春まだき

「はい、お土産」

 生徒会の書類に掛かり切りだったルルーシュは、いきなり机の上に置かれたものをきょとんとした目で見つめた。

「なんだこれは」
「梅の花」
「それはわかっているのだが」

 水の入ったガラスコップに一枝だけ。枝の先には、薄桃色の花がいくつか咲いている。
 何度か実物を見たことがあるので、これが梅の花だということはわかる。わかるが、何故それをわざわざ。
 いろんな疑問符を頭に浮かべながら、可愛らしい花と目の前に立つ親友の顔とをルルーシュは交互に見比べた。

「どうしたの?」
「いや、意外な組み合わせだと思ってな」
「僕と梅の花が?」
「というより、お前と花が、だ」

 少なくとも、花を愛でるスザクというものはルルーシュの中にはない。
 そんな風に思ったことが伝わったのか、スザクがいじけたように「酷いよルルーシュ」と呟いた。

「お前が花好きだなんて、今まで一度も聞いたことがない」
「嫌いと言ったこともないだろう。花を見て綺麗だなって思うことくらい、僕にもあるよ」
「だからって、枝を折ってこなくても」
「折ってないよ。折れてたんだ。そのままにしてたら誰かに踏まれちゃうし、それなら僕がもらっていこうと思って。ちょっとやってみたいこともあったから」
「やってみたいこと?何だ?」

 ルルーシュの問いに、スザクはにこやかに答えた。

「お花見」

 聞き慣れない単語に首を傾げたルルーシュは、しかしすぐに「あぁ」と思い至った。そういえば、日本にある不可思議なイベントの一つにそういうものがあったと。

「あれ?ルルーシュ、お花見知ってるの?」
「知ってるも何も、子どものときにお前が教えてくれたんじゃないか。花を見ると銘打ちながら、ただひたすら食べて飲むイベントだろう?」
「正確に言うと違うんだけど、実態としては合っているというか…」

 間違ってはいない。でも正しい言葉の意味としては間違っている。
 教えたのが自分なだけに、スザクは何ともいえない気持ちになった。

「間違っているのか?」
「半分正解かな…」
「だが、花見というのは桜の木の下でやるのだろう?」

 スザクが持ってきたのは梅だった。しかもたった一枝。

「いいんだよ梅でも。花を眺めて楽しむことを花見って言うんだから。桜はまだ時期じゃないから、今回は梅で」
「ふぅん」

 花見の対象が桜でも梅でもいいことはわかった。
 スザクが花見をしたがっているということもわかった。
 ただ、何故それが今なのか。
 ルルーシュの疑問はいまだ尽きず、声を出しかけたところでスザクの声が被る。

「梅の木を見かけたのは、本当にたまたまだったんだ。梅も桜も、ここらへんじゃあまりないだろう?だから珍しくて足を止めたら、なんだか久しぶりにお花見をやってみたくなったんだ」

 ルルーシュは一度開きかけた口を閉じた。
 ブリタニア人にとっては、梅も桜もあまり馴染みのないものだ。花見という習慣もない。だから桜が見られなくても、花見をやれなくても、何ら思うところはない。桜の木があったとしても、せいぜい散歩しながら眺める程度。

「花見」と称しながら、花を見ることもなくただ宴会をやるのもどうかと思うが、これはこれで日本の古くからの良き習慣なのだろう、とルルーシュは思っている。

 しかし、その習慣もブリタニアによって壊されてしまった。
 ゲットーに行けば、もしかしたら今でもささやかな花見を行っている日本人がいるかもしれない。だが、ブリタニアに支配された中では、かつてと同じ華やかな花見など無理だろう。租界にいれば尚更だ。
 スザクが少し懐かしそうに「花見」という単語を口にしたことに、ルルーシュの心は微かに痛んだ。が、そんな心を隠すかのように、わざとらしく口角を上げてみせる。

