7月10日

 スザクは真剣な顔で走っていた。今日一日過ごしてきた中で一番の真剣さで走っていた。
 早朝から様々なテスト、と言うよりロイドの希望による様々な無茶に応えてきたが、ランスロットに騎乗していたときより真剣かもしれない。
 そんなことを言ったらロイドが泣くかもしれないけれど、こうして全速力で向かっている行き先の方が大事なのだから仕方ない。
 (軍を出たのが二十二時を過ぎてたから日付が変わる前にはなんとか着けるかな。まだ寝てはいないだろうけど、友達の家を訪ねるにしては遅すぎる時間だよね。やっぱり怒られるかな)
 こんなとき携帯があれば遅くなるとわかった時点ですぐに連絡が出来るのだが、名誉ブリタニア人であるスザクは残念ながら携帯の所持が認められていない。軍で功績を上げても徹底したルールは相変わらずだ。
 しかし、スザクはそのルールに特に文句はなかった。それがブリタニアの決めたやり方なのだ。ブリタニア軍人である自分はただ従うだけである。
 が、今はブリタニアのルールを論じている場合ではない。とにかく走って少しでも早くクラブハウスに行くことが至上命令なのだ。
 (ルルーシュ待ってるだろうな……)
 一見、冷たいように見えて実は気遣いの人である幼馴染の顔を思い出す。

「十日は何が何でもうちに来い。夜中になったって構わないから絶対に来るんだぞ」

 何度も念押しされたのは五日前のことだ。
 七月十日はうちに来ないかと日付指定で誘われたのだが、その日は軍の仕事が入るとあらかじめわかっていたのでごめんと断わった。いつものルルーシュなら、仕方ないなと諦めてくれるはずだった。
 ところが、眉を寄せた彼はしばし逡巡した後、先ほどの科白を告げた。
 絶対に遅くなるからと言っても、いいから来いの一言で押し切られてしまった。かと思えば、「軍で疲れたあとにうちに来るのは嫌か……?」とどこか遠慮したように聞いてくるのだから、スザクとしてはルルーシュの珍しい我儘を聞いてあげるしかなかった。
 (だって滅多にないおねだりだったし。あれもおねだりって言っていいんだよね?)
 あのときのルルーシュは不遜さと自信のなさが同居していて可愛かった。
 同級生の同性の友達に可愛いという表現はおかしいのかもしれないけれど、そう思ってしまう自分の感情の理由をスザクは特に深く考えていなかった。だってルルーシュが可愛いのは事実なのだから。
 (それにしても、今日って何かあったのかな。夜中になっても構わないような用事……思いつかないや)
 本当は二十二時を過ぎた時点でやめようと思っていた。家主の許可をもらっているとは言え、いくらなんでも非常識な時間だ。
 でも、ルルーシュと約束をした。必ず行くと頷いた。今さら約束を反故にすることは出来ない。
 それに、今日はクラブハウスを訪ねなければいけないような気がした。なぜそんな風に思ったのかはわからない。ただ、今日中にルルーシュに会わなければいけない気がした。
 だからスザクは止まることなく走った。
 そのうち見慣れたクラブハウスが近付き、ようやくいつもの玄関前に立った。全速力のせいではない胸の高鳴りを落ち着かせながら呼び鈴を鳴らす。

「スザク!」

 扉から顔を覗かせたルルーシュは、スザクの姿を確かめると嬉しそうに笑ってくれた。釣られてこちらまで笑顔になるような表情に、今日の頑張りがすべて報われるような感覚だった。

「ごめん、遅くなって。迷惑かなと思ったんだけど約束したから来ちゃった」
「絶対に来いと言ったのは俺だ。しかし、こんな日にこんな時間まで残らせるとは、これだからブリタニアは……」

 どうやらルルーシュの怒りは遅れたスザクに対してではなく、その原因を作ったブリタニア軍に向けられているようで、相変わらずな反応に苦笑いする。
 しかし、こんな日というのはどういう意味だろう。やはり何かの記念日なのか。

「とりあえず中に入ってくれ」
「お邪魔します」

 ルルーシュのあとをついて歩く。

「腹は減ってるか?軍で何か食べてきたか?」
「ううん、ここに来ることを優先させたからまだ何も」
「まさか飲まず食わずで労働させられたなんて言うなよ。まったく、どうなっているんだブリタニア軍は」
「あ……いや、食事に関してはちょっと特異な人がいるだけで、ブリタニア軍自体は何も問題ないよ。バタバタしていたから食いっぱぐれただけ」

 上司の顔を思い出す。優しくていい人なのに、なぜ料理と味覚があそこまで破壊的なのだろう。おかげで、彼女の料理を食べるくらいなら空腹を選ぶ、というのが特派内での暗黙のルールになっていた。

