彼は皇帝となり、その身も心もすべて国に捧げてしまったのだなと思うときがある。
それは些細なことだ。
たとえば、分刻みでその日の行動が決められていたり、一年先まで予定が埋まっていたり、個人の意思で好き勝手に動き回れなかったり、プライベートのときも常に人の目を気にしていたり、二十四時間常に国や国民のことを考えていたり。
どれもこれも些細なことだけど、どれも確実な変化だった。
彼の変化を顕著に現しているのは、世界でもっとも愛し、ほかの何を差し置いても最優先にしていた最愛の妹を特別扱いしなくなったことだろう。
皇子時代はいつもナナリーナナリーだったのに、最近では妹の名前を口にすることがなくなった。口にする場面がないというだけのことかもしれないが、毎日、毎時間、場合によっては毎分ナナリーの名を聞いていたので、日に一度もナナリーと言わなくなったことは驚愕であり、身体でも壊したのではないかと心配になるほどである。
もちろん、彼の愛情は今でも妹に注がれている。名前を呼ばないから愛が薄くなったとは思わないし、心の中ではいつも気にかけているに違いない。
ただ、目に入れても痛くないほど可愛がっていた妹を優先せず、公私混同を徹底的に避けている彼の意志の強さと皇帝としての自覚は、誇らしく思うと同時にほんの少しの切なさを感じさせた。
彼はもうただの人ではない。それを寂しく思うのは騎士として失格なのだろう。
「陛下はいらっしゃいましたか?」
「いえ」
「あの、ナイトオブゼロ様に申し上げるのは恐縮なのですが、お姿が見えなくなってそろそろ一時間が経ちます。万が一ということもありますし、本格的に捜索隊を編成してお探ししたほうがよろしいのでは……」
「心配には及びません。陛下は必ずこの城の中にいらっしゃいますから」
にっこり笑って断言した皇帝の騎士に、文官は戸惑いの表情を隠さなかったけれど、城の中にいるから捜索隊は必要ないと言われれば従うしかない。
では引き続き探してみますと頭を下げた文官がその場を離れると、騎士はそっと嘆息した。
世界一の大国で、世界最強の武力を誇り、世界各地を支配し、自国民にも弱肉強食を徹底させ、急激な成長を遂げてきた神聖ブリタニア帝国。
しかし近年は方針を転換して融和路線をとり、植民地の解放を機に平和的な統治を目指している。若干十八歳で即位した新皇帝の代になってからはその傾向が顕著で、戦争によって利益を得てきた特権階級からは反発の声も上がっているが、一般市民からの支持は絶大だ。
すでに賢帝の呼び声が高く、人気も高い。即位からわずか半年足らずで、彼は歴史にその名を刻もうとしていた。
そんな皇帝陛下が姿を消した。
これは一大事と、日頃は冷静沈着な臣下達が大慌てで騎士のもとにやって来たのは当然のことだろう。
誘拐か。暗殺か。その場にいた全員が色めき立つ中、騎士は至って冷静に「とりあえず城の中を探しましょう」とにこやかに言った。
「陛下の執務室にお姿が見えないというだけで、ほかの場所にいらっしゃるかもしれないですし、すぐに見つかった場合、陛下もバツが悪いでしょう。あまり大騒ぎして陛下に敵対する勢力に勘付かれるのも得策ではない。それまでは内密に動いてください」
皇帝の騎士にそう言われたら従うしかない。ひとまずこの場にいる者達で捜索を行うこととし、陛下を発見次第、連絡するということで皆は城中に散った。
それから一時間。たったの一時間ではあるが、皇帝の不在としては充分長い。
捜索している者達も焦れ、ここは武官も加えて大規模な捜索隊を組むべきだという意見も上がってきた。先ほどの文官が出て行ったかと思えばすぐに別の者が来て、これ以上は悠長に探していられませんと涙ながらに訴えられたばかりである。
こうなってはのんびり時間稼ぎをするわけにもいかなくなってしまった。
「わかりました、あと十分だけ待ってください。十分経ったらジェレミア卿に連絡しますから、それまでは決して動かないように」
