Blue Day

 スザクは悩んでいた。
 目の前には箱が一つ。あまり可愛らしいのも良くないだろうと、シンプルにラッピングしてもらったものだ。これならば男同士でもちょっとした贈り物として渡して違和感はない。ないはずである。

「だからって、なんと言って渡すんだよ……」

 思わず溜め息をついた。勢いだけで買ってしまった自分に後悔する。
 スザクが思わず買ってしまったもの。それはチョコレート菓子だった。ケーキ屋の前をたまたま通りかかったとき、美味しそうなお菓子を見つけた。何気なく買ったものだが、レジで店員から「バレンタイン用でよろしいですか?」と訊かれたとき、それがバレンタインの特設コーナーで売られている菓子だったことにようやく気付いた。こんなものを買ってどうするのかと思ったが、今さら間違えましたとも言えない。仕方なく、「はい」と答えて支払いを済ませた。
 そうして軍の宿舎に戻ってきたのが一時間前。それからずっと箱を見ては悩み続けている。
 三日後はバレンタイン。女の子が好きな男の子に告白するという習慣はブリタニアにないはずだが、日本人の文化を上手く取り入れたのか街はすっかりバレンタインの雰囲気だ。そんな雰囲気の中、バレンタインを知らなかったと言い切るのは難しいだろう。そもそも自分は、お菓子が美味しそうだからといって買うようなタイプではない。心のどこかで意識していなければ、バレンタインが間近に迫った日にこんなものは買わなかったと思う。

「無意識って怖い……」

 机に突っ伏して、はあぁともう一度溜め息をついた。
 自覚していなかっただけで、あのときの自分は確実にバレンタインを意識していたのだ。そして、渡す相手と言えば――。

「いやいやいや、だから無理だって!」

 突っ伏したまま両手で頭を抱える。
 (まさか告白するつもりだったのか?あのときの僕)
 ここエリア11のブリタニア人の間では、バレンタインは女の子から男の子にチョコを渡すという習慣がすっかり定着しているようだが、果たして彼がそれを知っているだろうか。確か、ブリタニアでは愛を告白する日という位置付けではなく、家族や友人など大事な人に贈り物をする日だったはずだ。

「――そうか、それだ!」

 スザクはがばりと身を起こした。友人への贈り物という意味にしてしまえば、たとえ自分から贈ったとしても違和感は全くないはずだ。それならなんの躊躇もなく渡せるに違いない。

「よし、その理由を使って渡そう!ルルーシュに!」

 ぐ、と握る手に力を込める。
 告白なんてするつもりはない。ただチョコレートを渡すだけ。それでルルーシュが少しでも喜んでくれれば充分だ。
 今年のバレンタインはちょうど休日で、残念ながらその日は軍の仕事でクラブハウスに寄れないから、渡すなら学校のある明日しかない。スザクはラッピングされた箱を丁寧に鞄の中に入れた。その様子はいそいそという表現がぴったりだが、本人は努めて冷静なつもりだった。
 枢木スザク、17歳。
 只今、幼馴染の友人に絶賛片思い中であった。

「うわー……毎年のことだけど相変わらず壮観だな」

 ばらばらと机の上に広げられた包みの数々に、リヴァルが感嘆とも呆れとも言える声を出す。

「これどうすんの?持って帰って全部食べるのか?」
「捨てるわけにはいかないだろう。だが、今年はちょっと当てがあるから助かった。食い意地だけは張っているから、ピザじゃなくても食べるに決まってる」
「ピザ?」
「ああ、こっちの話だ」

 二人の会話を聞きながら、スザクは自分の迂闊さを呪っていた。
 ルルーシュが丁寧に紙袋に入れ直しているのは紛れもなくチョコレートだ。容姿端麗の副会長様は、ここアッシュフォード学園で抜群の人気を誇っている。当然、彼を狙う女子生徒は数え切れないほどいて、バレンタインは想いを告白する打って付けの行事である。シャーリーのように、告白まではしないけれどバレンタインにかこつけて贈り物をする人間も多い。
 その結果が、両手では抱えきれないほどのチョコレートの箱だった。
 (ルルーシュの親衛隊もいるって言うしな。皆、考えることは同じか)
 これだけの数のチョコレートを受け取ったルルーシュが、さらにスザクからチョコを贈られて喜ぶだろうか。いや、間違いなく迷惑だ。嫌がらせ以外の何物でもない。
 (僕が浅はかだった……)
 贈るならばせめて日にちをずらせば良かった。しかし、それではバレンタインという名目がなくなってしまいかえって不自然である。そもそも贈るという発想自体しなければこんなことで悩む必要もなかったのにと、三日前の自分の行動を再び後悔した。

