「なんだ、緊張しているのか。珍しい」
背後から掛けられた声にハッとして振り返った。
「ルルーシュ」
バルコニーへと続くドアに寄りかかり、腕を組んでこちらを見ている彼の顔は楽しそうに笑っていた。
「どんな気配でも敏感に察知するお前が驚いた顔をするのは面白いな」
「子どもの頃からの癖みたいなものだよ」
肩を竦めて言い訳してみるけれど、気付かないのは彼の気配に安心してしまうから、つまり彼だけが特別ということで、でも素直に口にするのは照れくさかった。
「君こそ気配を殺して近付いてくるのは悪趣味だよ、ルルーシュ」
「仕方ないだろ、面白いんだから」
ふふ、と小さく笑うとルルーシュが足を進めた。
隣に並ぶのは幼い頃からの知り合いで、二年前に自分の主となり、一年前に恋人となって、そして明日、ここ神聖ブリタニア帝国の新たな皇帝となる人だ。
自分たちが辿ってきた道を並び立てるだけでもちょっとした物語のようだが、すべて現実なのだと思うと感慨深かった。
「緊張は確かに緊張なんだけど、とうとうここまで来たんだなと思うとなんだか眠れなくて」
「だが、寝不足の顔で民衆の前に出られると格好が付かない。寝付けないにしてもベッドには入っておけ」
「そういうルルーシュはどうなんだよ」
「俺はいつも夜更かししているからな。健康優良児のお前と違って平気だ」
人のことは心配するくせに自分は大丈夫だと言い張る。まったく、この主は減らず口ばかりだ。
「君が寝ないのに、騎士である僕が先に寝るわけにはいかないだろ」
「俺は騎士にそんなことまで求めていない」
「君が求めていなくても僕の気が済まない」
「だから俺は別に……、いや、今日はやめておこう」
言い返そうとしたルルーシュは、しかし口を噤むとスザクから視線を外して前を向いた。眼前には星の瞬く暗い空があった。
ルルーシュが何を言いたかったのか、スザクにはわかっていたけれどあえて指摘はしない。これまでも散々言い争ってきたことであり、明日という最良の日を迎える前日に改めて主張し合うことでもない。
(でも、ルルーシュは今でも僕を騎士にしたことを後悔しているんだろうな)
彼との出会いは十歳のときだ。
本国での暗殺の危険から逃れるため、遠い日本の地にたったひとりでやって来たブリタニアの皇子。そして、彼の滞在先である日本国首相のひとり息子。それが自分たちのはじまりだった。
生意気なやつが来たと最初は思った。女みたいにひらひらした服を着て、一度も土にまみれて遊んだことがないような綺麗な顔をして、同い年の同じ性別なのにまるで違う人間みたいだと思った。
しかし、近所の子どもたちから嫌がらせを受けているルルーシュを助けたのがきっかけで、自分たちの関係は急速に改善した。一度垣根が取れてしまえばあとは簡単で、あっという間に無二の親友となっていた。
ルルーシュが日本に滞在していたのはほんの一年程度だけど、とても濃厚で濃密な一年だった。忘れようと思っても忘れられないくらい貴重な一年。
暗殺の危険が去ったという理由でルルーシュがブリタニアに帰ることが決まったときは、まるで自分の人生が終わるような絶望感すら味わった。また遊びに来るよと彼は言っていたけれど、それが容易に叶わないことは子どものスザクも理解していた。
だから言ったのだ。「俺がお前に会いに行く」と。
ルルーシュが来られないなら自分から行けばいい。その程度の発想だ。だけど、もう二度と会えないなんて思いたくはなかった。
目を丸めたルルーシュは、馬鹿だなと言いつつも嬉しそうに笑ってくれた。
いつかまた会おう。その約束を信じて自分たちは別れ、やがてスザクの中ではひとつの決意が生まれていた。それが、ルルーシュの騎士になるという決意だ。
ルルーシュは鈍くさいから俺が守ってやらないと。初めはそんな理由だったと思う。ブリタニアの騎士制度を学び、自分にも不可能ではないと知ると本格的に騎士の道を目指した。
そうして紆余曲折を経たあと、スザクは晴れて騎士候補生としてルルーシュの前に立った。
だけど、ルルーシュはスザクの騎士登用に難色を示した。
「俺はそんなつもりでまた会おうと約束したのではない。皇族と騎士では単なる主従関係だ。俺は友達と対等でいたいんだ」
そんなルルーシュの言葉に、友達のままでは君を守れない、誰よりも傍にいたいから騎士になりたいんだとスザクは訴えた。騎士になることをどれほど望んでも、主となる人に選んでもらえなければ意味はない。
暗殺の危険がなくなったからと帰国したルルーシュだけど、帰国後もまだ不穏な空気は残っていたようで、何度も命を狙われたことがあると聞いてなおさら彼を守りたかった。
結局、スザクの熱意に負けたルルーシュが渋々認めたのは半年後のこと。最後まで不本意そうだったが、公式の場以外ではこれまでと同じように友達として接するという条件付きでなんとか認められた。