これだけ探しても見つからないのに、たった十分で何ができるのか。指示された文官は訝しげな顔をしていたが、それでも騎士の言葉に逆らうことはできないと、不承不承ながらも頷いてくれた。
くるりと方向転換した騎士は地面を蹴り、長い回廊を駆け抜けた。
(参ったなぁ。よりによって僕が外しているときに不在が見つかるなんて)
皇帝陛下には悪い癖がある。
ほかの人間にはまだ気付かれていない、皇帝と騎士の二人だけの秘め事と言ってもいい悪癖だ。
それは、ふらりと姿を消して城の中でかくれんぼをすることだった。
かくれんぼと言っても遊んでいるわけではない。ただ、彼がひとりきりになりたいと思ったときにそういうことをするのだ。
己の責務をしっかり自覚している彼だから、忙しいときに面倒を起こしたり、臣下に迷惑をかけたりすることはない。時間があって、次の予定も詰まっておらず、騎士のほかには人がいないときにだけこっそり部屋を抜け出す。しかも、行き先はだいたい決まっているから、本気で雲隠れするつもりはないのだ。
だから、そのことを知っている騎士はいつも三十分だけ彼に時間をあげていた。
ほんの三十分ではあるけれど、二十四時間三百六十五日、常に皇帝として存在しなければいけない彼にとっては貴重な時間である。
(でも、今日は失敗したな)
いつも通り三十分が過ぎたら迎えに行くつもりだったのに、途中で呼び出されてしまった。その間、タイミング悪く文官が執務室を訪ねてきた。そこで皇帝の不在が発覚し、この大騒ぎとなったのだ。
相手が一人や二人ならば口止めもできたが、皇帝付きとなっている全員に緊急事態が伝達されたあとでは事態の収拾が難しい。
こういうことはよくあるのだと言うわけにもいかないし、彼をすぐに連れ戻すのも可哀想だと思ってのらりくらりと対応していたものの、この辺りが限界だろう。ジェレミアにはそれとなく皇帝の悪い癖を伝えていたから、発見の連絡さえすればあとは彼が上手く取り計らってくれるはずだ。
(とにかく、まずは居所を突き止めないと)
隠れ先は三箇所ある。そのうちの二箇所は臣下達によってすでに捜索されているから、残りは一箇所。
足を止めた騎士は、長い長い螺旋階段を見上げた。
ここは皇帝と皇帝に許された一部の人間しか立ち入れない棟だ。その最上階に小さな部屋がある。皇帝は恐らくそこに隠れているのだろう。
(階段を上って来いってことか。人が悪いなぁ)
階段の横にはエレベーターが備わっているが、表示は『停止中』になっている。騎士以外の人間が来ないよう、彼がわざと止めたに違いない。
僕以外の人だったらこの階段を見ただけでうんざりするよ、と思いながら騎士は最初の段に足を掛けた。足裏にぐっと力を込め、三段抜かしで階段を駆け上っていく。そのうちじれったくなり、四段、五段と一気に飛んだ。
ものの数分で最上階まで到着すると、頑丈なドアの横のパネルに手を伸ばし、素早く暗証番号を入力した。教えられたわけではないけれど、初めて皇帝がかくれんぼをしたときに思い当たる数字を入力したらたまたま正解だったのだ。以来、どこへ隠れても必ずこの数字でロックは外れた。
これって愛されてる証拠じゃないかな、と緩みそうになる顔を騎士は引き締めた。
ドアを開けた途端、遅いと文句が飛んでくるのではと予想したけれど、部屋の中はしんとしていた。おや? と首を傾げて奥に進む。
彼のお気に入りのソファまで行った騎士は、そこで静寂の理由を知った。
「気持ち良さそうだなぁ」
長椅子に横たわり、組んだ両手を胸の上に乗せたまま、ブリタニア皇帝がすやすやと眠っていた。
連日、交渉国との通信による会談が明け方まで続いていたから疲れているのだろう。そういうときはせめて朝を遅くしてあげたいのだが、ブリタニア皇帝にのんびりしている暇はない。日中は日中で国内の政策検討や問題対応に当たらなければいけないし、定例会見や会議にも出なければいけなかった。
