窓の外に広がる景色に息を呑んだ。
「ね、凄いでしょ?」
隣から聞こえた声はどこか弾んでいた。少し遅れて、ああ、と答える。
「ルルーシュは暖かい時期しか泊まったことがないから、冬に来たらきっと喜んでもらえるだろうなと思って。やっぱり連れてきて良かった」
少し照れくさそうに笑ったスザクにルルーシュも頬を緩ませ、また視線を戻す。
そこには一面の銀世界が広がっていた。雪道を走ってきたから雪にも目が慣れてきたはずなのに、最上階の部屋から見える眺望は素晴らしく、感嘆の息を漏らさずにはいられない。
障子を開けましょうかと尋ねた仲居に、自分でやるから大丈夫ですと答えていたスザクはこれを知っていたのだ。
「実は、今回はもうひとつ特別なことがあるんだ」
「なんだ?」
「それはあとでのお楽しみ」
悪戯っぽい顔をした彼に首を傾げるが、楽しみにしておけと言うのだから楽しみにしておこう。
冬休みに入って三日目。
スザクから温泉に誘われたルルーシュは再びこの温泉宿を訪ねた。ここに来るのももう三回目なのかと思うと感慨深い。彼との旅行は何度か経験があるけれど、「温泉に行こう」と誘う声には特別な響きを感じた。
一度目はただの同級生として。二度目は友達として。そして三度目の今回は恋人として。この宿を訪ねるたびに自分たちの関係は変わっていた。温泉に来なければスザクと知り合うことすらなかったから、この宿が自分たちの恋を結び付けたと言っても過言ではない。必ずここを予約するスザクも何か特別な想いを抱いてくれていたらいいのにと思う。
「とりあえずお茶でも飲まないか。ずっと運転しっぱなしで疲れただろう?」
「うん」
テーブルに戻ると向かい合ってお茶を飲む。車も部屋も暖房がきいているけれど、温かいものを口にすると落ち着くのは冬だからかもしれない。
「本当はルルーシュの誕生日に合わせて来たかったんだけどさ」
「俺の誕生日の時期はお互いレポートをいくつか抱えていたじゃないか。もし予約を取っていたとしてもキャンセルすることになっただろうな」
「そこは意地でも行くんじゃないの?」
「俺は留年する気はない」
「真面目だなぁ、ルルーシュは。ま、そのおかげでホテルに泊まれたから僕としては良かったんだけど」
意味深に笑みを向けられ、ルルーシュは自分の頬が熱くなったのを感じた。
思い出すのは数週間前のことである。
十二月五日の誕生日。これまでは家族や友人に祝ってもらったけれど、今年は少し違っていた。
今日は僕だけのために予定を空けていてとスザクに言われ、自分の誕生日なのにどうしてスザクのためなのだという疑問に首を傾げつつ、特に断わる理由もなかったので頷いた。
そうして連れて行かれたのは高級ホテルのレストランだった。雰囲気に尻込みしてしまった自分に対し、当たり前のように席に案内されるスザクを見て、ルルーシュは少しだけ複雑な気分を抱いた。
こんなのは慣れだ。社会人になって自分で稼げるようになればいくらでも高い店に行ける。だからスザクが特別凄いわけではないし、臆する必要なんてない。そう思うものの、自分と彼はやはり住む世界が違うのではないかと今さらながらに不安が広がった。スザクが遠い場所に行ってしまったような感覚だった。
それに、いくら彼の実家が金持ちとは言え、高級すぎる店は学生には分不相応だ。スザクは誕生日を祝うつもりでここを予約してくれたのだろうし、彼の気持ちを蔑ろにはしたくない。でも、馴染みのない場所はどうしても落ち着かなかった。
