ドアが開いて真っ先に確認したのはルルーシュの姿だった。
広々とした部屋とは言え、人ひとり探すのに三秒もかからない。期待した人がどこにもいないことを知ってスザクは密かに肩を落とした。
「ルルーシュならいないぞ」
「うん、そうみたいだね」
声をかけてきたリヴァルの隣に座る。今日の生徒会はルルーシュを除いて全員が揃っていて、それぞれが自分の仕事をやっていた。
「久しぶりに来たってのに挨拶もなしにいきなりルルーシュ探すんだもんなぁ」
「あ、ごめん」
「まあそういうところがスザクなんだけど」
ルルーシュを探すのは条件反射みたいなものだ。軍務から解放されて数日ぶりに学校へ来たのだからなおさらである。
「ちょうどいいところに来てくれたわね!人手が足りないのに肝心の副会長が逃亡しちゃって困っていたのよ」
「何してるんですか?」
「今月末のアッシュフォード杯に向けた準備よ」
アッシュフォード杯とは何ぞやと首を傾げれば、スポーツ大会だよとリヴァルが教えてくれた。
「競技はサッカーかバレーかバスケの三つ。クラス別の参加になっていて、いずれかの競技で一位になれば金一封もらえるんだよ。もちろん学生だから、クラス全員分のジュースが何本か買えるぐらいだけどさ」
「メインはスポーツ大会と言うより、そのあとの打ち上げだから。皆そっちに一生懸命なの」
リヴァルの説明に補足してくれたのはシャーリーだ。
曰く、ホールをすべて使っての打ち上げと称したパーティーが開かれ、そこでは男子も女子も正装で参加するらしい。費用はすべて生徒会持ちで、この打ち上げをきっかけにカップルが誕生する確率が高いことから、生徒の間では恋愛成就パーティーとも呼ばれているそうだ。
だからメインは打ち上げなのかと納得し、改めて生徒会メンバーの作業を見回した。
「つまりこれって、スポーツ大会ではなく打ち上げの準備ってことですか?」
「さすがスザクくん、ご明察。費用は全部生徒会が出すし、必要な買い出しや準備もうちが主体的にやらなきゃいけないでしょ?だからこそ頭脳明晰な副会長が必要だってのに、ルルーシュったらどこでサボっているのかしら。スザクくんはもちろん見かけていないわよね?」
「そうですね。逃亡したってことは途中まではいたんですか?」
「仕事の分担をしたときまではいたんだけど、トイレに行くと言ってもう三十分以上戻ってこないんだよ」
どこで何をしているんだか、とのぼやきにスザクは考えた。
壮大な会長のイベントをいつも裏からサポートしているルルーシュは、文句を言いつつも仕事はきちんとこなすタイプだ。口ではこんなイベント無意味だ経費の無駄だ面倒だと不満を漏らしているけれど、元来の生真面目さと完璧主義が相俟って決して手を抜かない。
ミレイがはちゃめちゃな企画を立てられるのはルルーシュがいるからだし、彼女も優秀な副会長に対して全幅の信頼を寄せている。ほかの生徒会メンバーもルルーシュに任せておけば大丈夫だと信じているに違いない。
そんなルルーシュが準備の最中、目的も行き先も告げずに生徒会室から姿を消すだろうか。少なくとも、準備を嫌がって逃げ出したという可能性は低いのではないか。
「ルルーシュが出て行く前に何か話していましたか?」
「さあ、どうだったかしら。皆でお喋りはしていたけど……」
「ルルーシュがいなくなる前……、あっ」
何やら思い出した様子のリヴァルが声を上げ、「あれですよあれ」とミレイに伝える。
「あれじゃわからないわよ」
「あれと言えばあれですよ、五月二十三日の話」
「五月二十三日って今日じゃないの。それが何か……、あ、なるほど」
同じように何かを思い出したらしいミレイがぽんと手を打った。
「でもあれがルルーシュの逃亡と関係あるかしら」
「あれってなんですか?」
スザクは思わず身を乗り出した。直前の会話がヒントになるかもしれない。関係ないとは思うけど、と前置きしてミレイが口を開く。
「実はね――」
「ここもいない、となると残りは……」
空き教室に人影がないのを確認し、スザクは独りごちた。
ルルーシュが隠れていそうな場所をひとつひとつ当たっているのだが、実を言えば初めから見当は付いていた。ただ、最短ルートでルルーシュにたどり着くのは少しもったいないような気がしたのだ。
