春の嘘

「ルルーシュ!好きだ!愛してる!俺と付き合ってくれ!」

 生徒会室のドアが開くなり抱き付いてきたリヴァルを、ルルーシュは特にリアクションすることなく「はいはい」と引き剥がした。

「本当だぜ。俺、実は前からお前のことが好きだったんだ」
「0点。エイプリルフールにつく嘘としてはもっとも信憑性がなくつまらない嘘だな」
「ええー、頼むから騙されてくれよ」
「断る。ただでさえ書類の整理が遅れ気味なのにそんな茶番に付き合っている暇はない」
「じゃあスザク、愛してる!」
「僕も遠慮しておくよ」

 苦笑いを浮かべ、スザクもルルーシュに倣ってリヴァルから離れた。
 二人ともつれないとか頼むから協力してくれよとか文句を言っていたリヴァルだが、この二人では埒が明かないと判断したのかすぐに出て行ってしまった。諦めが早いのはいいことである。
 静まり返った生徒会室で、ルルーシュとスザクは並んで椅子に座った。そして問答無用で横から書類の山を渡される。
 積み上がった書類に、スザクは思わず恨めしげな目を向けた。

「恨むなら俺ではなく会長を恨むんだな」
「だからって多すぎない?」
「俺はその倍だ。いいから口より手を動かせ」

 鬱陶しそうに黒髪を耳にかけたルルーシュは取り付く島がない。
 (これは本当に怒ってるな……)
 溜め息をついたらそれだけで睨みが飛んできそうで、仕方なく一番上の書類を手に取った。
 今日は四月一日。月初めのこの日は、エイプリルフールという名の付く日でもある。
 溜まりに溜まった仕事をほったらかして、会長がエイプリルフールイベントなるものを企画したのは今朝のことだ。
 生徒の一人に嘘をつき、その嘘を完全に信じ込ませることが出来れば、指名した生徒会メンバーからキスをもらえる、というのがその内容だ。ちなみに、キスがいらない場合は部費の倍増を選択することも可能である。
 提案したのはもちろん生徒会長のミレイで、どう考えても生徒会メンバーが割を食うイベントなのだが、反対意見は受け入れられなかった。
 そのため校内は朝からイベントの空気に包まれていて、あちこちで嘘合戦が繰り広げられていた。
 以前にも似たような報酬のイベントがあった気がするけれど、おおかた書類整理に疲れた会長が面白い嘘で息抜きしたいだけなのだろう。もっとも、巻き込まれるメンバーとしては大いに迷惑だ。しかも肝心の書類はちっとも片付いておらず、放課後になっても生徒会室に集まるメンバーはいない。そういう諸々が朝からルルーシュの機嫌を悪くさせているらしい。
 書類が山のように積まれているのはいつものことだし、普段ならイベントに呆れつつもなんだかんだで会長の指示通り役割をこなすルルーシュだから、今日の不機嫌さは少し珍しかった。
 おそらく、彼も連日の書類整理で疲れているのだ。仕事が出来る人のところには仕事が集まると聞くが、その典型的パターンだ。
 (今日に限っては誰も呼びに来ないし、ルルーシュの機嫌が本気で悪いってみんな気付いているのかな)
 自分のところにもイベント強制参加の声がかからないのは、ルルーシュのお目付け役、もしくは緩衝材的な扱いをされているのかもしれない。
 そんな中でもしっかりルルーシュに絡んだリヴァルは凄いと思う。ある意味、勇者だ。
 もっとも、リヴァルの場合は報酬である生徒会メンバーのキスが目当てなのだろう。この機会にミレイのキスをもらえるのならルルーシュの不機嫌くらい痛くも痒くもないに違いなかった。
 春の麗らかな日差しが窓から差し、ぽかぽかとした陽気が暖かい。
 耳に聞こえるのはペン先が紙の上を走る音と、指が書類をめくる音。時折柔らかな風が入って、ふわふわとした陽気が頬を撫でていく。
 桜の一片がひらひらと舞い込んだのを見つけ、思わず目で追った。
 このまま微睡んでしまいたいような気持ちの良い日に、どうして自分は書類と睨めっこしなければいけないのだと思わずぼやきたくなる。
 こういう日は書類じゃなくて桜だ。日本人ならお花見だ。
 ルルーシュが聞いたら、「俺はブリタニア人だ」の一言で一蹴されるようなことを思い、ふと隣を窺った。
 いつもは頬に落ちる髪を耳にかけているせいか、見慣れた横顔のはずなのに妙に新鮮に見えた。
 真剣な眼差しは細かい文字を追い、ペンを持つすらりとした指は規則正しく動いている。書類を片付けることだけに集中しているせいか、整った顔に感情は乗っておらず、まるで本物の人形みたいだ。
 本当に息をしている人間かと、思わず触れてみたい衝動に駆られた。
 でも、そんなことは出来ない。
 好きだと伝えることすら叶わないのに、不用意に彼に触れるなんて出来ない。
 そう思っていたのに、気付けば体が勝手に動いていた。ただ確かめるだけだと自らに言い訳をしている自分は、春の陽気にあてられたのかもしれなかった。

