※前作『恋という』の続きです。
「俺は病気かもしれない」
重々しく口を開いたルルーシュに、ケーキを頬張っていたユーフェミアがこてんと首を傾げた。
もっと行儀良く食べるようにと注意するのに、「これはやけ食いなの。だからお行儀なんてどうでもいいの」とひとつ年下の異母妹は聞く耳を持たない。天真爛漫で絵に描いたようなお姫様で何不自由なく暮らしていて苦労とは無縁そうな妹も時にはストレスを感じるらしい、とユーフェミアが聞いたら怒りそうなことをルルーシュはこっそり思った。
彼女のストレスの原因は、姉に命じられている縁談の件だろう。
ユーフェミアが騎士選びに難色を示したところ、彼女の言い分ももっともだとあっさり引き下がった姉のコーネリアは、その翌週に「だったらこの中から将来の婿候補を選べ」と大量の見合い相手の写真を持ってきたそうだ。
何がだったらなのかちっともわかりません! と憤慨していたユーフェミアは、当然縁談には一切興味を持っていなかった。
結婚に対する憧れは抱いているようだが、まだ十代の学生である。憧れの中の結婚と、現実的な縁談とでは大きく異なるのだろう。少女らしい夢を見ていたらいきなり生々しい現実を突き付けられたわけで、「お姉様には乙女心というものがわからないのです」と彼女がぷりぷり怒るのもわかる気がした。
それにしてもなぜ姉上はいきなり見合い話など持ってきたのかと、ルルーシュはこの一件を耳にしたときに首を傾げた。
ユーフェミアを溺愛している姉は、愛する妹をいつまでも自分の手元に置いておきたいはずである。ルルーシュだって愛するナナリーにはいつまでも側にいてもらいたい。どこの馬の骨ともわからない男に最愛の妹を譲るなんて考えただけで虫唾が走る。そういう気持ちは姉も同じはずだと考えていたから今回の縁談は意外だった。
推測するに、恐らくコーネリアは今すぐ結婚させたいわけではないのだろう。しかし、年頃の娘であればいずれは縁談が持ち上がってくるし、皇女である以上、避けては通れない話でもある。
とは言え、姉のお眼鏡にかなった相手でなければ許しがたい。貧弱な男は言語道断。大事な妹を任せるのならば身分も地位もあって、屈強な武人が望ましいと考えているかもしれない。ならば今のうちから相手を選んで精神的にも肉体的にも鍛え上げようという魂胆ではないか、というのがルルーシュの想像だ。
相手の身上をしたためた書類をユーフェミアから見せてもらったが、そうそうたる顔ぶれが並んでいた。よくもまあここまで集めたものだと感心と呆れの両方を抱いたルルーシュだが、もしこれがナナリーの縁談だったら当然の措置かと納得もした。
妹の気持ちは尊重したい。一方で、幸せになってほしいからこそしっかりした相手を選んでもらいたい。それが姉心であり、兄心なのだ。
だから、縁談を押し付けられる形となったユーフェミアが怒るのは致し方ないと理解しつつ、コーネリアが先走って縁談を勧めてくる気持ちにも一定の理解を示していた。
そのことを話せば、「結局ルルーシュはどちらの味方なの?」とユーフェミアは頬を膨らませたけれど、どちらの味方をするか簡単に決められる話ではないのだ。
「自分の騎士を持っている人は余裕で羨ましいわ」
それが八つ当たりによる嫌味だとわかっているから、ルルーシュは反論せずに苦笑いだけで済ませた。騎士の件でもユーフェミアは拗ねていたし、とにかく積もりに積もった愚痴を言いたいのだ。
そういうわけでこの数ヶ月の間、時間があるときは午後のお茶と共に彼女のお喋りに付き合ってきたのだが、今日は少し事情が違った。
いつもは聞き役に徹しているルルーシュは、お茶のおかわりが運ばれて二人きりになると「ユフィだけに聞いてもらいたいことがある」と切り出した。
いざ話すとなると迷いが生じたけれど、ケーキを食べていたユーフェミアに「なぁに?」と促されてようやく口を開き、ナナリーにも騎士であるスザクにも隠していることを伝えた。
それが「俺は病気かもしれない」という内容だった。
「病気ってどういうこと?」
「病気は病気だ」
「病気は病気ですけど、いろんな病気があるでしょう? 病気の種類を言ってもらわないとわからないわ」
「……胸の、多分、心臓だと思う」
「思うってことは正確な診断じゃないってこと? お医者様には診てもらったの?」
「いや、医者には診てもらっていない。重篤な病気だった場合、今後のことを考えなければならないし、万が一、余命幾ばくもないと宣告されたらさすがの俺もショックを受ける。だから、その前にユフィに聞いてもらいたかった」
「ナナリーやマリアンヌ様には?」
「いたずらに心配させたくないから話していない」
「スザクは?」
「スザクにもまだだ」
まあ、とユーフェミアが驚いた声を出す。
「スザクにも言っていないなんてよっぽどね。大事なことは真っ先にスザクに打ち明けると思っていたのに」
「大事なことだからこそ言えない場合もあるんだ」
「それはつまり、相手が大事な人だからってことね」
「あ……いや、違うんだ、ユフィが大事じゃないと言っているわけではなく、君なら話しやすくて、その」
慌てて訂正すれば可笑しそうに笑われた。
「蔑ろにされているなんて思っていないから大丈夫よ。ルルーシュがナナリーとスザクのことをほかの誰よりも大事にしているのは事実だし」
「ユフィだって俺の大事な妹だ」
「ありがとう。それで、病気って言うけど具体的にはどういう症状があるの?」
ユーフェミアがケーキの皿をテーブルに戻した。よほど深刻な顔をしていたせいか、ルルーシュの悩みの深さを察してくれたらしい。
「症状としてはたまに動悸が激しくなって、息が苦しくなることがある。心筋梗塞か、それに近い心臓の病かもしれない」
「たまにってどのくらい?」
「日に何度もあったり、一日に一度ぐらいだったり、不定期でまちまちだ」
「じゃあ息苦しくなるのは?」
「それも不定期だな」
「寝ているときにも苦しくなるの?」
「夜はあまりないな。睡眠中だから実際は症状が出ているのかもしれないが、苦しくて目が覚めることはない。――でも、寝る直前に息苦しくなることはある」
「寝る直前?」
「ああ、考え事をしていたら……。法則というほどのことではないが、苦しくなるときに現れる症状はいつも同じだな。考え事をしていると心臓をぎゅっと掴まれたように苦しくなって、それから体温が少し高くなるのを感じる。体温というか、正確には顔だな」
「顔? 顔が熱くなるってこと?」
「顔とか耳とか、あとで鏡を見てみたら首の辺りまで少し赤くなっていることがある。でも蕁麻疹のようなものは出ていない。ただ熱くなるだけなんだ。アレルギーの症状とは違うようだ」
「じゃあ動悸が激しくなるのはどういうときが多いの?」
まるで問診のようなやり取りだ。ひた隠しにしていたことをようやく打ち明けることができて気持ちが軽くなったのか、ルルーシュは包み隠さず症状を伝えた。
「予兆もなく鼓動が速くなってしばらくすると収まるんだ」
「それは心配ね。でも、今までの定期健診で悪いところはどこもなかったんでしょう? 突然発症する病気もあるけど、ルルーシュはまだ十代なのよ」
「だが、現に症状が出ているし病気に年齢は関係ない。自分でも気付かないうちに日頃の生活習慣が身体に負担をかけている可能性はある」
「ちなみに、いつ頃から症状に気付いたの?」
「五ヶ月ほど前だ。七月の半ばぐらいだな」
「よく覚えているわね」
「もちろんだ。その頃から特定の人物の側にいたり顔を合わせたりすると動悸が激しくなったんだから」
「特定の人物?」
「そういえば、もうひとつ法則があったな。その人物のことを考えるときだけ息苦しくなるんだ。まあ、これはただの偶然だろうが」
ははっ、とルルーシュは笑った。考え事に合わせて病気が反応するはずがない。その人について考えることが多いから、たまたま症状が出るときと考え事をしているときが重なるだけだ。
ふと見れば、ユーフェミアが何やら難しい顔をしていた。
「ユフィ?」
「最初から整理させてちょうだい。たまに胸が苦しくなってドキドキするのよね」
「ドキドキではなく心拍数が上がるんだ」
「心拍数が上がるのはドキドキするって意味よ。で、そういう症状は誰かのことを考えているときばかりなのね」
「ばかりかどうかは検証していないからわからない」
「もう、検証はいいからはっきりさせて。寝る前に考えるのもその人のことなんでしょう?」
