スザクからチョコレートをもらった。先々週のバレンタインのことである。
毎年、バレンタインは女の子に渡されてばかりだったし、そういうイベントなのだと思っていたから、恋人になって初めてのバレンタインだということをすっかり失念していた。
せっかくスザクが用意してくれたのに、自分の手元にはほかの女の子たちからの貰い物しかなかったことが、ルルーシュにはたまらなく情けなかったし悔しかった。
料理初心者のスザクによるトリュフは、本人も言っていた通り、まだ人に渡してはいけないような状態のものだった。形はいびつだし、お世辞にも美味しいとは言えない。
だけど、自分のために慣れない手作りチョコレートを手間暇かけて作ってくれたことが何よりも嬉しかった。教室でキス、しかも自分から、しかもチョコ味のキスなんて恥ずかしいことをしてしまったのも、スザクの気持ちが嬉しくてたまらなかったからだ。
その気持ちだけで充分だったのに、出来に納得していなかったスザクはリベンジして作り直すのだと言う。
いつかもっと美味しいチョコレートをルルーシュにあげるから。
陽の暮れた帰り道で、スザクはそう約束してくれた。
なんて幸せなバレンタインなのだろうと思った。
今までたくさんのチョコレートをもらってきた。中には丁寧で可愛らしい手紙付きのものもあった。でも、バレンタインなんて単なるイベントのひとつで、心を動かされはしなかった。
(スザクのチョコが嬉しかったのは、自分のことを本当に好きでいてくれる人からもらったから。……って、何を恥ずかしいことを考えているんだ、俺は)
自分の思考の恥ずかしさに思わず手が止まった。そもそも、自分が今やっていることも充分恥ずかしい。
ルルーシュの手元には銀色のボウル。中には泡立てた卵白。白くてふわふわしているそれに、このあと溶かしたチョコレートを混ぜるつもりである。さらに、オーブンには焼いている途中のチョコレートケーキもあった。
スザクはリベンジすると言っていたが、チョコをもらったという事実は変わらない。ならば、バレンタインの用意をしなかった分、お返しをたっぷりしなければならないとルルーシュは考えた。
しかし、ホワイトデーにお返しするのはイベントを意識しているようで照れくさかった。意識していると思う時点で思い切り意識しているのだが、ホワイトデーの空気に自分の気持ちが紛れてしまいそうなのもなんだか嫌だ。
だからさり気なくお返しをする方法として、スザクを夕飯に誘い、デザートに甘いものを出そうと計画した。食事の最後に、バレンタインはありがとうと言えば完璧だ。
そうして今朝から作っているのが、チョコレート尽くしのデザートである。ケーキは順調に焼けているし、手元の生クリームはこれからチョコレートムースにする予定だった。冷やしている間に夕飯の準備をしてスザクを迎えれば、食事後には良い具合に出来ているだろう。
もとから料理は好きだし、たまにお菓子作りもやっているルルーシュにとってこの程度は簡単な作業だ。だけど、スザクのために作っているのだと思うといつも以上に丁寧になる。
何より、幸せな気持ちだ。
(こういうのを付き合っているって言うんだな)
ふと浮かんだことにまたしても照れながら泡立て器を握り直す。
そのとき、テーブルの上の携帯が鳴った。手を休めて携帯を取れば、画面にはスザクの名前が表示されていた。どうしたのだろうと首を傾げた。約束の時間にはまだ五時間あるから、到着したという連絡は早過ぎるだろう。
「もしもし?」
「ごめん、ルルーシュ!」
開口一番謝られ、携帯を持ったままぽかんとする。
「どうした?」
「ごめん、急に部活に呼ばれちゃって、ちょっと長くなりそうだから今日は行けないかもしれない」
「え……?」
行けないという単語が耳に入った瞬間、膨らんでいた幸せな気持ちが一気に萎み、気分まで沈んでしまった。
「そ…、そうか、部活なら仕方ないな。土曜日なのにご苦労なことだ」
「ひょっとしたら早く帰れるかもしれないけど、何時になるかわからなくて、遅くなって構わないなら終わったあとにルルーシュの家に、」