思い返してみれば、あの頃から自分はルルーシュに対して特別な感情を抱いていたのだろう。単なる友情だけでブリタニアまでひとりで来ないし、わざわざ困難な騎士の道を選んだりしない。何より、彼の一番近くで彼を守りたいというのは、普通に考えれば過ぎた友情だ。
守りたいと思ったのも、傍にいたいと思ったのも、どれほど反対されても諦めたくないと思ったのも、ルルーシュを好きだったからだと今なら言える。
でも、あの頃はルルーシュのことを友達だと純粋に信じていたから、自分の気持ちに気付いたときはひどく戸惑った。よこしまな感情を抱いたまま騎士を務めていいのだろうかと悩みもした。
そうして一年間悩みに悩み、こんな自分はルルーシュに相応しくないと騎士を辞そうとまで考えた。それが原因でルルーシュと喧嘩もした。
その際、ついぽろりと本音を漏らしてしまったときの居た堪れなさと言ったら、言葉では言い表せないくらいだ。お互い固まり、ぎくしゃくと別れたあとは自己嫌悪の嵐である。
これでルルーシュから解任を告げられるに違いない。ならばルルーシュに嫌な役を負わせるのではなく、自分から切り出して関係を終わらせようと決心した。そのつもりで、翌朝ルルーシュの部屋を訪ねた。
「俺もお前のことが好きだ」
だから、おはようのあとに続いた言葉をしばらく理解することが出来なかった。
「……は?」
「好きだと言っている。以上だ」
それが前日の「好き」に対する返事だと気付いたのはたっぷり三分経ったあとのことで、お前は鈍すぎるんだと怒られた。ルルーシュの言い方がわかりにくいんだと文句を言えば、気付け馬鹿と罵られた。要するに、どっちもどっちということだ。
なんとも間抜けな告白ではあったけれど、ともかくその日から自分たちの間に恋人の関係が新たに加わった。
あの日から約一年。ブリタニアの一皇子にすぎなかったルルーシュは、明日の宣言をもって晴れてこの国の新皇帝となる。長いと言えば長い道のり、しかし若干十八歳であることを考えればあっという間とも呼べる道のりだ。
そして、ルルーシュの騎士である自分は、ナイトオブゼロとして皇帝の唯一絶対の騎士へと昇格する予定である。友達に会いたくて騎士を目指した子どもが随分と凄いところまで来たもので、話だけなら伝記か物語に出てきそうな出世街道。
だが、ルルーシュは本当に心の底から自分を求めてくれているのだろうか。出来ることなら騎士なんてやめてもらいたいと今でも思っているかもしれない。
「また余計なこと考えているだろう」
「痛っ」
不意打ちで頭を小突かれた。
「言っておくが、俺は我儘なんだ。手元に置いておきたいものは誰に何を言われても置いておくが、置きたくないものは絶対に置かない。それから、俺が認めるときはその人間のすべてを受け入れているつもりだ。一部分だけでいいなんて思わない。覚えていろ」
「え……?」
「馬鹿スザク」
あと何時間後かには国のトップに立つ人間とは思えない言い草だ。でも、それがルルーシュらしかった。
つまり、友達である自分も、騎士である自分も、恋人である自分も、ルルーシュはすべて受け入れてくれているということだ。騎士を辞めろと思いながら手元に置いているわけではないのだ。
ふいに泣きたいような気持ちになった。でも明日は自分たちの晴れの日。この程度で泣くなと言われそうだし、嬉し涙だとしても流すのはまだ早い。
「――ありがとう」
礼を告げれば、ルルーシュはまた視線を逸らした。月明かりの下で滑らかな頬がうっすら色付いているのがわかる。
スザクは口許を緩めた。右手を伸ばし、細い腰を抱き寄せた。ルルーシュはぴくりと反応したけれど逃げることはしなかった。
「明日はこの国の新しいはじまりであると同時に、俺たちのはじまりでもある。きっと困難も多く、つらいことだってたくさん待ち受けているに違いない。やめるならば今のうちだぞ」
「騎士になったときに誓っただろう。僕は未来永劫、君だけのものであり君とともに生きるって。たとえ君の命令でも、君の傍を離れることはない」
「その約束、本当に違えることはないな」
「もう一度誓ってもいい」
「いつか後悔するぞ」
「ルルーシュと一緒にいられないことを後悔するよりはずっとましだ」
腕に力を込めるとルルーシュの体を抱き締めた。お互いの心音が聞こえそうなほどの静寂が辺りに広がっていた。
「死が二人を分かつまで、いや、死してもなお君と共にいることを僕は望むよ」
黒髪をかき上げ、額にそっとキスを落とす。ルルーシュがくすぐったそうに笑みを零した。
「死んでもか。それは随分と重いことだな」
「そうだよ。だから僕を見捨てないでね」
「ばか」
両手で頬を包み、まるで神の前で誓うときのように恭しく口付ける。
「スザク……、お前がいてくれて良かった」
優しいルルーシュの声にまた泣きたい気持ちが溢れそうになって、涙を零す代わりにスザクは微笑んだ。
のちに建国以来の賢帝と呼ばれる皇帝と、一生を主に捧げた唯一の騎士がこの世界に生まれる前日の夜のことだった。
(12.11.24)