ショコラティエ

 ルルーシュと付き合うようになったのは一ヶ月前のことだ。
 高校の入学式で一目惚れをして以来、積極的に彼に近付き、親友の座を得て、そしてついに念願叶って恋人となった。
 ルルーシュを好きになってから一年と九ヶ月。長い道のりだったとも言えるし、毎日彼に会うことがとても楽しくてあっという間だったとも言える。
 ともかく、十七年の人生の中で今が最高に幸せであることは間違いない。
 そんな幸せの絶頂にいるスザクは、テーブルに広げた冊子を前に腕を組んで眉間に皺を寄せていた。
 紙面を飾るのは美味しそうなチョコレートと色とりどりのラッピング。

「あと二日……」

 唸るような声が休日の昼間の台所に響いた。
 ちらりと視線を向けた先には焦げ付いた鍋。
 冬だと言うのに窓は全開にされ、換気扇もフル稼働。当然、室内はとても寒かった。家族がいたら大いに文句を言われただろうが、今日はたまたま全員出掛けているのが幸いだった。おかげで、焦げ臭いにおいを部屋中に充満させずに済む。

「やっぱり僕には無理なのかなぁ……」

 口から盛大な溜め息を漏らしながら、スザクはがくりと項垂れた。
 バレンタインを意識したのは二月に入ってからだ。
 日本の文化では女の子からチョコレートを渡す日だけど、自分たちは男同士。去年はまだ友達の関係だったし、そういう雰囲気でもなかった。
 最近は友達で渡す習慣もあるようだから、理由を付けて渡そうと思えば渡せた。でもルルーシュは女の子にもてたからチョコレートには事欠かない。その中のひとつに自分のチョコレートが加わっても虚しいだけだと、結局諦めたのだった。
 しかし、今年は晴れて恋人同士である。ならば再び巡って来たイベントを大いに楽しもうと思った。
 ルルーシュはこういうイベント事に疎いから、恋人として渡せばきっと驚いてくれるだろう。そんな期待もした。
 学校の帰り道に本屋に立ち寄ったスザクは、早速レシピ本を買った。市販のものでも問題はないのだが、せっかくだから手作りを渡そうと考えたのだ。
 もちろんチョコレート作りなんて一度も経験したことはない。料理の腕という点においては、いつも家で夕飯を作っているらしいルルーシュのほうが格段にいいはずだ。舌も肥えているから、お菓子作り初心者のスザクが作ったものを食べても美味しいとは言ってくれないかもしれない。
 それでもルルーシュのために作ってみたいと思った。
 こういうのは女の子の専売特許なのだろうが、恋人になってから初めてのバレンタインだ。何か特別なことをしたかった。
 (って決意したまでは良かったんだけどなぁ)
 再び溜め息を吐き出す。
 意気込んでレシピ本まで買ったものの、やはり初心者にはハードルが高過ぎた。
 チョコレートを細かく刻むとか湯せんするとか、ルルーシュならば簡単にやってしまうであろう作業もスザクにはちんぷんかんぷんだ。鍋を焦がし、チョコレートを焦がし、家中を焦げ臭くし、それでもなんとか形にしたトリュフははっきり言ってひどい出来だった。
 ためしに味見をしてみたが、これがまた顔を顰めるような味だった。お世辞で「おいしい」の「お」の字すら言えない。

「いや!諦めたら僕たちのバレンタインはここで終わってしまう!こういうことは結果ではなく過程……この場合は結果も大事だけど、まずは誠意を見せないと!」

 めげずに決意し直したスザクは、その後も挑戦を繰り返した。
 かろうじて食べられそうなトリュフがなんとか完成したときには、高かった陽もすっかり暮れていた。そろそろ母親が帰ってくる頃なので急いで台所を片付けなければならない。
 女の子に混じって買ってきたラッピング用のボックスに不揃いなトリュフを詰め、冷蔵庫に入れた。リボンをかけるのは前日でいいだろう。
 味と見た目はともかく、これで準備は整った。

「喜んでもらえたらいいけど……」

 願掛けのように思わず冷蔵庫に手を合わせたスザクだった。
 そして当日。
 案の定、ルルーシュは朝から女の子たちのチョコレート攻撃に晒されていた。
 そのひとつひとつに笑顔でお礼を返す恋人に、自分で勧めたこととは言えスザクは複雑な気持ちだった。

「今はスザクと付き合っているし、お前にも女の子たちにも悪いから今年は全部断る」と言っていた彼に、「急にもらわなくなったら色々勘繰られるから普通に受け取ったほうがいいよ」とアドバイスしたのはスザク本人である。

 自分たちの交際はまだ秘密だ。これを機に公言してもいいのだが、男同士ということもあるし、注目されることを嫌うルルーシュにあまり迷惑はかけたくない。
 だから度量の広い恋人を演じたのだが、今になって少し後悔していた。
 (あれだけチョコレートがあれば、結局僕のは埋もれてしまうじゃないか)
 しかも出来が出来だ。
 昼寝をするふりをして机にうつ伏せになる。やはりお菓子屋さんの美味しいチョコレートを買っておけば良かったと思うが、今さら店に走るわけにもいかなかった。
 気を抜くと溜め息が出そうで、それを何度も飲み込む。せっかくのバレンタインが台無しだ。
 帰り道で渡す予定のチョコレートは鞄の中。
 そのときまでは我慢我慢と思いながら、スザクは授業の終わりをじりじりと待っていた。

