部屋の灯りはついていなかった。
だけど、窓から射し込む陽光が部屋全体を仄かに明るくしていて歩くのに不便はない。
窓辺には一脚の安楽椅子がある。そこに寄りかかって座る人物は、見えない視線をどこかに向けてじっとしていた。
眠っているのか、起きているのか、スザクからは窺えなかった。
「スザク?」
微かな足音に気付いたのか、今までぴくりとも動かなかった彼が首を回して名前を呼んだ。
笑みを浮かべようとして失敗したスザクは、歪な形の口元をそのままに「ただいま」と告げた。
そんなことを知る由もない彼は、スザクとは対照的に白い頬を柔らかく緩めた。
「おかえり、スザク」
嬉しそうに、安堵するように、スザクの名を口にする彼。
彼が『本当の彼』だったら、こんな風に穏やかに名前を呼ぶことはないだろう。むしろ、憎しみと怒りを込めて呪詛のように吐き捨てるに違いない。
それが今は、両親の帰りを待ちわびていた子供のような反応をする。
一日中、暗闇に包まれた世界で独りきり。スザクの留守中は使用人が面倒を見てくれるけれど、彼にとっては得体の知れない人間ばかり。そんな環境に置かれているからこそ、友達のスザクは彼にとって唯一心許せる相手なのだろう。
皮肉なものだ、とスザクは嗤う。
「今日は早かったんだな。今は何時だ?」
「まだお昼の二時。今日はナイトメアのシミュレーションだけで、それも終わったから帰って来たんだ。それより調子はどう?」
「特に問題ない」
「本当? 君はすぐに無茶をするから」
「一日中ここでぼんやりしているんだ。無理なんかしたくてもできないさ。それに、怪我をしたというだけで病人ではないんだぞ。多少の不自由があるだけで、日常生活は普通に送れると医者も言っているだろう?」
「それならいいんだけど」
「お前は心配性だな」
「そんなことないよ」
今度はちゃんと笑えた。軽口に付き合う友達らしく。
「僕はこれから食事にしようと思うんだけど、君はどうする?」
「俺はさっき食べたばかりだから」
「じゃあお茶だけでも付き合って? お土産にプリンをもらってきたんだ」
好きだよね? と言外に含ませて問えば、彼の顔が明るくなった。しかし、己の反応を恥じ入るようにすぐに表情を引き締めた。
「余らせるのはもったいないからな。俺も付き合うことにしよう」
仕方なく食べるのだと言いたげな態度に、スザクは笑みを零した。自分が笑っているという自覚はなく、それに気付いた途端にスザクは顔を強ばらせた。
(反吐が出そうだ)
無意識に笑えていた自分に吐き気がした。
(これはゼロなのに。僕を騙し、ナナリーとユフィと騙し、ユフィを殺したゼロなのに)
平気な顔をして笑えた自分にスザクは嫌気が差した。
(それでも……)
スザクは踵を返しながら「着替えてくるよ」と声をかけた。
「あ……」
本人は無意識だったのだろう。彼の唇から微かな声が漏れ、しかしその唇はすぐに閉じられた。
逆光を受けた顔はよく見えない。だけど、不安が浮かんでいるであろうことはスザクにはよくわかった。
彼のほうに向き直り、一歩、二歩と近付く。少し屈んで肘掛けに乗せられた左手に手を重ねれば、彼の顔がぱっと上がった。
「着替えてくるだけだから。すぐに戻るよ」
人形のようにひどく整った容貌に安堵の色が広がった。
スザクを信じ、スザクの言葉に疑いを抱かず、スザクだけを頼ってくれている。
なんて皮肉なんだろう、ともう一度思った。
今になって欲しかった彼が手に入った。哀しいほどに皮肉で、残酷だ。
守るべき者と確固たる信念を失くし、彼という存在を形作っていた自信やプライドを忘れてしまった彼は、今にも消えてしまいそうな儚さがある。とても脆くて、ほんの少し触れればあっという間に崩れてしまうのではないかと思えるほどに。
「準備ができたら呼んでくれ」
「うん。少しだけ待ってて」
意味がないとわかっているのに笑いかけた。
安心させるように軽く手を握り締め、姿勢を元に戻したときにはスザクの顔から笑みは消えていた。
冷ややかなまなざしを向ける先には、かつて友達だった少年がいた。その目には真っ白い包帯が幾重にも巻かれている。
両目を塞がれた彼は、スザクが捕えたテロリストでもあった。
