ほしづくよ

 長い階段を上って境内にたどり着くと、そこにはいつもと違う別世界が広がっていた。
 仄かに灯る提灯に、出店から漂ってくる美味しそうな匂い。ふわふわと揺れる綿菓子に目を奪われながら、子どもたちの歓声を耳が捉える。

「お祭りって感じだね」

 弾んだ声に顔を向ければ、スザクもどこか楽しそうに境内を見渡していた。

「花火の時間までまだしばらくあるし、それまで腹ごしらえしよう?」
「出てくる前に夕飯を食べたじゃないか」
「夕飯って三時間も前のことだよ」
「まったく、お前の食欲はどうなっているんだ」
「育ち盛りだからいいの」
「二十歳の大人はもう育ち盛りじゃないだろ」
「いいからいいから。とりあえず焼きそば買ってきていい? あ、向こうにリンゴ飴がある。なんか懐かしいなぁ」

 大学生になって少しは落ち着いたかと思ったが、食べ物にばかり興味を持つところは中学生や高校生の頃と変わらない。仕方ないなと呆れつつ、ルルーシュも一緒になって出店を見て回った。
 子どもの頃からこの町に住んでいて、毎年夏に開かれるお祭りはルルーシュにとってすっかり恒例行事である。それはスザクも同じで、昔は妹のナナリーと三人でよく足を運んでいた。
 (まさか二十歳になってもこうしてお祭りに行くとは思ってもいなかったが)
 隣を歩くスザクは白地に紺の模様をあしらった浴衣に身を包んでいた。一方のルルーシュはスザクとは逆で、濃紺に白の模様だ。用意してくれたのはスザクの母親で、夏祭りの時期になると二人に合った浴衣を新調してくれるのだ。毎年のことで申し訳なく思うけれど、これが自分の楽しみだから気にしないでと言われたので今年もありがたく着ている。

「はい、これルルーシュの分」

 いろんな出店を眺めていると、横から真っ赤なリンゴ飴を差し出された。スザクの手にも同じものが握られている。焼きそばはあっという間に平らげてしまったらしい。

「花火の時間までまだ少しあるから、あそこで座って待っていようよ」

 スザクが指した先には竹製のベンチがあった。休憩場所として設けられているようで、ほかにも浴衣姿の人々が腰掛けている。
 二人並んで座れば夜風が頬を撫でた。

「最近はちょっと涼しいね」
「昼間は相変わらず馬鹿みたいに暑いけどな」
「ルルーシュ、夏バテしてない? 大丈夫?」
「ちゃんと食べているから問題ない」
「夜更かしはしてないだろうね」
「お前が口煩いから最近は早寝早起きだ。ったく、お前は俺の母親か」
「だっておばさんにルルーシュのことよろしくって頼まれたから」
「真に受けなくていいのに」

 妹のナナリーの高校進学を機に、家族は故郷のブリタニアへと戻っている。あなたもブリタニアの大学に進学したらと母親から言われたけれど、我儘を押し通して日本に残ることを選択した。
 そのため、ルルーシュはこの春から広い家で一人暮らしを始めることとなった。ナナリーが大学生になる頃には両親のどちらかが戻ってくる予定だが、少なくとも三年間は自宅をひとりで守らなければならない。
 すると、それを心配したスザクがしょっちゅう泊まりに来るようになった。スザクの母親がわざわざ夕飯のおかずを差し入れてくれるのはありがたいし、一人暮らしの寂しさをあまり感じることがないのも感謝している。が、スザク本人は単に一人暮らし気分を味わいたいだけなのではないかとルルーシュは密かに疑っていた。
 (自分の家だと親がいるからって、最近はいつも俺の部屋で……)
 唐突に先日の行為が蘇り、頬が熱くなった。隣でリンゴ飴に齧り付いているスザクが気付いた様子はなく、照れくささを誤魔化すように飴を舐めた。
 スザクとは幼馴染で、子どもの頃から毎日のように一緒だった。兄弟みたいな親友で、気付けばごく自然に好きになっていた。男同士なのにどうして好きになったのか、彼のどこに惹かれたのか、好きという気持ちが当たり前すぎて改めて考えてもよくわからない。
 あえて言うならば、魂に刷り込まれた感情か。
 (我ながらくさい表現だな)
 舌に懐かしい甘みが広がる。ナナリーは特にリンゴ飴が好きで、幼い頃は百円玉をいくつか握り締めてどきどきしながら出店でリンゴ飴を買ったものだ。小さいナナリーにはリンゴが大きかったから、ルルーシュはその残りをいつももらっていた。でもスザクはあの頃からひとりで完食していたなと思い出す。
 ふと、子どもたちの楽しそうな声が聞こえて目を向けた。二人の男の子と一人の小さな女の子が元気に境内を駆けていた。まるで昔の自分たちのようで笑みが零れる。

