「ひなまつり?」
初めて聞くその単語に、ルルーシュは小首を傾げた。
スザクからのいつものサインで屋根裏部屋に来てみたら、突然そんな単語が出てきた。しかしルルーシュにはまったく聞き覚えのない日本語で、それが何なのかまったくわからない。
「そう!女の子のお祭りで、雛人形ってのを飾るんだ。ほかにも餅とかお酒とか、それから梅の花も飾ってお祝いするんだよ」
「へぇ」
「といっても、うちは俺が男で女の子がいないから、雛祭りがどういうものなのかあんまりよくわからないんだけどさ。神楽耶のとこならちゃんと雛祭りしてるんだろうけど、一度も行ったことないしなぁ」
ルルーシュはスザクの話を聞きながら、床の上に広げられた本とチラシを眺めた。
本には小学生向けに書かれた雛祭りの内容や様子、チラシには大小さまざまな雛人形が載っていた。どちらもスザクが持ってきたもので、ルルーシュたちが日本独特の行事や習慣を理解できないことが多かったため、こうして子供向けの本などを持参し説明してくれるのだった。
「図書館なんて初めて行った」と笑っていたから、ルルーシュとナナリーのためだけに本を借りてきたり家から持ってきたりしているのだろう。そんなスザクの心遣いがルルーシュには嬉しかった。
「それでな、女の子のいる家じゃこういう人形を飾るんだよ」
スザクが指したのは、様々な人形が載っているチラシ。今日の新聞に入っていたから持ってきたんだと言っていた。
「雛人形って言うんだ」
「ひなにんぎょう」
ブリタニアで見る人形とは姿も形も異なっていて、ルルーシュは珍しそうに眺めた。
写真が小さくてその表情ははっきり見えないが、目も口も細く、不思議な髪形をしている。着ている洋服は着物というやつだろうか。男の人と女の人だけが飾られたものや、たくさんの人形が階段状の台に並べられているものなど、人形だけでなく飾り方まで様々だ。
日本に来て半年ほど経つが、まだまだルルーシュの知らないものが日本にはたくさんあって面白かった。
「それでさ、せっかく日本に来たんだから、ナナリーに雛祭りのお祝いをしてあげたいと思ったんだ」
どこか照れくさそうに言うスザクに、ルルーシュは目を見開いた。
ナナリーはブリタニア人だ。わざわざお祝いする必要なんてないのに、それをスザクはやりたいと言ってくれている。
それが嬉しくて、ルルーシュはふわりと微笑んだ。
「ありがとう、スザク」
その柔らかな笑みに、スザクの心臓が跳ねる。自分の顔が熱くなったのを感じて、ぷいと横を向いた。
「べ、別に!ルルーシュじゃなくて、ナナリーのためだからな」
「うん。わかってるよ」
ぶっきらぼうな態度は照れ隠しなのだろう。ルルーシュはくすくすと笑う。
「それで、ひなまつりに僕は何をすればいいんだ?」
「え、えーと、そうだな、まずは雛人形だろ?あとはお菓子とジュースかなぁ。本当はご馳走も用意してあげたいけど、俺のお小遣いじゃ無理だし…」
あくまで自分の出来る範囲での提案をして悩んでいるスザク。枢木の家に頼めば、嫌な顔をされるかもしれないが何かしら用意はしてくれるはずだ。でも家の人間にどうにかさせると言わないのは、ルルーシュの心情を慮ってのことだろう。
そんな優しさも嬉しかった。
「お菓子とジュースで十分だよ」
「え?そうか?」
ルルーシュの言葉に、スザクは申し訳なさそうな、でも少しだけほっとしたような表情を浮かべた。
所詮、自分たちは自由の利かない子供なのだ。大人の真似をして無理する必要はない。
「じゃあ、あとは雛人形だな!これ見て作ろうと思うんだ」
そう言って広げた別の本には、布で簡単にできる雛人形の作り方が載っていた。
「君が作るのか?」
疑わしげな目で見ると、スザクは心外だという顔をした。
「なんだよ、その目は」
「だって君、裁縫なんてしたことないだろう?」
「学校の授業で少しやったよ!」
「少しだけだろ?」
「うっ…」
反論したかったが、お世辞にも上手いとは言えない作品をちょうど授業で作ったばかりだったので、何も言えない。
ルルーシュが笑った。
「いいよ、人形は僕が作るから。慣れてないのに針で細かい作業をしたら危ないし。だからスザクはお菓子の調達を頼むよ。代金はあとで半分払うから」
「いいよ、俺が全部出す」
「そういうわけにはいかないだろ。僕とスザクでナナリーをお祝いするんだ。だから半分」
「だけど言い出したのは俺だ」
「言い出したのは君でも、乗ったのは僕だ」
「でもルルーシュは人形だって作るじゃないか」
二人とも折れるということが出来なくて、このままでは言い争いになってしまいそうだった。こっそり溜め息をつくと、ルルーシュは譲歩案を出した。
「わかった。人形は僕が作る代わりに、スザクは材料の布を持って来てくれ。授業でやったのなら少しは持ってるだろう?」