しばらく顔を合わせていないからすぐにでも会いたいはずなのに、ゆっくりルルーシュを探して回るのは矛盾していると苦笑いする。
焦らすのとはちょっと違った。追い詰めているわけでもない。強いて言うならば、自分の予想が確実であることを証明して少しだけ優越感を抱きたいのだ。
優越感を抱く相手は、この学園の生徒全員である。
(って言ったら、ルルーシュは怪訝な顔をしそうだけど。僕がどれだけ必死なのかきっと知らないだろうし)
自分たちは友達だ。七年ぶりに再会してお互いの無事を喜び、一度は失った関係を再び取り戻した。
ごく普通の、どこにでもいる友達のはずだった。
最初に己の気持ちに気付いたのは自分かもしれない。友達に友達以上の感情を抱いている。それに気付いたときは愕然とした。綺麗なルルーシュを汚してしまいそうで、距離を置こうと考えたときもあった。
期せずしてルルーシュも同じ気持ちであることを知ったときは夢かと思った。真っ赤な顔で「俺も好きだ」と伝えてくれたときのルルーシュの顔は今でもよく覚えている。
そうして二人の間に恋人の関係が加わったわけだが、付き合い始めてまだ数週間。この間、スザクがまともに学校に来たのは両手で足りるくらいの日数で、恋人らしいことは何もしていないも同然だった。
(手だってまともに繋いでいない)
周りに生徒がいないことを確かめ、屋上へと続く扉を開けた。心地良い風が癖っ毛を揺らす。
静かにドアを閉めてついでに鍵も閉めると慣れた足取りで屋上を歩いた。半周した先にようやく目当ての人を見つける。隠れるように隅っこに身を寄せる姿はまるで猫みたいだと、頬が自然に綻んだ。
スザクの気配には気付いていないようで、ルルーシュは手元の本を熱心に読んでいた。その横顔はもちろんのこと、ページを捲る指先すらも溜め息が出るほど綺麗で、誰もが見惚れるに違いないと思った。
「ルルーシュ」
なるべく驚かせないようにトーンを抑えたつもりだけど、秀麗な顔がびくりとこちらを見た。驚いた拍子に本が落ち、乾いた紙の音が静かな屋上に響く。
「こんなところでサボっていたの?皆、探しているよ」
ゆっくり足を進めると隣に腰を下ろした。ルルーシュはまだ体を固くしている。本当に人馴れしていない猫みたいだ。
「サボっていたわけではない。明日までに返さなければいけない本を読んでいただけだ」
「屁理屈だなぁ」
「それに去年も同じことをやっているんだ。俺がいなくても準備くらいできるだろう」
「ルルーシュがいないと誰が采配をとるんだよ」
「会長がいるじゃないか。だいたい、いつもいつも面倒事は俺に押し付けて、たまには自分でやってみるべきなんだ」
すらすらと言葉を紡ぐルルーシュは普段と変わらない。だけど、普段と変わらないことが逆にスザクには違和感を覚えさせた。
追い詰めるつもりは本当にないんだけど、と心の中で言い訳をして口を開く。
「ねえ」
「なんだ」
「ルルーシュが生徒会室から逃げた理由って、もしかして今日がキスの日だって聞いたから?」
自分の恋人がいくら奥手でもさすがにそんな理由はないだろうとスザクも思っていた。ミレイに「今日はキスの日よねって話で盛り上がっていたの」と教えられたときも、ルルーシュの逃亡の原因ではないだろうと考えた。
だから、もったいぶって訊いてみたのはわざとだ。ルルーシュは焦って否定するだろうから、それをからかってみようと思ったのだ。初心な恋人がどんな反応をするのか少しだけ楽しみに思ったのも事実である。
「え……?」
しかし、ルルーシュの反応は想像していたどれとも違っていた。
顔を真っ赤にさせ、なんで知っているんだと言わんばかりに目を瞠っている。予想外すぎる反応にスザクまで照れてしまいそうだった。
「まさか、本当に……?」
「う、うるさい!」
「だってキスなんてブリタニアじゃ珍しくないでしょう?」
「いくらブリタニアでも唇へのキスが日常茶飯事なわけではない!」
「でも、だからっていくらなんでも照れすぎだよ」
「俺のことはいいからあっちに行け!お前は皆の手伝いをして来い!」
「やだよ」
ぽかぽかと擬態語が聞こえてきそうな仕草でスザクを叩くルルーシュはまだ赤い。カッコ良くて頭も良くて冷静沈着で女子生徒から絶大な人気を誇る生徒会副会長がまさかこれほど可愛らしい反応をするとは、誰に言っても信じてもらえないだろう。