「何かあった?」
「俺たちみたいだなと思って」
「ああ、ホントだ」

 同じ光景を見てスザクも目元を和ませた。

「途中でナナリーが疲れちゃって君がおんぶするんだけど、ルルーシュも疲れて歩けなくなっていたよね」
「それはもっと子どもの頃の話だ」
「だから僕が代わりに背負おうとしたらスザクは乱暴だから駄目だって怒られて喧嘩になって、最後はナナリーにたしなめられてさ」
「お前が乱暴者だったのは事実だろ」
「結局は僕がナナリーを背負って、その後ろを君がちょっと拗ねて歩いていたんだよね」
「初めて俺たちだけでお祭りに行ったときの話を毎年のことのように話すな」
「あの頃はルルーシュの分からず屋って思っていたけど、ルルーシュはちゃんとお兄ちゃんをしようとしていたんだって今ならわかるよ」

 優しい声音は子どもの頃にはなかったもので、彼も大人になったのだと実感した。
 三人で出店を見て回ったことも、些細な出来事で喧嘩したことも、一緒に花火を見たことも、どれも懐かしい思い出で二度と返らない時間でもある。
 今はここにナナリーはいない。子どもの時代はもう戻らないのだと、なんだか急に寂しくなった。

「ブリタニアに帰らなかったことを後悔している?」

 まるで心を読んだような質問にハッとした。

「ナナリーもおじさんもおばさんも帰っちゃってひとりで寂しくない?」
「残ると決めたのは俺だ。後悔なんてするわけないだろ」
「でもさ、今さらだけどどうして日本に残ったの? ブリタニアの大学のほうがレベル高いんでしょう?」

 確かに今さらな質問に口を噤む。答えたくないわけではないが、答えるのは恥ずかしい。そんな理由で残ったのかと呆れられるのも嫌だ。スザクには特に。

「もしかして僕と同じ大学に通いたかったから? なーんて」

 反射的に顔を向ける。「え?」という顔をしたスザクに、ルルーシュはすぐさま自分の失態を悟った。

「え、もしかしなくて本当に?」
「うるさい!」
「本当の本当に?」
「違う!」

 慌てて視線を外したけれど、これでは図星だと言っているも同然だ。当てずっぽうで言われた内容が正解でそれに思わず反応してしまったなんて、穴があったら入りたい。

「本当に僕と一緒にいたいと思ってくれたの?」

 尋ねる声は優しいけれど、からかいや呆れの色がないのはかえって居た堪れなさを助長させた。いっそ笑ってくれればいいのにと、食べ終わったばかりのリンゴ飴の棒を握り締めた。そこにスザクの手が重なる。

「嬉しいな」
「……馬鹿みたいだろう」
「なんで? 両親や大事な妹と離れてでも僕と一緒にいたいって思ってくれたんでしょう? 馬鹿なんかじゃないよ、すごく嬉しい」

 曇りのない言葉に恥ずかしくなる。頬どころか耳まで熱い。
 ナナリーはあんなに寂しがっていたのに、幼馴染で恋人のほうを選んだのだ。一応、日本の大学で学びたいことがあるからという理由で日本に残ったけれど、真実を知ったら家族はきっと呆れるだろう。
 自分でも馬鹿だと思った。社会に出ればいずれ離れなければいけないのに、せめて大学の四年間は一緒にいたいと願ってしまった。
 もちろん、大学には真面目に通っているし希望する専門もある程度決めているし、毎日スザクと遊んでいるわけではない。それでもやっぱり馬鹿な選択だ。