「あぁ、まだたくさんある」
「じゃあ明日にでも頼むよ」
「わかった」
「これで人形の役割分担は半分ずつ。だからお菓子の代金も半分ずつだ。これでもまだ文句があるかい?」
「……わかった」
渋々ながらも今度は素直に頷いたスザクだった。
「すっげー!」
今度はルルーシュからのサインで、三日前と同じように屋根裏部屋へやって来たスザクはきらきらと目を輝かせた。目線の先には、手のひらに収まるサイズの人形が並んでいた。お内裏様とお雛様があればいいと聞いたので、ルルーシュは早速その二つを作って持ってきていた。
「本の通りに作ってみたんだけど、どこかおかしなところはないか?」
「ない!全然ない!すげーよルルーシュ!」
スザクから絶賛され、ルルーシュは気恥ずかしくなった。まさかこんなに褒められるとは思ってもいなかった。
「たいしたことじゃないけれど…」
「だって本の通りじゃん!完璧だよ!これならナナリーも喜んでくれるよな」
スザクが満面の笑みを浮かべる。「ナナリー」の一言に、ルルーシュは自分が作った人形を見つめた。
人形といっても、単に布を縫い合わせただけ。スザクが持ってきた本の通りに作ってみたものの、雛人形の知識がないため、本当にこれで正しいのだろうかと不安に思いながら縫っていた。しかし、スザクが何も言わないから間違えてはいないのだろう。
ほっとした気持ちと、褒められた嬉しさから、ルルーシュは自然に笑みを浮かべていた。
ナナリーに贈り物をするのは一年ぶりくらいだ。
最後に贈ったのはクマのぬいぐるみだった。でもルルーシュはただ選んだだけ。こういう形で何かをあげるのは初めてである。心を込めて丁寧に作ったとはいえ、あのときのぬいぐるみに比べたら随分と貧相なものだ。
「そうか、あれから一年経つのか……」
ぽつりとルルーシュは呟く。
「ん?何か言ったか?」
「うぅん」
呟いた内容までは聞き取れなかったのだろう、尋ねてきたスザクにルルーシュは首を振った。
あれからあっという間だったような、とてつもなく長かったような、どちらともいえない時間の感覚。自分がこんな状況になるなんて、当たり前だが一年前の自分は想像すらしていなかった。
「ルルーシュ?」
気付けばスザクが心配そうに見ていた。ルルーシュはもう一度ふるふると首を振った。そして、話題を変えるために気になっていたことを口にする。
「なぁスザク。女の子のお祝いの日があるってことは、男の子のお祝いの日もあるのか?」
「あれ?言ってなかったっけ?男は5月にあるんだよ。端午の節句って言うんだ」
「へぇ。“たんごのせっく”か。じゃあスザクは枢木家の一人息子だから、きっと盛大にお祝いしてもらうんだろうな」
ルルーシュは何の他意もなくそう言った。どんなことをするのかはわからないけれど楽しそうだな、その様子を見てみたいな、と思っただけで。
「もちろん!でっかい鯉のぼりがあって、」
そこまで言いかけて、スザクがふいに口を噤んだ。
「スザク?」
今度はルルーシュがスザクの様子を窺った。
一体どうしたのだろう。首を傾げてその顔を覗き込む。
何かを考えていた様子のスザクは黙ったまま、しかし次の瞬間には勢いよく顔を上げ、ルルーシュの両手をがしっと掴んだ。
「わっっ」
突然のことにルルーシュの肩がびくりと震える。
「ルルーシュ!」
なぜかスザクが必死に見えて、ルルーシュは目を白黒させた。そして、その顔と掴まれている手とを交互に見やる。
本当に一体どうしたのだろう。
「一緒にお祝いしような、端午の節句!俺とお前と、絶対一緒に!」
「え…、う、うん」
ルルーシュはわけがわからないという顔をしながらも頷いた。
そんなに一緒にお祝いしたいものなんだろうか。
「ルルーシュだって男なんだから、一緒にお祝いしたって誰も文句言わないよな」
スザクの言葉に、ルルーシュはハッとした。
(あぁ、そうか…)
スザクの考えていることがなんとなくわかった。
もし日本とブリタニアが友好関係にあり、正式な留学生としてルルーシュたちが枢木家に来たのなら、一緒に祝ってもらうことだってあったかもしれない。しかし、今の二国間の関係を考えれば、ルルーシュは憎きブリタニア人で、人質だ。枢木の家から何かをお祝いしてもらうなんてことは有り得ない。
そのことにスザクも思い至ったのだろう。
自分たちの扱いが悪いことなんてルルーシュは百も承知だ。これ自体は日本とブリタニアという国の問題で、力のない自分たちにはどうしようもないことなのだ。決してスザクのせいではない。
だけど、そんな自分のことを気にして、スザクは一緒にお祝いしようと言ってくれた。自分の発言が余計だったと、ルルーシュは申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、スザク」