これが女の子なら素直に喜んだのだろうか。自分がスザクと同性だから、つまらない男の見栄で恋人の心遣いを受け取れないのだろうか。そんなことまで考えてしまい、窓際の席についたときにはすっかり表情が沈んでいた。
「こういう店は嫌だった?」
すると、心配そうに聞かれてぎくりとした。心の中を見透かされたようで慌てて首を振っても、彼は難しそうな顔のままだった。
恋人の誕生日を祝うためわざわざ店を選んだのに、肝心な相手がつまらない様子を見せたら誰だって不愉快だろう。
せっかくの誕生日なのに、自分が狭量なせいでスザクを傷付けてしまった。そう思ったらいても立ってもいられない気持ちになって、自己嫌悪にますます心が重くなった。
「ごめん、僕が間違ったみたい。ここは出よう」
「え?」
「ちょっと待ってて」
ギャルソンを呼んだスザクは席を立って何かを伝えていた。長い話をしているようで、申し訳ありませんとかお願いしますとか聞こえてくる。
最後に会釈をして戻ってきたかと思えば、いきなり腕を取られた。わけがわからないまま立ち上がったルルーシュは来た道を戻ることとなった。
「どうしたんだ、ここで食事しないのか?」
「うん、予定変更。すみませんがよろしくお願いします」
「かしこまりました、枢木様」
店の人間に見送られてエレベーターに乗り込んだ。押されたボタンは一階のロビーではなく途中の階で戸惑う。
「ここに部屋を取っているんだ」
「部屋? でも俺は泊まるつもりは……」
スザクは何も言わず、ただ手を繋がれた。大学や街中でこんなことをされたら嫌がるけれど、密室の箱の中だけならいいかと好きにさせる。
軽やかな音がしてエレベーターが止まったとき、スザクの指が離れたことに一瞬でも寂しいと思った気持ちは押し殺した。
「こっち」
先に行く彼を追いかけて静かな廊下を歩く。やがてひとつの部屋の前で止まるとルームキーでドアが開けられた。促されて奥へと進んだルルーシュは目を瞠った。
「随分広い部屋だな……」
「ルルーシュの誕生日だからね」
「だから俺は泊まるつもりなんて、」
振り返ったのと同時に抱き締められて息を呑む。腰と背に回った腕が縋るように服を掴んでいて、ルルーシュもおずおずとスザクの背中に手を回した。
「ルルーシュの誕生日だから、君に喜んでもらいたくて色々と計画したんだ。でもごめん、逆に気を遣わせちゃったね」
「そんなこと……」
高級レストランの雰囲気にすっかり気後れしたことを見破られていたのだと気付いて恥ずかしくなる。どうしてあれほど気が重くなってしまったのか自分でもよくわからない。
「だってさ、初めて好きな子の誕生日を祝うんだよ? 張り切っちゃうに決まってるじゃん」
「初めてって、今までも彼女がいただろ」
彼女という単語を口にして自ら傷付くなんて馬鹿だ。付き合う前の交友関係は自由なのに、醜い嫉妬に駆られそうだ。
「彼女と言っても名前だけの彼女だったって言ったじゃないか。プレゼントを強請られて買ったことはあるけど、ちゃんと誕生日をお祝いしたいと思ったのも、こうして自分から計画を立てたのもルルーシュが初めてだよ。だからひとりで浮かれて張り切りすぎた、ごめん」
抱く腕に力がこもる。
