カーネーション

 ふとカレンダーが目に入り、ルルーシュは端末から指を離した。

「もう二月か……」

 毎日忙しいので曜日の感覚がなくなっていた。今日が何日ということは把握しているが、それはただの記号でしかないので、改めて月日を確認するとたまに驚いてしまう。
 そろそろバレンタインだな、と独りごちる。アリエスにいた頃はバレンタインになると使用人達へお菓子を配っていた。日頃の感謝を伝えるための恒例行事で、毎年ナナリーと共に準備をしては城中の人間に渡したものだ。
 配るものは焼き菓子やチョコレートなど様々で、ありがとうの意味以外は特に何もなかった。そこへ別の意味が加わったのは、異母妹のユーフェミアがきっかけである。
 スザクが騎士となって初めてのバレンタインデーに、いつもと同じ感覚でスザクにチョコレートを渡したところ、日本では好きな人にチョコレートを渡すのだとユーフェミアに教わった。
 当時はまだ片想いの最中だったので、俺はなんてことを仕出かしてしまったのだと大いに慌てふためいたものだ。しかし、当のスザクは何も誤解していなかったから、男同士で望みなんかないと現実を突き付けられてしまい、苦いバレンタインになったのだった。
 (片想いか。随分と昔のことのようだな)
 あの頃は自分の気持ちを悟られないように取り繕って、精一杯の虚勢を張っていた。スザクの反応に一喜一憂し、勝手に切なくなったり傷付いたりもした。両想いとなった今では懐かしさしかないが、当時は必死だったのだと思い出して頬を緩める。
 (今年は何を贈ろうか)
 皇帝となった現在、当時と同じようにお菓子を配って回る時間はない。側近や使用人の数が多いので、たとえ時間があったとしても不可能だ。
 一部の者だけに渡せば不公平になるし、だからと言って全員に渡していたらキリがない。
 (ならば、スザクにだけ渡すのがもっとも現実的だな。それからナナリーとユフィと姉上と……、あとでバレたらうるさいから兄上達にも用意しておくか)
 スザクだけと思ったものの、結局はそれなりの人数になりそうだ。そもそも時間が取れるのか? とルルーシュは二月の予定を頭の中で確かめた。
 忙しくはあるが、喫緊の問題は抱えていない。通常業務さえこなせば夜はプライベートの時間を確保できる。一晩、邪魔が入ったとしても二晩あれば充分だ。
 そう結論付けたルルーシュは再び端末に向き直り、ジェレミアが持ってきた案件に目を通し始めた。頭の中ではお菓子のレシピをめくりながら。
 遅い夕食を終えると、「先に戻っていてくれ」とスザクに声をかけた。
 普段ならばそのまま私室に戻るので、どういうことかと騎士が不思議そうに首を傾げる。

「やりたいことがあるんだ」
「それなら僕もお伴いたします」
「いや、お前は必要ない」

 さらりと拒否すれば、翠の瞳に剣呑な色が浮かんだことに気付く。しまったと思ったときには遅かった。

「僕に言えないようなことですか?」
「いや、そういうわけでは」
「何をなさるのですか?」
「大したことではない」
「大したことではないのに僕には打ち明けられないのですか?」
「本当に大したことではないのだ」
「でしたら、僕がお供しても問題ありませんよね?」

 僕に隠し事なんかしないだろう? と無言で問いかけられる。顔は笑っているが目は笑っていなかった。
 お前が来ては意味がないじゃないかと胸の内でぼやくものの、ここでスザクの機嫌を損ねては元も子もない。こっそり溜め息をつくと、ルルーシュは「わかった」と答えた。

「邪魔はするなよ」
「しませんよ。一体何をなさるのですか」
「見ていればわかる」

 席を立ってダイニングルームを出ると、廊下を真っ直ぐ進んだ。行き先に見当が付いたのか、厨房ですか? とスザクが尋ねてきた。

「だから大したことではないと言ったのに」
「ブリタニアの皇帝陛下をおひとりにできるわけがないでしょう」
「警備の兵なら至るところにいる」
「そういう問題ではありません」