「スザク?」

 頬に触れた指にびくりとしてルルーシュがこちらを向いた。きらきらとした水面のように深い紫の瞳が揺れる。

「びっくりするじゃないか。ゴミでも付いていたか?」
「ううん」
「じゃあなんだ。もう飽きたのか」

 ルルーシュが笑う。機嫌は少し良くなったようだ。

「君が好きだよ」

 しかし、告げられた科白に笑みが固まった。まじまじと見つめてくる視線は値踏みしているみたいで、スザクもじっと見つめ返した。
 いつか告白できればいいとは思っていたけれど、まさかこのタイミングになるとは自分でも想定していなかった。だけど、暖かな日に生徒会室に二人きり、という誰かがお膳立てしてくれたような状況をみすみす逃す手はないだろう。
 どのくらい経ったか、艶やかな唇が薄く開く。心臓がどくりと鳴った。
 ルルーシュはどんな返事をくれるのか。期待と不安をない交ぜにしてその言葉を待つ。

「0点」
「れい……?」

 が、予想の範囲外の科白に間抜けな声を出してしまった。ルルーシュが眉間に皺を寄せる。

「お前もリヴァルと同じか。二人ともワンパターンすぎるぞ。エイプリルフールらしい嘘をつくならもっと頭を捻ろ」
「えっと……」
「くだらないことを言っていないでさっさと手を動かせ」

 ぷいと逸らされた顔はこれ以上の会話を拒絶していて、スザクはすっかり手持ち無沙汰になった手を下ろした。
 (あんまりだ……)
 ルルーシュに対する愚痴ではない。嘘をついてもいいなんてどうでもいい日を設定した世界に対する愚痴である。
 一世一代の告白がエイプリルフールと同等に扱われることがあっていいのか。そんな日に告白してしまった自分にも非があるけれど、あんまりな結末に悔やんでも悔やみきれない。

「そうだ、スザク」

 肩を落とし、溜め息をつこうとしたところで呼ばれて横を向いた。またお説教だろうかと後ろ向きなことを考える。

「ほかの皆が来る前に言っておきたいことがある」
「何?」

 ルルーシュの顔が近付き、落ち着いたはずの心臓が再び忙しなく鼓動を早めた。耳元に微かな吐息がかかる。

「ずっと言えなかったけれど、お前のことが好きなんだ」
「え……っ」
「返事はいつでも構わないから、お前の気持ちを聞かせてくれ」

 そう告げて離れていこうとするルルーシュの腕を咄嗟に掴んだ。驚いた表情に嘘はなく、スザクは息を飲んだ。

「今の、本当に……?」
「ああ」
「僕と付き合ってくれるの?」

 こくりと頷く仕草を呆然と見つめる。
 突然のことに頭の中は真っ白で、状況がまったく理解できないけれど、ルルーシュが好きだと言ってくれたことだけは理解した。

「あ……、その、ありがとう、僕も……」

 先ほど自分が告白したことも忘れ、ルルーシュに応えようと口を開いたところで小さく笑う声が聞こえた。

「ルルーシュ?」
「エイプリルフール成功だな」
「…っ、もしかして…!」
「同じ科白を言われているのに気付かなかったのか?」

 してやったり、とルルーシュが口角を上がる。
 あんまりだとスザクは嘆いた。二回目の嘆きは完全にルルーシュに対するものだ。
 騙される自分は単純すぎるけれど、こちらの本気の気持ちも知らずに嘘をつくルルーシュは酷い。
 (さっきの僕の告白を嘘だと思っているからこんなことが言えるんだろうな……)
 落ち込んで浮上してまた落ち込んで。人生で最悪な一日だ。
 エイプリルフールなんてなくなればいいのにと思っていると、「ところで」とどこか楽しそうな口調でルルーシュが切り出す。

「誰かを完全に信じ込ませることが出来たら生徒会メンバーからキスがもらえるはずだが、その権利は当然、生徒会の人間でも認められるんだよな?」
「さあ、会長さんに聞いてみたら」

 質問に投げやりな答えを返す。
 まさかルルーシュは誰かのキスが欲しいのだろうか。そのために利用されたのだとしたら、自分は完全なるピエロではないか。

「では、会長から余計な制限をかけられる前に指名しておくか」

 ルルーシュがキスをしたいのは誰だ。シャーリーか、カレンか。実はニーナか。それともリヴァルを差し置いてミレイなのか。
 自分ではない誰かとキスしているルルーシュを想像し、気分はどこまでも落ち込んでいく。

「まさか嫌とは言わないよな?――スザク」

 それが自分の名前だと認識するのに一分はかかったかもしれない。

「…………え?」
「だから俺の指名だ。まあ、嫌なら強制はしないが」

 ふいと視線を逸らしたルルーシュは、態度は横柄なのにひどく不安そうな表情をしていた。

「今のも、嘘?」
「エイプリルフールについていい嘘は一回だけだ」
「じゃあ、今の……」
「嫌なら嫌と早く言え」

 ぶっきらぼうな言葉に、スザクは口許が緩むのを止められない。

「まさか。嫌なわけないよ」

 立ち上がり、赤くなった頬に手を添えてこちらを向かせた。顔を上げたルルーシュが目を閉じたのと、スザクがキスを落としたのはほぼ同時だった。

「僕が告白したときに素直に頷いてくれたら良かったのに」

 唇がぎりぎり触れる距離で愚痴を言えば、紫の瞳が少しだけ不服そうな色を浮かべた。

「どうせ嘘だと思ったんだ。こんな日に告白してくるお前が悪い」
「それで自分も嘘をついて確かめたの?」
「悪いか」
「うん、心臓には悪いかな」

 だからもう一度確かめさせて。そう囁き、今度は深く唇を合わせた。
 視界の端に薄紅色の花びらがちらりと映ったのを瞼の裏に焼き付け、制服の裾をしっかりと握り締める手に自らの手を重ねた。
 麗らかな春の一日のことだった。
 (13.04.01)