ブラックリベリオンで戦闘に巻き込まれて負傷し、その際、頭に怪我を負った影響で記憶が一時的に混乱しているため、設備の整ったブリタニアに戻って治療を受けている。記憶の回復を図るためには静養が必要で、必要な環境をナイトオブラウンズとなった友人のスザクが提供し、さらには世話も引き受けてくれた、というのが彼に説明された内容だ。
もちろんすべては嘘である。実際はブリタニア皇帝によって再び書き換えられた記憶の定着を確認するため、監視者としてスザクは彼と過ごしていた。
両目が塞がれているのはギアスを警戒しての措置だ。左目だけでいいのではないかとさすがのスザクも口を挟んだものの、万が一のことがあってはいけないからと押し通された。
(今となっては良かったのかもしれない)
あの目を見ていたら嫌でも本当の彼を思い出す。それはユーロ・ブリタニアへの護衛の一件で実証済みだ。
包帯で目が隠されれば、紫の瞳に見つめられることはない。
スザクがどんな表情をしていても、冷たく見下ろしていても、上手く笑えなくても、目が見えない彼には気付かれない。だから良かったと思いながら、スザクはジャケットを脱ぎ捨てた。
記憶を操作された当初、ラウンズに怪我人の世話なんてと彼は気に病んだ様子だった。
だけど、彼の両親はブラックリベリオンの後始末に駆り出されて息子の世話ができないことになっている。ほかに親戚もなく、ナナリーやゼロのことを忘れた彼にとって頼れるのは友達のスザクだけだ。
その状況を利用し、スザクは彼の心に入り込んだ。
特に難しいことをしたわけではない。怪我の影響で目が見えず、記憶に混乱があり、家族とも離れ、独りぼっちで不安を抱えたまま過ごす彼に、唯一の友達として接しただけである。
効果は抜群だった。
暗闇に閉ざされた世界で頼れるのはスザクだけ。刷り込みのようにそう思い込んだ彼は、無条件にスザクを信じた。
ユフィを殺したことも、大勢の日本人を犠牲にしたことも、友達同士で銃を向け合ったことも、何もかも忘れて無垢な存在となった彼はもはや彼ではない。彼の姿をした別人だ。
でも、だからこそ優しくできた。
何も覚えていない彼に苛立つこともあるけれど、雛鳥のようにスザクだけを慕い、スザクのなすがままとなった彼ならば優しくあろうと思えた。
これは子供と同じだ。子供に酷いことをしてはいけないように、彼にも優しくあるべきなのだとスザクは自分自身に言い聞かせた。
泣いても喚いても現実は変わらない。ならば、目の前にいる彼を、優しくできるかもしれない彼のことだけを考えようと思った。
それが、スザクの中の矛盾を殺せる方法だった。
着替えを終えて部屋に戻ると、彼は先ほどと同じ姿勢で安楽椅子に座っていた。
先ほどと違うのは、窓ではなくドアのほうを向いていることだ。スザクがいつ戻ってくるのか、そうやってずっと待っていたのだろう。
「お待たせ」
その証拠に、スザクが声をかけると嬉しそうに頬を緩めた。
「じゃあ移動しよっか」
腕を支えて立たせると、彼はスザクに掴まって歩き出した。
初めの頃は家具や壁にぶつかっていたけれど、もともと頭も勘もいい人間なので、部屋の配置はもう覚えたようだ。恐らく、この中ならば自由に動き回れるはずである。
にもかかわらず、毎日決まった安楽椅子でじっとしているのは、「ひとりのときに危ないことはしないで」というスザクの言葉を守ってのことだろう。
今になって大人しく言うことを聞くのはやはり皮肉だ。
食堂に到着すると、テーブルには食事の準備が整っていた。彼の席にはプリンがひとつ置かれている。
ここは彼の監視のために用意された部屋で、限られた人間しか立ち入れない。食事などの世話をするのも嚮団の関係者だ。
もちろん彼はそんなことを知らないので、スザクに付いている使用人としか説明していない。見た目は普通の使用人と変わらないため、教えられなければスザクもわからなかっただろう。
「お茶を用意しないとな。お前も飲むだろう?」
「それなら僕がやるよ」
慌てて申し出れば、彼がほんの少し不服そうな様子を見せた。
「お茶ぐらい淹れられる」
「でも、火やお湯を使うのは危ないから」
「慣れれば問題ない」
「まさか、ひとりでいるときに勝手にお茶を淹れていないよね?」
スザクの問いには沈黙が返ってきた。何かあれば使用人に任せるよう言い付けているのに、どうやらひとりのときに勝手なことをしているらしい。
(前言撤回。大人しく言い付けを守っているんじゃなくて、守っているように見せかけているだけだ)