 相変わらず過保護なことだと嘆息した。
 ルルーシュがまだ皇子だった頃、暗殺者に襲撃されて重傷を負ったことがある。
 スザクとの約束を破って勝手に行動した自分が悪いとルルーシュは思っているのだが、スザクはそう捉えていない。すべては騎士である己の責任だと自責の念に駆られ、ルルーシュが回復したあとはわかりやすいほど過保護になった。
 あれからだいぶ時間が経ち、表向きは何も気にしていないように見えるけれど、心の奥深くには当時の悔いが残っているのだろう。ルルーシュをひとりにしようとしなかったり、どこにでもついて行こうとしたり、いくら皇帝の騎士とは言え過保護が過ぎる。
 裏を返せばそれだけ彼を深く傷付けてしまったわけで、そんなスザクにルルーシュはときどき申し訳なさを感じていた。
 (でも、それを嬉しいと思ってしまう俺もいる。身勝手なものだ)
 ちらりと横を見れば、スザクは実に穏やかな顔だった。先ほどの剣呑さはすっかり消えている。
 (わかりやすい奴)
 母親から離れるのを嫌がって駄々をこねる幼子のようだ。これがブリタニア最強の騎士とはな、と小さく笑っているうちに厨房へと到着した。
 計画と呼ぶほどのものではないが、せっかくの段取りが台無しだなと思う。しかし、本人がお供すると言って聞かないのだから仕方ない。

「何を作るのですか?」
「見ればわかる」
「先ほどからそればかりですね」
「勝手について来たのはお前だろう。文句があるのなら戻れ」
「まさか」
「じゃあ適当に座っていろ。しばらくかかるから暇だぞ」
「いいえ、ここで見ています」

 視線を向ければ、何が楽しいのかスザクはにこにことした笑顔だ。物好きな奴と軽口を叩き、ルルーシュはエプロンを付けた。
 使用人にはあらかじめ伝えておいたので、必要な道具と材料はすべて揃っている。腕まくりをし、材料に手を伸ばすと作業に取りかかった。
 今年はみんなのためにトリュフチョコレートを、スザクのためにチョコレートケーキを贈ろうと決めていた。まずは明日届けるためのトリュフチョコレートを手際良く作っていく。
 興味深そうに見守っていたスザクも、しばらくするとルルーシュの意図を察したらしい。

「もしかしてバレンタインですか?」
「ああ」
「それならそうとおっしゃってくだされば良かったのに」
「教えてしまったらつまらないだろう。まあ隠すつもりはなかったが」
「だったらいいではないですか」
「そういう問題ではない」

 先ほどのスザクの口調を真似ると作業に戻った。
 狭くはない夜の厨房に二人きり。辺りにはチョコレートの甘い匂いが漂っていて、自分達が皇帝と騎士であることも、ここが皇宮であることも忘れてしまいそうだった。
 こういうのもデートの一環と呼べるのだろうかと思って、不意に口元が緩む。二人で出かけることはほとんど不可能な状況だから、デートと言い張ればデートになるはずだ。

「楽しそうですね」

 目ざとく気付いたらしいスザクに、ルルーシュは笑みを深めた。

「ああ、楽しいな」
「僕にはよくわかりませんが、お菓子作りはそんなに楽しいものなのですか?」
「作っている間は余計な雑念が消えるし、相手は喜んでくれるだろうかと考えながら作るのはいいものだぞ。それはお菓子も料理も一緒だな」
「ちなみに、今はどなたのことを考えながら作っていらっしゃるのですか?」

 その問いかけにルルーシュはスザクをじっと見た。
 さり気なさを装いながら、瞳の奥には期待の色が浮かんでいた。どんな答えを望んでいるかは明白だ。
 騎士の顔を見つめながらルルーシュは口の端を上げた。

「ナナリーに決まっているじゃないか」

 答えた途端、スザクが不満そうな顔をした。わかりやすい反応に声を立てて笑えば、僕で遊ばないでくださいと文句を言われる。

「自分だと言ってもらいたかったのか?」
「当たり前でしょう」
「俺の一番はいつだってナナリーに決まっている」
「それはよく存じ上げております」

 不服そうな答えに肩を揺らすと、スザクはますます拗ねていた。

「笑いすぎです」
「だって、帝国最強と謳われている皇帝の騎士がチョコレートごときで不機嫌になるなんて可笑しくてたまらないじゃないか」

 指の背で目元を拭ったルルーシュは、出来上がったばかりのトリュフを一粒つまんだ。

「ほら、俺が作った今年最初のチョコレートだ」
「甘いもので釣られませんよ」
「我が騎士に一番目を許すのだから機嫌を直せ」

 早く食べろと催促すれば、スザクがようやく近付いてきた。

「これってただの味見役ですよね?」
「嫌ならジェレミアに譲ろうか?」
「絶対に譲りません」

 日頃は真面目に忠実に騎士の任務に励み、戦場では白き死神と恐れられている男がチョコレートひとつで一喜一憂している。スザクのこんな子供っぽい姿を見られるのは自分だけなのだと思えば、たまらない優越感に満たされた。
 天下のブリタニア皇帝とその騎士が何をしているんだか、とルルーシュはまた可笑しくなった。

