雨上がりの空を見上げて

 雨のにおいがした。
 さっきまで明るかった空には分厚い雲が広がり、爽やかな青を覆い隠していた。
 これは一雨来そうだと思った数分後、ぽつぽつとした滴が頬に当たり、それからすぐに大粒の雨が地面を叩き付けた。傘を持っていないスザクは水を跳ねさせながら走った。
 梅雨に入ったものの今年はなかなか雨が降らず、空梅雨かとローカルニュースで言われていた。たまに降っても頬に少し当たる程度なので、朝から曇り空が広がっていたとしても面倒くさがって鞄には折りたたみ傘を入れていない。
 今日も走っていれば止むだろうと思っていた雨は、しかしいくら経っても止む気配がなかった。
 (失敗したなぁ。これならもうちょっと学校に残っていれば良かった)
 制服も靴の中もびしょ濡れだ。傘を持って行けとうるさく言っていた母親に、それ見たことかと怒られそうだ。
 戻ってきたばかりの試験の成績もあまり良くなかったから説教が長引かなければいいけれど、と思いながら走っていたら古びたバス停が目に入った。
 普段は気にもかけない天井付きのバス停はちょうどいい雨宿り場所で、ラッキーと呟く。利用者がいるのかと思うほど寂れているが、一時の雨をしのぐだけなら充分だ。
 そこまで駆けたスザクはほっと息をついた。そして、心臓が止まりそうなほどぎょっとした。
 バス停には先客がいた。
 ベンチに座り、傘を立てかけ、静かに本を読んでいるのは同い年ぐらいの少年だった。
 まさかこんなところに人がいるとは思わず、驚きすぎて一瞬足が竦みそうになった。
 傘を持っているから雨宿りというわけではないだろう。ならばバス待ちかと時刻表を見たが、次のバスは一時間後だった。
 (なんでこんなところにいるんだろ。っていうか、誰……?)
 狭い田舎は隣近所どころか町の人間すべてが知り合いみたいなもので、住人の顔と名前はだいたい知っている。
 しかし、スザクのほうをちらっと見ただけですぐに本へと目線を落とした彼はまったく見覚えがなかった。都会から帰省してきた誰かの孫という可能性はあるものの、ここ最近、外から新しい人がやって来た噂は聞かない。
 知り合いならば声をかけるのだが、さすがに見知らぬ人に声をかける勇気はなかった。
 どうしようかなと思いながらとりあえずベンチに腰掛けた。雨はまだ降っている。
 手持無沙汰で何もやることがない。暇だなと心の中でぼやいたスザクは、なんとなく隣の人の横顔を窺って息を飲んだ。
 先ほどは驚きすぎて意識していなかったけれど、よくよく見ると相手はかなりの美人だった。
 (いや、男に対して美人っておかしいだろ。……男、だよね?)
 あまりじろじろ見ると気付かれてしまうのでこっそり観察する。首元の喉仏を確認し、たしかに男だとなぜか安堵した。
 最初に男だと思ったのは、彼がとてもシンプルな格好をしていたからだ。
 白の半袖のシャツに黒のパンツという出で立ちはなんの特徴もないのに、彼が纏うとそれだけで特別な衣装のように思えた。
 襟から覗く首は片手で掴めてしまいそうなほど細く、袖から伸びた腕はすらりとしている。黒髪のかかる頬は白くて、本を捲る指先は繊細で、全体的に儚い印象だ。
 放課後は部活に明け暮れ、休みの日も外で遊んでいるスザクの腕は健康的な色に焼けているのに、彼の肌は透き通るように白い。同じ男なのにこうも違うものなのかと、いっそ感動すら抱いてしまう。
 ふいに本を読んでいた手が止まり、スザクは慌てて視線を逸らした。彼は真っ直ぐ前を見て、雨の降り続ける景色をじっと眺めていた。
 やがて雨脚が弱まり、ぽつりぽつりと涙のように落ちてくるだけになった。スザクは鞄を掴んで立ち上がると、後ろ髪を引かれる思いでバス停を出た。
 それが、彼との最初の出会いだった。
 二度目に会ったのは一週間後の同じ時間帯。
 前回の反省を踏まえて折りたたみ傘を持ち歩くようになっていたスザクは、傘を差して帰り道を歩いていた。
 しばらく行くとあの古びたバス停が目に入った。
 あれから毎日中を覗いてみたけれど、残念ながら彼の姿は見なかった。今日もいないだろうと思いつつ、一週間前と同じ雨の帰り道になんとなく予感のようなものを感じ、通り過ぎるときにちらりと中を見てみた。
 スザクの予感は的中し、ベンチに座って本を読んでいる彼がいた。
 一週間前と違うのは脇に傘がないことだ。この雨の中を歩いてきたのか、艶やかな黒髪は少し濡れていた。
 (傘、忘れたのかな)
 気になりながらも一度バス停の前を通り過ぎ、しかしスザクは足を止めた。雨はしとしとと降り続けている。
 どうしようとしばらく悩んだあと、決心するように傘の柄を握った。そして来た道を戻るとバス停の前に立った。