その上、皇帝でありながら自ら先頭に立とうとするため、騎士の気持ちとは裏腹に、彼はなかなか休もうとしないのだ。たまにこうして姿を消すものの、これだって頻繁にあるわけではないから、さほど休養にはなっていないだろう。
「できればもっと休んでほしいけど、皇帝一年目じゃ無理だろうな……」
もっとも、彼の場合は十年経っても二十年経ってもこの忙しさを継続しそうだ。
だったら早く引退して、あとは僕と二人きりでゆっくり気ままに余生を過ごすのもいいんじゃない? と騎士にあるまじきことを考える。
胸元から携帯を取り出し、登録している番号にかけるとすぐに相手は出た。
「ジェレミア卿ですか? はい、陛下を発見しました。ええ、もちろんご無事です。皆にはそれぞれの持ち場へ戻るよう伝えてください。それと、陛下は少しお休みいただこうと思うので、しばらくしてから戻ります。次の予定まではまだ余裕がありますよね? ええ、はい、よろしくお願いします」
何があっても陛下第一なジェレミアは、どんなに忙しくても決して手を抜かない皇帝のことをよく知っている。時間さえ許せば休んでもらいたいという思いは騎士と同じなので、あとのことはジェレミアに任せて問題ないだろう。
「さて、と」
改めて寝顔を見つめた。微かな息遣いがなければ死体か人形かと見間違うほどだ。
連日の疲れでまた少し痩せたけれど、それがかえって顔の造形の素晴らしさを際立たせている。
新皇帝は若い女性からの支持が異様に高いと言われるが、こんな美貌の持ち主が自分達の王として君臨しているのだ。彼女達が熱を上げるのは当然だろう。
(そういえば、一部男性からの支持も高いんだっけ。政策や政治手腕を評価してではなく、陛下個人に対する熱狂的な支持が)
昔の話に出てくる傾国の美女とはこんな感じだったのかもしれない。男も女も老いも若きも惑わし、その国を滅ぼす。
(でも、君に滅ぼされるのなら本望だって思うのかな)
帝国の騎士が何を考えているのだと笑い、ソファの前で跪く。
なめらかな白い頬をグローブ越しに触れば、彼が微かな吐息を漏らした。それから懐くように頬を擦り付ける。
猫みたいで可愛いと笑みを零した騎士は、顔を寄せて口付けた。
おとぎ話のお姫様はこれで目が覚めるけれど、我が皇帝陛下はどうだろうと待っていたら薄い瞼がぴくりと動いた。その下から紫色の瞳が表れ、感動にも似た心地になる。
彼はいつだって美しい。
寝ているときも起きているときも、人々の前で演説しているときもひとりで書類を読んでいるときも、真剣に怒っているときも拗ねたときも、喜んでいるときも笑ったときも。
(君はいつだって綺麗だ)
しばらくぼんやりと天井を眺めていた瞳が横を向き、そこに騎士の姿を映し出した。
「遅い」
開口一番は文句で、騎士は苦笑いを浮かべた。
「すっかり寝てしまったではないか」
ソファから起き上がろうとする身体を支えながら、申し訳ございませんと謝罪した。
「ほかの仕事が入ってしまい、お迎えが遅くなりました」
「ほう、私の不在中にほかの仕事をしている余裕があると?」
「そういうことではありません」
「どういうことだとしても、お前が俺を放っておいた事実に変わりはないだろう。ところで今は何時だ」
時間を伝えると、皇帝は一瞬動きを止めた。
「……私を謀っているのか?」
「まさか。嘘でも冗談でもなく事実です。いつもは三十分でお迎えにあがるのに、今日は一時間以上もかかってしまい申し訳ございません。自分の不在中にほかの者達が陛下のお姿が見えないと騒ぎ出し、下手に動けなくなってしまったのです。ああ、今は休憩中にしましたのでご安心ください」
「安心できるか。次から脱走がしにくくなる」
「どちらへ?」
立ち上がった皇帝を見上げると、彼は跪いている騎士をじろりと睨んだ。
「戻るに決まっているだろう。これ以上、俺への監視が厳しくなったらたまらない」
「監視ではなく、危険を回避するための見張りです」
「どちらも一緒だ。とにかく戻る」
歩き出した皇帝を騎士は慌てて引き止めた。無礼を承知で細い手首を掴む。