「いいお店で食事して、そのままホテルに泊まって、二人きりで特別にお祝いしたかったんだ。別に君を女の子扱いしているわけじゃないよ。ただ、そういうのがきっと喜ばれるんだろうなと思っていたから、あまり嬉しそうじゃないルルーシュを見て、ああ間違えたんだって気付いた。せっかくの誕生日なのにごめん」
「スザクのせいじゃない。ああいう店に慣れているお前を見て、お前とは住む世界が違うんだと勝手に思って勝手に落ち込んでいただけで」
「それってやっぱり僕のせいだよね」
「違う、俺が、」
反論の言葉はキスに飲み込まれた。優しく触れただけの唇は心の中を温めた。
「昔から親と一緒に店に行っていたから慣れているだけで、僕が凄いわけでも偉いわけでもないよ。それから、こんなこと言うのはカッコ悪いけど、父さんのおかげだって思われるのは悔しいからひとつ言っておくと、今日の支払いは全部僕がバイトで稼いだお金だから」
「え?」
「父さんの力は借りずにルルーシュの誕生日をお祝いしたかったんだよ。深夜のシフトだと結構バイト代がいいから頑張ったけど、その分、ルルーシュに会えなくなったのはきつかったなぁ。とにかくそういうわけなんで、今日は僕の我儘を叶えると思って一緒に泊まってくれない?」
額を合わせてお願いされ、ルルーシュはぽかんと翠の瞳を見返した。
そういえば、最近のスザクは用事があるからと先に帰ることが多かった。会う回数も減って、もう飽きられたのだろうかと密かに不安を抱いていたけれど、すべては恋人の誕生日を祝うためだったのだ。
そう思った途端、今までの不安も寂しさもすべて吹き飛んだ。我ながら単純だけど、こんなに想われて嬉しくないわけがない。
同時に、ひとりで卑屈になっていた自分が情けないし腹立たしかった。せっかくあんな店を予約してくれたのに、全部台無しにしてしまったと後悔する。
「すまない、お前に悪いことをしてしまった……」
「レストランのこと? それなら大丈夫。料理は部屋に運んでもらうことにしたから」
「そんなことできるのか?」
「一応、うちがあそこの常連だからさ。こういう我儘が許されるのは父さんの力で、結局はひとりじゃ何もできていないんだけど、やっぱり今日はルルーシュに美味しいものをご馳走したくて」
すべて正直に打ち明けるスザクは素直なのだと思う。
付き合うようになって彼の本当の顔を見てきたはずなのに、自分は心のどこかでまだスザクのことを誤解していたのかもしれない。遠い世界の人間だと思い込んで、逆に自分のほうから彼を遠ざけていたのかもしれない。
(スザクはいつだってスザクなのに)
ごめんと謝る代わりに今度はルルーシュのほうから抱き付いた。驚いた様子のスザクはすぐに抱き返してくれた。
その腕が温かく、彼の気持ちが嬉しくて、料理が部屋に運ばれるまでドアの前でずっと互いの心音を感じていた。
(それから……)
食事も入浴も済ませたあと、ホテルのベッドで大いに盛り上がってしまったことは恥ずかしすぎてあまり思い出したくない。
体の深い部分でスザクを感じながら耳元で「誕生日おめでとう」と囁かれ、嬉しさに満たされて何度も強請ってしまったことは封じ込めておきたい記憶だ。
わざと話を持ち出したスザクを恨めしげに見るけれど、締まりのない顔で笑うばかりでちっとも反省の色はなかった。
「もういい、俺は先に温泉に入ってくる」
このままでは何をからかわれるかわからない。照れ隠しに温泉へ逃げようとしたルルーシュだったが、待ってという声に動きを止めた。
