくせに、雄の目をして欲を訴える。
なんて酷い男だ。
「ルルーシュ」
だけど、そんな酷い男が自分は好きなのだ。
「ねえ」
耳元で囁かれる甘い声に、ルルーシュは唇を噛み締めた。複雑な心とは裏腹に、体の熱は解放されることを素直に求めている。
結局は拒むことなど出来ないのだ。ならば抵抗するだけ無駄だろう。
「……生徒会室の後片付けはしっかりやってもらうからな」
精一杯の譲歩に、スザクの顔が綻ぶ。
「了解」
スザクに手を引かれ、ルルーシュは足を動かした。
幸い、部屋にC.C.はいない。他人の服を拝借して生徒会メンバーに交じり打ち上げに参加しているところだ。やめろと何度も言っていたが、今だけは彼女の自由奔放さに救われた。
指先に力を込めれば強く握り返される。
何気ないひととき。こうしてスザクのぬくもりを感じられることを幸せだと思う。
(明日になればまたスザクと対峙することになる)
でも、今だけはすべてを忘れて熱に溺れてもいいだろう。
終わらない演目の途中で、キャストがひと息つけるのは幕間だけなのだから。
(12.12.08)