「時間ならまだ大丈夫ですから、もうしばらくここでお休みください」
「休憩なら充分取った」
「昨夜も遅かったではないですか。たまにはゆっくりされてください」
己の騎士を一瞥すると、皇帝はその手を振り払った。やんわりとではあったけれど、明らかな拒絶に騎士は目を見張る。
「お前が大事なのは自分の立場だろう」
「何をおっしゃっているのですか?」
「お前は俺のことを心配しているのではなく、騎士としての働きを周囲にアピールしたいから心配するふりをしているだけだ」
彼らしくない言葉に眉をひそめた。本心でこんなことを言っているとは思えないが、先ほどからの態度はどこかおかしい。
でも、原因がわからない。
気付かないうちに不興を買うようなことをしただろうか。それとも、積もり積もった不満が今になって爆発したのか。
(まさか、僕に対してずっと不満を抱いていたんじゃ……)
主従関係にある彼とは、同時に恋愛関係でもあった。これはもちろん周囲に秘密で、お互いのほかには誰も知らないことだ。
しかし、もし彼が騎士に不満を持っていたのなら、恋人としても不満を持っていた可能性がある。
だとすれば事態は深刻だ。これは騎士にとっての一大事だ。
「つまり、自分は陛下のことを第一に考えていないと、陛下はそうお考えなのですか?」
「それが事実ではないか」
「自分はいつだって陛下のことしか考えていません」
「嘘をつけ! だったらなぜいつもいつも時間を置いて俺のことを…!」
皇帝がはたと口を噤んだ。余計なことを言ってしまったという顔をしている。
騎士は首を傾げ、今の発言の続きを予想し、それから「もしかして……」と口を開いた。
「お迎えにあがるのが遅いから、それをご不満に思われていたのですか?」
「ち、違う! そういうことではなく」
「では、どういうことですか?」
不敬と罵られるのを覚悟で顔を近付ければ、皇帝は今度こそ言葉に詰まっていた。
「…っ、その敬語だってわざとらしいんだ! 今までは普通だったくせに!」
「今までって、アリエスにいた頃のことですか? お恥ずかしい話ですが、あの頃はまだ公私を分けることに慣れておらず、アリエスではさほど行儀作法をうるさく言われなかったのでそれに甘えている部分もありました。しかし、皇帝の騎士となればその言動は注目されます。どこに誰が潜んでいるか、何を見られて何を聞かれているかわかりませんし、ジェレミア卿からも注意されましたから、皇帝の騎士をしっかり務めようと決意を新たにしてこの半年を過ごしてきたわけですが……」
騎士の話を聞いていた皇帝の頬が少しずつ赤くなっていく。視線をうろうろさせ、明らかに動揺していた。少し思案した騎士は、皇帝の両腕を掴むと抱き寄せた。
それから耳元に唇を近付け、ルルーシュ、と囁く。
彼がびくりと身体を震わせた。
「そっか、拗ねてたんだね」
「拗ね……っ、違う! 俺はただ……」
「ただ?」
華奢な身体を抱き締め、耳朶を柔く噛んだ。腕の中の身体がまた反応する。
「ごめん、僕なりに騎士として振る舞っていただけなんだけど、ルルーシュを不安にさせたら意味がないよね。前もって宣言しておけば良かったのに、ごめん」
「別にお前のせいでは……」
勝手に勘違いして勝手に不満を抱いたのは俺のほうだし、俺のほうこそすまなかった。
ぼそぼそとした謝罪に、やっぱりルルーシュは可愛いなぁと頬を緩める。
彼としては、己の騎士がこれまでの態度をいきなり変えてきたから驚いたのだろう。アリエスの離宮で過ごしていた頃は隙を見ては二人きりの時間を作っていたのに、皇帝になった途端、プライベートでもスキンシップが減ったのだ。心変わりしたのではないかと疑われても仕方がない。
騎士として決意するのは勝手だが、そのせいで肝心の主を不安にさせたのでは無意味だ。僕もまだまだだなと反省して、彼を抱く腕に力を込めた。
「もしかして、僕が毎回君を迎えに行くのもただの義務だと思ってた?」