「なるほどな。だから花見ごっこか?」
「“ごっこ”ってヒドイなぁ」
「梅の一枝だけじゃ、せいぜい“ごっこ”だろう?」
「まぁ“ごっこ”でもいいけどね」

 ルルーシュの嫌味にもスザクはどこか楽しそうだった。

「君と一緒に、花見の真似ごとをやりたかったんだよ」

 そうしてルルーシュの目の前に置かれたのは、瓶と二つのグラス。

「おい、まさか、」
「大丈夫。中身はただのオレンジジュースだよ。明日も学校があるし、潰れるわけにはいかないでしょ」
「明日が学校でなければ潰れてもいいと俺には聞こえるのだが」
「今あるのはジュースなんだから、細かいことは気にしない気にしない」
「お前、妙に会長に似てきてないか…」

 何がそんなに楽しいのか、にこにこしながらてきぱきと準備を進めているスザクに、ルルーシュは小さく嘆息する。それでも、次の瞬間にはふっと笑みを漏らした。

「花見というのはもっと大人数でやるものじゃないのか?生徒会の皆と一緒にやればいいのに」
「ルルーシュと二人きりでやりたかったんだよ。皆とやるのもいいけど、それはルルーシュとのあとでもいいかなって」

 恥ずかしいことを言われた気もするが、いつもスザクが言うようなことだからとルルーシュはあっさり受け流した。この場に誰かがいたら「慣れって恐ろしい」と思ったに違いないが、幸か不幸か、今は彼ら二人しかいなかった。

「仕方ないな。お前のわがままに付き合ってやるよ」
「うん、ありがとう」

 相変わらずにこにこと笑みを浮かべたスザクがグラスを差し出す。ルルーシュがそれを受け取ると、瓶の中身をなみなみと注がれた。爽やかなオレンジの匂いがふわりと香り、鼻腔をくすぐる。

「じゃあ乾杯」

 かちんとグラスが音を立てる。
 二人きりの花見。花見といっても梅一枝。それでもつまらないとは思わなかった。

「今度はナナリーや咲世子さんも誘って一緒にやろう」
「あぁそうだな。だが、一枝だけで花見というのはやはり寂しいな」

 そこはスザクも感じていたようで、苦笑いをして肩を竦めた。

「さすがに根っこから引き抜いて、木ごと持って来るわけにはいかないからね」
「当たり前だ。持って来られても困る」

 スザクらしい発想をルルーシュはばっさり切り捨てた。
 そんなルルーシュに、「そうだよね。持って来ても置く場所がないもんね」と大真面目な顔をして言うスザク。

「そういう意味ではないんだが…」

 どこかズレた言葉に、ルルーシュは軽く額を抑えた。

「別に飲んだり食べたりしなくても、花を見るだけで花見になるんだろう?だったら皆で一緒に見に行けばいい。今日は梅だから、次は桜だな」
「え。さくら?」
「お前はさっき梅でもいいといったが、桜を見ることを主に花見というのだろう?」
「う、うん!そうだよ!桜!桜なんだ!」

 スザクはこくこくと何度も大きく頷いた。

「反応が大袈裟すぎないか」
「だってルルーシュがそこまで覚えてくれているとは思わなかったから」

 嬉しそうに笑みを顔中に広げるスザクに、ルルーシュもつられるように笑った。
 ここまで嬉しがっている理由はわからないが、スザクが喜んでくれるのならば、花見だろうがなんだろうが何でも付き合ってやりたい気持ちになる。
 どうせなら、ナナリーと咲世子さんだけでなく、生徒会の皆も誘えばいい。お祭り好きの会長あたりは花見の意味を曲解しそうだから、そこはなるべく隠して。
 そのときの皆の様子がありありと浮かび、ルルーシュはオレンジジュースに口をつけながら、ふふっと笑った。
 そういえば、自分はまだ生徒会の仕事の途中だった。スザクの登場ですっかり忘れていた。
 でも、今それを持ち出すのは無粋なような気がして、ルルーシュは穏やかな時間に身を委ねることにした。