「――あの、」

 彼が顔を上げた。
 自分を見つめる紫の双眸はとても美しく、いつまでも見つめていたいほどだった。

「傘ないの?」

 思い切って尋ねると、少し首を傾げた彼はややあって「ああ」と答えた。

「一度上がったから大丈夫かと思ったんだが、そのあとまた降り出して帰れなくなってしまった」

 帰れないと言う割には彼は平気そうな様子で、再び本に視線を戻した。
 これ以上は話しかけるなと言わんばかりの雰囲気に、声をかけたときの勇気が萎んでいく。
 (邪魔、ってことだよなぁ)
 雨の滴がぱらぱらと傘に当たった。先ほどより雨脚は弱くなっているが、傘なしで歩くには少々厳しい。
 このままだと体の線が細い彼は風邪を引いてしまいそうだ。だからと言って、自分の傘をいきなり差し出すほどの仲ではないし、かえって嫌がられるかもしれない。
 バス停の前で立ち竦んでいたスザクは、傘の柄をぎゅっと握り直した。
 せっかく声をかけたのだ。もう少しだけ勇気を出してみてもいいだろう。拒絶されたら拒絶されたときだ。
 傘を畳み、バス停の中に入る。彼はわずかに目線を上げただけで何も言わなかった。

「あの、」

 今日は「あの」しか言っていないような気がする。人見知りするタイプではないはずなのに、彼を前にしたら声が喉に張り付いたみたいにうまく出なかった。

「僕、枢木スザクって言うんだ」

 しかも出し抜けに自己紹介なんてしてしまった。話しかけるにしてももっとほかの切り出し方があったんじゃないか、馬鹿じゃないのかと内心で頭を抱える。

「えっと、そこの高校に通っていて二年なんだけど、君はこの辺りの人?」

 支離滅裂すぎる言葉に、彼は目線を向けたまま何も反応しない。どくんどくんと心臓の音がやけに大きく聞こえる。
 失敗したと落ち込みかけたとき、吹き出す声がしてハッと顔を上げた。

「そんな風に声をかけられたのは初めてだ。面白いな、お前」
「別に面白くしたつもりは……」
「ルルーシュだ」
「え?」
「俺の名前。スザクというのはいい名前だな」

 名前を褒められて照れくさくなる。君も綺麗でいい名前だよと口にしそうになったけれど、男の名前を綺麗と表現したら笑われてしまいそうなのでやめた。

「隣、座ってもいい?」
「どうぞ」

 ルルーシュが右に少しずれてくれたので、スザクは空いたスペースに腰を下ろした。しとしとと雨の降る音が今はなんだか心地良い。

「ごめん、今さらだけど読書の邪魔をしちゃったかな」
「いや、知らない人間に声をかけられるのが面倒だっただけだ。でもお前は面白いから構わない」
「だから僕は面白くないって……」
「充分面白いと思うけどな」

 ころころと表情を変えて笑うルルーシュは屈託がない。本を読んでいる姿しか目にしたことがなかったから、彼もこうして笑うのかと新鮮だった。

「質問してもいい?」
「どうぞ」
「君、ここの人じゃないよね。どうしていつもバス停にいるの?」
「雨宿りできそうな場所がここだけだからな。この町には最近来たばかりであまり詳しくないんだ」
「ふぅん」

 今日は傘がないみたいだが、傘があるときも雨宿りをするのはどうしてだろう。訊きたいことは山ほどあったけれど、初対面でいきなり根掘り葉掘り訊くのは印象が悪いと我慢する。