「俺はバイト行くけど、お前たちはどうすんの?」
「しばらく残って溜まった書類を片付けるよ。スザクは?」

 突然話を振られ、スザクは一瞬固まった。自分のことばかり考えていたので咄嗟に答えが浮かばない。

「あ……と、僕はルルーシュが終わるまで付き合うよ」
「無理しなくていいんだぞ。お前も今日は予定があるんじゃないのか?それとも、本番は明後日だからいいのか?」

 ルルーシュの言葉がバレンタインを指していることに気付き、少しだけ胸が痛む。
 予定に入れたいのはルルーシュとのことだ。ほかの子なんて興味はない。だけど、ルルーシュはスザクに彼女、もしくは彼女に相当する相手がいると思っているようで、バレンタインはその人と過ごすのだろう?と無邪気に聞いてくる。知らないというのは残酷だ。

「軍の仕事以外に予定はないよ」

 答えると、一瞬ルルーシュの表情が曇ったように見えた。

「――そうか。ならば俺の仕事を少し手伝ってもらうか」

 でも、すぐににやっと笑ってみせたから、きっと気のせいだろう。

「うん、いいよ」
「おいおいスザク、そこは断るところだろ」
「でも最近、生徒会にあまり顔を出せなかったから。僕の分の仕事もルルーシュに任せちゃってるし、たまには手伝わないと」

 当り前のように言えば、リヴァルが肩を竦める。

「律儀だよなぁ。じゃあ頑張れよ、お二人さん」

 バイトへ向かったリヴァルに別れを告げると、生徒会室はルルーシュとスザクの二人きりになった。途端に緊張が高まる。
 ルルーシュは早速書類の整理を始めていた。スザクに手伝えと言いながら仕事を押し付けてはこない。彼の優しいところだ。
 スザクはそんなルルーシュの横顔を不自然にならない程度にじっと見つめた。当り前のことだが、正面から見ても横から見てもルルーシュは綺麗だった。時折鬱陶しそうに頬にかかった髪を耳に掛ける。それだけの仕草がひどく色っぽい。
 机を見れば、チョコレートの詰まった紙袋が嫌でも目に入った。

「毎年そんなにもらうの?」

 何の気なしに尋ねる。

「ああ、そうだな」
「お返しってどうしてるの?確かブリタニアにはホワイトデーってないよね」
「ないな。だが、もらいっぱなしなのも落ち着かないから、一応一人ずつ返してはいる」
「え!?全員?」

 ぎょっとして思わず声を上げた。正確な数は数えていないが、今日一日で相当の人数からもらっているはずだ。本番にこだわってバレンタイン当日に渡しに来る生徒もいるかもしれない。そうなればさらに数は増えるだろう。そのすべてにルルーシュはお返ししていると言うのか。

「もちろんじゃないか。全員に返さなければお返しにならないだろう?」

 スザクの驚きをよそに、ルルーシュはきょとんとした顔をしている。何かおかしなことを言ったか?と言わんばかりの顔だ。
 (嫌がらずにきちんとチョコレートを受け取ってくれるし、その上必ずお返しをしてくれるのか。それは人気があるはずだ……)
 リヴァルはスザクのことを律儀と言ったけれど、本当に律儀なのはルルーシュだろう。

「……で、その中に本命の子っているの?」
「本命?」

 今度こそルルーシュがわからないという顔をする。

「だってそれをくれた子達、皆が君のことを好きなんだよ。中には気に入った子もいるんじゃない?」
「皆が俺のことを好きなわけないだろう。ただ単に、生徒会副会長だから渡しているだけさ」

 嘘でも冗談でもなく、ルルーシュは本気で言っている。チョコを上げた子達が今の言葉を聞いたらさぞかしがっかりするだろう。これだけ人気があるのに、自分は好かれていないと信じ込めるのはある意味奇跡に近いのではないか。ルルーシュの鈍さに苦笑いしつつ、これがルルーシュなんだよなと納得するような気持ちもあった。

「ところで、僕は何を手伝えばいい?」
「ああ、そうだな、じゃあこっちを……」

 ルルーシュに書類の束を渡され、しばらく二人で作業に集中した。紙を捲る音と、ペン先の走る音だけが部屋に響く。
 一枚一枚書類を片付けながら、買ってきたチョコレートは渡さないでおこうと思った。自分が渡せば、食べなければいけないチョコレートが増えてしまうし、お返しの負担にもなってしまう。それならば最初から何も渡さないのが賢明だ。
 (あれは帰って自分で食べよう)
 最初からそのつもりだったし、と自分を納得させるために言い聞かせる。
 一時間ほど経った頃、ルルーシュが作業の終わりを告げた。

