愛を乞う獣

「ねえ、ちょっと待ってよルルーシュ」

 背後で自分を呼ぶ声とドアの閉まる音がした。しかしルルーシュは立ち止まることなく、そのまま部屋の奥まで進んだ。

「ルルーシュってば」

 肩を捕まれ、ぐいっと引かれた。無体を働く男の顔をきつく睨み付ける。

「何を怒っているのさ」
「俺が何に怒っているのかわからないというわけか。自覚がないとはさすがだな。じゃあ教えてやる。俺が隣にいるにもかかわらずお前はほかの女にほいほい付いて行こうとしたんだ。お前が枢木家の御曹司として浮き名を流しているとは言え、堂々と浮気を見せつけられて怒るのは恋人として当然だろう?」

 普段ならばこれほど嫉妬を露わにした科白は吐かない。
 だけど、これまで耳にしてきた噂話に対する不満が溜まりに溜まっていた上に、今日は酒が入っていることで本音がぺらぺらと口から出ていた。どうせスザクも少し酔っているし、些細な痴話喧嘩はいつものことだから気にしないだろうと踏んでいたというのもある。
 これが自宅ならば、帰宅するまでの時間で感情が落ち着いていたかもしれない。
 しかし幸か不幸か、ここは高級ホテルの一室。
 ともに名家の御曹司であるルルーシュとスザクは、知り合いのパーティーに出席していた。その会場が今いるホテルで、せっかくだから部屋を取って一泊しようとスザクから誘われたのだ。
 泊まることが単にベッドで眠るだけの意味ではないことはルルーシュも知っていた。
 温室育ちで、恋愛に関しても性的なことに関しても知識が乏しかったルルーシュだったのに、スザクと付き合うようになって様々なことを覚え込まされた。おかげで、そういう場面になればいまだに顔を赤くさせるものの、スザクの意図に気付かないほど初心ではなかった。
 だから、今日だって本当は少しだけ期待していたのだ。そんなことは一言たりとも口にしないけれど、自分だってスザクと同じくらい、いや、それ以上にスザクのことを求めている。
 なのにスザクと来たら、自分への誘いなどなかったようにほかの女たちの言葉に乗ろうとしていた。
 もちろん彼が本気で浮気をするとは思っていない。スザクは人に優しく、誰にでも平等に接しようとする人間だ。
 そのせいで、枢木の御曹司は女好きとか遊び人という誤解は生じているが、本当の彼は世間が考えているほど軽い男ではなかった。
 しかし、どんなにわかっていても、目の前で男女の駆け引きを見せられて黙っていられるほど恋人に寛大でも無関心でもなかった。

「とにかく今はお前と話したくない。幸い、ベッドは別々だからこれ以上顔を合わせる必要はないな。明日は好きな時間に帰らせてもらうからお前も勝手にすればいい」

 何か言いたそうにしていたスザクを置き去りにし、部屋に入ったルルーシュはドアを閉めた。耳を澄ませていると、しばらくしてから遠ざかって行く足音が聞こえた。
 (部屋の前に居座られたらどうしようと思っていたが、早々に諦めてくれたようだな)
 安堵とも落胆ともつかない溜め息を吐き出したルルーシュは、のろのろと顔を上げた。目の前には男二人が寝ても充分すぎるほど大きなベッドがある。