なぜか急に勢い込む妹に、ルルーシュは椅子の上で若干のけ反った。
「その人のことを考えたり、その人の側にいるときだけ症状が出る。ほかの人の前では何もない。これでいい?」
「あ、ああ」
探偵のように顎に指先を当てたユーフェミアが思案する。常にはない妹の真剣な様子に、ルルーシュは固唾を呑んで見守った。
「なるほど、そういうことなのね。――わかったわ、ルルーシュ」
「わかったとは?」
「症状の原因よ」
「原因? 医者でもないのに病気の原因なんて」
「確かに病気は病気だけど、これはお医者様では治せない病気だわ」
「どういう意味だ」
ユーフェミアが顔を上げる。その目が光ったのは気のせいだろうか。
「恋の病よ」
「……は?」
「だって、ある人のことを考えているときだけドキドキしたり苦しくなったり顔が熱くなったりするんでしょう? そんなのただの恋煩いじゃない。もう、深刻そうに打ち明けられたからどんなに大変な病気かと思ってビックリしたわ」
「こいわずらい……?」
「恋よ、恋。恋ぐらいわかるでしょう? 魚の鯉じゃないわよ」
「辞書的な意味ぐらいわかる!」
「もしかしてルルーシュ、初めてなの?」
「何がだ」
「誰かに恋することが」
さらりと問われた内容に頭の中が真っ白になった。
言葉の意味としては知っている。しかし、それが直接自分に関わってくるとは一度も想像したことがなかったから、にわかには信じがたかった。
「つまりこれはルルーシュにとって初恋ってことね」
何が楽しいのか、ユーフェミアはひとりで盛り上がっている。そんな妹をルルーシュは呆然と眺めた。
「ナナリーにも教えてあげなきゃ」
「そ、それはやめてくれ!」
「あら、どうして。私達のお兄様が初恋をしたんだからお祝いしなきゃ」
「祝わなくていい! 誰にも言うんじゃない!」
絶対に言うなと脅すように頼み込めば、ユーフェミアが可愛らしく頬を膨らませた。
「じゃあ、せめて誰を好きになったのか教えてちょうだい」
「え……」
「貴族のご令嬢? まさかアリエスの使用人? うちの使用人ってことも有り得るのかしら。ねえ、絶対に秘密にするから私だけに教えて、ルルーシュ」
無邪気なお願いに、ルルーシュは無意識にひとりの人物の顔を浮かべた。すぐに打ち消すけれど、一度現れた顔はなかなか消えてくれなくて動揺する。
「ねえねえ、ルルーシュの想い人は誰なの?」
「そ、そんなのはいない!」
「今さら隠さなくたっていいじゃない」
「お、俺は恋なんかしていない!」
「逃げるなんてずるいわ」
「逃げてないし隠してもいない! とにかく俺は病気なんだ! そうだ、今から医者を呼んで診てもらう。そしたら症状の原因もはっきりするだろう」
「だからルルーシュのは恋煩いだと」
「帰る!」
「あっ、逃げるのは卑怯ですよ!」
ルルーシュは椅子から立ち上がって大急ぎで部屋を出た。卑怯と言われても止まるわけにはいかなかった。ユーフェミアからナナリーに話が伝わる可能性は考えたけれど、悠長に口止めしている余裕もない。
誰を想って苦しくなるのか。想い人の正体を悟られてはいけないのだ。
(言えるわけがないだろう!)
脳裏に浮かんだ顔が自分の騎士であるスザクだなんて、墓場まで持って行かなければならない秘密である。
「ルルーシュ殿下、こちらの案件なのですが」
文官から受け取った書類を持ってスザクがやって来た。
つかの間の休憩時間。ソファに腰かけて本を読んでいたルルーシュは、目を上げると同時に「ほわぁっ!」と声を上げていた。書類を見せるために中腰になっていたスザクが目を丸くしている。
「どうされましたか?」
「い、いや、なんでもない。今のは、その、虫がいると錯覚しただけだ。とにかくなんでもない」
勢いよく本を閉じ、今度はその音にびくりと反応する。スザクが怪訝そうな顔をしていた。
「ご様子がおかしいようですが」
「いつも通りだろう。それよりその書類がどうした」
まだ眉を寄せているスザクだが、仕事を片付けるほうが先と判断したのか、こちらですと書類を差し出した。
「クロヴィス殿下の新美術館建設に関する工事計画書のようです」
「なぜそんなものが私のところに来る」
思い切り顔を顰めればスザクが苦笑いした。
「シュナイゼル殿下から回ってきたようです」
「だったら兄上の案件だろう。私が見る必要はない」
「そうなのですが、シュナイゼル殿下からぜひルルーシュ殿下にとご指名で」
「そんなもの指名されても嬉しくない。どうせ面倒がって私に回してきただけだ」
「しかし、宰相閣下からのご依頼を無下にするというのも……」
スザクが今度は困った表情を浮かべた。
皇族の騎士である彼は、本来ならば主のルルーシュの命令だけに従えばいい。しかし、相手は帝国宰相のシュナイゼルだ。いくら皇族の専任騎士とは言え、神聖ブリタニア帝国の宰相に反抗したり反論したりするわけにはいかなかった。
ルルーシュ自身、おいそれとシュナイゼルに反発できる立場ではない。普段は兄弟として気安く接しているが、ひとたび帝国宰相という立場を持ち出されては黙らざるを得ないのだ。兄であろうと公の立場を意識して振る舞い、必要最低限の礼儀を尽くす必要がある。
そういう事情があるため、『帝国宰相』からの仕事は厄介だった。弟が断れないのを知っていながら面倒事を押し付けてくる異母兄はかなり人が悪い。
ルルーシュはわざとらしく溜め息を吐き出した。
「わかった。お前を困らせるつもりはない。とりあえず目を通して、問題点をすべて書き出してやる」
「お手柔らかにお願いします」
「手心など加えるものか。クロヴィス兄上を完膚なきまでに叩きのめしてやる」
クロヴィスは芸術方面に明るく、その才能はルルーシュも認めるところだが、残念ながら政治的なセンスは皆無に近かった。
芸術家として文化事業に精を出すのは構わない。しかし、国の運営という面においては浪費が過ぎる。隙あらば新しい美術館や劇場などを建てようとし、こうしてプランを練っては工事計画を持ってきた。
道楽に励むのは結構。これほど熱中できるものがあることは羨ましい。しかし、為政者は全体のバランスを見て予算の配分を考えなければならないのだ。
いくらブリタニアが超大国でも予算には限りがあるのに、そこのところを理解しているのかいないのか、何度却下されてもクロヴィスはめげることがない。それどころか、前回以上の規模で工事計画を提出してくることもあった。あの兄は国家予算を自分の財布と勘違いしているのではないかと、大袈裟ではなく本気でルルーシュは疑っていた。
兄上にも困ったものだ、と息をついて書類をめくる。
自分が情熱を傾けるものに対するクロヴィスの熱心さも、一心不乱と呼べるほど物事に集中できるところも認めよう。しかし、ひとつ認めてしまえば際限なく要求してくることは目に見えていた。
だから、シュナイゼルは帝国宰相としてわざわざ面倒な案件をルルーシュに寄越したのだ。ルルーシュならば計画の問題点を洗い出し、建設できないという正当な理由をしっかり突き付けてクロヴィスに諦めさせるに違いないと。兄の魂胆はどうせそんなところだろう。
俺を試しているつもりかと胸の内で吐き捨て、ルルーシュは書類をテーブルに乗せた。
「クロヴィス兄上には私が直接出向いて計画却下の旨を伝える。それでいいな」
「はい。よろしくお願いいたします」
ほっとするスザクに、お前は誰の騎士なのだとルルーシュは少しだけ面白くない気持ちになった。宰相閣下に気を遣うのは当然とわかっていても、自分よりシュナイゼルを優先されたようで面白くないものは面白くない。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「ああ、そうだな。頼む」
ルルーシュはいつもの癖でカップに手を伸ばした。食器の上げ下げは人に任せていい立場なのに、スザクと二人きりだとつい普段通りに振る舞ってしまう。
ソーサーに触れたタイミングと、同じくスザクがソーサーを持ち上げようとしたタイミングがぴたりと合った。指と指が触れ、その感触がなぜか生々しく感じられた。
びくりとして反射的に手を引けば、カップが音を立てて床に転がる。
「あっ……」
執務室にカップの割れる音が響いた。少しだけ残っていた紅茶がじわりと広がっていくのを眺めたルルーシュは、我に返ってしゃがみ込んだ。