嘘をつかれていた。そう思ったら心臓が冷えるような感覚がした。
(やっぱり君は君なんだな)
こんなことで元の彼を感じて、こんなことで心をかき乱される。
忘れたいのに。本当の彼のことなんて忘れてしまいたいのに、些細なことで思い出してしまう自分が忌ま忌ましかった。
苛立ちにも似た気持ちを溜め息ひとつでやり過ごしたスザクは、彼を椅子に座らせて紅茶を淹れた。
「味に文句は言わないでね。君と違って慣れてないんだから」
「文句なんて言わないさ。ただ、指導はさせてもらうが」
「それって文句と一緒だよね?」
くすくす笑った彼の前にカップを置くと、ティーポットをテーブルの端に乗せてスザクもテーブルについた。いただきますと手を合わせ、スザクは遅い昼食を、彼はプリンを食べ始めた。
その間、他愛ない話をする。会話の内容は昔話だったり、スザクの仕事に関することだったり、日本の復興具合だったりと様々だ。質問をするのはもっぱら彼で、スザクは当たり障りのない答えを言うだけだった。
一日中ひとりで過ごしている彼は話し相手がいるのが嬉しいらしく、ころころとよく笑った。
本当の彼も親しい人の前では感情豊かだったけれど、こんな風に無邪気に笑うことはなかった。
今の彼にはなんの憂いも隠し事もない。怪我をしていて視界を奪われているという不安はあるものの、少なくとも人に打ち明けられない秘密は抱えていなかった。そのことが大きく影響しているのだろう。
ただそれだけでこんなにも人格が違うのかとスザクは驚いた。同時に、なぜか胸が痛んだ。
この世界が平和だったら存在し得たかもしれない目の前の彼。
常に隠れて生き、たったひとりの妹を守るためにゼロを生み出した本当の彼。
二人はまるで別人だけど、確かにどちらも彼なのだ。
「スザク?」
ハッとした瞬間に手からフォークが落ちた。カランと金属音が響き、音のしたほうに彼が顔を向けた。
「何しているんだ」
子供かと笑いながら彼が席を立ったのは無意識なのだろう。目が見えていないのに、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする。まさに子供を世話する親のようだ。
君は座っていてとスザクが止める前に、彼はテーブルに手をついてしゃがみ込もうとした。どこに何が落ちたのかもわからないくせに、フォークを拾うために。
「――っ!」
そのとき、彼の手がティーポットに触れた。まだ熱を持っているそれに思い切り触れてしまい、反射的に手を引いたためティーポットが動いた。
注ぎ口から中身が零れ、琥珀色の液体が白い手にかかるのをスザクは見た。
「あつっ」
「ルルーシュ!」
彼よりも大きな声を出してスザクは立ち上がった。勢いが良すぎたせいで椅子が床に倒れたけれど、そんなことを気にする余裕はなかった。
「冷やすから! こっちに来て!」
手首を引っ張ってキッチンまで連れて行った。急いで蛇口を捻り、火傷して赤くなった部分を冷やす。
「大丈夫? 痛い?」
「あ、ああ、だいぶ冷めていたし、熱湯がかかったわけじゃないから」
「でもちゃんと冷やしておかないと。ごめん、僕のせいだ。ルルーシュのそばにティーポットなんか置くから」
「謝るな。俺の不注意だ」
「僕の不注意だよ」
後悔を滲ませて言えば、しばらくして彼が「ありがとう」と礼を告げた。
「お前は本当に優しいな」
その言葉にスザクは息を止めた。
優しい。
何も知らないから口にできる単語だ。何も覚えていないからそんな風に言えるのだ。
「僕は優しくなんかないよ」
止めどなく流れる水音を耳にしながら、スザクはぽつりと呟いた。
***
入浴を済ませて寝室に向かう。
彼とは同じ部屋で寝ていた。目の見えない彼をひとりにできないからというのが理由だけど、もちろん本当の目的は監視だ。
さすがにベッドは別々にしているものの、同じ場所で一緒に寝ていたらユーロ・ブリタニアで過ごしたひとときが思い出され、我ながら自虐的だなと思った。
寝室の前まで来ると足を止め、小さく深呼吸をした。
彼を寝室に運んですでに一時間以上が経っているし、今夜は書類を読まなければいけないから先に休んでてと言っているからもう寝ているだろう。
それでも様子だけは見ておこうと、ドアノブに手をかけたところでスザクの耳が違和感を捉えた。
(声? まだ起きているのか?)
