眩しい陽の光と小鳥の囀りに意識が浮上する。
とてもあたたかくて幸せな目覚め。こんなに気持ちの良い朝を迎えるのは生まれて初めてかもしれないと思いながら、スザクはゆっくり瞼を開けた。
レースのカーテン越しに差し込む陽がきらきらと部屋を包んでとても綺麗だ。朝特有のひんやりした空気も、柔らかい光が徐々に溶かしていく。
(ここ、どこだっけ)
肌触りの良い寝間着にふかふかのベッド。自分の部屋にこんなものはなかったはずだ。
もしかしてこれは夢なのかもしれない。そうだ、夢だからこんなに気持ちが良いんだ。ならばもう一眠りしようかと再び瞼を下ろしたとき、部屋のドアが開く音がした。
夢に登場する人物を確かめようとベッドの中から首を伸ばす。
「ルルーシュ……?」
そこには幼馴染で親友のルルーシュがいた。
「なんだ、まだ寝ていたのか」
「これ夢じゃないの?」
「馬鹿なことを言っていないでさっさと起きろ。遅刻するぞ」
容赦なく毛布を剥がされ、触れた空気の冷たさに縮こまりそうになる。季節は少しずつ秋めいてきて、日中はまだまだ暑さが残っているが朝晩は寒い。
「ほら、早くしろ」
「ルルーシュってお母さんみたいだよね」
「くだらないことを口にする暇があれば顔を洗って着替えるんだな。朝食を食いっぱぐれてもいいのなら俺は構わないが」
「ええっ、それは困るよ!」
がばりと身を起こす。朝食という単語を聞いた途端、空腹を感じた。
「だったら早くしろ」
一言だけ言い残し、ルルーシュは部屋を出て行った。
こんなにお腹が空いているのに、朝食抜きで朝の授業を乗り切るのはつらい。急いでベッドから離れたスザクは、ソファの上に置いていた制服に着替えて洗面所に向かった。
少し冷たい水で顔を洗えば頭もすっきりする。寝癖で跳ねた髪を手櫛で直すと、先ほどからいい匂いの漂ってくるダイニングへと足を運んだ。
「おはようございます、スザクさん」
「おはよう、ナナリー」
ドアが開けば、ナナリーのにこやかな笑顔があった。ルルーシュを手伝っているのか、パンの入ったバスケットを抱えて白い皿の上にひとつずつ置いている。
テーブルの上はすでに朝食の準備が整っていて、キッチンからルルーシュが顔を覗かせた。
「やっと来たか。セッティングは終わったから食べていていいぞ。ナナリー、ありがとう」
ナナリーからバスケットを受け取ったルルーシュが再びキッチンに行く。朝からよく働くなと感心しながら、言われたとおりに椅子に座った。一応、ここでの自分はお客様ではあるが、友達の家でここまで至れり尽くせりなのは少々申し訳ない。
だけど、以前家事を手伝おうとしたら「お前に手を出されると逆に面倒になる」と冷たいことを言われてしまったので、ルルーシュの許可なく余計なことはしないようにしていた。
「今日はまた一段と気合いが入っているね」
パンにサラダにスープ、メインには朝からハンバーグにポーチドエッグ、それからフルーツ。まるでホテルに来たみたいだ。
「スザクさんが久しぶりに泊まりにいらしたから、お兄さま昨日から張り切ってお買い物していたんですよ」
「へえ」
「本当は日本食にするつもりだったんですが、スザクさんのハンバーグを食べたいの一言で朝から挽き肉を捏ねていたんです」
「朝から?そんな無理しなくて良かったのに……。悪いこと言っちゃったな」
これだけの朝食を用意するのだから当然手はかかっているだろうが、自分の一言のせいでルルーシュに余計な早起きをさせてしまったのかと思うとまた申し訳なく感じる。
すると、にこにこしたナナリーが首を横に振った。
「お兄さまはこうしてスザクさんのために食事を用意することがとても嬉しいし楽しいんです。この間なんて漬物の作り方を咲世子さんに教わっていたんですから」
「漬物?」
ここは日本ではあるが、ルルーシュたちブリタニア人にとって日本食はあまり馴染みのないものだ。それなのにルルーシュは完璧な和食を研究していて、さらには漬物まで漬け始めたと言う。
もともと凝り性なところがあるけれど、そのうち世界中の料理を研究してマスターしてしまいそうだ。
「そういうわけなので、スザクさんは食べたいものがあったらお兄さまにどんどんリクエストしてくださいね。あ、もちろん美味しいときはちゃんと美味しいって感想を言うのが条件ですよ」