「相変わらず金持ちの道楽を……」

 ルルーシュもいわゆる金持ちの息子ではあるが、一泊、それもセックスをするためにスイートルームを取る神経はまったく理解できない。
 その上、ここは自宅のように個室付きの部屋だ。長期間滞在するならともかく、一晩だけではまったく活用できない。スザクの道楽のおかげで喧嘩をしても一人で籠れるとはいえ、それとこれとは話が別である。
 なんとなく息苦しさを感じて首元のタイを緩めた。ジャケットとともにベッドへ投げ捨てる。
 綺麗好きなルルーシュにしては乱暴な行動だが、むしゃくしゃしている今は丁寧に服を畳む余裕もない。
 手首に嵌めていた時計やアクセサリーもすべて外すと、重々しい枷から解放されたような気分だった。
 (スザクが女に優しいのは今に始まったことじゃないのにな)
 現在、大学生の二人は生まれたときからの知り合い、つまり幼馴染である。小学校から大学までずっと一緒で、さらには恋人という関係まで加わったのだからお互いのことは嫌というほど知り尽くしていた。
 おかげで、スザクがどれだけもてるかもよく知っている。告白されるところを見た回数は両手でも足りないほどだ。
 だから今日の出来事なんてほんの些細なことで、怒るほどのものではなかった。そう頭では思うのに、感情が暴走してしまったのはやはり酒のせいなのか。

「……シャワーでも浴びるか」

 湯船に浸かるわけではないし、ほろ酔い程度なら構わないだろうとルルーシュは部屋を出た。外にスザクがいるのではないかと一応警戒したが、彼も部屋に引き籠ってしまったのか気配はなかった。
 詰めていた息を吐き出してバスルームへ行く。ドアを開ければ大きな鏡に映し出された自分の姿が目に入った。
 豪華な部屋は風呂も無駄に豪華で、右手にはトイレとシャワーブース、左手には大人二人が悠々と入れる浴槽があった。
 服を脱ぎ捨てたルルーシュは、右のシャワーブースに向かった。疲れているので温かい湯に浸かりたい気分ではあるものの、あまりのんびりしているといつスザクがやって来るかわからない。
 今日は汗を流す程度でいいかと思いながら透明ガラスのドアを閉め、コックを捻った。熱いシャワーは気持ち良く、目が覚めるようだ。
 (嫉妬丸出しで情けないな。面倒くさいと思われたかもしれない)
 頭がはっきりしてくると先ほどのやり取りもはっきり思い出され、今さらながらに後悔が生まれてくる。
 誘いに乗ろうとしたのはスザクだし、どう考えても悪いのはスザクだけど、自分たちには社会的なお付き合いというものがあるのも事実だ。無碍に断ったことであとから余計な嫌がらせを受けるのは面倒だし、周囲の目も意識しなければならない。
 (それでも面白くないものは面白くない、と言うのは子どもの我儘か)
 シャワーを止め、手のひらで顔を拭った。濡れた黒髪からぽつりぽつりと水滴が落ちる。
 一晩寝ればこの気持ちも晴れるかもしれない。そう思ってシャワーブースを出ようとしたのと、透明なドアが開いたのはほぼ同時だった。
 心臓が止まりそうなほど驚いたルルーシュは叫ぶことも忘れて立ち尽くしていたが、目の前のスザクは顔色を変えることなくブースの中に入ってきた。
 そういえば鍵を掛けていなかったと今ごろになって気付く。いつも掛けないからうっかりしていた。
 自分の不手際に唇を噛んでいると、肩を掴まれバスルームの壁に押し付けられた。冷たい壁にびくりと背中が浮きそうになるが、スザクの手がそれを許さなかった。

「な…、何をする!」

 視線を険しくして叫んでもスザクの表情に変化はない。ルルーシュの問いかけに答えを返すこともなかった。
 そして、無言のまま唐突にキスを仕掛けてきた。

「んっ!んん、…ッ」

 何かをぶつけるように乱暴に合わせられる唇。ルルーシュが酸素を求めた隙に舌を侵入させ、咥内を犯す。
 体を引き剥がそうとしてもびくともせず、さらに深く口付けられた。スザクはきっちり服を着ているのに自分だけが裸で、静かなバスルームに響く水音がより羞恥を煽った。
 息も絶え絶えになった頃、ようやく唇が離れ、ルルーシュは必死に呼吸を繰り返した。息が落ち着いて冷静になった途端、恋人の身勝手な行動に怒りがぶり返す。