不審者が侵入した形跡はないし、声の主は彼しかいなかった。では、なぜ声が聞こえるのか。
この部屋の設備が旧式で良かったと思いながら、スザクはそっとノブを回して少しだけドアを開けた。
右側のベッドにこんもりとした山ができている。彼だけが寝ているようで、ほかに気配は感じられない。
(ただの寝言かな)
敏感になりすぎだと詰めていた息を吐きかけたスザクは、次の瞬間、息を飲み込んだ。
「ぁ……ンっ……」
くちゅ、と濡れた音がした。
その音の理由がわからないほど子供ではない。一瞬で悟ったスザクは、自分の身体がカッと熱くなるのを感じた。
「ン、んぅ……ッ」
夢中になっているせいか、彼は侵入者に気付いていなかった。熱い吐息を漏らし、時折引き攣ったような声を押し殺している。
やがてごそごそと体勢を変えると、シーツの山が一定のリズムで動き始めた。
「は……っァ、ッ、ン……」
シーツから覗く黒髪が乱れている。日頃の彼からは想像できない姿に、スザクは無意識に喉を鳴らした。
いつからこの行為に耽っているのだろう。スザクがしばらく戻ってこないと知っていて、我慢できずに自身に手を伸ばしたのだろうか。
女子人気は高いものの、クラスの男子が卑猥な話で盛り上がっていても無関心だったし、そういうのは興味がないと本人の口からはっきり聞いたこともあるので、彼と自慰がすぐには結び付かない。意外の一言だった。
そのせいなのか、声を殺しての行為にはどこか背徳感を抱かせた。
不意に強烈な渇きのようなものを覚え、自分自身も興奮を覚えていることに気付いたスザクは動揺した。
(どうして)
男同士なのに。友達なのに。敵なのに。こんなにもそそられる。
「ふぁ、っん……、――ク」
最初は空耳かと思った。
自慰の際に何を考えるかは人それぞれだけど、少なくともノーマルな人間は同性を思い浮かべない。
「すざく、ッ、すざ、……アっ」
だけど繰り返される名前に、空耳ではないのだと知った。
友達の名前を呼びながら自慰をする。それがどういう意味なのかはわからなかった。
ただ、腹の底から込み上げてくる歓喜を覚えた。
同性の友達からおかずにされて普通ならば嫌悪を感じるはずなのに、スザクの中に生まれたのは確かに歓喜だった。
大きくドアを開けると、足音をさせて中に踏み込む。その途端、シーツが動きを止めた。
「何してるの?」
スザクの問いかけに答えは返ってこなかった。枕元の明かりを点ければ、彼がベッドの上で硬直していた。
目元は包帯で隠されたままだけど、その顔が強ばり、死人のように青ざめていることはよくわかった。
「な、なんでもない」
消え入りそうな声でかろうじて答えた彼は、ベッドに潜り込んで顔を隠そうとした。それを阻んだスザクはシーツを思い切り剥がした。
そこにはそそり立つ彼の欲望があって、はしたなく蜜を零している。
なんだ、と思った。
(なんだ。僕と一緒じゃないか)
性欲を抑えられず、欲を解放させるために己を慰める。
彼もただの男だった。
スザクと変わらない人間だった。
彼も一緒なのだと、安堵するような気持ちを抱いた。
視界はないけれどスザクに見られていることは感じているのだろう。下着を引き上げると、彼はベッドにうつ伏せになった。
いつもならよく回る口が今は一言も発しない。きっと頭の中は真っ白なのだ。
薄く笑ったスザクはベッドに乗り上げた。ぎし、と鳴った音がやけに大きく聞こえる。
「手伝ってあげるよ」
「え、――ッ、ああっ!」
彼の身体を仰向けにさせ、勃ち上がったままのものを握る。
それを上下に擦れば、高い悲鳴が上がった。