「こういうのも悪くないものだな」
「うん。今度はもっとちゃんとしたのをやろう」
「あぁ。またいつか、な」

 また、いつか。

* * *

 はっとしてスザク―――ゼロは目を開けた。
 少しだけ休憩をとソファに腰掛けたのだが、いつの間にか少しだけ眠っていたようだ。
 時計の針はさほど進んでいないが、居眠りなんてらしくない。失態に内心舌打ちながら顔に手をやる。
 仮面はつけたままだ。大丈夫。
 こうして仮面の存在を確認することがスザクの習慣になっていた。簡単に外れるものではないが、まだ着け慣れたとはいえないそれは、実際に手で触れてみないとどこか落ち着かない。
 今日はナナリーと会う約束がある。数週間後に予定されている日本行きについての打ち合わせだった。
 寝起きの頭でこれからの予定を確かめたところでブザー音が聞こえた。
 部屋の外からの呼び出しにいらえを返すと、マントをはためかせてゼロは扉を開けた。
 打ち合わせは順調に済んだ。
 細かい内容は事務官たちがあらかじめ説明しているので、この場での話しはほとんど形式的なものだった。

「それでは以上でよろしいでしょうか、ナナリー様」
「はい。ありがとうございます、ゼロ」

 そのまま席を外そうとするゼロに、ナナリーは慌てて「あの」と小さな声で呼び止めた。

「どうかされましたか?」
「いえ、たいしたことではないのですが…」
「何か気になることでも?」

 自ら呼び止めておきながら、ナナリーはそのまま伝えていいものだろうかと迷った。しかし自分がこのまま黙っていても、彼は帰ろうとしないだろう。
 それならば、とナナリーは意を決してゼロに尋ねた。

「日本はもうすぐ桜の季節でしょうか?」

 ナナリーの言葉に、ゼロ――スザクは仮面の下で小さく息を飲んだ。

「…桜をご存知で?」
「えぇ。日本にいたころ……ある方が私に教えてくれたのです。あのころは目が見えなかったから、私は想像するだけでしたけれど。でも、私が想像しやすいようにその方が丁寧に説明してくださったので、画像で実物を見てもそんなに違和感は感じませんでした」
「ある方」が誰なのか、ナナリーは口にしない。その名前は今の世界では禁忌で、特に彼女の場合、彼女自身の立場を危うくするかもしれないものである。

 しかし、スザクにはすぐにわかった。
 目の見えない彼女のために、世界の様子を事細かに教えた人。そんな人間はたった一人しかいない。

「そうですか。貴方が桜をご存知なら、日本人も喜ぶでしょう」
「日本の方にとって、桜は特別なのでしょう?」
「えぇ」

 ナナリーは微笑んだ。

「日本にはお花見という習慣があることも教えてもらいました。桜の木の下でお料理を食べたり、お酒を飲んだりするのですよね?」
「花見とは本来花を見て楽しむもので、食べたり飲んだりはオプションのようなものなのですが…。それもどなたかが教えてくれたのですか?」
「はい。違うのですか?」
「…いえ、半分は正解です」

 スザクは仮面の中で思わず苦笑いをした。随分前に同じやり取りをしたような気がするのは、決して気のせいではあるまい。
 兄妹とは会話の内容まで似てしまうものなのだろうか。この場合は、彼女に花見というものを教えたのが彼だということに原因がありそうだが。

「どうして急に桜のことを?」
「そうですね、日本行きが決まったからでしょうか」
「しかし、私が桜のことを知っているとよくご存知でしたね」
「それは…あなたはいろんなことに詳しいですから、きっと桜のこともわかると思って」

 ナナリーは少しだけばつの悪そうな顔をした。
 今の言葉は意地悪だっただろうか。でも、ゼロの正体に気付いている者以外で、ゼロの中身が日本人だと知っている人間はいない。今この場にいるのは事務官だけだし、この程度の会話で正体がバレるようなことはないと思うが、ゼロ個人を特定できるような会話は避けたほうがいい。
 しかし、とスザクは考えた。
 ナナリーはそんなことがわからないような子じゃない。となると、何か意図があってのことだろうか。

「その…今度の日本訪問のときでなくても構わないのですが…」

 珍しく歯切れの悪いナナリーを不思議に思いつつ、無言で先を促した。
 しばしの逡巡のあと、顔を上げたナナリーはゼロであるスザクを真っ直ぐに見つめる。その顔には少しの緊張があった。