「今回は場所が違うんだ」
「違うって、温泉の?」
「うん。僕も一緒に行くから案内するよ」
改装でもしているのだろうかと不思議に思いながらスザクについて行く。三回目で館内にもだいぶ慣れたが、歩いていくのは初めての道だった。
「今までは機会がなかったから利用しなかったんだけど、今日は特別だからお願いしたんだ」
「何を?」
「とりあえず中を見て」
扉の奥には脱衣所があった。スリッパを脱いでさらに先へ進むともうひとつの扉が開けられる。
冷えた空気に身を竦めたルルーシュは、しかしそこにある風景に寒さも忘れて感嘆の声を上げた。
「絶景でしょ?」
「ああ……。部屋からの景色も綺麗だけど、これは随分と風情があるな」
雪景色の中に露天風呂があった。
湯気の向こうにはしんしんと降る雪があって、いかにも日本らしいという感想が浮かぶ。ブリタニアでは決してお目にかかれないものだ。
「もしかして、もうひとつ特別なことって露天風呂のことか?」
「うん。冬の露天風呂も体験してもらいたかったし、ほかの男にルルーシュの裸を見せるのは嫌だったし」
「別に同性に見られても問題はないだろ」
「僕以外にもルルーシュに欲情する人間がいるかもしれないじゃないか」
「そんなのはお前ぐらいだ!」
思わず頬を赤らめるとスザクがくすくす笑う。
「ここ、僕たちだけの貸切だからいつでも好きなときに入って大丈夫だよ」
「またそんな贅沢を……」
「いいんだよ、僕がルルーシュにプレゼントしたかったんだから。それより入ろっか」
一旦、脱衣所に戻り、服を脱いでいく。今まで大浴場を利用していたから、二人きりの温泉というのはなんだか変な感じだった。プライベートビーチのようなものかと思えば特別感が増す。
外に出た瞬間は寒くて凍えそうになったけれど、掛け湯をして温泉に浸かれば芯まで温まった。隣のスザクも気持ち良さそうに体をほぐしている。
「やっぱりいいな、温泉は」
「ルルーシュって本当に温泉好きだよね。日本人みたい」
「気持ちいいじゃないか」
「だから毎回のぼせるまで入っちゃうの?」
「あれはついうっかりだな……」
「うっかりで倒れるのは僕の心臓がもたないんだけど」
前回、前々回と温泉に浸かりすぎて湯あたりを起こしているのはわざとではない。ただ、ちょっと考え事をしていたら長く入りすぎてしまっただけだ。しかもその考え事というのは大抵がスザクに関することで、お前が原因なのだと八つ当たり気味に思う。
だけど今回はスザクと一緒にいる。しかも恋人として。
そんなことを改めて思ったら顔が熱くなり、誤魔化すように口許までお湯に沈んだ。
(そういえば、今日はするんだろうか……)
誕生日のときを思い出したせいか、お互い裸でいるせいかはわからないが妙に意識してしまう。
スザクに初めて抱かれたのは宿で告白された翌日。送り届けられた自分の部屋だった。
帰りの車内はどこかぎこちない雰囲気で、お互いがお互いを意識していた。でも、嫌な気まずさではなかった。
じゃあまた大学で、とそのまま帰ろうとしたスザクを引き止めたのは自分だ。お茶でも飲んで行かないかと誘ったときに、何も下心がなかったと言えば嘘になる。
最初は緊張したまま本当にお茶を飲むだけだったのが、そのうち普通に話したり笑ったりするようになり、ふと手が触れた瞬間にまた二人して黙り込んでしまった。
触ってもいい?