己の粗相が恥ずかしいから一秒でも早く証拠隠滅をしたい。そんな気分だった。
「触らないでください!」
大きな声と共に手首を掴まれ、肩を震わせる。目を上げれば、真剣な表情をしたスザクが「触っては駄目です」と繰り返し伝えてきた。
「小さな破片が落ちているかもしれません。危ないですので、殿下は少し離れていてください」
「しかしこれは俺が」
「自分の責任です。申し訳ございません」
スザクはすぐに人を呼んで床の掃除を彼らに任せた。監督するように見守ったあと、元通りになった場所を念入りに確認し、新しいカップでお茶を淹れ直して執務用の机に運んできた。
おかけになってお待ちくださいと言われていたルルーシュは、その一部始終を窓際に立って眺めていた。これでは掃除がしにくいだろうなと申し訳なく思いつつ、己の不手際のせいで迷惑をかけてしまった後ろめたさで座っていることができなかったのだ。
「すまない」
二人きりになったタイミングでルルーシュが謝れば、スザクがにこりと笑う。
「素直な殿下は珍しいですね」
「私はいつも素直だ」
「ではそういうことにしておきましょう」
何がそういうことだと胸の中でぼやいて書類を手に取る。仕事に戻ると無言のアピールをすれば、スザクはさり気なく机から距離を取ってくれた。
真剣に目を通しているふりをしながら、ルルーシュはいまだ早鐘を打っている心臓を意識する。先ほどよりは心拍数を下げているものの、通常時に比べればまだまだ速い。
(失態だ……)
スザクの手に触れたことは別に初めてではない。一度や二度どころか、出会ってから今までをトータルすれば何百回とあるだろう。にもかかわらず、どうしてあのたった一瞬にあれほど動揺してしまったのか。
『恋の病よ』
先日のユーフェミアの声が蘇り、ルルーシュは息を止めた。
これも恋の症状のひとつだと言うのか。触れた場所が熱を持って、相手の手の感触を意識してしまって、何気ない接触だけで体温と鼓動を上昇させるのが恋なのか。
どうなんだユフィ、と心の中で問いただすけれど当然のことながら返答はない。
スザクの後ろ姿をちらりと見やる。今までと変わらないはずなのに、やけに眩しく感じられた。その目がルルーシュを見ていると思ったらとても平静ではいられず、ありったけの理性を総動員してなんとか普段通りの自分を装っている。ユフィが余計なことを教えなければ良かったのだ、と考えるのは完全に八つ当たりだった。
いずれにしろこのままでは大いに問題がある。なんとかしなければと小さく息をついた。
(相手が自分の騎士で、しかも男同士での恋だなんて、万が一にも露見すればこれ以上ない醜聞だ)
何より、同性の主から懸想されていると知ったらスザクは気持ち悪いと感じるだろう。いくら幼い頃からの友達だとしても、友情以外の感情を挟めば嫌悪感を露わにされるに違いない。
(スザクに嫌われたくない)
叶わない恋だとわかっている。スザクは普通に女性が好きだろうし、いずれは結婚して家庭を持ちたいと考えているはずだ。
まだまだ親に甘えたい時期にブリタニアまでやって来て、たったひとりで苦労してきた彼だからこそ、安らげる家庭を作って幸せになってもらいたい。任務以外の余計なことで彼を煩わせたくない。困らせたくない。そう願うのはルルーシュの本心だった。
(この気持ちを伝えたいなんて思わない。いつかお前に好きな人ができたときはちゃんと祝福する。だから、もう少しだけお前を好きでいさせてくれないか)
彼の背中に語りかけ、ルルーシュはそっと目を落とした。
***
「お疲れ様でした」
肩で息をしているナナリーに声をかけると、姿勢を正した彼女が「ありがとうございました」と一礼した。
「やっぱりスザクさんが相手だと手加減してくれませんね」
「ナナリー様は筋がいいですから、手を抜いた稽古では失礼になります」
「でも、まだまだ本気ではないんですよね?」
「そんなことはありません。僕も真剣にならなければ負かされてしまいます」
「もう。そういうお世辞は私にはいりません」
「お世辞ではありません。この間の試験でも一番だったと伺いましたよ」
「何番だろうとスザクさんに勝てなければ意味がないんです。お時間があるときにまたお稽古させてください。そのときはついでに一戦お願いします」
「わかりました」
現在、士官学校に通っているナナリーは、母や姉のコーネリアのような軍人になることを目指している。
妹が危険な任務に就くことをルルーシュは不安がっているけれど、ルルーシュ自身、戦闘の際は指揮官として前線に出ているので、「お兄様が良くて私が駄目な理由がありません」と反論されては何も言えないようだ。
もっとも、通常の操縦訓練しか受けていないのに前線に出て行くルルーシュのほうがスザクにとってはよほど心配である。
訓練をしっかり受けていて己の力量もよくわかっているナナリーは軍人としての意識があるが、やたら前に出たがるルルーシュは危なっかしくてたまらない。
ルルーシュ専用に設計されたナイトメアに騎乗しているとは言え、彼は素人同然だ。いくらナイトメアの性能が良くても、対峙するのは職業軍人ばかり。純粋な一騎打ちに持ち込まれたらあっという間に倒されてしまうのは目に見えているので、ルルーシュにはなるべく後方から指示を出してもらいたいのが騎士としての本音であった。
だからルルーシュが本格的に戦場に出始めた頃、心配のあまり苦言を呈したのだが、それが原因で本気の喧嘩になってしまった。その後、お互いに言い過ぎたと反省し、妥協点を探して一件落着したものの、ルルーシュには戦場に出てほしくないという気持ちは今も変わっていない。
彼の才能が認められ、姉のコーネリアを始めとする軍人達からルルーシュの参戦を求められることは喜ばしいことだ。足場を固めるためには政治だけでなく軍事にも積極的に関わっていく必要があることは理解している。しかし、それとスザクの心配は別物なのだ。
これではナナリーを過保護に心配するルルーシュと同じだな、とこっそり嘆息してスザクは剣を収めた。
今日はナナリーの学校が休みのため、彼女の希望で朝から鍛錬に付き合っていた。三時間ほどのメニューにさすがの彼女も息を乱しているが、ちっともバテていないところはさすがである。ルルーシュはまったく体力がないので、少し分けてあげてほしいくらいだ。
「これでおしまい?」
「はい。お待たせしました、ユフィ姉様」
午後から遊びに来る予定だったユーフェミアは、二人の稽古を見てみたいということで予定を前倒しにし、ベンチでずっと見学していた。
「二人ともすごいのね。本物の試合みたいだったわ」
「本物の試合だったら私はスザクさんにあっさり負けています。でも、すぐに追いつきますから」
頼もしい宣言に、いつでも受けて立ちますよと返す。
お茶の前に着替えてきますとナナリーが城の中に戻って行くのを見送ると、スザクはお茶会の部屋までユーフェミアを案内した。
ルルーシュは準備の最中で、今頃は厨房でケーキの最後の盛り付けをしているところだろう。「俺が行くまでユフィのことを頼むな」と任されているため、着替えは彼女を送ったあとだ。
「ギルフォードともまた手合わせをするんでしょう?」
「はい。来週お伺いする予定です」
「すっかり仲良しなのね」
「ギルフォード卿は騎士の先輩ですので、騎士道精神を色々と教えていただいています」
「スザクは本当に勉強熱心よね。きっとルルーシュも鼻が高いわ」
思いがけず褒められて頬を緩める。ユーフェミアは適当な社交辞令を言わない人なので、これは本心からの言葉なのだろう。
雑談しながら部屋に到着すると、ここでルルーシュとナナリーを待ってもらうよう伝えてスザクは踵を返しかけた。
「あっ、待って」
呼び止められて振り返る。どうされましたかと首を傾げれば、二人きりなのになぜかユーフェミアが声をひそめた。
「あなたに心当たりがあるかどうかわからないのですが……」
「何をでしょうか」
「どうやらルルーシュが恋をしているみたいなの。その相手が誰なのかスザクは知らない?」
ユーフェミアの質問の意味がすぐには理解できなかった。頭の中は真っ白で、皇女殿下を前にぼんやり突っ立っていることしかできなかった。
「スザク?」
不思議そうに呼ばれ、ようやく我に返る。世界がぐらぐらと揺れる感覚に眩暈がするけれど、なんとか両足を踏ん張った。
「も、申し訳ございません。それでご質問は……」