「ルルーシュ、って呼んでも?」
「ああ。そういえば、お前は高校の二年生と言ったな。じゃあ俺と同級生だ」
「本当?」

 同い年とわかった途端、親近感が増す。こんなに綺麗な同級生は学校では見かけないからなんだか自分が特別になったような気分だった。

「ルルーシュは学校に行っていないの?」
「必要な勉強はすべて独学で終わらせたからな。一応、高校に所属はしているが、やることがなくて今は休学中だ」
「え……」
「なんだその顔は」
「いや、頭いいんだなと思って……。羨ましいな」

 自分とは大違いだと嘆息した。鞄の中に赤点の試験用紙があることを思い出し、帰ったらまた母親の小言が待っているのかと気が重くなる。

「勉強ができたからって特別なことはない。それに、お前にだってほかに得意なものはあるだろう?」
「僕?体を動かすことなら……」

 体育に関しては常にトップだ。運動会でも体育祭でもそこそこ活躍している自覚はあるし、部活の試合での成績も悪くない。

「だったらいいじゃないか。俺は体力に難ありと姉上に呆れられているからそっちのほうが羨ましいよ」
「お姉さんがいるの?」
「――ああ」

 姉という単語を出したとき、ルルーシュが少しだけ複雑そうな顔をした。これは訊いてはいけない話題だったかと慌てるけれど、ごめんと謝るのも違う気がして口を噤んだ。
 そういえば、彼はどこに住んでいるのだろう。疑問に思ったとき、「上がったな」とぽつりと声がした。
 バス停の外を見れば、厚い雲の隙間から幾筋もの陽が地上に差し込んでいる。

「本当だ」
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「もう?」
「雨が上がったからな」

 文庫本と携帯が彼の持ち物のすべてだった。立ち上がった彼を追いかけてスザクもバス停を出る。

「あの、さ」
「なんだ?」

 すたすたと行ってしまいそうなルルーシュを引き留めたくて声をかけるけれど、次に何を言えばいいのかわからなくて頭の中が真っ白になった。

「あの……」

 ただ、このまま離れてしまうのは嫌だと思った。これでお別れにはしたくない。

「また会えるかな」

 思い切って問いかけた言葉にルルーシュが小さく首を傾げ、そして口許をそっと綻ばせた。とても綺麗な笑みだった。

「雨の日で良ければ」
「え……、あ、えっと、僕、学校が終わるのこの時間なんだ。だからこの時間なら」
「わかった」

 じゃあな、スザク。
 それだけを告げてルルーシュが背を向けた。
 かろうじて「うん」と頷き、遠ざかっていく後ろ姿をぼんやり見送る。ようやく我に返ったのは、ルルーシュの背中が完全に見えなくなった頃。

「スザク、か……」

 親も友達も呼んでいる名前なのに、ルルーシュが口にしただけで何か特別なもののように感じられた。
 雨の日のこの時間なんて曖昧すぎるけれど、次の約束ができたことが今は嬉しい。
 早く雨が降らないかなと思いながらスザクは足を踏み出した。
 彼との二度目の邂逅だった。
 雨の日の夕方のバス停。それが二人の待ち合わせだ。
 雨が降ればルルーシュに会える。そう思うと、これまでは鬱陶しいものでしかなかった雨が待ち遠しいものになるのだから不思議だった。
 梅雨の時期なので条件さえ合えばルルーシュに会うことができた。もちろん天気は気まぐれなので、三日続けて会えた次の日から晴れが続き、二週間近く間が空くこともあった。
 少しずつルルーシュとの距離を縮めていく時間はじれったいような、綿菓子みたいにふわふわと甘くて心地良いような、一言では言い表せないものだ。
 最初の出会いから一ヶ月以上が経ってもルルーシュの住んでいる家の場所は知らないし、同い年という情報以外何も聞いていない。ルルーシュが積極的に話さないことから、スザクも積極的に訊かなかった。
 だけど、それを不快に思うことはない。ルルーシュと同じ時間を過ごせるだけでとても楽しかったし、一緒にいるだけで満足だった。

「幽霊?」

 雨の夜に出る幽霊の噂を聞いたのはその頃だ。
 興味本位や面白半分で皆が盛り上がり、気付けば学校中に噂が広まっていた。田舎の学校という特に狭いコミュニティの中で、誰もが退屈しているのだ。
 スザクに噂を教えてきたのは、田舎暮らしにいつも文句を言っている同級生だった。

