階段を下りるたびに靴音が高く響く。
仮面を外した耳にその音が直接聞こえ、辺りの薄暗さと相俟ってまるで異次元に迷い込んだような錯覚を抱いた。
地下の廊下の一番奥まで進むと、重厚な鉄の扉が現れた。捕縛した人間を拘束するために用意していた部屋だが、今まで実際に使ったことはなかった。
それがまさかこんな形で役目を果たすことになるとは、とルルーシュは口の端をわずかに上げた。
パネルを操作してパスワードを入力する。扉の重々しさとは裏腹に、軽やかな音を鳴らしてロックが解除された。
中に入ると鉄格子があり、その奥に十畳ほどの部屋があった。食事は一日三食用意され、トイレも洗面台も完備。捕虜という点を除けば、至れり尽くせりの待遇だろう。
しかし、殺気を身に纏ってこちらを睨んでいる男にとって、部屋の快適さなどはどうでもいいことのようだ。
「なんだ、また食事に手を付けていないのか。いくらお前が体力馬鹿でも食べなければそのうち電池切れを起こすぞ」
彼は睨むばかりでこちらの質問には答えない。ルルーシュはわざとらしく溜め息をついた。
「相変わらずだんまりか。まあ俺は別に構わないが、お前はそれでいいのか?スザク」
かつて友だった男の名を呼ぶ。
そう、すべては過去。彼と友達だったことも、今となっては遠い昔のことのように思えた。
神根島でゼロの正体を明かされ、一時は追いつめられたルルーシュだったが、カレンの機転により逆にスザクを捕えることが出来た。
彼は今、捕虜として窓のないこの部屋に繋がれている。その腕や体には、鎖の代わりに刺々しい茨のついた蔓が巻き付いていた。
もちろん、蔓と言っても普通の蔓ではない。スザクならば鎖程度の拘束は簡単に外してしまうだろうとの予測から、わざわざ特注の拘束具を作らせたのだ。
特殊な素材の蔓は、力を入れれば入れるほどきつく体に絡み付く仕様だ。さらには茨が皮膚を突き刺し、一定以上の負荷を加えられないようになっている。現に、パイロットスーツから除く肌には無数の傷と血が付いていた。
(しかし、あのときはカレンがいてくれて良かった)
ゼロがクラスメートのルルーシュだと知った彼女は、日本解放のためなら自分は協力すると言ってくれた。ショックを受けながらも気丈に振る舞い、エースパイロットとして活躍してくれるカレンには本当に感謝している。
スザクを捕縛した後は壊滅状態の黒の騎士団を立て直すため、残った戦力を日本国外へと脱出させた。勝手に戦線離脱したことで騎士団幹部との間に軋轢が生まれたが、そこは扇の取りなしでひとまず収めることが出来た。
ジェレミアと共に海に沈んだC.C.も救出し、今は日本奪還に向けて再度作戦を練る日々だ。そして、一日が終わる最後の時間にこうしてスザクの元を訪ねるのがここ一週間ほどのルルーシュの日課になっていた。
「今日はお前に話があって来た」
翡翠色の瞳はじっと自分に向けられている。ブリタニアの敵であり、ユーフェミアの仇であるルルーシュ、いや、ゼロに。
「俺の仲間にならないか」
スザクの殺気が強くなった。当然だろう。敵に仲間になれと誘われて喜ぶ人間はいない。
ルルーシュは気にせず続けた。
「主をみすみす殺され、その仇討ちのために追いかけておきながら逆に捕まるような出来損ないをブリタニアが許すと思うか?戻れば処分は確実に免れない。だが、お前が黒の騎士団に所属すると言うのなら最上級の待遇で迎えよう。お前の能力とランスロットの威力は俺も認めているんだ」
「断る」
どうせ返事はないだろうと思っていたところに、たった一言、答えが返ってきた。目を瞠ったルルーシュは、口許に笑みを浮かべた。
「なんだ、ちゃんと返事が出来るじゃないか」
「人を見下して、何でも自分の思い通りになると信じて疑わない、それがお前の正体だったんだな」
「俺は事実を述べたまでだ」
「たとえ処分しか待っていないとしても、俺はお前なんかの仲間にはならない。そんなに俺の力が欲しいのならギアスの力で無理やり従わせればいいだろう」
それには応えず、ルルーシュは腕を組んで壁に背を預けた。
「お前は本当に馬鹿だな。以前にも俺の誘いを断って、それで受けた仕打ちを忘れたのか?」
「それがブリタニアのルールならば受け入れるだけだ。それに、そんな俺をユフィが救ってくれた。彼女のおかげで俺はやっと自分の道を見つけられたんだ。なのにお前が…っ」
蔓が腕に絡まり、きつく締め付ける音がした。しかしスザクは抵抗を緩めようとしなかった。
「――お前は誤解している」
「何をだ!」
「さあ、何をだろうな」
薄く微笑めば、スザクの瞳がますます険しくなる。
「なあスザク、俺たちは何を見ていたんだろうな」
あんなに近くにいたのに、何も知らなかった。いや、知ろうとしなかった。知りたくなかったのだ。
昔の綺麗な思い出に縋り付き、過去を美化し、相手はこうあるべきだと自分の理想を押し付けてきた結果がこれだ。
(本当の自分を知られるのが怖くて嘘を吐き続けた。相手のためだったはずの嘘が、結局は相手を傷付けた)
彼にはこんな場所にいてもらいたくなかった。それだけだったのに、自分たちはどこでボタンを掛け違ってしまったのだろう。
仮面を置き、手に持っていた小さな箱を開ける。中から一本の注射器を取り出すと、鉄格子の内側へと入った。
「処分するつもりか」
「まさか。お前は俺の友達だったからな」
友達と口にしたとき、一瞬だけスザクの瞳が悲しげに揺れた気がした。何を悲しんだのかはわからない。都合の良い錯覚だったのかもしれない。
「お別れだ、スザク」
首に注射器を押し付ける。不思議と抵抗はされなかった。
スザクの瞼が重たげに下りて、体から力が抜けていく。
「ル、ル…シュ……」
意識が完全に落ちる寸前に紡がれた名前は何を伝えたかったのだろう。
空になった注射器が手の平から落ちてからんと音を立てた。倒れた体をしばらく見下ろしていたルルーシュは、仮面を片手に持って部屋を出た。外の廊下にC.C.が立っていた。
「戻すのか」
「ああ」
「仲間にするんじゃなかったのか」
「あの石頭がゼロの仲間になると思うか?」
小さく笑ったつもりだったけれど、C.C.がどこか痛々しい表情をしていたから失敗したのかもしれない。
「好きだったんだろう?」
「――好き、だったさ」
好きだった。確かに好きだったはずなのに、今は何も感じない。
ただ、胸の中にぽっかりと大きな穴が空いたような違和感に、思わず胸元を握り締めた。
「ランスロットと一緒にブリタニアに送り返してやれ。あとは任せた」
「お前たちは馬鹿だな」
C.C.の言葉には応えず、薄暗い道を戻る。
今はナナリーと日本の奪還を優先しなければならない。つまらない感傷に浸っている暇はないのだ。
(どうせ最初から俺のものではなかった)
抱えていた仮面を被る。途端に感情が消えるようで、ルルーシュは顔から表情も消し去った。
茨が突き刺したのは、あるいは自分自身の心だったのかもしれない。
(12.12.26)