両腕を取ると、スザクはルルーシュの顔を下から覗き込んだ。恥ずかしさが高じたのか、綺麗に澄んでいる紫の瞳は今は少し潤んでいた。
「キスの日がそんなに恥ずかしい?別に誰彼構わずキスをしろってわけじゃないよ?」
「そんなことはわかっている……」
「じゃあなんで生徒会の仕事を放棄してまで逃げ出したの?」
質問にルルーシュの目が泳ぐ。なんと答えようか優秀な頭脳が必死で考えているのだろう。スザクはじっと待った。
諦めてくれない恋人に降参したのか、ルルーシュが小さく息を吐く。
「――お前が来るからだ」
「僕?」
「今日は生徒会だけ顔を出せるって言っていただろう?だから、お前が来たら耐えられないと思って」
「全然意味がわからないんだけど……」
キスの日と自分が生徒会に顔を出すことの関連性がちっとも見えない。首を傾げればルルーシュがもう一度溜め息をついた。
「だから……、会長たちがキスの話題で盛り上がっていたたまれなかったんだ。恋人同士のキスなんてしたことがないし、するとしたらお前が初めてになるのに、お前が来たら皆の前でどんな顔をすればいいのかわからないと思って」
ルルーシュの告白にスザクはぽかんとした。
自分たちはまだキスをしていない。それでもルルーシュは自分とのキスを想像し、皆の前で顔を合わせるのはいたたまれないと思った。だから逃げ出した。
(何それ、すごく可愛い)
たまらない愛しさをどう伝えればいいのかわからず、掴んでいた手首を離すと今度は両手を包み込むように握り締めた。何をするんだと文句が聞こえてきたけれどそんなことは知らない。
「ルルーシュ」
「なに、――っ」
続く声は喉の奥に消えたようで、ルルーシュは大きく目を瞠ったまま微動だにしなかった。
初めて触れた唇は柔らかく、ただ合わせているだけなのに気持ちがいい。
「キスするときは目を閉じないと」
囁けば、先ほど以上にルルーシュの顔が赤くなった。再び顔を近付けると瞼がぎゅっと閉じられた。抵抗らしい抵抗がないのをいいことに、スザクは食むようにキスを繰り返した。
初めての感触を思う存分堪能する。あまりの心地良さに頭がくらくらしそうだ。
「ん……ッ」
漏れた声に薄く目を開く。言われたとおりに目を閉じて慣れないながらもキスに応えようとしているルルーシュがいて、その健気さに胸がいっぱいになった。
お互い両手は固く結び合い、夢中になってキスをする。
名残惜しさを感じつつもようやく唇を離したときにはルルーシュは肩で息をしていた。そっと抱き寄せ、子どもをあやすように背中を撫でる。くたりと体を預けてくれるのが信頼の証のようで嬉しい。
「今日はキスの日で、僕たちにとっては初めてのキスの日になったね」
抱き締めたまま口にすれば、馬鹿とだけ返ってきた。
「好きだよ」
「……知っている」
「そうだ、今日ってキスの日のほかにもう一つあるんだ」
「もう一つ?」
問い返す声に口許を緩めた。
「好きだよ、ルルーシュ」
「それはさっき聞いた」
「だって今日はラブレターの日なんだよ?そんなの全然知らなくて手紙は書けなかったから直接言葉にしちゃったけど。会長さんに教えてもらったとき、絶対ルルーシュに伝えようと思ったんだ」
腕の中でこちらを見上げたルルーシュに笑いかける。頬を染めたまま何かを思案していた様子のルルーシュは、しかしふいと視線を逸らしてしまった。
紫の瞳に自分の姿が映らないことを少し残念に思いながら、薄い体をもう一度強く抱き締める。
「――俺も」
「ん?」
「俺だって、お前のことが好きなんだからな」
ぼそぼそと言ったかと思えば、ルルーシュの腕が背中に回ってしがみ付かれた。
可愛い可愛いと心の中で何度も繰り返しているけれど、これは本当に可愛すぎる。
胸に湧き起こる想いはたくさんあるのに、言葉に言い表すとどれも陳腐なものになりそうだ。だからスザクは一言だけ、「僕も知っているよ」と愛しさを込めて応えた。
キスの日じゃなくてもまたキスをしようと囁いたら今度はどんな反応が返ってくるだろう。
そんなことを考えながら、スザクは目の前の赤い耳に自分の唇を押し当てた。
(13.05.23)