「や、やめ…っ、スザク、離し……ッひ」
「我慢しなくていいよ。みんなやってることだし。むしろ邪魔しちゃってごめんね」
「ああぁッ! ――ッ、ぃや、やだ、ほんとに、これ以上は…っ」
彼がスザクを引き剥がそうとするのをかわすと、強く扱いた。先端から溢れたものを掬い、塗り込めるようにすればぐちぐちと卑猥な音が立つ。
ふと、喘ぎの中に泣き声が混じったのに気付いた。
手を止めて窺えば、彼が泣きじゃくっていた。
「なんで泣くの? 気持ち良くない?」
「……っ、だって、おかしい」
「おかしい?」
「友達、なのに、こんなのおかしい」
しゃくり上げながら訴える彼に、スザクは一旦手を離した。
「おかしくないよ」
「で、でも」
「おかしくない。僕も同じだから」
不思議そうな様子で彼が顔を上げる。見えていないはずなのに、包帯越しに視線が合った。
彼の手を取ったスザクは、白い指を自分のものへと導いた。その意味を悟ったのか、初めはきょとんとしていた彼の顔がみるみるうちに赤くなった。
「君がひとりでしているのを見て僕も興奮した」
「な……っ」
「君は? なんでオナニーしながら僕の名前を呼んでいたの?」
薄く色付いた頬がこれ以上ないほど真っ赤になる。口がぱくぱくと動くけれど、声はまったく出ていなかった。
「好きなんだ」
無意識のうちにするりと言葉が出ていた。
それを伝えるのは当たり前だと思えた。
どうして今まで伝えてこなかったのだろうと不思議に感じるほどに、当たり前のことだった。
(ああそうか、僕は――)
伝えて初めて気が付いた。
僕は彼を好きなのだ。ずっと好きだったのだと、告白をしたあとに初めて知った。
濡れた手をシーツで拭うと、彼の目を隠す包帯に触れた。涙のせいで湿っている白い包帯をゆっくりほどく。
久しぶりの明るさが眩しいのだろう。両目を細めていた彼は、恐る恐るといった様子で瞼を開いた。
そこにはスザクのよく知っている美しい瞳があった。
どこまでも澄んだ、美しい紫が。
「もう怪我は治ってるね」
スザクは汚れていないほうの手で目尻に触れた。彼が反射的に目を閉じたので、瞼の上にキスを落とした。
「好きだよ」
「でも、俺は男で」
「僕も男だ」
「でも」
「でもばかりじゃなくて、告白に返事をくれない?」
「でも……」
「これ以上の『でも』は禁止」
優しく頬に触れ、涙の痕を指先で拭った。
すると、彼が顔をくしゃりとさせた。両の瞳にまた雫が溜まる。
彼がこんな風に泣き虫なところは初めて見た。
「僕は君が好きなんだ。君は?」
「俺は――」
何度か口を開いたり閉じたりしたあと、ようやく意を決したのか、紫の目がスザクに向けられた。
「好き、だった。スザクのことが、ずっと」
「うん」
「友達で、男同士なのに、気付いたらお前のことを好きになっていた。駄目だとわかっているのに、俺の怪我のせいでお前に迷惑をかけているのに、それでもお前と一緒に過ごせて嬉しいと、思ってしまって……っ」
彼の瞳からとうとう涙が溢れた。
それを舐め取ると、今度は唇にキスをした。何度か軽く触れさせたあと、深く合わせてぬくもりを確かめる。
「ん……、んぅっ……」
スザクのパジャマの胸元を掴んだ彼が、ハッとした様子で慌てて離した。自分の手が汚れていることを思い出したのだろう。
それを掴むと、スザクは指を絡めて強く握り締めた。
濡れた感触に彼の目元が染まったけれど、振りほどかれることはなく、おずおずと握り返してくれた。
愛しい。
そのときに生まれた感情はたまらない愛しさだった。
綺麗な彼ならば優しくできる。