「何を考えている!」
「ルルーシュこそ何を言っているの?今さらキスひとつで大騒ぎするような仲じゃないだろう?」
「そういう問題じゃない!」

 悪びれた様子のないスザクに苛々が募る。

「人がシャワーを浴びているのに勝手に入ってきて、その上、無理やり、キ……キスなんかしてきて」

 互いの唾液で濡れた唇を拭いながらスザクを睨み付ける。こうした行為にもすっかり慣れたし、確かに今さらキスひとつで大騒ぎするようなこともない。
 だけど、平常心でいられるかどうかはまた別だ。スザクは平気な顔をしているけれど、ルルーシュはたかがキスでいつも心臓をばくばくさせている。
 ルルーシュをじっと見ていたスザクが、ふいに小さく溜め息を漏らした。呆れられたのだ、と思った。
 (慣れた相手ならもっとすんなり出来るのにって、どうせうんざりされているのだろうな)
 自分はスザクと付き合うまで誰とも関係したことがない。スザクとの行為に慣れたとは言え、彼がこれまで付き合ってきた女性に比べれば雲泥の差だろう。
 (だったら最初から俺を選ばなければ良かったんだ……)
 悔しさと羞恥で目頭が熱くなるのは、やはり酔っているせいなのか。
 髪から落ちた水滴が頬を伝い、まるで泣いているみたいな自分が情けなくて顔を俯かせた。
 すると、抑え付けられていた肩を引かれ、今度はスザクの腕の中に閉じ込められた。

「え……」

 頭の後ろと腰の辺りに手が回り、さらに体が密着する。肌に布地の感触がして、自分が裸であることをまざまざと自覚した。

「…っ、だからさっきからお前は、」
「ごめん、君の嫉妬が可愛かったから我慢できなかった」
「は?」

 耳元で聞こえた科白に思考が止まる。嫉妬とか可愛いとか、スザクは何を言っているのだ。

「僕が何をしてもルルーシュはいつも何も言わないし顔色も変えないから平気なんだと思っていた。それがあんな風に思ってくれていたとわかって、こんなときに言う言葉じゃないんだろうけど――、嬉しかった」
「え、……は?」
「そういえばこういう喧嘩は初めてだなって思ったらちょっと新鮮で、ルルーシュの本音が聞けて本当に嬉しかったんだ。そしたら君が一人でシャワーを浴びているから我慢できなくなった」
「が、我慢できなくなったって、お前は待てが出来ない犬か!」
「犬でいいよ。僕は君の忠実な下僕だから」
「何が下僕だ!じゃあ、ほかの女と二度と話すなと言えばお前は話さないのか!」

 どさくさに紛れて我儘を口にしている自分に呆れたが、嫉妬していたことも何もかもバレてしまっているなら今さら取り繕ったって無駄だろう。スザクには全部知られているのだ。
 その証拠に、翡翠の瞳が怪しく光った気がする。

「それだけでいいの?僕のご主人様は、僕がほかの女と話さなければ満足?」
「……満足じゃない」
「じゃあどうして欲しいの?言ってくれないとわからないよ?」
「――俺のそばにいろ」

 ルルーシュは真っ直ぐにスザクの瞳を射抜いた。

「ほかの人間なんか見るな。俺だけを見て、俺だけに触れて、俺だけに感じていろ」

 ああ、やはり自分は酔っている。まともな状態でこんな科白を吐けるわけがない。

「ほかには?」

 スザクの口許が弧を描く。その顔は楽しそうで、下僕のくせに生意気だ。

「あとは……」

 こくりと喉が鳴った。

「お前の、好きにしろ」
「御意」

 再び唇が塞がれる。
 主導権を握っていると思わせておいて、支配しているのはスザクのほうだ。でも、従わせているのは自分。
 互いが互いを束縛し、がんじがらめにしている。

「愛しているよ、ルルーシュ」

 答える代わりにスザクの頭を引き寄せた。
 自分たちの間にあるのは愛なんて綺麗なものじゃない。
 あるのは愛を越えた執着で、でもそれが自分たちには似合っている。
 (12.11.17)