「ナナリーがブリタニアで進学するって聞いたとき、ルルーシュも一緒に戻るんだろうなと思ったんだ。遠距離恋愛で続くならまだいいけど、もしかしたらこれでお別れかもしれないって考えたら毎日不安でたまらなかった。だから、君が僕と同じ大学に行くと知ったときはすごく嬉しかったんだ。ありがとう、ルルーシュ」
「別に礼なんて……」
「僕も君とずっと一緒にいたいよ」

 おずおずと目線を上げれば、ひどく真剣な翠の瞳があった。

「過ぎた時間は二度と戻らないし、いくら懐かしんだところで昔に帰れるわけでもない。だから僕はルルーシュとたくさん新しい思い出を作っていきたいんだ。同じ景色を見て、同じものを感じて、いつまでも一緒にいたいと思っている」
「いつまでも?」
「永遠の愛を誓うつもりはないよ。人はいつか死ぬし、死んだらそこでおしまいだ。来世なんて不確かなものは約束しない。ただ、僕たちの寿命が尽きるそのときまで一緒にいようって約束ならできるだろう?」
「随分と気の長い話だな。ほとんど永遠みたいなものじゃないか」
「ルルーシュは嫌?」

 手の甲にスザクの熱を感じた。お祭りの喧騒がどこか遠い。まるでこの場に二人きりのような感覚だ。
 周りにはたくさんの人がいるし、公共の場で何をやっているのかと冷静な自分が頭の隅にいた。だけど、熱に浮かされたような感覚のままでいいじゃないかとも思う。お祭りの雰囲気にあてられているに違いない。

「――俺も、生きている間だけでいい」

 永遠は誓わない。そんなものはいらない。もしも本当に来世があったとしても、そこで出会う自分たちは今の自分たちではないのだから来世を約束したって意味がない。
 自分がほしいのは、今ここでスザクと共に過ごせる時間だ。

「ルルーシュ、」

 名前を呼ばれたのと同時に大きく響く音がしてびくりと顔を上げた。暗い空には美しい花が咲いていた。

「あ……、もう花火の時間か」

 境内にいた人々もいつの間にか移動しており、全員が同じ方向を見上げている。すぐに次の花火が打ち上げられ、夜空を明るく染め上げた。

「綺麗だな」
「うん」
「俺たちも移動しよう。川原のほうに行くか?」
「待って、川原よりいい場所があるから。こっち」

 スザクに手を引かれて境内の奥へと向かう。屋台を抜けた先の緩やかな傾斜を上れば、障害物に邪魔されることなく花火が見えた。

「こんな場所があったんだな。知らなかった」
「僕も最近見つけて、次の花火大会のときは絶対ルルーシュを連れてこようと思ったんだ」

 次々と夜空に花火が上がり、少し離れた場所から歓声が聞こえてきた。煌びやかな光が生まれ、すぐに消えたかと思えばまた花が開く。
 手の甲と甲が触れて、探るようにお互いの指先を伸ばした。
 隣を見るとスザクもこちらを向いていた。言葉はないまま唇を寄せる。静かに瞼を下ろせば絡めた指に力がこもった。
 いつかスザクが言っていた。ルルーシュとのキスはいつだってどこか特別に感じられると。
 ただ触れ合うだけのキスは、愛しているという言葉よりももっと雄弁に自分たちの想いを伝えているのかもしれない。だって、優しくて温かい口付けは、確かに彼が生きていることを教えてくれるから。
 また花火が上がった。空は明るく、ぱらぱらと消え逝く残滓はまるで星屑のようだ。

「来年もまた一緒に花火を見ようね」
「ああ」

 唇越しに伝えられた約束にそっと微笑む。少しだけキスを深くすればリンゴ飴の甘さが広がった。
 (もう置いて行かないから)
 二人で一緒に生きていこう。
 これから先も、ずっと。
 (14.08.10)