「それは……」
「僕としては、この時間が君との逢瀬のつもりだったんだけど」
「っ、だからそういう恥ずかしい単語をいちいち口にするな」
「淫語を言ったわけじゃないのに」
「淫語って言うな! だいたい、今まで公務中でもプライベートでもずっと敬語を通してきたくせにいきなり普通の喋り方に戻るな!」
「だって、僕が敬語を使ったらルルーシュが悲しむから」
「悲しんでなんかいない!」
「暗証番号を僕の誕生日にしていたくせに」
「それはたまたまだ!」
「ふぅん。まあいいや。とりあえず半年間のすれ違いを埋めさせて?」
「は?」
ぽかんとした顔に笑いかけ、柔らかい頬を両手で包むと触れるだけのキスをした。
目を開けたまま口付けを受けた皇帝は何かを言いかけたが、唇をきゅっと結ぶと自分を抱き締める騎士の胸にもたれかかった。
「……お前は極端すぎる」
「だから悪かったってば」
「でもまあ、お前に振り回されるのはいつものことか」
なだめるように背中を撫でると、彼の腕が騎士の背に回る。
「初めはお前を困らせてやろうと思ったんだ。俺がいなくなればお前は慌てふためくだろうって」
なんのことかと首を捻り、二人きりのかくれんぼの話だと思い至る。
「でも、お前は特に焦った様子がないし、だんだん迎えに来るのが遅くなるし、だから、お前は俺に呆れているんじゃないか、俺がいなくなったことにすら気付いていないんじゃないか、そのうちお前ではない別の人間が探しに来るんじゃないかって、そんなことを勝手に考えて勝手に不安になっていた」
口で言わなければわからないのにな、と自嘲気味に吐き出された懺悔に首を振る。
「僕のほうこそちゃんと言えば良かったんだ。君は皇帝になったばかりで疲れているだろうから、三十分でも一時間でも休めるのなら休ませてあげたいと思っていたけど、こちらの意図を察しろなんて無理な話だよ」
だからお互い様、とあえて明るい調子で言う。そうだなと同意した彼が顔を上げた。
「俺もお前も立場があって、今までのように過ごすことは難しくなってしまったが、せめてプライベートのときは今まで通りでいよう」
「うん」
「では戻るか」
腕から離れようとした細い体を、しかし騎士はがっちりと拘束した。
「おいスザク、離せ。俺の不在で騒ぎになっているんだろう? もう戻らないと」
「しばらく休憩していくって伝えているから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃない。仕事だって溜まっているのに」
「仕事が溜まっているのに僕の気を引きたくてわざわざここに隠れたの?」
「うるさい、とにかくだな――」
続く言葉は唇の中に吸い込んだ。
先ほどまで拗ねていじけていたくせに、誤解が解けた途端、皇帝の顔に戻るのはずるい。
(こっちは可愛い不満を伝えられて騎士の顔に戻れそうにないのに)
それに、かくれんぼで彼を見つけたご褒美をまだもらっていない。
片手で顎を掴み、もう片方の手で後頭部を引き寄せる。
「あ……、ンっ」
思えば半年ぶりのキスである。よく半年も禁欲生活を続けられたものだと、自分自身を大いに褒めたい気分だ。
皇帝の騎士ならばそれが当たり前だと、我慢を我慢とも思わずに過ごしてきたけれど、一度触れてしまったら駄目だった。彼への愛しさと本能的な欲求が入り混じり、この腕の中に彼を閉じ込めているのだと思ったらたまらない気持ちになる。
合わせた唇の隙間を舌先でくすぐるように舐めれば、戸惑いつつも彼のほうから舌を差し出してくれた。
互いのものを擦り合わせると、背中に縋り付く腕が強くなる。
「んぅ、ん……、すざ……っ」
喘ぐように名前を呼ばれた。ぞくりとしたものが背筋を走り、騎士は皇帝を掻き抱いた。
細い腰はこれ以上力を入れたら折れてしまいそうで、肉付きの薄い身体はまだ大人になりきれていない。
この彼がこの国の皇帝で、世界の頂点に立っているのだ。ブリタニアという大国の未来がこの肩にかかっているのだ。改めてそのことを実感し、今さらながらに畏れ多いような気持ちになった。