「俺なら大丈夫だ。そういえば、今度大事な試合があるって言っていたよな。夕飯ならまたいつでも作ってやるから、今日は部活に専念して来い」
本当は全然大丈夫じゃなかった。
スザクが来られなくなったと聞いただけでこんなにも哀しい。でも、部活なんかやめて自分のところに来いとは言えない。恋人を縛るようなことはしたくない。
「でも……」
「いいから気にするな。お前は部活を頑張ってこい。じゃあ切るな」
「ルルーシュ、」
スザクの声が途切れた。耳に押し当てた携帯から無機質な音が響いて聞こえる。
(……何をガッカリしているんだ。別にこれが最後の機会ってわけじゃないだろう)
用事が入ったから遊びに行けなくなった。ただそれだけのことなのに、まるで別れ話を切り出されたみたいに悲しんでいる自分はどうかしている。
首を回せば、目に入ったのは作りかけのデザート。
「誰が食べるんだ……」
思わず溜め息が漏れた。
「くそっ、このまま放置しても材料が無駄になるだけだ。父さんと母さんに協力してもらえば全部食べられるし問題ない」
気持ちを切り替え、と言うよりは開き直って、ルルーシュは腕まくりをした。
再び泡立て器を握る手に、先ほどよりも力が入っていたのは若干の八つ当たりである。
そして三時間後。
ランペルージ家のダイニングテーブルには豪華で完璧な料理が並んでいた。
「――って、俺は馬鹿か!今日はスザクも来ないし父さんも母さんも仕事で遅いし、ほとんど冷蔵庫行きではないか!」
満足そうにテーブルを眺めていたルルーシュは、ハッとなって自分にツッコミを入れる。
無心になって調理しているうちに我を忘れ、気付けばとてもひとりでは食べきれない量を作ってしまった。残り物として明日また食べればいいのだが、冷蔵庫に全部入るかどうか怪しい。
捨てるなんてことは出来ないから食べられるだけ食べなければ、と思うとげっそりしそうだ。その上、チョコレート尽くしのデザートもある。食べる前から胃が重い。
「どれもこれもスザクが……」
言いかけて、しかしすぐに口を噤んだ。別にスザクは悪くない。
そんなに寂しいなら、部活なんて行くなと引き留めれば良かったのだ。自ら物分りの良い恋人を演じたくせに、スザクが悪いと八つ当たりし続けるのは身勝手である。
「……夕飯にするか」
全部完成したし、時間もちょうどいい。ひとりきりの食卓は寂しいが、こうなったら自棄食いしてやろう。
エプロンを外して椅子を引いたタイミングで携帯が鳴った。聞き慣れた着信音に心臓がどくりと音を立てる。
期待しては駄目だ。そう思うのに、急くように通話ボタンを押す自分がいた。
「ルルーシュ?」
聞こえてきたのは一日中頭を占めていた相手。
「あ…ああ、どうした」
「まだ間に合うかな?」
「え?」
「今から君の家に行くから。って言うか、もう向かっているから追い出さずに家に上げてくれないかな」
「どうして……」
「君に会いたいからに決まっているじゃないか。それとも、一度約束を反故にしたから駄目?」
思わず首を横に振った。
「駄目じゃ、ない」
電話の向こうでスザクが微かに笑った気配がした。
「あと十五分で着くから、待ってて」
「――わかった」
そこで通話は切れた。無機質な機械音も今度は優しく聞こえるようだ。
携帯を握り締めたルルーシュは時計を見上げた。あと十五分で着くと言う。スザクの足なら少し早くなるかもしれない。どちらにしろ、それまでは暖かい家の中で待っていればいい。
だけど――。
(早く、会いたい)
リビングを飛び出す。
今から外で待っても意味はないとわかっているけれど、早くスザクに会いたかった。
もどかしく鍵を開け、玄関のドアを開け放つ。途端に冷たい風が入り込んで身を竦めた。
「え……?」
そして、ドアを開けたままの恰好でルルーシュは固まった。
「あれ?ルルーシュ?」
玄関の門の前には、十五分後に会うはずのスザクがいた。彼も同じように驚いた顔をしている。