「先生にちょっと呼ばれたから先に帰っておくか?」
「ううん、教室で待ってるよ」

 放課後、誰もいない教室で担任教師に呼ばれたルルーシュを待つ。
 彼の席を見れば、普段使っている鞄とは別に大きな紙袋があった。チョコレートを持って帰るための袋だ。
 中を覗いてみると、数え切れないほどのチョコレートが入っている。甘いもの嫌いならこの光景だけで嫌になるだろう。
 (こんなにたくさんの人がルルーシュを好きなんだよな……)
 スザクもルルーシュに負けず劣らず受け取っているが、ルルーシュ以外に興味はないのでチョコレートの数なんてどうでも良かった。
 これに自分の分も紛らせてしまおうか。ふと、そんなことを思った。
 ただでさえ食べ切れないほどのチョコレートがあるのに、さらに出来の悪いトリュフをもらっても困るだろう。受け取った手前、不味いとも言えない。
 でも、どこの誰がくれたのかわからないものなら家で捨てることも出来る。
 (そうだ、そうしよう)
 初めてのバレンタインはちょっと切ないものになってしまうが、ルルーシュに不味いものを食べさせるよりはましだ。
 別にイベントにこだわる必要はないし、うまく作れるようになったらそのときにあげても構わないし。
 言い訳をしながら、昨日ラッピングをした箱を自分の鞄から取り出す。そしてルルーシュの席に戻ろうとした。

「待たせたな、スザク」

 が、神様はなかなか思い通りにさせてくれないようで、タイミング悪くルルーシュが帰って来た。
 びくりとしたスザクの手の中から箱が落ちる。

「あっ」
「ん?」

 ルルーシュがすたすたと寄ってきて、床に転がる箱を拾い上げた。普段なら素晴らしい反応スピードを見せるスザクなのに、今日に限って動けなかった。

「どうしたんだ?これ、お前のか?」
「え、あ、うん、そう」

 壊れたロボットみたいな返事しか出来ないのが情けない。自分はこれほどイレギュラーに弱かっただろうか。

「そうか」

 とりあえずルルーシュはスザクのものだと信じてくれたようだ。思わず胸を撫で下ろす。

「あれ……?」

 しかし、なんとなく箱に目を落としたルルーシュが目を瞠った。彼の視線を追ったスザクは、「あっ」と呟いて今度こそ固まった。
 イレギュラー発生にすっかり忘れていたが、箱の底にメッセージを書いていたのだ。ハッピーバレンタイン、と名前入りで。
 これではほかのチョコレートに上手く紛らせたとしてもバレバレではないか。

「いや、えっと、これはつまり」
「お前が持って来てくれたのか?」
「えっと……はい」
「俺がもらっていいのか?」
「……うん」

 ルルーシュが箱とスザクの顔を交互に見比べる。まるで判決を待つ被告のような気分に、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。

「すまない……」

 すると、なぜかルルーシュが顔を曇らせた。

「恋人になって初めてのイベントなのに、もらうばかりでお前に渡すチョコレートをすっかり忘れていた。すまない、スザク」
「そっ、そんな謝らないでよ、これは僕が勝手に用意したものなんだから」
「でも」
「それに全然美味しくないから。自分で食べても不味いと思ったくらいで、だからルルーシュに渡すのは逆に悪いなと思って」
「自分で作ったのか?」
「一応は……」

 じっと箱を見たルルーシュは、赤いリボンを解き始めた。蓋を開けて形の悪いトリュフを摘まむと、スザクが止める間もなく口の中に放り込んだ。

「あ!」
「そうだな……、初めてにしては上出来じゃないか?」

 そしてにこやかに笑い、褒めてくれた。

「不味くない……?」
「まあ、お世辞にも美味しいとは言えないな。だが、スザクが俺のために作ってくれたのだと思うと……嬉しくて味なんかどうでも良くなる」

 少し照れくさそうに視線を落とした恋人に、スザクは口許を緩めた。

「ごめんね、全然美味しくないよね。でも嬉しいって言ってもらえたから僕も嬉しい。ありがとう、ルルーシュ」

 礼を告げると、今度こそルルーシュの手から箱を取り返した。

「だけど、やっぱりこれはまだ渡しちゃいけなかったんだ。今度はもっと美味しいのを作ってみせるからリベンジさせて?」

 上目遣いのお願いに、ルルーシュが可笑しそうに笑った。

「本当に今度はうまく出来るんだろうな?」
「任せて!」
「どうだか」

 肩を揺らしたルルーシュがスザクに近付いた。何をするのだろうと思っていると、箱の中に残っているトリュフをひとつ取る。それをまた口に入れた。

「だからそれは不味いって、」

 声は途中で途切れた。
 スザクはぱちりと瞬きをする。
 ルルーシュの顔が離れ、唇には少し苦いチョコレートの味が残った。

「今のより甘く出来たら合格にしてやる」

 にやりと笑うその顔はとてもかっこいいのに、黒髪から覗く耳は真っ赤だ。すごく勇気を出したんだろうな、と思うと可愛くてたまらない。
 逃げようとする腕を掴んで引き止めた。

「味がよくわからなかったからもう一回」
「え…っ」

 そして、今度はスザクのほうからキスをした。驚いた様子だったルルーシュも、仕方ないなと言うように口許を綻ばせると薄く唇を開いてくれた。
 結局、バレンタインが成功したのか失敗したのかどちらなのかはわからない。
 ひとつだけ確かなのは、好きな人とのキスはチョコレートよりも甘いということである。
 (12.02.14)