遠くで犬が吠えている。散歩に連れて行けと飼い主にせがんでいるのだろう。うちの近くでこんな風に犬が鳴く声を聞いたことはない。誰かが飼い始めたのか。動物は嫌いではないが、安眠を妨害されるのは少しつらい。
もう少し寝かせてくれと毛布を肩まで引き上げたら、腰へと回っていた腕に力がこもった。
温かくて心地良い。気持ち良く二度寝を決め込もうとしたルルーシュは、しかしぱちりと目を開けた。飛び込んできたのは見知った同僚の顔で、瞬時に状況が把握できなかった。
(スザク? なんでスザクが?)
視線だけを動かして周囲を確認し、ここが住み慣れた自分の家ではないことに気付く。スザクと同じベッドで寝ているということは恐らく彼の部屋なのだろう。どうして自分はこんなところで寝ているのだと記憶を巻き戻し、それから盛大に赤面した。
咄嗟にスザクから離れようとしたけれど、意外にも腕の力が強くて身動きすらできない。寝ているのになんて馬鹿力だと文句を垂れながらなんとか脱出を試みるも、すぐに諦めた。溜め息をついたところでスザクがもぞもぞと動き、起きるのかと一気に緊張する。
「ルルーシュ……? もう起きたの? まだ寝てようよ」
そう言って先ほど以上に抱き締められた。思わず叫びそうになったのをなんとかこらえたルルーシュは、スザクの腕の中でばくばくと音を立てている心臓をなだめようと努力した。
(これは逃げられそうにないな……)
完全に諦めて仕方なく目を閉じる。
ここ最近ずっと仕事が忙しく、会社に泊まる日々が続いていた。それがようやくひと段落し、先週の金曜日は奇跡的に終電前の電車に乗ることができた。そこまでは問題ない。問題は自分の降りる駅に着いたあとのことである。
スザクが自分に好意を抱いてくれていることはなんとなく感じていた。スザクがわかりやすかったのか、自分も彼と同じ感情を抱いていたから気付いたのか、
とにかく自分たちは両想いかもしれないという予感がずっとあった。これが男女ならもっとわかりやすく、単純だったのだろう。
でも幸か不幸か、ルルーシュもスザクも同じ男だった。同性同士の恋愛は今の日本ではまだまだ厳しい。たとえ想いを伝え合ったところで、スザクが実際に受け入れてくれる自信はなかったし、ルルーシュ自身も踏ん切りがつかないでいた。
そうして密かな想いを抱え続け、いつかこの恋を諦めるときが来るのだろうかと漠然と思っていたのに、ある夜をきっかけに一線を越えてしまった。あのとき
の自分はどうかしていたと、思い出して頭を抱えそうになる。寝惚けていたのを理由にスザクを誘うようなことを言って、好きだと告白までしてしまった。
駅のホームで気持ちを伝えたあと、スザクに手を引っ張られ、急く気持ちを抑えて自宅にたどり着いた。そして電気も点けずにベッドへ直行し、スザクに抱かれた。
それだけなら疲れていたからとか一時の気の迷いだとか言い訳ができたかもしれない。でも翌日、改めて「僕はルルーシュのことが好きだ」と伝えられ、ルルーシュもその気持ちを拒絶しなかった。
結局、スザクは金曜土曜と二泊してから日曜日の夕方に帰り、次の日の月曜日にはまた同僚としての顔で会社で会った。どんな態度を取ればいいのかわからず、一週間はスザクを避けるように過ごしたのだが、金曜日の帰りにとうとう捕まり、今度はスザクの部屋に連れて行かれた。
(そしてこの様か)
あれはやっぱり嘘だ、好きというのも本気じゃない、と今さら言ってなかったことにできるわけもなく、流されるままに二度目のセックスをしていた。
(俺はこんなふしだらで意志の弱い人間ではなかったはずなのに)
また頭を抱えたくなるが、相変わらずがっちり抱き締められているため腕すら上げられない。
(それにしても、気持ち良さそうに寝ているな)
目を開ければスザクはまだすうすうと寝息を立てている。間近で彼の寝顔を見るのはこれが初めてだ。こうして寝ていると自分より幼い印象である。童顔だか
ら社会人になっても大学生、下手すれば高校生に間違えられるらしい。そのたびに、もっと威厳が欲しいと愚痴っていたのを思い出した。
(俺を押さえ付けて上から見下ろすときはもっと男くさい顔をするくせに、朝になったら子どもみたいな顔になるなんて反則だ)
夜のスザクの表情が浮かんで、体の芯が熱くなるような感覚を抱く。慌てて振り払い、溜め息をつくとまた瞼を下ろした。そのとき。
「もう諦めた?」
いきなり声が聞こえて、驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
「な……、お、お前、起きて、いつから、」
「いつからって、最初から起きてたよ。でもルルーシュの体が気持ちいいから寝たふりしてた」
「は、はしたないことを言うな! 誤解を招くだろう!」
「本当のことだもん。ルルーシュの体は中も外も気持ち良くて、昨日だって我慢できずに悪かったと思うけど、ルルーシュだって」
「う、うるさい! 起きているなら離せ! もう帰る!」
「駄目だよ。まだうちにいてよ」
「離せ! スーツだってちゃんと掛けておかないと」
「皺になったらクリーニングに出せばいいよ」
でもさ、汚さなかっただけ偉いと思わない? なんてことを耳元で囁かれ、ルルーシュは顔を真っ赤にさせた。
「最悪だ……」
「どれが?スーツを床に放ったままなこと? 僕と寝たこと? それとも、僕に好きだって言ったこと? ルルーシュは後悔してる?」
上目遣いで見れば、スザクがどこか不安そうな顔をしていた。その表情も反則だ。知っていてわざとやっているのではないか。
だけど、捨てないでと訴えている子犬のような顔をされたら何も言えなくなってしまう。
「――別に、後悔はしていない。ただ……」
幸せすぎて怖いだけだ、とは恥ずかしくてとても口にできなかった。一度でも告げたらスザクはきっと調子に乗る。ただでさえ振り回されているのに、これ以上、主導権を握られるわけにはいかない。
「ただ?」
「なんでもない。とにかく起きるぞ」
「大丈夫? まだ起きられないんじゃない?」
腰をやんわり撫でられ、上がりそうになった悲鳴を飲み込む。
「触るな馬鹿!」
「いいからルルーシュはまだ寝ててよ。朝ご飯の準備ができるまで、ね?」
そう言って、ちゅっ、と可愛らしいキスをしたスザクはひとりでさっさとベッドを出て行った。
なんだかすっかり彼氏面をしていないか。女の子を相手にするような甘ったるい態度は妙に腹立たしい。それを嫌だと思い切れない自分はさらに腹立たしい。
しばらくむっとスザクの背中を目で追っていたルルーシュは、何度目かの溜め息をついて毛布を被り直した。こうなったら不貞寝してやる。朝食ができたらスザクが呼びに来るのだからそれまではだらだらと過ごしてやる、と決心するように瞼を下ろした。
(もうスーツはどうでもいい。あとでクリーニングに出そう)
この甘い空気にはまだまだ慣れそうにない。でも、やっぱり嫌ではない。
認めたくはないが、今の自分はどうやらかなり幸せらしい。そう思いながらまどろむルルーシュの口許には、柔らかい笑みが浮かんでいた。
それを見つけたスザクが同じように微笑んだことをルルーシュはまだ知らない。
(15.10.04)