「ルルーシュの好きな人よ。近くにいる方だとは思うんだけど、毎日一緒にいるスザクは何か気付いたことはない?」
「殿下の、好きな方……」
「七月ぐらいにどこかのご令嬢と出会ったとか、アプローチをかけられたとか、なんでもいいから覚えていない?」
「いえ、自分は常に殿下のお側にいますが、プライベートなことにはあまり……。あの、どうして殿下に好きな方がいらっしゃるとご存知なのですか?」
「ルルーシュに相談されたの。最近、その人のことを考えると胸が苦しくなるんですって。でも、ルルーシュったら可笑しいのよ。ドキドキしたり顔が熱くなったりするのを病気だと思い込んでいたの。あなたやナナリーには心配をかけたくないから私に相談してきたんだけど、あまりに深刻だからどれほど大変な病気かと心配しちゃったわ。あ、私からスザクにお話ししたことはまだ内緒にしておいてね。ルルーシュの好きな人を突き止めて、上手くいくようこっそりサポートしてあげたいの」
わかりました、とスザクは絞り出すような声で返事をした。
「ルルーシュってナナリーとマリアンヌ様のことが一番で自分のことは放っておくタイプだし、いつもお仕事お仕事で恋とは無縁だったから、妹としては応援してあげたいの。スザクはルルーシュの騎士で昔からの友達でしょう? ルルーシュのことをよく知っているあなたもぜひ協力してくれない?」
「そういうことでしたらお手伝いいたします」
なんとか笑顔で答えたタイミングでノックが聞こえた。ドアを開ければそこにいたのはルルーシュで、スザクは思わず息を呑んだ。今の会話が聞かれていたはずはないのに、なぜだか後ろめたさが生まれる。
「なんだ、まだ着替えていなかったのか。ナナリーとユフィの相手、ご苦労だったな。お茶の準備を進めるからお前も着替えて早く戻ってこい」
「はい」
頭を下げて部屋をあとにする。使用人達が茶器やお菓子を運んでいくのを横目で見ながら足を動かしていたけれど、誰もいなくなったところで歩みが止まった。
自分が何をすればいいのか、何を考えればいいのか、何ひとつわからない。目の前が真っ暗で、なんだか息が苦しい。
(ルルーシュに、好きな人が……)
にわかには信じられなかった。四六時中一緒にいたのに、彼が誰かを想って胸を焦がしているなんてちっとも気付かなかった。
名前も知らない相手とルルーシュが仲睦まじくしている光景が脳裏に浮かび、どす黒いものが心を覆い尽くす。
ルルーシュのことがずっと好きだった。主であり友達でもある同性の彼に密かな恋愛感情を抱き続けていた。でも、この気持ちは伝えられないと必死に隠してきた。騎士として側にいられるだけで充分幸せだと思っていた。
しかし、それはとんだ勘違いだったと痛感する。友達として特別に思ってもらえるだけで充分だなんてよく思い込めたものだ。
ルルーシュに好きな人ができたと聞き、顔も名前も知らない相手に醜い感情を抱いてしまった。
ほんの一瞬浮かび上がったのは、嫉妬を通り越して殺意に近かったかもしれない。この先、ルルーシュの恋人や結婚相手を紹介されたら果たして平静でいられるのだろうかと、自分でも不安になるほど強烈な感情だった。
しっかりしろ、と己を叱咤する。
枢木スザクはルルーシュの騎士だ。この程度のことで動揺してどうする。
失恋してしまった。ただそれだけのことではないか。
たとえルルーシュに恋人ができたとしても、ルルーシュとの間にある絆が消えてなくなるわけではない。
それに、騎士は家族よりも近しい関係だ。将来ルルーシュが結婚することになったとしても、スザクの騎士としての務めが終わることはない。
だから何も心配はいらない。
(だから大丈夫なんだ)
スザクは足に力を込めて歩き出した。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせながら。
今年も十二月五日がやって来た。この日はルルーシュの誕生日で、当日の夜になると身内だけのバースデーパーティーが開かれてきた。
なるべくささやかなものにしたいという本人の希望があり、仲の良い兄弟や親しくしている貴族にしか声をかけていないのだが、ぜひ殿下のお誕生日をお祝いしたいと希望する者が近年は増えてきた。いずれは要職に就くであろう皇子に今から取り入りたい魂胆が見え見えだ。
バースデーパーティーは特別なものである。そこに損得勘定を持ち込む人間は招きたくないというのがルルーシュに近しい人達の総意だった。客が増えればルルーシュを気疲れさせるし、せっかくの誕生日に彼の仕事を増やす真似はしたくない。
だから、ルルーシュ付きの者達はいつも通りのパーティーにしようと準備を進めていた。当然、招待客もいつも通りのつもりでいたところ、「立場が変われば周りの声に応えていく必要もある」とルルーシュを諭したのは、すでに表舞台に立っている兄や姉達だった。
皇族であれば避けられない問題であることはルルーシュも理解していて、バースデーパーティーも政治の一環だと割り切り、すぐに切り替えていた。こういう物分かりの良さはルルーシュらしいと思う半面、誕生日に身内で過ごすことすら許されない不自由を思ってスザクは複雑になった。
そういう事情から、今回のバースデーパーティーには普段とは違った顔ぶれが並んでいる。人選はシュナイゼルだと聞いているが、どういう基準で選んだのかはわからない。
あまり付き合いのない貴族が多く、招待客とにこやかに談笑するルルーシュの背中からは「もう帰りたい」という無言の訴えが醸し出されていた。
もっとも、それに気付いているのはルルーシュの斜め後ろに控えているスザクだけで、ほかの人の前ではおくびにも出さないところはさすがだ。
(シュナイゼル殿下はどういうおつもりなんだか)
ちらりと窺えば、この事態を招いた張本人は妹達と談笑していた。もともとルルーシュのバースデーパーティーだし、招待客の相手はルルーシュに一任しているらしい。
ルルーシュももう子供ではない。招待客のあしらいくらいは朝飯前である。とは言え、もう少しフォローがあってもいいのではないかと、過保護な騎士としては不満を抱きたくなった。
(いつも通りの誕生日にしてあげたかったな)
今日は年に一度だけ彼を大っぴらに甘やかしても許される日だ。特別な日に仕事の延長のようなことをさせられては、いくらルルーシュが皇族でも不憫である。
そんなことを考えた自分に、やっぱり僕は過保護すぎるのかなとスザクはこっそり息をついた。本音としては一方的に守りたいのだが、スザクにばかり負担をかけることをルルーシュはひどく嫌がる。
「お前は俺の騎士だが、隷属させるつもりはない。俺達は友達だ。そのことを忘れるな」
ルルーシュの騎士となった夜に伝えられたのは、お前は騎士だが騎士ではないという矛盾した内容であった。
ルルーシュの唯一無二の友達として認められたことは嬉しく、あの夜の言葉は今でも大事に胸に仕舞っている。
しかし一方で、やはりルルーシュは守るべき存在なのだという意識がこびり付いて離れない。ルルーシュは嫌な顔をするだろうが、スザクにはスザクの騎士道があった。
何があってもルルーシュを守る。それはスザクの騎士としての矜恃であり、騎士としてのわがままなのだ。
人の波が途切れたところでルルーシュが振り返った。
「なんでもいいから飲み物がほしい」
近くにいた給仕からピンク色のグラスを受け取る。見た目はカクテルだが、中身はただのジュースだ。
「何か召し上がりますか?」
「食欲が湧かないんだ。これが終わったら食べるかもしれないが、今は飲み物だけでいい」
「かしこまりました」
軽食を用意しておくよう使用人に伝えておくかと頭の中で算段していると、ルルーシュが空にしたグラスを押し付けてきた。
同じものでいいと言われたのですぐにおかわりを渡したところ、「お兄様」と可愛らしい声が聞こえた。招待客がいなくなるタイミングを見計らっていたのだろう。ナナリーとユーフェミアが揃ってやって来た。
去年までは遠慮することなくルルーシュを独占できたのに、今回は招待客の目を気にして遠慮していたようだ。これではなんのためのバースデーパーティーなのかと再び不満を抱いた自分に、騎士としてはまだまだだとスザクは胸の中でぼやいた。
「お兄様、お誕生日おめでとうございます」
「おめでとう、ルルーシュ」
「ナナリーもユフィもありがとう」