「いつか、いつか一緒に日本でお花見をしませんか?」
「私と……ですか?」
「えぇ。あなたと」

 ナナリーの申し出に、スザクの思考は一瞬停止した。
 出てくる話題が先ほどまで見ていた夢とあまりにも被るから、自分はまだ夢の続きを見ているのだろうかと勘違いしそうだった。

「やはりダメでしょうか…?」

 応えがないのを拒絶と受け取ったのか、寂しそうな声が紡がれた。
 そんな彼女に、スザクは緩くかぶりを振る。

「まさか。私で良ければお供させてもらいます」
「本当ですか?」

 途端、花が咲いたようにナナリーの顔に笑みが広がる。嬉しくてたまらないという気持ちを向けられ、つられて笑顔を浮かべる。仮面越しでは伝わるはずもないのに、ナナリーはますます嬉しそうに笑っていた。

「ですが、今回は日程の都合などがありますし」
「もちろん!」
「警護の関係もありますから、花見と言っても、あなたが言うような桜の木の下で料理を食べたり酒を飲んだりということは出来ませんが」
「もちろんです!それはよくわかっています。でもいつか、いつか必ず」

 車椅子から身を乗り出す勢いのナナリーに、スザクは「わかりました」とだけ答えた。

「ありがとうございます、ゼロ」
「でも、私なんかでよろしいのですか?」
「あなたなんかじゃありません。あなたがいいんです」

 にこにこと笑いながら、ナナリーがきっぱりと告げる。

「日本にいたときからの夢だったんです。私に桜を教えてくれた方が、その方のお友達と一緒にいつかお花見をしようって。…だから余計に憧れていたのです」

 スザクははっとした。それはまさしく、さっき自分が夢で見ていた過去の思い出だった。
 二人で交わしたささやかな約束。

『また、いつか。』

 結局、約束が果たされることはなく、実を言えば、夢で見るまでほとんど思い出すことはなかったというのが正直なところだ。なんてことはない、ありふれた日常の一コマ。
 しかし、一度思い出してしまえば思い出は限りなく鮮明で、スザクを感傷に耽らせるには十分な効力を持っていた。そんな思い出に、まさかナナリーが別の方向から触れてくるとは思ってもいなかった。
 ここは雑談の場ではない。それはナナリーもよくわかっているだろう。その上、ブリタニアではあまり馴染みのない、完全にプライベートと思われる提案だ。
 それでも、「桜」と「花見」という話題を持ち出してきた彼女に、いけないと思いつつも、スザクは自分の胸がじわりと暖かくなるのを感じた。

「そうですか。そのお相手に私を選んでいただけるとは光栄です」

 変声機越しでも声に穏やかさが混じったことに気付いたのだろう、ナナリーはますます笑みを深くした。

「いつか一緒に行きましょうね。必ずですよ」

 スザクは小さく頷くと、これで話は終わったとばかりにその場を後にした。
 本当はもっと話していたかったが、ゼロとブリタニアの代表であるナナリーとが個人的に親しくしている姿を見られるのはあまり得策ではないだろう。彼女を支える立場だからこそ、公私の別ははっきりさせなければならない。今の会話はイレギュラーだ。
 だが、スザク自身がその会話で心穏やかにされたのだから、ナナリーだけのワガママだとは言えない。
 自室へと戻りながら、スザクは考えた。
 これはただの偶然だ。自分が過去の夢を見たことも、ナナリーが花見を提案してきたことも、たまたま今日という日に重なっただけだ。そこになんの作為もない。
 それでも今は、これを天の計らいだと思いたかった。
 (もしくは、君の采配かな)
 自分が叶えられなかった約束を、スザクとナナリーの二人に叶えさせようとする。そんなルルーシュの姿が思い浮かばれて、スザクは仮面の中で笑った。
 最初に花見を提案したのは自分だったのに。君たちは僕を喜ばせるのが本当に上手い。
 ふと窓から外を見れば、真っ青な、雲ひとつない空がどこまでも広がっていた。まるで、あの日のような空だった。
 ブリタニアにも、もうすぐ春がやってくる。
 (09.02.15)