「忙しいのはわかるが、あまり根を詰めるなよ」
「わかってるって」

 ルルーシュとお喋りをしながらダイニングに足を踏み入れたスザクは、そこで思わず足を止めて目を瞠った。

「お前がいつ来るかわからなかったから少し冷めているんだ。温め直してくるから座って待っていてくれ」

 てきぱきと動くルルーシュは、スザクの反応を確かめることなくキッチンへ向かった。その手に皿を持って。

「これ、って……」

 ひとり残された部屋でぽつりと呟く。
 目の前のテーブルには驚くほど豪勢な料理の数々が乗っていた。絵本や物語に出てくるような光景に目を奪われる。
 スザクがぼんやり立っている間もルルーシュは手際よく準備を進めていて、やがてテーブルセットも完璧に終わったのか、スザクのほうを向いて笑みを浮かべた。

「立っていないで座ったらどうだ?」
「……ねえ」
「ん?」
「今日って何かあったの?」

 天然だと言われる自分だけど、この光景を前に何も思わずにいられるほど天然ではない。
 すると、一瞬だけきょとんとしたルルーシュが、小さく吹き出して肩を揺らした。

「誘ったときも反応が薄かったし、出迎えたときも何も気付いていない様子だったからまさかとは思っていたが、本当にまさかだったな」
「何が?全然わからないんだけど」

 可笑しそうに笑うルルーシュに近付くと、紫の瞳がこちらを向いた。その色はとても優しい。

「今日はお前の誕生日だよ」
「へ?」
「七月十日。忘れたのか?」
「あ……」

 完全に忘れていた。指摘されてようやく今日が自分の誕生日なのだと思い出した。

「どうせそんなことだろうと思っていた。だが、ケーキはナナリーが咲世子さんと一緒に作ったものなんだ。ちゃんとロウソクの火は吹き消してもらうぞ」

 いいから座れ、と促されて足を動かす。勧められるままに食卓に着くと、スザクの前にはフルコースと表現しても過言ではない料理が広がった。

「すごい……。これ、全部ルルーシュが作ったんだよね?」
「いくつかは咲世子さんにも手伝ってもらったが、まあ大体は。こんな時間だから本当は軽い夜食のほうがいいのに、無理やり食べさせるみたいで悪いな。食べ切れなければ残していいんだぞ」
「ううん、すごく嬉しい。ありがとう、ルルーシュ!」

 満面の笑みを浮かべると、正面に座ったルルーシュが少し照れくさそうな顔をした。
 何が何でも家に来いと念押しされた理由を今になって理解する。誕生日を祝いたかったから絶対に来いとルルーシュは言ってくれたのだ。

「本当に、嬉しいな」
「感激してもらえて光栄だが、評価は最後まで食べてからだ」

 つんとした言い方は彼の照れ隠しだと知っているから、スザクは笑みを深めた。

「いただきます」

 手を合わせたあとは夢中で料理を口に運んだ。空腹だったこともあるし、ルルーシュの作るものはどれも美味しいから止まらない。

「ナナリーもお前に会いたがっていたぞ。遅いから今日は寝かせたが、ケーキの感想は明日言ってくれないか」
「もちろん。でも、こんな時間になって本当にごめんね」
「いいと言っているだろう。それに、お前はちゃんと来てくれたじゃないか」

 ルルーシュが頬を緩める。

「誕生日おめでとう、スザク」

 そのたった一言をスザクは心の中で反芻した。
 軍に身を置いて七年。こんな風に誰かから誕生日を祝ってもらったことはなかったかもしれない。

「明日は生徒会でも何かやるみたいだぞ。会長が張り切っていた」
「えっ、それは怖いな……」
「泣くなよ」

 悪戯っぽく言われ、「泣かないよ」とおどけて返した。目の奥の涙はスープと一緒に飲み込んだ。

「ありがとう」
「そろそろケーキにするか?」
「――うん」

 ルルーシュは何も言わないでいてくれたけど、きっと気付いていただろう。
 その顔がどこまでも優しいから、スザクはどこか救われたような気持ちになった。自分はここにいていいのだと思えた。
 (こんな風に誕生日を迎えられるなんて考えたこともなかった)
 ありがとう、と心の中でもう一度呟く。
 ルルーシュに。ナナリーに。自分を祝おうとしてくれる生徒会の皆に。
 十七歳の誕生日はいつまでも忘れられない思い出になった。
 何年経っても忘れられない大事な記憶。
 (ありがとう)
 自分を祝ってくれる誰かがいた。
 それだけで、僕は幸せなんだ。
 今も、これから先も。ずっと。
 (12.07.10)