「プレゼントはお部屋に届けているからあとで見てちょうだい」
「お兄様のことを考えながら選んだのです」
「それは楽しみだな」
妹達からの祝いの言葉にルルーシュが相好を崩した。外向けに張り付けていた笑みではなく、心からの笑顔だ。
兄妹が楽しそうにお喋りをしていると、ルルーシュの兄や姉達も次々に来た。誕生日おめでとうと祝い、誰がどのプレゼントを贈ったのか当ててごらんとか、きっと気に入ってもらえると思うよとか、仲睦まじいやり取りが交わされる。ようやくいつものバースデーパーティーらしい雰囲気になってきた。
「それにしても今年は招待客が多いな。兄上の人選というのは本当ですか?」
「ああ、そうだよ」
「もう少しルルーシュと仲の良い方をお呼びすれば良かったのに」
ユーフェミアが唇を尖らせる。よくぞ言ってくれたとスザクが思っていたら、シュナイゼルは意味深に笑った。
「人脈は必要だろう?」
「しかし、ルルーシュとほとんど関わりのない貴族ばかりですよね」
「だからだよ、コーネリア。自分の好き嫌いだけで付き合っていいのは子供のときだけだ。今後は嫌な人間とも苦手な人間とも交流していかなければならないからね。ルルーシュはわかっているだろう?」
試すように問われ、「わかっていますよ」と溜め息混じりにルルーシュが返す。
「この数年で貴族との繋がりは増えましたが、それほど交流が多いわけではありませんし、自分が閉じた世界しか知らないという自覚は持っています。社会勉強という名の兄上からのプレゼント、痛み入ります」
最後のほうは嫌味がこもっていたが、シュナイゼルは目くじらを立てた様子もなく、ただ穏やかに笑っている。
ふと弦楽器の音が耳に届いた。
「踊りましょう、お兄様」
ナナリーの言葉にルルーシュが頷く。スザクにグラスを返すと、妹の手を引いてホールの中央に向かった。
麗しい兄妹をうっとりと見つめていた人々は、次の曲が始まると自分達もパートナーを見つけて踊り始めた。
「あの、一曲お願いできないでしょうか」
思いがけない誘いに、スザクは声の主を確かめた。招待客が連れて来た令嬢だろう。今日のためにドレスもメイクも気合いが入っているようだ。
「いえ、自分は任務がありますので」
「いいではないか、枢木」
「しかし……」
「女性からの誘いを断るとは、騎士の風上にも置けない奴だな」
意外にもコーネリアに背中を押され、さてどうしようと戸惑った。
「お前の動体視力ならばルルーシュの動きを追いながら踊れるだろう?」
「それはもちろん出来ますが」
冗談なのか本気なのかわからない言葉に苦笑いをした。
このホールには皇族が大勢いて、それに比例するだけの警備体制が敷かれている。スザクが少し気を抜いたところで問題はないし、コーネリアの言う通り、踊りながらルルーシュの動向を追うことは可能だ。
あまり無下にして相手の心象を悪くすればルルーシュの評価も下がる恐れがある。ならばと腹を括り、一曲だけお願いしますと相手の手を取った。
次の曲が始まる。ゆったりとしたワルツに、相手は緊張した様子で足を動かしていた。声をかけられたときには気付かなかったが、表情もどことなく硬かった。
もしかしたら本人にその気はなく、親にけしかけられて皇子の騎士を誘ったのかもしれない。見ず知らずの男と強制的に踊る羽目になったのだとしたら可哀想だ。
「今日はどなたとご一緒なんですか?」
話しかけられるとは思っていなかったのか、驚いた様子で少女が顔を上げた。
「足は止めないでください」
「はっ……はい」
慌ててリズムを合わせる彼女に、スザクは安心させようと口元を緩めた。
「ルルーシュ殿下のお知り合いですか?」
「い、いえ、私は直接は存じ上げません。ただ、父が皇宮に出入りしていて、殿下のお噂はかねがね伺っております。今日はお誕生日ということで当家にも招待状が届いたのです。皇族の方のバースデーパーティーに招待されたのは初めてなので緊張します」
はにかむように笑った彼女に、今度は自然と笑みを返した。
「堅苦しく考えなくても大丈夫ですよ。今日はルルーシュ殿下をお祝いすることが目的なのですから、お祝いしてくださる気持ちがあれば充分です」
「はい」
頬を紅潮させた少女が頷く。貴族の娘は高飛車なタイプばかりかと思っていたが、こんなに純粋そうな女性もいたらしい。
少女はすっかりリラックスした様子で、最初の緊張が嘘のように伸び伸びと動いていた。もう一曲お願いしますと頼まれ、もちろんですと承諾して二曲目も付き合う。
心地よい音楽と心地よいリズムに身を委ねつつ、スザクは自分の任務を全うすべく主の動きを目で追った。
ルルーシュがナナリーに何か話しかけ、踊りながら二人で一緒になって笑っている。その様子はとても楽しそうだ。堅苦しいばかりのパーティーになるのではと危惧していたけれど、つかの間でも心安らぐ時間があって良かったと安堵する。
やがて曲が終わり、少女が謝辞を伝えた。
「あの……、ちなみにこのあとは……」
「殿下の護衛のために仕事に戻ります」
「そ、そうですよね。不躾なことを聞いて申し訳ありません!」
大きく頭を下げた彼女がくるりと背を向けた。大方、ダンスが終わったあとは個人的に誘ってこいと命じられていたのだろう。純粋そうな彼女には酷な仕事だと同情するものの、スザクにとっての第一はルルーシュなのでこれ以上側を離れるわけにはいかなかった。
その主はと言えば、踊り終わってホールの隅のほうに佇んでいた。どうやら休憩中のようだ。
人の間をすり抜けて近付くと、スザクに気付いたルルーシュが目を向けた。
「もう踊らないのですか?」
「これ以上は疲れる」
体力のないルルーシュらしい発言だった。
「少し休みたい」
「わかりました」
当たり前のようについて行こうとすれば、スザクのほうをちらりと見たルルーシュが顔を背けた。どうしたのかと思っていたら、その唇が薄く開いた。
「お前はいい」
怒鳴られたわけではない。強い口調だったわけでもない。むしろ淡々とした静かな声だった。
しかし拒絶の言葉が信じられず、スザクは呆然と立ち竦んだ。声を出すことを忘れて整った横顔を凝視する。
「独りになりたいんだ」
それだけを告げるとルルーシュは反対側に行ってしまった。スザクは反射的に足を動かすけれど、お前はいいという言葉を思い出してたたらを踏んだ。
ひとりになりたいと言うより、スザクと一緒にいたくない気持ちのほうが強かったように感じられる。喧嘩をしたことは何度もあるけれど、スザクそのものを拒絶されたのは初めてだった。
(どうして……)
目は自然とルルーシュの後ろ姿を追っていた。ひとりになりたいとの言葉通り、ルルーシュは椅子に腰かけて物憂げに人々を眺めている。やけにぼんやりとした様子だ。
不意に『ルルーシュの好きな人』というキーワードが頭に浮かぶ。まさかこの中にルルーシュの想い人がいるのではないかと思い至り、スザクは逸る気持ちを抑えてホールをさり気なく見渡した。
中央では大勢の男女が踊りを楽しむ一方、踊りに飽きた者やパートナーが見つからない者は壁際で思い思いに過ごしている。ルルーシュが誰を見ているのかは確認できなかった。
だけど、視線の先には彼の想い人がいるのかもしれない。そんなことを考えたら居てもたってもいられない気分になる。
(僕はルルーシュの恋を応援しないといけないのに……)
友達の恋を応援するのは当然だ。
それなのに、ルルーシュの恋が失敗すればとほんの一瞬でも考えてしまった。
自分の恋が破れた腹いせに人の不幸を望むなんて最低だと、スザクは拳を握り締めた。
(こんなことを考える僕は騎士としても友達としても失格だ)
それでも胸を覆う黒い感情は消えてくれない。
心地よい音楽が鳴り響く中、スザクは遠くからルルーシュを見守ることしかできなかった。
「おやすみなさいませ、お兄様。どうか良い夢を」
「ありがとう。おやすみ、ナナリー」
ナナリーがスザクにも「おやすみなさい」と言ってくれたので、おやすみなさいませとにこやかに返す。
「では、私はこれで」
ナナリーと皇女付きの者達がいなくなると、夜の帳が落ちた廊下には静寂が広がった。しばしその場に佇んでいたルルーシュが何かを思い出したように振り返った。
「今日はご苦労だったな」
「いえ、自分は何も。殿下のほうがお疲れでしょう」
「まったくだ。誕生日というものが年々嫌になってくる」
やれやれと首を回すルルーシュに苦笑いした。