そう聞かれて頷いたのをきっかけに、初めてスザクの熱を受け入れた。あれ以来、気持ちを押さえ込んでいた反動のようにお互いを求めている。これでは常に欲求不満みたいだ。
でも、ずっと片想いしていた人に好きだと言われたのだから、箍が外れるのは仕方がないと言い訳のように思った。
「ねえ、もう少しこっちに来たら?」
まるで心を読んだようなタイミングで言われてびくりと肩が揺れた。拒否するのも不自然だからと、平静を装ってスザクに近付いた。しばらくは言葉もなく、ルルーシュは外の雪を眺めていた。
「じゃあ僕はそろそろ上がろっかな」
「え……」
体を浮かしかけたスザクに思わず声を漏らした。それを聞いた彼がにこりと笑ったのを見て、自分が物欲しそうな声と表情をしてしまったことに気付く。己の失態に腰を引こうとするが、素早く手首を掴まれてスザクのほうに倒れ込んだ。
「何か期待してた?」
「き、期待なんて、」
「静かに」
しい、と唇に人差し指を当てられて口を噤む。顔が近付き、ルルーシュは反射的に瞼を下ろした。
「ン……」
啄ばむようなキスが繰り返される。思わず手を伸ばし、服ではなく直接肌に触れたことに今さらながらに驚いてしまった。すぐに離れようとしたけれど逆に手を取られる。
「ん、んぅ」
柔らかく重ねるだけだった口付けはいつの間にか深くなっていて、スザクの舌が咥内に差し入れられた。舌の表面を擦り合わせればぞくぞくとしたものを感じ、夢中になって絡めた。
ちゅ、くちゅ、と濡れた音が耳を犯す。自分たち以外は誰もいないとは言え、ここは屋外だ。しかもこんな雪の中で何をしているのだと羞恥が募る。
「ぁ、ん…ッ」
舌を甘く噛まれて握り締めた手に力がこもった。下半身に熱がこもり、腰が揺れてしまうのも恥ずかしい。
ようやく離れた唇が耳朶や首筋を食み、ちりちりとした電流のようなものが背筋を伝った。そのたびに体がふるりと震え、感じた声が漏れそうになる。
「ア……、もう、のぼせそ……」
さほど長い時間は経っていないのに頭がくらくらする。溜まった熱を解放させたいと無意識に思っていると、突然体を持ち上げられた。驚いている間に温泉の縁に座らされる。
「また倒れたら大変だからね。それに、お湯の中に出すのは嫌でしょう?」
何を、と尋ねようとして何かの正体に気付いた。顔どころか全身が赤くなったのは温泉のせいではないだろう。
視界に入った自分のものは勃ち上がりかけていて、それをスザクがまじまじと見つめている光景は恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。
「ば、馬鹿なことを言うな! 俺はもう上がるから放っておけ!」
「だってこのままじゃつらいだろ?」
「ひッ」
敏感な部分をそっと撫でられて引き攣った声が漏れる。
「キスだけで興奮しちゃった? それとも外だから?」
「ちが、」
「寒いから、とりあえず今は早く終わらせてあげる」
今はとはどういうことだと咎めようとしたけれど、熱い咥内に含まれて非難の声は嬌声へと変わった。ここが外であることを思い出し、思わず両手で口を塞ぐ。すると強弱をつけて扱かれ、ルルーシュは首を振った。
「ひぅ、う、ン……」
外気は冷えているはずなのに熱くてたまらない。スザクに触れられている部分はもっと熱い。
早く終わらせるという言葉を実行するつもりなのか、いつもならもっと焦らすのに今日は一気に追い上げられる。欲望の先端を舐めたり舌先で突かれたりして、お湯の中の足先に力がこもった。
「ン、んぅう!」
溢れた先走りを下から舐め上げられるとたまらない。強請るようにスザクの頭を膝で挟み込んでしまい、そんなはしたない自分に気付いて余計に昂ぶる。強烈な刺激に体がぶるぶると震えた。
「あッ、すざく……」
両手の隙間から頼りない声を漏らせば、銜えたままの彼が視線だけを上げた。何も応えずに目を細めると、じゅっ、ときつく吸われる。
「やっ、離して、離し…ッ」