「うん、わかってる」
頷いたのと同じタイミングでルルーシュが戻ってきた。三人で同じ食卓を囲み、晴れやかな空を窓に映しながら食事が始まった。
グラスにオレンジとリンゴのフレッシュジュースが注がれ、サラダには好みでドレッシングをかける。ドレッシングもルルーシュの手作りで、漬物を攻略したら次は味噌に手を出すのではないだろうかとこっそり思った。
ルルーシュの朝食を食べながら学校の話をしたり遊びに行く約束をしたり、朝の穏やかな時間が過ぎていく。とても幸せなひとときだった。
食事が終わると学校に行く準備をして、クラブハウスから教室を目指す。ナナリーを中等部まで見送り、ルルーシュと並んで廊下を歩いた。不思議なことに廊下にはほかの生徒の姿がなく、ルルーシュと二人きりだった。
「そうだ、生徒会室に忘れ物をしたからちょっと寄ってくる。お前は先に行っていてくれ」
「じゃあ僕もついて行くよ。アーサーがいるし」
「お前もいい加減に諦めたらどうだ」
「ダメだよ、いつかルルーシュみたいに足下にすり寄ってくれるまでは頑張るんだから」
「先は長そうだな」
他愛ない話をしながら生徒会室へ向かう。ドアが開くと中には生徒会メンバーが揃っていて、思わずルルーシュと顔を見合わせた。
朝から生徒会の活動があるという話は聞いていない。それなのに全員が集まっているのはどうしてだろう。
「どうしたんですか、会長。こんな朝っぱらから」
「ふっふふふ、ようやく来たわね、ルルちゃん、スザクくん」
ミレイの笑みになんとなく嫌な予感がした。隣のルルーシュも何か察したのか、若干頬が引き攣っている。
「もうすぐ授業が始まるから俺は教室に行きます」
「リヴァル」
「はいはーい!」
逃げ出そうとしたところをすかさずリヴァルに取り押さえられた。やめろとか離せとかじたばたしているルルーシュの前に、いい笑顔のミレイが近付く。
「今日はなんの日か知ってる?」
「知りません」
「それなら教えてあげるわ。今日はね、全校一斉の大告白大会なの。もちろん発案者は私よ」
「そんなのは記念日でもなんでもないじゃないですか!俺を巻き込むのはやめてください!」
「あら、巻き込まれるのは全校生徒だからルルーシュだけが被害に遭うわけじゃないわ」
一応、巻き込んでいる自覚はあるのかと思いつつ、スザクは成り行きを見守っていた。ここで口を挟むと何を言われるかわからない。
「日本にはバレンタインデーに女の子が告白するという習慣があるみたいだけど、皆が皆、好きな人に告白するわけではないでしょ?中には泣く泣く告白を諦める子だっていると思うの。だから少しでも多くの生徒に平等に告白の機会をあげたいと思って今日の日を計画したのよ」
「まったく意味がわかりません」
「つまりね、好きな相手を一番初めに捕まえた人がその人に告白する権利を得られるってこと」
横暴だ!と喚く声に、後ろでカレンもこくこくと頷いている。お嬢様で美少女の彼女は学園でも人気が高いため、今回の騒動に大いに巻き込まれそうだ。
しかし、生徒会メンバーの中で一番の被害者はルルーシュだろう。ただでさえ毎年のバレンタインにはチョコレート攻撃に遭っているというのに、全校挙げての追いかけっこは体力不足の彼にはかなり不利である。
(そもそもほかの女の子に告白なんかさせたくないし)
本人にはまだ伝えていないけれど、スザクはルルーシュのことがずっと好きなのだ。男同士というハンデもあり、今は友達の立場に甘んじている。ただでさえ恋愛に疎い彼に好きだと伝えたら余計な混乱を与えてしまうに違いない。
だからルルーシュに告白するつもりはなかった。このままいつまでも友達でいられればそれでいい。
が、他人から告白されるルルーシュを見たいかと言えば答えはノーである。自分の大事な人をみすみす取られて喜ぶようなマゾではなかった。
(ということは……)
会長の話を聞きながら今回のイベントの切り抜け方について算段をする。
その間もルルーシュの騒ぐ声は聞こえていたけれど、会長発案のイベントが中止されたことは一度もない。ならば、ここは素直に従った上で逃げるしかないだろう。
「私の合図でイベント開始。時間は一時間。ま、告白を受けるか受けないかは本人の自由だけど、もし捕まった場合はちゃんと聞いてあげるのよ」