幼少時の誕生日は一大イベントだったはずなのに、その誕生日が嬉しくなくなるのは大人になった証拠にも感じられてなんとなく寂しい。
ルルーシュの場合、今後はますます誕生日が煩わしくなっていくのだろう。一年に一度の特別な日ぐらいもっとゆっくり過ごせればいいのにと、スザクは何度思ったかわからないことを考えた。
「私達も戻るか」
「はい」
仄かな明かりの灯る廊下を歩く。ルルーシュの部屋まではあっという間で、ようやく得られた二人きりの時間はすぐに終わってしまった。
部屋に入ると明日のスケジュールを確認する。誕生日の今日も忙しかったがその翌日も予定はびっしりで、昼食は移動途中に慌ただしくとることになりそうだ。
「来週のいつでもいいから昼食の時間に来客予定を入れてほしい」
「来週ですか? 来週ですと木曜日のお昼から午後が空いています」
「では、そこを押さえておいてくれ。今日のパーティーに来ていた貴族のひとりと会食をする」
ルルーシュにしては珍しいと驚いた。
相手の人となりがわかるまではあまり接触しないようにするのが普段の彼だ。しかし、今回の貴族は違うらしい。シュナイゼルの人選というところが良くも悪くも関係しているのだろう。
「会食場所はどちらですか?」
「向こうに任せる。相手の秘書の連絡先はあとで教えてもらうことになっているから、日時だけを伝えておけば問題ない」
「わかりました。それではあちらと連絡を取って予定を押さえておきます」
「頼む。こんな時間まで仕事をさせてしまってすまないな」
「謝らないでください。殿下はもっとお忙しいのですから」
「俺とお前では忙しさの種類が違うだろう。夜もすっかり更けたし、早く休んだほうがいい」
このままおやすみと言い出しそうなルルーシュに、スザクの中で急に焦燥感が生まれた。
今日はルルーシュの誕生日なのにまだ何も伝えられていない。おめでとうは朝一番に伝えた。贈り物も渡した。
でも、そういうことではないのだ。
(もっと別の――)
もっと大事なこと。大事な何か。
何かとはなんだろう。
焦りばかりが募って気持ちが空回りする。
「あっ……、あの」
考えがまとまる前に声が出ていた。ルルーシュがきょとんとした顔をしている。
『どうやらルルーシュが恋をしているみたいなの』
ユーフェミアの声が脳裏に響く。その声に背中を押されてスザクは口を開いた。
「教えていただきたいことがあります」
「なんだ?」
「――殿下には、気になる方がいらっしゃるのですか」
「気になるとは?」
ルルーシュが首を傾げた。黒髪が微かに揺れる。
「つまり、その、好きな人、という意味です」
スザクの言葉を咀嚼するように、ルルーシュが口の中で「好きな人」と繰り返した。
ようやく意味を把握したのか、驚いたように目を瞠ってスザクの顔をまじまじと見たあと、なぜか視線を俯けた。その表情はひどく哀しげで、動揺したスザクはなんと声をかければいいのかわからなくなった。
「お前は――」
ぽつりとしたルルーシュの声が聞こえた。俯いたまま黙ってしまう。
スザクは急かすことなく次の言葉を待った。
「お前がそれを聞くんだな」
「え……?」
ルルーシュが顔を上げた。紫の瞳に疚しい気持ちを見透かされそうな心地になる。
「俺に好きな相手がいたら悪いのか」
「そんなことは」
「好きな相手がいたらお前にすべて報告しなければいけないのか」
「そういうことではありません」
「だったら、どうだっていいじゃないか」
それはそうなのですが、とスザクは力なく答えた。
友達だからと何もかもを打ち明ける必要はない。好きな人を教えろと聞かれて素直に教える必要もない。ルルーシュの言うことは正論だ。
でも、今の言葉はまるでルルーシュからの拒絶のようで、スザクの心臓は一気に冷えた。
パーティーの最中にも拒絶されたことを思い出し、今日の僕はルルーシュを怒らせるようなことをしただろうかと一日の自分を振り返るけれど、見当がつかなくて途方に暮れる。ルルーシュからは不機嫌そうな空気が伝わってきて、何を言えばいいのかますますわからなくなった。
声を失くしたスザクに何を思ったのか、ルルーシュが口の端を上げた。
「自分はモテるから俺はどうかと心配しているつもりか?」
「え?」
「お前は何もしなくても女が寄ってくるからな。噂のひとつも立たない俺に同情でもしたのか」
「どういう意味ですか」
「どうもこうもそのままだ。今日だって俺の知らない相手と楽しそうに踊っていたくせに、しらばっくれる気か」
なんのことかと怪訝に思ったスザクは、ルルーシュからの指摘にようやく合点した。今の今まですっかり忘れていた出来事だ。
「あれは違います。向こうに声をかけられただけです。最初は断ろうとしたのですが、女性からの誘いを断るのは失礼だと言われたので仕方なく」
ルルーシュはナナリーと踊っている最中だったので、そんな些細なことに気付いているとは夢にも思わなかった。
するとルルーシュがまた嗤った。これはスザクを馬鹿にした笑い方だとようやく気が付いた。
「仕方なく……か。仕方なくで二曲も付き合うとは、我が騎士は随分とサービス精神旺盛なんだな」
ルルーシュのためを思って気乗りしない踊りに付き合ったのに、この言いぐさにはさすがにカチンときた。
スザクがムッとしたのを悟ったのだろう。ルルーシュの笑みが深まる。
「好きな相手がいるのなら俺のことなんか放っておけばいいだろう」
「放っておけるわけがありません」
「それはお前が俺の騎士だからか? だったらここからは自由時間だ。好きにしろ」
「どうしてそんなことをおっしゃるんですか」
「お前のほうこそどうして聞き分けが悪いんだ。俺は好きにしろと言ったんだ。だらだらと俺に付き合う必要はない」
「僕は仕方なくあなたに付き合っているわけではありません」
「どうだか」
「ルルーシュ……」
騎士としての立場を忘れ、スザクは悲しい気持ちでルルーシュの名前を呼んだ。
今日はルルーシュの誕生日だ。とても大切な日なのに、その終わりにこんなつまらない言い争いをしたくない。
どうして、ともう一度問えば、凪いだ瞳がスザクをじっと見た。
「――お前が悪いんじゃないか。くだらないことを最初に聞いてきたのはお前だ」
拗ねたような言葉に、あっ、と思い至った。
なんの脈絡もなくルルーシュに好きな人を聞いたのが不穏な空気の発端だ。不躾な質問をしたのはスザクのほうである。
大切な日につまらないことをしたのは僕自身だとスザクは後悔した。どうして口が滑ったのか、今となってはわからない。
ただ、どうしようもなく我慢がならなかった。自分以外の誰かがルルーシュに想われているのだと知って以来、言葉にできないもやもやとした気持ちがずっと胸の内で燻っていた。
だからってそれをここでぶちまける意味はどこにもないんだけど、と項垂れる。
「あんなことを聞いてごめん。君のプライベートを詮索しようと思ったわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ?」
「君の側にいられる人が羨ましいって思っただけなんだ」
ぽつりと呟いたスザクに、先ほどまでの不機嫌さを消してルルーシュが首を傾げた。
「俺の側にいるのは騎士であるお前じゃないか」
「そうなんだけど、これから先、もし君に恋人ができたら君の一番はその人になるだろう? いくら騎士でも恋人の邪魔はできないし、君だって僕のことを邪魔に思うんじゃないかなって」
「俺がお前を? 有り得ない」
きっぱりと言い切ってくれたルルーシュに、スザクはこんなときなのに嬉しくなった。実際に恋人ができたら考えは変わるだろうが、今だけだとしてもルルーシュに大事にされているのは事実なのだ。
「ありがとう」
「なぜ礼を言う。当然のことだろう。俺にとっての一番はお前とナナリーだ」
ここでナナリーの名前を出すところがルルーシュらしい。
ほっとしたスザクが自然と笑みを浮かべると、ルルーシュはどこかが痛むような顔をした。
「俺の側にいられる人間が羨ましいと言ったな。つまり、そういう人間が現れなければお前は俺の側にいてくれるということか?」
「君に好きな人ができてもできなくても、僕はずっと君の側にいるよ」
「俺がお前の理想とする主でなくなったとしても同じことを言えるか?」
「どういうこと?」
「俺を嫌いになるとか見限るとか、そういう場合という意味だ」