綺麗な彼ならば触れられる。
綺麗な彼ならば愛せる。
(君が綺麗なままならば)
それが言い訳でしかないことにスザクは気付かないふりをした。
綺麗なままならば。そんなのはただの言い訳だ。
本当の彼のことが好きだったくせに、彼が綺麗だから好きなのだと気持ちをすり替えた。そうすることでスザクの中の正当性を保った。
「好きだよ。愛してる――」
ルルーシュ。
キスをしながらパジャマをたくし上げた。空気に晒された肌を掌でなぞり、なめらかな感触を堪能する。
「んっ……スザク」
戸惑った声に笑いかけると、噛み付くように喉元に口付けた。きつく吸い上げれば赤く痕が残った。
「ア……」
愛してるともう一度囁いて、細い身体を愛撫する。
彼は嫌がらなかった。抵抗もしなかった。
ただ恥ずかしそうにしながら、目を閉じてスザクを受け入れてくれた。
(君は綺麗なものだけを見ていればいいんだ)
綺麗なものだけを見て、綺麗なものだけに囲まれて、綺麗なままでいてくれればいい。
そしたら僕は君を愛するから。
愛せるから。
だから君は綺麗なままでいて。
それが、僕の望みだ。
***
彼をエリア十一に戻すと聞かされたのは数週間後のことだ。
アッシュフォード学園の監視態勢が整い、監視メンバーの選定や生徒の記憶操作も完了しているそうで、スザクが報告を聞いたときにはすべての準備が整っていた。
皇帝の決定を皇帝の騎士であるスザクが拒絶することは叶わない。
弟役との引き合わせが済んだらすぐにでも日本に送ると伝えられ、どこか納得のいかないものを感じつつもスザクは命令を受け入れた。
その足で部屋へと戻れば、彼はソファで静かに眠っていた。
(昨日、無理をさせたからな)
指の背で目元に触れると、瞼がぴくりと動いた。
「スザク……?」
ぱちぱちと何度かまばたきをしたあと、彼がスザクを見上げた。
「早いな。もう仕事は終わりか?」
外がまだ明るいことに気付いたのか、起き上がった彼が首を傾げた。
「報告があるんだ」
「俺に?」
「君の怪我もすっかり良くなったし、エリア十一の復興が進んであちらの治安も安定しているから、もう戻っていいんだって」
目を伏せて何かを考える素振りをした彼は、再び顔を上げると「お前は?」と尋ねた。
「僕は任務があるからブリタニアに残るよ」
「そうか……。お前はナイトオブラウンズだからな」
整った顔に寂しそうな色が浮かぶ。
「でも、任務の合間に会いに行くよ。学校も在籍したままになっているし」
「あまり無理はするなよ。ラウンズは多忙で、危険な任務だってあるだろう? 身体には気を付けて、怪我もするなよ」
「うん、わかってる」
自分の手元から離れてしまう彼に不安は拭えなかった。
ブリタニアに残しておけば安全なのに、わざわざ厳重な監視下に置いてまで日本に戻す意味と意図がわからない。
(皇帝のギアスだって完璧じゃない。もし日本に戻ったせいで記憶に変化があれば……)
膝をつき、彼を抱き寄せる。
「お願いがあるんだ」
「なんだ?」
「君はずっとこのままでいて」
「何を言っている」
変なことを言い出すんじゃないと笑われた。
「俺は俺だ。今もこの先も、お前の知っているルルーシュだ」
「ずっと?」
「ああ、ずっと」
綺麗に笑った彼にスザクも笑い返し、強く抱き締め直した。
(君はやっぱり嘘つきだ)
そして、僕も嘘つきだ。
僕も君と同じなんだ。
(僕達は嘘つきなんだよ、ルルーシュ)
綺麗なままでいてほしいと願いながら、彼が綺麗なままでいてくれないことを僕はずっと知っていたのかもしれない。
(18.04.01)