「なんでルルーシュが謝るんだよ。俺が一緒にやりたいんだから」
「でも、そういう祝い事があるときは、主役は家にいなきゃいけないものだろう?」
形は違えど、ブリタニアにも祝いの行事というものはある。主役は常に輪の中心にいたものだ。
ルルーシュが指摘すると、スザクはうっと詰まった。
「そ、それはそうだけど…、だけど一日中ってわけじゃないから、終わったらここに来る!そしたら俺とルルーシュとナナリーの三人でやろう!」
両手を掴んだまま身を乗り出して言うスザクの様子があまりに必死で、ルルーシュは吹き出した。自分たちはここ以外どこにも行けないし、スザクの提案を断ることなんて有り得ないのに。
「いいよ、わかった。三人で一緒にやろう」
ルルーシュが笑いながら言うと、スザクは破顔した。
「ところで、そろそろ離してほしいんだけど…」
いまだ掴まれたままの手を見れば、スザクもつられて「ん?」と視線を落とす。
「わぁあああ!ご、ごめんルルーシュ!!」
慌てて手を離したスザクに思いっきり謝られ、ルルーシュはぽかんとした。何をそんなに慌てているのか不思議だった。
「なんで謝るんだ?」
「え!そ、その、つい…、そう!ついやっちゃっただけだから!」
「つい?何が?」
「いや、俺の独り言だからルルーシュは何も気にしなくていいんだ!」
なぜかスザクの顔が耳まで真っ赤になっている。
「顔が赤くなってるぞ。熱でもあるのか?」
「こ、これは熱いだけだから!ホントにルルーシュは気にしなくていいから!」
そこまで言われてしまうと追及することもできず、訝しく思いながらも「ならいいんだけど…」とルルーシュは引き下がった。
スザクは安堵の息を吐き出した。そして今のやり取りを誤魔化すかのように勢いよく立ち上がる。
「よし、これで雛人形は用意できたし、じゃあ俺は買い出しに行ってくる」
「あ、スザク」
「ん?」
「ひなまつりっていつあるんだ?そういえば日にちを聞くのを忘れていた」
「…そうだったっけ?」
「そうだよ」
つまりは、いつやるのか決めないままにそれぞれ準備をしていたということだ。まったく計画性がない、実に間抜けなことだ。
「馬鹿だなぁ」
「る、ルルーシュだって気付かなかったじゃないか」
「うん、だから僕も馬鹿だ」
ルルーシュは声を立てて笑った。
馬鹿だけど、こうして誰かのことを思い、誰かのために何かをやるということが楽しかった。相手がナナリーならなおさらだ。
ブリタニアにいたころは常に周りの目があったから、たとえば誕生日会のような小さな催し一つでも思うようにできなかった。自分が何かおかしなことをすれば、自分だけでなく母やナナリーの評価にもかかわってくる。だから、ただ純粋に何かをお祝いするということ自体が初めてで、ルルーシュにはとても楽しかった。
そして、それは多分スザクがいたからだ。
スザクがいなければ雛祭りなんて知らないままだったし、知っていたとしてもナナリーのためにお祝いをしようなんて思い付かなかっただろう。
ルルーシュは笑った。
「こういうのって楽しいんだな、知らなかったよ。ありがとうスザク」
「礼を言うなら、雛祭りがちゃんと成功して、ナナリーが喜んでからだ」
スザクがムッとしたような顔で言う。それは照れているのを隠すときの顔だった。
「あぁ、そうだな」
ルルーシュは笑みを深めた。ありがとう、と心の中でもう一度言う。
「じゃあ俺は行って来るから!」
そう叫ぶと、そのままスザクは外に飛び出して行った。行くってどこへ?とルルーシュが問う間もなく。
「そっか、そういえば買出しに行くって言ってたな。……慌しい奴」
ふふっと笑う。
スザクがいなくなって途端に静かになった屋根裏部屋。ルルーシュは自分が作った雛人形を手にした。出来を褒めてくれたスザクの声が蘇り、胸の奥がほんのりと温かくなる。
「喜んでくれるといいな、ナナリー」
そうして浮かべた笑みはとても優しかった。
しばらく人形を眺めていたルルーシュは、あまりゆっくりもしていられないことを思い出す。人形たちを大事そうに抱えると、ナナリーの元へ戻るために急いで屋根裏部屋を出た。そろそろ昼寝から目覚めるころだから、傍にいてやらなければならない。
雛祭りのことはスザクが戻ったらまた相談しよう。
きっと正式な雛祭りからは程遠いのだろうが、三人で一緒にお祝いできるのが楽しみだった。
ナナリーの喜んでいる顔が早く見たい。それから、スザクの楽しんでいる顔も。
スザクの話では、雛祭りの次は端午の節句というのがあるらしい。こうして毎年、日本の行事をお祝いできたらいいな。
ルルーシュは走りながら腕の中の人形をぎゅっと抱き締めた。
それは、決して恵まれていたわけではないけれど、それでも幸せだといえた子供時代の思い出。
(09.03.07)