「それこそ有り得ないよ。僕が君を嫌いになる理由がない」
「ならば……」
一旦口を閉じたルルーシュは逡巡したあとに、たとえば――、と続けた。
「もし、俺がお前を好きだと言っても側にいてくれるのか」
何を問われたのかすぐには理解できず、スザクは誰もが羨む美貌をぼんやりと見つめた。
透き通るような肌が綺麗だとか、こんなに綺麗だと世の女性が嫉妬しそうだとか、現実逃避のようにどうでもいいことを考える。
「えっと……」
質問に答えなければと思うのに頭が上手く回らない。
勘違いするな。今のは友達としてという意味で、それ以上でもそれ以下でもない。そう自分に言い聞かせていると、ルルーシュの笑い声が耳に届いた。
「そんなに考え込まなくてもいいじゃないか。単なる冗談だ。真剣に考えて馬鹿みたいだな。今日はもう遅い。ここはもういいから早く部屋に帰って寝ろ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
ぐいぐいと背中を押される。このままでは部屋を追い出されてしまうと、スザクは慌てて後ろを振り返ろうとした。
「っ、見るな!」
途端に鋭い声がして固まった。
「ルルーシュ……?」
前を向いたまま尋ねれば、見るな、と今度は弱々しく言われた。
「疲れているんだ。だから、頼む、このまま出て行ってくれないか」
大勢の人に囲まれて疲れたからひとりになりたいのだろうと、普段ならば素直に命令を聞いたに違いない。
しかし、今はとても聞けないと思った。こんな声音で、懇願するように頼んでくるルルーシュをひとりで放っておけない。友達としても、騎士としても、彼を想うひとりの男としても。
ルルーシュに背中を押されたスザクは、次の瞬間、足に力を込めて身体を反転させた。
紫の瞳に浮かぶのは透明な雫だった。
ハッとしたルルーシュが勢いよく顔を背けた。その両手を取ったスザクは、躊躇いも迷いもなく細い身体を抱き締めた。このときばかりは疚しさも下心も一切抱かなかった。
「は、離せ!」
「やだ」
「命令が聞けないのか!」
「うん、聞けない」
「スザクっ」
諦め悪く抵抗していたルルーシュだったが、しばらくすると大人しくなった。息が切れたのか、馬鹿力には敵わないと思ったのか。きっと両方だろう。
「どうしたの? 何か嫌なことがあった?」
「何もない」
くぐもった声に、嘘だねと即座に返した。こんなにわかりやすい嘘をつくなんてルルーシュらしくない。
パーティーの最中に何があっただろうと記憶を辿る。様子がおかしかったのはスザクと会話をしている間だけで、やっぱり僕のせい? とルルーシュを抱き締めながら首を傾げた。しかし先ほどの不機嫌さと言い、スザク自身に思い当たる節はない。
「僕にも話せないこと?」
「――お前だから話せない」
「どうして? 僕は君の騎士で友達なのに」
「騎士で友達だからだ」
「僕のことはそんなに信用ない?」
違う、とルルーシュが首を振る。寄る辺ない子供みたいな仕草に胸が痛くなった。
騎士で友達だから誰よりも近いところにいられると思っていたのに、騎士で友達だから打ち明けられないと言われてしまったらスザクにはどうすることもできなかった。
ルルーシュが想いを寄せている相手ならば聞き出せるのだろうかと考え、どす黒いものが頭をもたげる。
「僕は君の力になりたいだけなのに……」
思わず途方に暮れた声を出せば、ルルーシュがまた首を振った。
「これは俺自身の問題で、お前のせいじゃないんだ」
「じゃあ誰だったら話せる? 君の悩みを解決できる人がいるのならその人を連れてくるよ」
「誰にも話せないことだ」
ルルーシュがスザクの胸に手を当て、それからぐっと押した。しかし、スザクは離すまいと力を込めた。
「スザク、いい加減にしろ。俺のことは放っておいてくれと言っただろう」
「こんな君を放っておけるわけがないよ」
ルルーシュが眉根を寄せた。聞き分けの悪い奴と思っているのだろう。
「お前が友達思いで、ついでに主思いなのはよくわかった。任務に忠実なのもいいことだ。だが、これ以上は迷惑なんだ。お前が出て行かないと言うのなら俺が出て行く」
突き放すような物言いはわざとに違いない。スザクを怒らせて喧嘩別れしようという魂胆なのだ。普段のルルーシュは隠し事が上手くてすぐに煙に巻かれてしまうけれど、この程度のことはスザクでも気付く。
「僕の心配はそんなに迷惑?」
激高することなく静かに尋ねるとルルーシュが言葉に詰まった。スザクが怒れば適当にあしらって話を終わらせるつもりだったのだろう。ところが、逆に心配をされてしまって言い返せなくなったようだ。
「君の好きな人だったら君の力になれるの?」
「何を言っている」
「だって僕には打ち明けられないんだろう? でも、君がもし誰かに心を許しているのならその人を頼ってほしい。騎士だからって無理に君のプライベートを詮索するつもりはないよ。さっきは好きな人のことを聞いてしまったけど、もう何も話さなくていいから」
「――そんな相手、いるわけないだろう」
低い声がして、また何か怒らせてしまったのだろうかとスザクは慌てた。
覗き込んだルルーシュの顔は怒っていなかった。ただただ悲しそうだった。
悲しくてたまらないといった表情に、スザクは自分がとても酷い仕打ちをしたような感覚に陥った。
「だから放っておいてくれと言ったのに……」
「ルルーシュ?」
「遠回しに言っても天然のお前には伝わりそうにないな。では、お前が俺を嫌いになることを言ってやる。騎士としての今後の去就はそれから考えろ」
「なんのこと?」
「俺の好きな相手を知りたいんだろう?」
自分の質問がまさかここで返ってくるとは思わず、スザクは息を呑んだ。
弧を描いた唇が、お前だよ、と囁いた。
「え……?」
「俺が好きなのはお前だ。それでもお前は俺の騎士を続けたいと思うか?」
「僕を、好き……?」
呆然と呟けばルルーシュの顔が歪み、それからまた嗤った。露悪的な表情は今にも泣いてしまいそうだった。
「ほら、嫌になっただろう? 同性の友達に想いを寄せるような相手とはもう一緒にいたくないだろう? 別に咎めるつもりはない。それが普通の反応だ。もし立場が逆なら俺だって気持ち悪いと思うからな。だから今すぐ騎士を辞めてもらってもいいんだ。このまま解任となればお前の名前に傷が付くから、何か理由を付けてしばらく休んだあとにお前に相応しい仕事を見つけて――」
言葉を途切れさせたルルーシュが視線を逸らした。端正な横顔を見つめていると、唇が微かに震えていた。
「お前の隣に、俺以外の人間がいるのは許せないと、そんなことを考えてしまった罰だろうな。お前が側にいてくれるだけで良かったのに、過ぎた望みを抱いたせいだ」
白い頬を透明な雫が一筋、落ちる。
僕は告白されたのだと、そこでようやくスザクは理解した。あまりにも現実感がなくて、好きだと告げられたことが信じられずにいたのだ。
(僕は馬鹿だ)
こんなことを言わせてしまったことに。ルルーシュを泣かせてしまったことに。何もかもに後悔する。
どう言葉を尽くせばいいのかわからなくて、スザクは細い身体をもう一度抱き締めた。
「……っ、慰めのつもりなら」
「君にそんなことを言わせてごめん。違うんだ、気持ち悪いとか嫌だとかそんな風に思ったんじゃない。騎士も辞めたくない。だって僕は――、僕も、ルルーシュのことが好きなんだ」
「それを慰めだと言っている!」
「本当に好きなんだよ!」
思い切り叫べば腕の中でルルーシュがびくりとした。
「すぐに返事ができなくてごめんね。だって、君のほうから好きと言ってもらえるなんて想像したこともなかったんだ。嫌われるのはむしろ僕のほうだと思っていた。ルルーシュに嫌われたくないからずっと隠してた。ルルーシュが好きだからずっと側にいたかった。だから、これからも僕を君の騎士でいさせてくれないかな」
ルルーシュは身体を硬くしていた。驚きすぎているのか、何を今さらと怒っているのか。いずれにしろ、イレギュラーに弱いルルーシュの頭の中は真っ白になっているのかもしれない。
無意識に抱き締める腕を強くすれば、苦しい、と声が漏れた。力を緩めてルルーシュの様子を窺うと、やはり混乱しているようで視線をうろうろさせていた。
「待ってくれ、俺の理解の範疇を超えている」
ルルーシュらしい反応に、真剣な告白をしていたのも忘れてスザクは吹き出した。