「勝手に始めないでください!そもそも授業は…っ」
「そんなの午前中はお休みに決まっているじゃない。というわけで、」
マイクのスイッチが入れられ、ミレイが大きく息を吸い込んだ。
「全校生徒に告げる!ルルーシュ・ランペルージはクラブハウスの生徒会室にいるわ!以上!それでは、全校一斉の大告白大会、はじめ!」
所在を明らかにしてどうするんですかという抗議の声は無視され、高らかにイベントの開始が宣言される。その瞬間、校舎のほうから地響きのような足音が聞こえてきたのは決して幻聴ではないだろう。
「あ、ちなみに告白に興味ない子もいるだろうから、その場合は副会長を捕まえれば部費アップという特別ルールを設けているの」
つまり、全校生徒の狙いがルルーシュに一点集中するわけである。
あまりの内容にもはや反論する気力もないのか、ルルーシュは口をパクパクとさせるだけだった。その間にも足音はどんどん近付いてくる。
仕方ない、とスザクはルルーシュの手首を掴んだ。
「逃げるよルルーシュ!」
「あーっ、スザクくんが協力するのは卑怯よ!」
「協力してはいけないルールはないですよね?」
にこやかに言い残し、生徒会室を出ると廊下を駆けた。
「いたぞ!副会長だ!」
「ルルーシュくん待って!」
背後から追いかけてくるのは大勢の生徒で、女子はもちろん男子も混じっている。告白だけなら女子から逃げればいいだけだが、部費アップも含まれるとなるとほぼ全校生徒が敵のようなものだ。
無理やり連れ出されたルルーシュは状況に追い付いていない様子で、それでもなんとかスザクのペースで走っている。しかし、このままでは体力のない彼がダウンするのは明白だ。
「このままだと捕まるな……。ルルーシュ、ちゃんと捕まっててね」
「へ?」
一旦、速度を落とし、すかさずルルーシュの体を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこの状態に、背後でどよめきとも悲鳴ともつかない声が聞こえてきたけれど、生徒たちの反応をのんびり確認している暇はない。
「な……っ、お、下ろせスザク!」
ようやく自分の体勢に気付いたルルーシュが腕の中で暴れる。
「下ろしたら君は間違いなく餌食になるけどそれでもいいの?」
「うっ……」
「捕まるのが嫌なら僕に捕まっていて。一時間、逃げきってみせるから」
全力で走りながら器用に答えれば、しばらく体を強ばらせていたルルーシュだったけれど、やがておずおずと首の後ろに腕が回された。肩口に埋まった顔はよく見えないけれど、黒髪の間から見える耳は赤い。
「捕まったら許さないからな」
耳元で小さく脅す声にスザクは口角を上げた。
「絶対に捕まらないから安心して」
だって自分がルルーシュを抱えて逃げているのだ。捕まるはずがない。
(それに、僕がもう捕まえているし)
心の声が聞こえていたらルルーシュはまた暴れただろうけど、そんな愚行は犯さない。
たとえ告白はできなくてもルルーシュは自分のものなのだ。
ほかの誰にも渡すつもりはなかった。
絶対に捕まらないと宣言したとおり、スザクは押し寄せる生徒をかわして校舎中を逃げ回った。
その間、ルルーシュはずっとお姫様抱っこされていた。初めこそ嫌がられたものの、こうしていれば自分の体力は使わないし、頭を上げなければ羞恥からも逃れられると判断したのだろう。腕の中のルルーシュは息を潜めるようにじっとしていた。
生徒たちを振り切り、最上階の物置部屋まで逃げたときにようやく足を止める。かなり走り回っていたようで、時計を見ればイベント終了まであと十分を切っていた。
「ここは気付かれていないみたいだからあと十分待とう」
「お前……一時間近くも走り続けてなんでけろりとしているんだ……」
床に下ろした途端、ルルーシュはぐったりと座り込んだ。縦に揺られすぎて気持ち悪いとぼそぼそ呟いている。
「丁寧に運んだつもりだけど」
「そういう問題ではなくて……、いや、いい。とりあえず時間ぎりぎりまで逃げてくれたことは感謝する。あとはここでじっとしていればいい」