このままではスザクの口の中に吐き出してしまう。それが嫌で身を捻るのに許してもらえない。
「いや…っ、出ちゃう、から、もう離して…!」
「いいよ、出しちゃって」
逃げようとする腰をがっちり掴み、先端を甘噛みされた。ちりっとした痛みに快楽の種が爆ぜて視界が白くなる。
「は……、ァ、」
解放の余韻に浸っているとスザクがようやく離れた。抱きかかえるようにして温泉の中へと戻される。
「体が冷えちゃったね」
肩にお湯をかけ、労わるように撫でる手が心地良い。
ルルーシュはぼんやりとした意識のまま目の前の唇に触れた。苦味のある味に一瞬眉をひそめるが、唾液と混ざってすぐに甘く感じられた。
「ねえ、ルルーシュ」
「ん……?」
「抱きたい」
キスの合間の囁きに迷わず頷いた。
露天風呂から上がり、逸る気持ちを抑えて部屋まで戻る。そして、少し乱暴にベッドへ押し倒された。
自分を見下ろす顔はどこか余裕がない。おざなりに着た浴衣をあっという間に脱がすと、性急な口付けに吐息を奪われた。暖かい部屋で夢中になって互いを貪る。
温泉に入っていたとき以上に体は熱く、このままのぼせてしまいそうだと思った。
* * *
ふいに意識が浮上する。
目を開けたまま薄暗い部屋の隅を眺め、自分がベッドの中で眠り込んでいたのだとようやく気付いた。窓から見える空は暗いのに、どこかほんのり明るいのは雪のせいだろうか。
身じろぎすると、まるでその音を聞いていたかのように「起きた?」と声が聞こえた。
「一時間後ぐらいに夕食だって。食べられそう?」
「ああ」
体力を使い果たしたあと、短時間でも熟睡したせいか体は妙にすっきりしていた。夕食と聞いて空腹を感じるくらいには元気だ。
「一応体は拭いたけど、温泉行ってくる?」
「いや、夕飯のあとでいい」
「じゃあまた一緒に入ろう?」
一緒にと言われて思わず固まった。するとスザクが「何もしないから期待しないで」と笑ったので、何も期待なんかしていないと枕を投げ付ける。易々と受け止められたのに小さく舌打ちするとルルーシュは起き上がった。
「あのさぁ」
枕を戻したスザクがベッドに腰掛ける。
「僕の部屋、そろそろ更新なんだ」
「ん?」
いきなりなんの話だと首を傾げた。
「だからこれを機にもう少し広いところに引っ越そうかと考えていて」
「まあいいんじゃないか」
「どうせなら二人で暮らせるぐらい広いのがいいなって」
「二人?」
振り返ったスザクに真っ直ぐ見つめられる。真摯な眼差しに心臓が大きく音を立てた。
「僕と暮らさない?」
ルルーシュは目を見開いた。ルームシェアを提案されているのではないということは鈍い自分でもわかった。
「実はこれを渡したくて今回の温泉に誘ったんだ」
手のひらに何かを握らされる。目を落として、今度は息を止めた。そこに乗っていたのは指輪だった。
これが単なるプレゼントとして渡されたわけではないこともわかった。まさか、とスザクの顔を凝視する。
「男同士で結婚はできないけど、二人の間の約束としてならできるだろう? だから、まずは同棲から始めてくれませんか」
「でも、お前、将来は……」
「将来?」
「だって、跡取りとして……」
普通に女の子と結婚するのではないか。そう問いかけようとして口を閉ざした。
いつかはそんな日が来るかもしれないと最初から覚悟しているけれど、自ら声にするのはやっぱり嫌だった。
「ルルーシュ以外の人間を選ぶつもりも家のために結婚するつもりもないよ」
「そんな我儘が通用すると思っているのか」
「通用する。いや、させる」
「無茶を言うな。普通の家庭ならともかくお前の家は、」
「家は継がないってもう言ってあるんだ。そしたら勝手にしろって父さんに激怒されて、実は今、勘当状態」
「は……?」
「これからは君にあまり贅沢させてあげられないかも。ごめんね」
「贅沢なんて……」
そういう問題じゃない。人生に関わる大きなことなのに、どうしてこんなにあっさりしているのだ。