ふいに、このまま抱き付いてしまいたい衝動に駆られた。
そんなはしたないことは出来ないと自分を抑え、ドアを閉めると門まで駆け寄った。
「十五分後って言っただろう?」
スザクが悪戯っぽく笑う。
「お前こそ、なんでもういるんだ。部活は?」
「途中で抜けてきた。早くルルーシュに会いたくて、でもいきなり押しかけるのは悪いかなと思って、それでちょっと待ってからにしようと思ってたのに」
「そんなの……待つ必要なんてないじゃないか」
発した声はどこか拗ねていて、そんな自分が恥ずかしい。スザクが嬉しそうに笑っている。
「うん、そうだね。今日はごめん」
「部活ならしょうがないだろ。外は寒いからとりあえず中に入れ」
「お邪魔します。わっ、すっごく良い匂い。もうご飯の時間だった?」
「あ……」
リビングのテーブルには料理の数々が並べられているのだと、彼を招き入れたあとに気付く。
嫌な気分を発散させるために仕上げたものの、これではまるでスザクを待っていたみたいじゃないか。案の定、テーブルを目にしたスザクが目を丸めている。
「べ、別にお前を待っていたわけじゃないぞ。ただ、食材がもったいないから全部使い切っただけで、父さんと母さんの夕飯にするつもりだったし」
「でも、少なくともこれだけの食材を準備してくれてたってことだよね」
「かっ…、買い物はいつものことだ」
「ありがとう」
ルルーシュの嘘などスザクにはお見通しのようで、満面の笑みを浮かべて自分を振り返る。
悪戯がばれた子どもみたいな気持ちだったけれど、スザクを喜ばせるという本来の目的が達成できて思わず頬を緩めた。
今さら隠し事をしても無駄だ。だったら、全部白状してしまおう。
「……実を言うと、今日はお返しのつもりだったんだ」
「お返し?」
「バレンタインの、チョコレートの」
「えっ、あの失敗チョコレートの?こんなにすごいお返しをしてもらうほどのことじゃないのに」
「俺がお返しをしたかったんだ。スザクの気持ちが嬉しかったから」
チョコレートの出来は関係ない。自分のために一生懸命何かをしてくれた、その気持ちがたまらなく嬉しいのだ。
「だからではないが、ちょっと調子に乗って作りすぎてしまって……。料理のほかにもデザートが山ほどあるんだ。うちの家族だけでは食べきれないから、責任を取ってしっかり食べてもらうぞ」
最後はにやりと笑みを浮かべた。お前のために全部用意したのだとは言えないから照れ隠しである。
「たくさん食べられるのは嬉しいけど、さすがの僕でも限界があるよ」
そう言いながらもスザクの顔は笑ったままだ。
まずは手を洗って来いと促し、その間に席をセッティングする。スザクが戻ると二人向かい合って座った。
「そういえば、デザートって何?」
「チョコレートケーキにチョコレートムース」
「チョコレート尽くし?」
「お前がリベンジしてくれるのはわかっていたんだが、バレンタインに何もあげられなかったからつい……」
こんなにチョコレートのデザートを用意して嫌味に思われないだろうかと作っている最中に気付いたけれど、どうせスザクは来ないからとそのまま完成させてしまった。
しかしスザクは、気にする必要はないよと軽やかに笑う。
「だってルルーシュが作ったほうが絶対美味しいし。あ、そうだ、今度お菓子教室をやってほしいな。優秀な先生に教わったほうが上手くいくから」
「生徒はひとりだけか?」
「もちろん。マンツーマンでね」
「お前の部活が休みの日なら」
「へへっ、ありがとう」
男子高校生二人でお菓子作りというのもなんだか気恥ずかしいが、スザクと二人きりで過ごせるのなら大歓迎である。
付き合いはじめて一ヶ月ちょっと。スザクのことはずっと好きだけど、これからさらにもっと好きになりそうだ。
「それより、料理が冷めてしまうから食べよう」
「うん」
恋人を家に招いて食事をする。同じ時間を共有できることがとても嬉しくて口許からは笑みが消えない。
こんな幸せがずっと続けばいいと思ったことは、甘いデザートのあとに伝えよう。
(12.03.04)