「そ、幽霊。山の上にお屋敷があるのは知っているだろう?」
「うん」

 山の上のお屋敷と言えばこの辺りで知らない人間はいない。
 とあるお金持ちの別荘として使われているらしいその屋敷はとても大きく、敷地も広い。探検と称してこっそり山に入り、屋敷の使用人に見つかって怒られるのは子ども時代に誰もが一度は経験したことだ。

「その幽霊は雨の夜に現れる男と女の二人連れなんだよ。で、山の上のお屋敷辺りで消えるんだってさ」
「お屋敷の人じゃないの?」
「お屋敷の人ならなんで雨の日にだけ現れるんだよ。晴れのときは絶対出ないから幽霊なんだって。うちの学校だけじゃなくて大人の目撃者もいるんだぜ」

 幽霊が晴れた日に出てはいけないルールはない。そもそも、お屋敷の付近は私有地だから基本的には立ち入り禁止だ。山の上で消えると言っても、単に目撃者が姿を見失っているだけなのではないか。
 しかし、こちらから水を差す必要はないかとスザクは何も言わなかった。
 幽霊なんかで盛り上がっている彼らが子どもっぽいし、自分には幽霊よりももっと大事なことがあるのだ。
 (そういえば、ルルーシュも雨の日だけだ)
 もしかしたらルルーシュの正体は幽霊なのかもしれない。ふと思い、馬鹿馬鹿しいとすぐに打ち消した。
 だって彼にはちゃんと足があったし、偶然触れた手は温かかった。
 (でも、ルルーシュだったら幽霊でもいいかな)
 本人が聞いたら怒りそうなことを考えて、午後の退屈な授業が終わるのを待つ。
 窓の外には夏の間近を知らせる青空があった。

「もうすぐお別れだ」

 唐突な別れは梅雨が終わりを迎える頃に訪れた。

「お別れ……?」
「梅雨が明けた頃に街に戻る。多分、一週間後ぐらいだな」
「梅雨が明けたら雨が降らなくなるから戻るの?」
「雨?雨は別に関係ないぞ。だが、言われてみれば梅雨の始まりに来て梅雨の終わりに戻るのか」

 面白い偶然だなと笑う顔を見ながらスザクは口を開いた。

「君はやっぱり雨の日に出る幽霊だったの?」
「幽霊?」

 一瞬ぽかんとしたあと、何を言い出すんだとルルーシュが可笑しそうに笑う。
 もちろんスザクも幽霊の話を信じているわけではない。ただ、これほど偶然が重なっているルルーシュは何者なのだろうと今さらながらに疑問を抱いたのだ。
 学校で流れている噂を掻い摘んで話せば、ルルーシュは「そういうことか」とまた笑った。

「幽霊という点を除けば、その噂は本当だな」
「え……?」
「俺はあの屋敷に住んでいるんだ」

 初めて打ち明けられた事実に目を瞠る。この辺りでは見かけない顔だと思っていたけれど、屋敷の人間なら当然かと納得した。
 彼らは資産家として有名な一家で、過去にはこの辺りの地主のようなものだったらしく、いまだに声をかけるのも恐れ多いと思っている住人が多い土地だ。
 ルルーシュが屋敷に住んでいるのなら顔を見たことがなくても不思議ではなかった。

「もともと街のほうの家で暮らしていたんだが半年前に体調を崩してしまって、ここなら空気が綺麗だから静養に来ないかと兄姉たちに勧められたんだ」

 線の細いルルーシュだが、顔色が悪いということはない。街に戻るのなら体調はもう大丈夫なのだろう。

「でも、あの屋敷にはちょっと嫌な思い出があって……」
「嫌な思い出?」
「俺の母さんがあそこで死んだんだ」

 しとしとと降る雨の音にルルーシュの声が混じる。母親が死んだと口にした横顔はどこか遠いところを見ていた。

「事故だった。朝から雨がずっと降っていて、今日は外で遊べないからあとで本を読んであげると言われたんだ。俺はそれを楽しみに部屋で母さんを待っていた。でも、母さんはいつまで経っても来なくて、どうしたのだろうと様子を見に行ったときには……」

 膝の上に乗せられた両手がぎゅっと握り締められる。
 初めて会ったとき、ルルーシュは雨の降る景色をじっと眺めていた。あの視線の先には亡くなった母親の姿があったのだろうか。
 ルルーシュの母親がどういう人なのか、どういう事故だったのか、いつ亡くなったのか、母親がいなくなったあとルルーシュはどうやって生きてきたのか、スザクは何も知らない。
 それを聞き出すことは簡単だけど、彼が感じた喪失をすべて理解することは叶わない。