贅沢な暮らしができなくて困るのはお前のほうだろうと言いかけ、だけどスザクは自分のためにすべてを捨ててくれたのだと思い至る。
「馬鹿。俺なんかのために何しているんだ、この大馬鹿」
「僕としては純愛のつもりなんだけど」
「何が純愛だ。何もかも捨てて、本当に馬鹿だ」
「何もかも捨てたわけじゃないよ。ルルーシュだけは絶対に離さない」
抱き寄せられると体が温まる感覚がした。スザクは子どもの体温だからなと小さく笑う。
「――仕方ない、勘当されたものはどうしようもないな」
「納得するの早っ」
「お前が俺に相談なしで勝手に決めるから悪いんだ。勘当されたということは仕送りはもうないのか?」
「今のところは母さんがこっそり送ってくれているけど」
「しかし、父親にばれるのも時間の問題だな。とりあえず余計な贅沢はなしだ。引っ越すのも中止にしろ」
「えっ、だって同棲は……」
「その代わり荷物をまとめて俺のところに来い。食費と家賃の一部は負担してもらうが、家計はだいぶ助かるだろう?」
ぽかんとしたスザクは、見る見るうちに顔を輝かせた。「ありがとうルルーシュ!」とぎゅうぎゅう抱き付かれる。
「この温泉に来るのも今回が最後だな」
「えー」
「文句を言うな。社会人になったらまた来ればいいだろ。バイト代を貯めて旅行費用にするのもいいが、学生のうちは無駄遣いはできない」
そう告げればスザクは可笑しそうに吹き出した。
「さすがルルーシュ。あーあ、せっかくカッコ良くプロポーズしたつもりだったのにボロ負けだよ。でも、そういうところが好きなんだよなぁ」
ルルーシュの両手を取ったスザクはどこか嬉しそうに笑った。
「改めて言うけど、僕と同棲してくれますか」
「同棲してやらないとお前が宿無しになるからな」
「そういうこと言わないでよ。――こんな僕だけど、好きでいてくれる?」
どこか弱気な様子に、心の中では不安がっているのかもしれないと気付く。金持ちというステータスがなくなれば恋人が離れて行ってしまうと思っているのかもしれない。
(馬鹿だな)
そんなことで好きになったわけじゃないのに。
ベッドの上で正座をすると、ルルーシュは指輪を握り締めた手を差し出した。
「婚約指輪のつもりなんだろう? お前が嵌めてくれないのか」
「ルルーシュ……」
「ま、まあ、別に自分で嵌めてもいいが」
もごもごと言えば、手のひらを開いてスザクが指輪を受け取る。それを恭しく左の薬指に嵌められた。
「よくサイズを知っていたな」
「寝ているときに測ったからね。うん、やっぱり似合ってる。良かった」
幸せそうな顔にルルーシュも頬を緩める。視線が絡み、自然と唇が重なった。
「ルルーシュ、好きだよ」
大好き、とキスをしながら何度も囁かれて、返事の代わりに彼の背中に腕を回した。
好きだと言ってもらえるのも、抱き締められるのも、キスをされるのも、体を求められるのも全部嬉しい。スザクがくれるものは全部嬉しい。
どれも永遠に手に入らないものだと諦めていたから嬉しくてたまらなかった。
「俺も、覚悟したから」
「ん?」
「お前と生きていく覚悟。だから一緒に暮らそう、スザク」
瞳を潤ませ、大きく頷いたスザクに掻き抱かれた。痛いとか馬鹿力とか文句を言っても腕の力は緩まず、二人してベッドに倒れても抱き締められたままだった。
「お前、まさか泣いているのか」
「だって嬉しいから」
そういえば意外と泣き虫だったと思い、あやすようにぽんぽんと背中を叩く。同い年の男にこんな風に懐かれて嬉しいと思ってしまうのだから自分も相当重症だ。
旅行から戻ったら片付けなければいけない問題が山ほどあるが、今だけはこの体温に浸っていたい。スザクのことだけを考えていたい。
「またあとでルルーシュのこと抱きたいかも」
「馬鹿」
「明日の朝はゆっくりだし、いくらでも寝坊できるね」
馬鹿、ともう一度言いながらもルルーシュの口許は柔らかく緩んでいた。
ふわふわとした幸福感にスザクの服をぎゅっと握り締める。同じ強さで抱き返されるのがとても幸せだった。
(15.02.06)