「わ、笑うな! 元はと言えばお前が……!」
「うん、ごめん。全部僕が原因だよね。確認したいことがたくさんあるから、ひとまず話を聞いてくれる?」
不承不承といったルルーシュは、それでもこくりと頷いてくれた。とりあえず座ろうとソファまで連れて行き、並んで腰かける。
その手を上から握れば、ルルーシュの指先がわずかに動いた。
「僕はルルーシュが好きだよ。いつから好きなのか自分でもわからなくて、気付いたら君を好きになっていた。でも、告白するつもりはなかったんだ。僕はルルーシュの騎士だし、何より男同士だから、僕の気持ちを知られたらきっと嫌われると思ってた」
君に嫌われるのが一番怖かったんだ、と打ち明ける。
「――それは俺も同じだ。お前は友達で唯一の騎士で、しかも男同士で、自分の気持ちに気が付いたときには愕然とした。だが、一度気付いたらお前のことがどんどん気になってしまって、それで……つまらない嫉妬をしたんだ」
「嫉妬って、僕が女の子のダンスの相手になったこと?」
「みっともないだろう? あの程度のことで」
ううん、とスザクは首を横に振った。
「僕だってみっともなく嫉妬したよ。ユーフェミア様からルルーシュに好きな人がいるらしいって聞かされたときは想像の中でその相手を殺してた」
「殺したとは穏やかじゃないな。……というか、ユフィがバラしたのか」
「バラしたって言うより、君の恋を応援したいから相手を知らないかって聞かれた」
「まったく、ユフィの奴……。いや、口止めしなかった俺が悪いな。俺の恋煩いの相手がまさかスザクだとは思わないだろうし。だが、あちこちに触れ回っていたら厄介だな。まさかナナリーや兄上達にも話しているのでは……」
ルルーシュは頭を抱えているが、スザクは顔が緩みそうになっていた。
ルルーシュの口から恋煩いなんて単語が出てきたことが信じられない。ルルーシュは僕に恋煩いをしていたのだと思ったら、にやけが止まらなかった。騎士を辞めさせられる一歩手前だったことも忘れてすっかり夢見心地だ。
しかし、こんな顔を見られたらルルーシュは間違いなく怒るだろうと、頬に力を込めて必死に表情を取り繕った。
「ユーフェミア様には今からでも口止めしたらどうかな」
「ああ、そうするつもりだ。ついでにナナリーからもさり気なく話を聞いておこう」
すぐに気持ちを切り替えて今後の対策とやらを考えているルルーシュの手を強く握る。急に黙ってしまった彼は、恐る恐るといった様子でスザクのほうを窺った。
どことなく不安げな双眸に、スザクはにこりと笑みを見せた。
「好きだよ、ルルーシュ。友達とか騎士とかそういうことを全部抜きにして、君のことを愛してる」
「本当に俺でいいのか。俺は皇族でお前の主で、しかも男で、障害ばかりの相手だ。いや、障害しかない相手なんだ。お前だったら今日のダンスパートナーのように可愛らしい女性と結婚して幸せな家庭を築けるのに、わざわざ茨の道を選ぶ必要はない。それに、今後もし俺達の関係が破綻した場合、元恋人同士の主従関係なんて最悪だろう? だが、今ならまだ軌道修正ができる。お前はその身体能力を生かしてラウンズだって目指せるんだからもっと普通の幸せを――」
「愛してるって僕が言ったの聞いてた?」
紫の瞳を覗き込んで咎めるように問えば、バツが悪そうにルルーシュが口を噤んだ。
あらゆる可能性を考えて対処方法を検討するのはルルーシュの十八番だが、今ここで最悪の状況を想定するのは無粋というものだろう。
確かに、二人の関係は茨の道である。おとぎ話のようにめでたしめでたしで終わらない。今後はルルーシュの妻の座を巡ってあらゆる話が舞い込んでくるはずだし、スザクも縁談を勧められるかもしれない。それらを穏便に断るのはひどく骨が折れそうだ。
だけど、今ここで知りたいのはルルーシュの気持ちだった。
「何度でも言うよ。僕はルルーシュのことを愛してる。ほかの人はどうでもいい。普通の幸せとか普通の家庭とかそんなものは欲しくない。僕はルルーシュしか欲しくないんだ」
スザクの掌は微かに汗ばんでいた。両想いだと知ったのに僕はまだ緊張しているのかと思う。
ルルーシュは合理的だ。自分の感情に流されることを良しとしない。だからお互いの気持ちが通い合っているとわかった上で、騎士との恋愛なんて絶対に駄目だと言い張られる可能性はゼロではなかった。
(泣くほど僕のことが好きなくせに)
あんな顔をするルルーシュは初めて目にした。
僕のことが大好きで、自分が失恋したと思い込んで泣いたくせにどうして迷うのか。胸の内で喚くように思うけれど、スザクはそれを声にはしなかった。
気持ちに応えてもらいたい。好きだと言ってもらいたい。でも、ルルーシュを追い詰めたいわけではない。恋人になれないと言われたら絶望するけれど、ルルーシュの意思を無視したいわけでもない。
守りたい。
奪いたい。
スザクの中では矛盾した気持ちがない交ぜになっていた。
「俺は……」
瞳を揺らしたルルーシュは、それでもスザクから目を逸らすことはしなかった。相手の真剣な気持ちから逃げ出すのは卑怯だと、覚悟を決めたのかもしれない。
「俺は、お前に嫌われたくない。皇族だからとか男同士だとか、そんなことは単なる予防線でしかない。俺はただ、側にいてもらいたいだけなんだ。お前がいてくれるのならほかには何も望まない。だから――」
ルルーシュの指先がスザクの手を握り返す。その手も同じように汗ばんでいることに気付き、スザクは安堵するような心地になった。
二人して緊張しているこの時間が愛しく感じられた。
「これからも、お前のことを好きでいていいか?」
その質問にスザクは柔らかく笑んだ。
「いいに決まってるよ」
当たり前だよと伝えればルルーシュの口元が緩んだ。白くてすべすべとした頬を両手で包み込み、輪郭を辿るように何度もなぞる。
「ルルーシュ――」
おもむろに顔を傾けた。薄い瞼が下りたのを見届け、スザクは唇に優しく触れた。
ぬくもりを感じ合うだけのキスを交わす。
それから額を合わせて照れくささを孕みながら肩を揺らし、また唇を触れさせた。
「そういえば、ユーフェミア様にはなんて説明するの?」
「ユフィには結果を知らせておかないと今後もあれこれ詮索される恐れがあるな。しかし、どう誤魔化すか。相手がお前とは口が裂けても言えないし……」
「ユーフェミア様なら受け入れてくれる気もするけど」
「確かにユフィは寛容だが、実の兄に同性の恋人がいるとわかればさすがにショックだろう。ナナリーにも黙っておかなければならない」
「ルルーシュってたまに顔に出るところがあるから気を付けてね」
「はあ? 馬鹿を言うな。俺はいつも完璧に振る舞っているぞ」
「そういう驕りは良くないってこと。君、家族絡みだとすぐに甘くなるから」
「なんだと」
「とにかく、僕達のことは誰にも話さないし悟られないようにするよ」
僕も気を付けると言えば、ルルーシュが「すまないな」と申し訳なさそうに謝った。君のせいじゃないといくら伝えてもルルーシュは気に病むのだろう。
これは二人の問題だ。だけど、万が一関係が露見したときにもっともダメージを受けるのは皇子であるルルーシュだ。失うものはルルーシュのほうが多い。
(君は逃げ道を用意しようとしてくれたのに、その逃げ道を塞いだのは僕だ)
今ならまだ引き返せるという配慮を騎士自らぶち壊したのだ。
愛する人を守れなければ、騎士としても男としても最低だ。だからこそ、何があってもルルーシュを守らなければいけないとスザクは自分自身に誓った。
「君のことは絶対に手放さないからね。覚悟しててよ」
わざと挑発的に言えば、「今の言葉そっくりそのまま返してやる」とルルーシュが不敵な表情を見せた。すっかりいつもの彼だ。
ふと棚の上の時計に目を向けると、長針と短針が重なるところだった。
「ルルーシュの誕生日が終わっちゃうね」
「もうこんな時間か。いつもと同じ誕生日だと思っていたが、最後に一番の贈り物をもらったな」
嬉しそうなルルーシュにスザクも笑みを零した。ルルーシュが生まれてきた日に想いを通わせることができて、スザクのほうが贈り物をもらったような気分だ。
「誕生日おめでとう、ルルーシュ」
「ありがとう、スザク」
時計が今日の終わりを告げた瞬間に口付ける。
唇を合わせたまま愛してると伝えれば、幸せな誕生日だなと囁いたルルーシュが綺麗に微笑んでくれた。
(19.12.05)