「口を開けろ」

 言われたとおりに口が開かれる。そこにトリュフチョコレートを放り込めば、スザクがもぐもぐと咀嚼した。

「どうだ? 冷やしていないからまだ固まっていないが」
「美味しいです」
「それは良かった」

 指先に付いたチョコレートをぺろりと舐める。悪くない味だ。お行儀が悪いけれど、ここでは見咎める者もいないので構わないだろう。

「ナナリー達に渡すチョコレートはこれでいいとして、お前の分のチョコレートケーキは明日焼くか」
「え?」
「みんなと同じものではつまらないだろう?」

 お前だけは特別だと言外に伝える。言葉の裏側にある意味を正確に理解してくれたのか、スザクは目を瞠っていた。

「明日は少し早起きして仕事の前にケーキを完成させるから、午後はお茶の時間を取って――」

 身体の向きを変えようとした瞬間、何かにぐいっと引っ張られた。犯人はスザクだ。
 そのまま手首を引かれたため身体のバランスが崩れた。すると、スザクがすかさず抱き留めて床の上に二人で座り込む。

「なんだいきなり」
「厨房の隅に監視カメラがあるので」
「皇宮だからカメラはどこにでもあるだろう」
「ですが、ここなら死角になりますから」

 はあ? と声を漏らしかけた口を塞がれる。突然のキスにルルーシュはぱちくりと瞬きをした。
 普段のキスにはない甘さを感じ、スザクがチョコレートを食べたばかりだからだと思い至る。途端に頬が熱を帯びた。
 熱くて濡れた舌が唇を柔らかく味わい、咥内にはさらに甘さが広がった。

「っ、馬鹿か、カメラが……!」
「シンクに隠れて見えませんよ」

 死角ですからご安心くださいと言われ、ルルーシュはぐっと言葉に詰まった。目の前にはキスと同じくらい甘ったるい顔がある。
 不意に手を取られ、どうするのかと見ていたら指先を舐められた。先ほど、ルルーシュ自身が舐めた指だ。
 呆気に取られているとスザクに上目遣いで窺われ、頬の熱が上がったのを感じた。

「今年も素敵なバレンタインをありがとうございます」

 にこにこと嬉しそうな顔に山ほどの文句が出かかる。しかし、何を言っても彼には効果がなさそうなのでやめておいた。

「お前のは味見用だけどな」

 せめて一言ぐらいは言ってやろうと悪態をついてみるけれど、スザクはまったく意に介していない様子だ。

「陛下の手作りでしたらなんでも嬉しいです」
「安い奴だな」
「僕は陛下を全部いただいているのですから、世界で一番の贅沢者ですよ」

 恥ずかしいことを言うな馬鹿と胸を押し、ルルーシュは勢いよく立ち上がった。

「お前のせいで作業が中断だ。手伝え」
「よろしいのですか?」
「トリュフを詰めるための箱を組み立てるぐらいは手伝わせてやる」
「一番面倒な作業だからでしょう?」
「うるさいな。手伝わせてやるんだからありがたく思え」

 ぶっきらぼうに言えば、スザクがわかりましたと笑った。

「ところで、その敬語はもういいだろう? ここには誰もいないんだから」
「いいえ。プライベートな空間ではないので」
「まったく、律儀だな」

 スザクが砕けた口調になるのは二人きりのとき、しかもプライベートな場所だけだ。誰も見ていないのにと思うけれど、これはけじめなのだと言っていた。
 そのくせたまにこうしてキスを仕掛けてくるのだから、何がけじめだとぼやきたくなる。
 (だが、悪い気はしていない時点で俺も大概だな)
 スザクに甘い自分に呆れてしまう。
 だけど、どれも片想いのときにはできなかったことなのだと思えば、スザクとのやり取りの一瞬一瞬がとても愛しい。
 あの頃はほろ苦さしかなかったバレンタインデー。それをこんな心地で迎えられるなんて夢みたいだ。

「――チョコレートは甘いんだったな」

 ぽつりと零した呟きにスザクが首を傾げる。なんでもないと頬を緩めたルルーシュは、トリュフチョコレートを一粒口に入れた。
 舌の上にふわりと広がったのはとびきりの甘さだった。
 (19.02.14)