「だから、雨の日は屋敷の中にいたくなくていつも外に出ていたんだ。そんなときにスザクと出会った」

 微かに笑みを浮かべたルルーシュがこちらを向く。

「俺に話しかけてきたのはお前が初めてだったから、最初は驚いたけど嬉しかった。お前と出会えて本当に良かったと思っている」
「ルルーシュ……」
「幽霊の噂はきっと俺のことだ。雨が降っていると屋敷に戻りたくなくて夜遅くまでふらふらしているんだが、ひとりでは危ないから帰って来いと姉上が迎えをくれて。俺と使用人が屋敷に戻るのを見た誰かが幽霊と見間違えたんだろう」
「そうだったんだ」

 やっぱり噂なんて当てにならないと思いつつ、自分に幽霊のことをわざわざ教えてくれた同級生には黙っておこうと決めた。
 事情を話せば当然ルルーシュのことも話さなければならないが、そんなもったいないことはしたくない。ルルーシュとの思い出は独り占めしておきたかった。

「考えてみれば、雨が嫌なら梅雨の時期に来なければ良かったんだ。俺としたことがすっかり失念していた」

 小さく笑うルルーシュを見ながら、彼がここからいなくなってしまうことを少しずつ理解する。
 もともと街で暮らしていたようだし、屋敷にはいい思い出がないと言うくらいだからもう戻ってくるつもりはないのかもしれない。

「あと一週間でいなくなっちゃうんだね」
「ああ」
「寂しくなるね」
「そうだな。――なあ、スザク」
「何?」
「いや……、なんでもない」

 それきり会話はなかった。
 雨の音を聞きながら、二人でバス停の外をただ見つめていた。
 ルルーシュが街に戻ると言った日はすぐにやって来た。
 二日前に梅雨は明けていて、早速夏の暑さに見舞われた一日だった。
 ルルーシュは暑いのが苦手そうだから倒れなきゃいいんだけどとか、本格的な夏が来たら夏バテしそうだなとか、ルルーシュのことばかりを考えていた。
 帰りにあのバス停の前を通ったけど、もちろん誰の姿もなかった。
 オレンジ色の太陽を背中に感じながらとぼとぼ家に帰ると、一通の手紙が届いていた。
 封筒の裏にルルーシュの名前を見つけたスザクは大きく目を見開いた。鞄を放り出して自分の部屋に急いで向かう。
 ドアを閉め、鍵を掛け、息を落ち着かせてからようやく封を切った。
 白い便箋には丁寧な日本語でスザクへの礼と、これからはちゃんと高校に通うということが記されていた。
 母のことをいまだに引きずっていて、体調を崩したことも重なりすっかり投げやりな気持ちになっていたけれど、スザクと出会えたおかげで少しだけ自分を変えることができたという内容に、自分なんかがルルーシュの役に立てたのかと嬉しくなる。
 その手紙の最後には、『いつかまたスザクに会いたい』と書かれてあった。
 ルルーシュがどんな気持ちでその一文をしたためたのか、やはりスザクにはわからない。
 友達ぐらいには思ってくれていたのかどうかもわからない。
 ただ――。
 (僕も、また君に会いたいよ)
 机の上にぱたぱたと水滴が落ちる。なんだろうと頬を触り、泣いている自分に気付いて鼻を啜った。だけど、涙はあとからあとから溢れてどうしようもなかった。

「ルルーシュ……、僕は……」

 好きだった。
 多分、初めて会ったあの日からずっとルルーシュが好きだった。
 どうして今ごろ気付いてしまったのだろう。気付かなければこんなに胸が苦しいことはなかったのに。
 もっとたくさん話せば良かった。雨の日じゃなくても会えば良かった。好きだと伝えれば良かった。
 夕暮れ色に染まった部屋の中でひとり泣き続ける。
 人を好きになって泣いたのは初めてだった。
 その後、スザクは街の大学へ進むことを決めた。ルルーシュがそこを受験すると人伝に聞いたからだ。
 不純な動機を人は馬鹿にするかもしれない。でも、それがスザクの決心だった。好きな人に好きと言えないまま離れ離れになるのはきっと人生で一番の不幸だ。
 だから、今度は悔いが残らないように。雨が降らなくても会えるように。
 ルルーシュに好きだと伝えるのだ。
 (14.01.13)