壁に背中を預け、だらりと足を伸ばしたルルーシュは目を閉じた。運ばれていただけとはいえ、ずっと不自由な体勢でいたのだ。走り続けなかっただけましなだけで、体力のない彼にはやはりきついのだろう。
「ルルーシュももっと運動すれば?」
「俺のジャンルじゃないんだ」
「だからってすぐに息が切れるのはどうかと思うよ」
「基礎体力はあるから問題ない」
「そういうのを屁理屈って言うんだよ」
「うるさい。だいたい、俺には優秀な頭脳があるんだ。体を動かすことはお前に任せておけばいい」
瞼が開き、こちらを見て悪戯っぽく笑う。
「お互いの不足を補うのが友達ってものだろう?」
相変わらずぐったりしているくせに偉そうな顔で笑うのはいつものルルーシュで、小さく笑うとスザクも隣に座った。
「だったらどこに逃げればいいかルルーシュが教えてくれれば良かったのに」
「お前の直感に任せたんだ。こういうときは動物の勘のほうが役に立つからな」
「褒められている気がしないんだけど」
「褒めているじゃないか」
可笑しそうに笑う声はどこか楽しそうだ。
「お前は凄いよ。それは俺が保証する」
どういう意味だと問おうとして、スザクは唇を開いたまま止まった。
ルルーシュに何かを伝えなければいけない気がする。大事な何かを。
でも、それがなんなのか思い出せない。何を伝えればいいのかわからない。
部屋の隅に置かれた時計がカチコチと時を刻む。会話はなく、秒針の音だけがひどく響いて聞こえた。
ルルーシュは真っ直ぐ前を向いている。綺麗な横顔だ。黒髪のかかる頬は透き通るように白く、何かを見据えた瞳はどこまでも澄んだ紫で、とても綺麗だった。
好きだ、と思った。
ルルーシュを誰にも取られたくない。
ルルーシュを失いたくない。
ルルーシュの隣にずっといたい。
溢れるような気持ちが胸に迫る。どうして今、こんなことを思うのだろう。
「時間だな」
声とともにイベント終了の鐘が鳴った。どこかから聞こえてくる残念そうな声は、副会長を捕まえられなかった生徒たちのものだろう。
「まったく、会長のイベント好きも本当に困ったものだな。だが、こういう馬鹿騒ぎも案外嫌いじゃなかったのかもしれない」
楽しげに笑い、ルルーシュが立ち上がる。
スザクも釣られるように立ったけれど、その姿を目で追うことしかできなかった。何か言わなければと思うのに言葉が出てこなかった。
皺を伸ばすように制服を払い、ドアへと向かう後ろ姿をただただ見つめる。
「スザク」
ドアを開ける直前、ルルーシュに名前を呼ばれた。
振り返った彼は静かに笑んでいて、無性に泣きたい気持ちになった。
「お前も一緒に来ないか?」
どこに、と訊くのは愚問だ。ここは学校で、自分たちは学生で、会長のお遊びが終われば教室に戻らなければならない。
戻るべき場所はひとつしかない。
「僕は……」
しかしスザクは首を振った。
横に。
「僕はまだ行けない。残ってやらなければいけないことがあるから。ごめんルルーシュ、――ありがとう」
その言葉を聞いたルルーシュが笑みを深めた。
「――ああ、それでいい。一緒に来ると言っていたらお前を殴るところだった」
「殴るのは勘弁してほしいな」
「だったら、やるべきことはわかっているんだろう?」
問いかけにしっかり頷いた。
「世界のことも、ナナリーのことも、君が心配することは何もないから」
「そうか……」
それは良かった。
ルルーシュが笑う。
とても優しい声だった。
* * *
目が覚めて真っ先に場所を確かめた。
柔らかいベッドはあるけれどあたたかな陽射しは入らない。当然だ。ここは建物の奥まった場所で、四方に窓はないのだから。
それでも目を閉じればあの幸せな空気が思い出せそうで、スザクは少しだけ口許を緩めた。
「僕に活を入れに来たつもりかい?」
名前は声にせず、ただ心の中だけで囁いた。
一緒に来ないか?なんて酷い質問だ。もし頷いていたら本当に殴られたのだろうか。
(結局、また好きだって伝えられなかった)
だけどそれでいい。
ゼロの正体とルルーシュへの気持ち。自分が死ぬまで抱え続ける秘密は二つだけだ。
(僕は僕のやるべきことをちゃんと果たすから。だから――)
そのときは君と一緒に行ってもいいだろうか。
ルルーシュ。
瞳を閉じて、優しく微笑む顔を瞼の裏に焼き付けた。
きっと世界は今日も美しい。
(13.09.29)