「は……ぁ」
名残惜しさを抱きながら唇を離す。もっと触れていたいけれど、与えられた時間は短い。あまり待たせると臣下達がまた騒ぎ出すかもしれない。
黒髪を撫でれば、荒い呼吸を繰り返していた彼が肩に懐いてきた。
(すごいな、ルルーシュは)
まだ二十歳にも満たない少年なのに、皇帝の重責を感じさせることなく堂々と振る舞っている。果たして自分はそんな彼の支えになれているのだろうか。
「まだまだだなぁ」
「何がだ?」
「騎士としてまだまだだなって思っただけ」
「なんだいきなり。お前は立派に騎士を務めているじゃないか」
「だって、君をここに閉じ込めて僕だけのものにしておきたいと思うような不届き者の騎士だよ?」
「何を言っているんだ」
冗談だと受け取ったのか、くすくす笑う彼の頬を確かめるように両手でなぞる。
「本気だよ。君は僕だけを見て、僕だけを感じていればいいんだって心の中では望んでる」
呆れるに違いないと思った皇帝は、予想に反して柔らかく微笑んだ。
「俺はいつだってお前のものじゃないか」
「君はそう言うけど……」
「確かに、ルルーシュ皇帝はこの国のものだ。だが、ただのルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはお前だけのものだ」
「ルルーシュ……」
「それでは不満か?」
下から覗き込んできた彼は笑っていた。悪戯っ子のような顔を惚けたように見た騎士は、それから小さく吹き出した。
「さすがルルーシュ。懐が深いなぁ」
「当たり前だ。この俺だぞ」
「うん、惚れ直しちゃう」
二人で一緒に笑い合い、もう一度だけ軽くキスをすると、「じゃあ戻ろっか」と騎士のほうから切り出した。
このままここで二人きりの時間を過ごしたいけれど、自分達にはやるべきことがある。
「そうだ、今夜は久しぶりに君の部屋に行っていい?」
「いいぞ」
この半年、騎士として皇帝を部屋まで送ることはあったけれど、中に入ることは我慢していた。久々の逢瀬が叶いそうで、騎士の顔は締まりなく緩んだ。
「明日は一日休みだからね」
「ああ、半年ぶりの休みだな」
白い手を掬い上げた騎士は、手の甲に口付けると上目遣いに彼を見つめた。
「では今夜は御覚悟くださいね、陛下」
きょとんとしていた皇帝の白い頬が見る見るうちに朱色に染まる。
「スザク!」
「さ、今夜のために早く仕事を終わらせてしまいましょう」
「この…っ、調子乗るんじゃない!」
「ジェレミア卿やみんなが待っていますからお早く」
にっこり笑った騎士に、皇帝は盛大な溜め息をつくと歩き出した。エレベーターのロックを解除し、二人で乗り込む。
「次はすぐに探しに行くから」
首を傾げた皇帝に柔らかな表情を見せた。
「君がどこに隠れても僕が必ず見つけてあげる」
彼は言葉を返さなかったけれど、嬉しそうに口元を緩めてくれた。
軽やかな音がしてエレベーターが止まる。外に出て扉を開けると、そこにはジェレミアを始めとした臣下達が待っていた。かくれんぼの時間はもう終わりだ。
「迷惑をかけてすまなかった。次の予定まであと二十分だな?」
「はい」
「では、行くとしよう」
肩にかけられたマントを翻し、彼が足を進める。その斜め後ろをついて歩いていた騎士は、皇帝の口元が微かに笑んでいることに気付いた。釣られるように笑ったあと、騎士は表情を改めた。
ここから先の二人は帝国の皇帝とその騎士だ。その役目を投げ出すつもりはない。
(ルルーシュを守るのは僕だ。僕以外の人間に譲るものか)
醜い独占欲を彼に悟られないよう、心の中に仕舞い込む。
守ることも、見つけることも、腕に抱くことも、愛することも、そして、愛されることも。
皇帝からすべてを許されたのは帝国でただひとり、彼の騎士であることをブリタニアの臣民は知らない。
それは皇帝と騎士だけが共有する絆であり、甘い秘密だった。
(17.08.31)