「今日はこの辺でいいだろう。ありがとうスザク、助かった」
「全部片付けなくて大丈夫?僕ならまだ時間あるよ」
「あとは会長に押し付けるさ。それにそろそろ夕飯の準備があるからな。今日は軍はないのだろう?帰りに夕飯を食べて行かないか?」
「え、本当?でもいきなりで迷惑じゃない?」

 誘われたことは嬉しいが、事前に約束をしていないのにいいのだろうかと尋ねればルルーシュが笑った。

「お前ならいつだって歓迎するに決まっているじゃないか。それにナナリーが喜ぶ」

 ルルーシュは?
 思わず口から出そうになった言葉は飲み込んだ。訊いたところで意味はない。

「じゃあ荷物を整理するからちょっと待ってて」

 鞄を机の上に置き、筆記具などを仕舞っていく。

「……それは?」
「へ?」

 横からルルーシュの手が伸び、ラッピングされた箱を取り上げた。

「あ……」

 それは、スザクがルルーシュに渡すつもりで持ってきたチョコレートの箱だった。鞄に荷物を入れる際、一旦外に出してしまったらしい。自分の中では終わったつもりでいたから、ルルーシュが目の前にいるというのに全く意識しなかったようだ。

「なんだ、一個ももらわなかったと言っていたが、ちゃんともらっているじゃないか」
「いや、それは」
「今日はやっぱり予定があったんじゃないのか?」
「そんなのないよ」
「いいんだぞ、無理しなくて。予定があるなら夕飯なんて――」
「ルルーシュ!」

 スザクは立ち上がると、チョコレートの箱を持っているルルーシュの手を掴んだ。
 淡々と言葉を紡ぐルルーシュは、まるで自分自身を卑下しているように見えた。顔も心なしか暗い。ルルーシュにそんな顔をしてもらいたくないのに、と唇を噛む。もしスザクが女性からチョコレートをもらったと誤解していることが暗い顔の原因ならば、その誤解を解かなければならないと思った。
 なぜルルーシュがあらぬ誤解をしてさらに顔を暗くさせるのか、根本的な理由なんて考えなかった。

「これは僕がもらったものじゃないよ。僕が君に贈るために持って来たものだ」
「――え?でも……」
「バレンタインって、ブリタニアでは大事な友人に贈り物をする日でもあるんだろう?だから、――受け取ってくれないかな」

 箱を持ったままの手をそっと上から握る。まるで婚約指輪を渡すときのようなシチュエーションに、なんでこんなことになったのだろうと頭の中の冷静な部分が言っていた。だけど、ルルーシュが変な勘違いをしてしまうくらいなら、思い切って渡してしまえと決心した。
 大丈夫。「友人」という部分を強調すれば問題ないはずだ。

「いらなければ捨ててしまっていいよ」
「っ、そんなことするわけないだろう!」
「でもルルーシュはたくさんもらってるから」

 無理しなくていいからね、と告げて手を離した。

「……ごめん、やっぱり今日は帰るや。夕飯は今度誘ってくれたら嬉しいな。じゃあ、また来週」

 鞄を掴むと、逃げるように生徒会室を後にした。だからルルーシュがどんな顔で自分を見送ったのかは知らないが、突然チョコレートを押し付けられて困っているのは間違いないだろう。
 クラブハウスを出て、後ろを振り返ることなく走った。正門を抜けたところでようやく速度を緩め、とぼとぼと帰り道を歩く。

「あーぁ、いろいろ失敗したなぁ……」

 口から出てくるのはぼやき。
 渡さないつもりでいたのにあんなみっともなく渡してしまった。渡すなら渡すでもっとスマートにやるつもりだったのに。
 やはり、チョコレートを買ってしまったのがそもそもの間違いだったのだ。

「来週、どんな顔して会えばいいんだろ……」

 ルルーシュは気にしていないかもしれない。しかし、スザクとしては妙に居た堪れない。こんなことでは告白なんて夢のまた夢である。
 今年のバレンタインは撃沈だな、と思いながら2月の空を見上げた。辺りはすっかり暗くなっていて、吐く息は白い。
 ただ、ルルーシュの手を握った手だけはまだ温かい気がして、感触を思い出すようにスザクはそっと手の平を握り締めた。
 (10.02.14)